33 戦後処理 4
グレアムは傷病者用天幕に入るとヒューストームの姿を探した。グレアムの師はスライムベッドの上に清潔なシーツを敷いて眠っていた。ブロランカから脱出時、<白>の白炎から皆を守るために、生命力を魔力に変換したヒューストーム。その代償として、それから一度も目を覚ますことなく眠り続けていた。
グレアムは師の世話をしてる団員に休憩を取るように申し付ける。ペコリとお辞儀をして去った兎獣人の女性を見送るとグレアムは、いつものスライムを呼び出す。亜空間からポーションを取り出し、中身の薬液をそのスライムにかけると薬液はまるでスポンジのようにスライムの中に吸収された。
この世の中には高価なポーションだけ口にして生活する人間もいるらしい。ポーショニアンと呼ばれて変人扱いされているとのことだ。ポーショニアンの生き方についてグレアムはとやかく言う気はないが、生きる上でポーションだけで足りるようならば意識のないヒューストームの栄養補給にポーションは最適だろう。
ポーションの薬液を含んだスライムをヒューストームの口元にもっていくと、スライムは体を蠢かせてヒューストームの口の中に侵入する。そうして、口中からスライムは体を伸ばしてヒューストームの胃に直接、薬液を運びはじめた。
「…………」
「何か困り事ですかな?」
スライムの作業が終わるまでヒューストームの顔を見ながら物思いに耽っていると背後からそう声をかけられた。
「…………ドッガー。目を覚ましたのか」
この元彫金細工師はガトリングガンとオルガン砲を作るため、ベイセル軍が襲来する前の最後の数日は不眠不休で働いた。その代償としてドッガーはここ数日、体調を崩していたのだ。
「もう、大丈夫なのか?」
「ええ。王国軍に大勝利したと聞きましたが」
「ああ。今回の戦いの最大の功労者はお前だ、ドッガー」
「ほっほっ。これは恐悦至極。……して、なぜ、そのような沈んだ顔をされておるのですかな? よければこの老体に聞かせてくだされ」
「…………」
ドッガーに話してよいか迷い、まあいいかと思い直す。口止めしていない以上、どうせすぐに知られることになる。
アムシャール村の住人が保護を求めてきたこと。彼らは貴族に手をあげたことで命の危険に晒されていること。彼らを受け入れて山越えを決行した場合のリスク。この地で冬営することのリスクをドッガーに話した。
「…………なるほど。ふぅむ。色々、思うところはありますが、まず思い浮かぶ感想としては、オーソンにしてやられた感がありますな」
「…………」
「アムシャール村の住人に会わず、報告だけ受けていれば言下に彼らを拒絶したのではありませんか? 一の村の住人たちを見捨てる決断をした時のように」
それはグレアムも気づいてた。そして、ドッガーの言う通り、報告だけ受ければ彼らに会おうともせず受け入れることはなかっただろう。彼らを受け入れるリスクはあまりにも高い。
だが、それについて不快感も怒りもない。オーソンは弱っている誰かを見捨てられる男ではないし、いつまでもそうであってほしいとも思う。
「元々の脱出計画は春でしたな。それが夏に延ばした結果、日程に余裕がなくなってしまった。いや、そもそも一の村住人を救出したことが失敗でしたな。二の村住人だけの少人数なら、目立たず戦闘を避ける方法もあったでしょうに」
ディーグアント氾濫の混乱を利用して、グレアム達の脱出発覚を遅らせる。脱出計画の一環であるが、ブロランカの領民に犠牲が出ることを嫌ったヒューストームのため、ディーグアントの餌となる麦が生い茂る夏に計画を延ばした経緯がある。一の村住人救出を強硬に主張したのもヒューストームであった。
「それは師匠を暗に批判しているのか?」やや口調に険を含めて問うグレアム。
「いいえ。最終的に決断したのはあなたです。すべての責はあなたが負う」
「……わかってるじゃないか」
「ただ、この賢明な方がこのような事態に陥ることを想定していなかったとは思えません。それでも、ブロランカの領民に犠牲を出さぬように、一の村住人の救出を主張したのはそれだけのメリットがあった」
「メリット? 仲間になった一の村住民はともかく、ブロランカの領民を助けてなんのメリットがあるんだ?」
「メリットはあなたですよ。無辜の民を犠牲にしない。同じ苦境に陥っている仲間を見捨てない。そうさせたことで、ヒューストーム殿はあなたの心を救った。違いますか?」
グレアムは眠り続ける師の顔を見つめた。
「…………違わないな」
もし、ブロランカの領民も一の村住人も顧みずに脱出を強行していたならば、グレアムの心に棘を刺し、それは一生涯、癒えない傷となって残ったことだろう。
「ならば、尊敬する師が守ろうとしたものは弟子であるあなたも守る義務がある」
それはアムシャール村の住民を受け入れろということか。
グレアムは先程会ったアムシャール村の住人達の顔を思い浮かべた。疲れ切った男。悲嘆にくれる身重の女。何かを悟った表情の老人。そして、不安そうな子供たち。もし、彼らを見捨てればグレアムは一生、後悔することになると容易に想像できた。
「……ドッガーの意見は参考にさせてもらうよ。ためになった」
「ほっほっ。それは重畳」
「そうだな。確かに、もし師匠に意識があればアムシャール村の住人を受け入れろと主張するだろうな」
意識を取り戻した後、自分がアムシャール村の住人を見捨てたことを知れば怒るかもしれない。いや、ただ悲しい顔をして沈黙するだけか。尊敬する師にそんな顔はさせたくない。
グレアムはアムシャール村の住人を蟻喰いの戦団に受け入れる覚悟を決めた。その上で、王国軍と戦うか逃げるか考える。王国軍が来ないと楽観するのは危険だ。
戦う場合、王国軍に対抗するためのアイデアはある。このクサモの町を要塞化、否、ダンジョン化するのだ。クサモの町で定期的に発生する魔物を利用して…………。
だが、戦うにしろ逃げるにしろ、その前にはっきりさせておかねばならないことあることに気付く。王国からの逃避行とベイセル軍の対応に追われ、ペンディングにしていた事柄だ。これ以上、放置できない。これを解決しておかないと足元をすくわれかねないと思った。
「何だかんだ言っても師匠はいつも正しいよ。あの時――ブロランカで大量の金を初めてお前たちに見せた夜に、お前が外部と連絡を取ろうとした時だ。師匠の言う通りお前を殺さなくてよかったと、つくづく思ったよ。ドッガー」
グレアムの言葉に、ドッガーの皺だらけの笑顔が凍りついた。