29 狂弾 3
(ちくしょう! ここからか!)
ケルスティンに頭を撃たれたスヴァン。一瞬の痛みに意識を失い、気づいた時には殺気立つ王国軍兵に囲まれていた。
この場面は覚えている。蟻喰いの戦団の残党が立て篭もるクサモの町に攻め込まんとしているところだ。
もちろん、今のスヴァンは拘束などされておらず、頭が吹き飛んでもいない。
スヴァンのスキル【ロールバック】。本人の死をトリガーに過去に戻る能力である。過去改変可能な強力なスキルだが、いくつか制約がある。
まず、戻れる過去を任意で選ぶことはできない。完全にランダムとなる。スヴァンの経験では死んだ時点から最長で一日前、最短で三十分前となる。
文献を紐解けば、過去の【ロールバック】スキル持ちもその程度しか戻れなかったらしい。
今回のスヴァンはおよそ一時間前、ベイセル軍が蟻喰いの戦団に敗北する最後の戦いの直前といったところか。
「スヴァン、何をボッーと突っ立ておる?」
ベイセルが巨大な猪からスヴァンを見下ろしていた。
「はっ、閣下! 実はーー」
スヴァンはこれが敵の罠であることを伝えようとする。だが、案の定、そこで言葉は止まり、スヴァンが意図しない別の言葉が口から出てくる。
「閣下のご武運を天龍皇と大地母神にお祈りしていました」
「ふん。ただの掃討戦にそんなもの必要あるまい」
「ですが閣下。まだ敵にはオーソンが残っております。対策は万全とは言え、油断なさらぬ方が良いかと」
ベイセルの幕僚の一人であるエーリャン=ヴィレーンが口を挟んでくる。それを機にベイセルの意識はエーリャンに移った。
(ああ、やはりか)
これが【ロールバック】の制約その二である。未来に起こる出来事を他者に明かせなくなる。
「閣下! 門が開きましたぞ!」
「よし! 全軍突入! 一人も生かしておくな!」
我先にと王国軍が町の中に殺到していく。それを見送るしかないスヴァンには、その光景はまるで巨大なドラゴンの顎門に自ら飛び込んでいくようにしか見えなかった。
ケルスティンはこれを止めるためにスヴァンを過去に戻らせたのだろう。
だが、結果は失敗した。数分後には町の中から兵士の悲鳴が聞こえてくるはずだ。
こうなってはスヴァンは逃げるしかない。敗北したベイセルは過去をやり直すためにスヴァンを殺そうとするだろう。
だが、一度、【ロールバック】が発動すれば一週間は使えなくなる。その間にスヴァンが死ねば、スヴァンの行き先は過去のどこかではなく、あの世である。そこが天国か地獄かは知らないが。
ちなみに、この制約はスキルの名と効果を明らかにする魔道具「鑑定紙」によって明記されている。
結婚もせずに死にたくないスヴァン。相手はいないが、生きて帰って誰かと結婚したい。それに、ここに留まっていればオーソンに捕まる未来が待ち受けている。
その場を離れようとして、ふと怪しい動きをする一人の男が目に入った。
(あれはナッシュとか言う内通者だったか)
その内通者がコソコソと逃げようとしている。
(そうか! あいつ、裏切ったフリをしていただけか!)
ベイセルを罠に引き込むために嘘の情報を吹き込んだ。やはりグレアムの首は偽首だったのだ。
(だとすれば、ナッシュの逃げた先にオーソンがいる可能性が高い)
ならばとスヴァンはその真逆の方向に逃げる。
そうして、スヴァンは入り込んだ林の中でそこに潜んでいたオーソンにばったり遭遇してしまう。
◇
(まずい、まずい、まずい)
オーソンに縛られ、ヘンリク少年と共にグレアムのもとに連行されるスヴァン。
(前回と同じ流れになっている)
このままではまた、ケルスティンに殺される。ケルスティンは自分が一度、過去に戻っていることを知らないのだ。
(どうする? どうする? どうする?)
必死に自問するが妙案は浮かばない。しがない平民の家に生まれたスヴァンであったが、そのスキルから万が一の時のためにとある貴族の家に召し上げられた。
そこで側近としての高等教育を受ける。数や文字を扱うことに向いていたようで普段は領主の秘書を任せられた。皮肉にも他者の秘密を明かせないというスキルの代償が、秘書という仕事をスヴァンの天職にした。
スヴァンが初めて【ロールバック】を使ったのは、十四の時。スヴァンを召し上げた貴族がとある致命的な失敗をした。
温厚で優しいと思っていたその貴族は眉一つ動かすことなく剣をスヴァンの心臓に突き立てる。
幸いにも、その失敗はスヴァンの独力で解決できたが、以降、たびたびその貴族はスヴァンを殺すようになる。
その度にスヴァンは秘書という立場を利用して、貴族のスケジュールを変えたり、書類を偽造するなりして起こるべき破滅を回避させてきた。
だが、ある時、どうしてもスヴァンの独力では解決できない問題が発生する。
それを悟った時、スヴァンは逃げた。その貴族に記憶は無くとも何度も殺されている。その貴族にとってスヴァンは過去をやり直せる便利な魔道具にしかすぎないと悟っていた。その貴族に対する恩も情も既にスヴァンの中にはなかった。
逃げた先は別の貴族である。スヴァンの身を守ってもらうために最初の貴族と敵対する相手を選んだ。
その貴族にはスヴァンが【ロールバック】持ちであることを知るとすぐに雇ってもらった。
だが、そこも直ぐに退職することになる。理由は最初の貴族とほぼ同じである。
そうして、何度か仕える相手を変え、最終的に主となったのがアイク=レイナルドであった。
最初の貴族を除けば、レイナルドが最も長く仕えている主になる。その間、スヴァンは一度もレイナルドに殺されることはなかった。スヴァンにとってレイナルドは正に理想の上司であったのだ。
もう二度と冷たい金属が胸に刺し込まれる感触など味わいたくない。絶命する瞬間までまさに地獄の苦しみを味わうのだ。
いつだったか酒の席でケルスティンにそうボヤいたことがある。ケルスティンはそれを覚えていたのかもしれない。
(だからといって、魔銃だったらいいというわけでもありませんよ。ケルスティン様)
そんな益体もないことを考えているうちに、グレアムがいる天幕が見えてきた。あと、数分もしないうちにグレアムが天幕から飛び出してきて撃たれるのだ。そう、ヘンリク少年を庇って。
(……………………)
ふと、別のことを考える。
グレアムという男は悪逆非道の大罪人である。王国兵を虫けらのように殺せる冷酷非道の輩であるはずだ。なのに、なぜグレアムはそんなことをしたのだろう。スヴァンが今まで仕えた主で、そんなことをする人間はいなかった。
(もしかすると、グレアムという男は味方には寛容なのか)
それも慈愛と呼べるレベルで。
ヘンリク少年とグレアムの関係は知らないが、傍目には身を挺して部下の一人に庇ったようにしか見えない。
(だとすれば……)
既にケルスティン、否、王国はスヴァンの命を狙う敵となった。
ならば、寝返るしかない。
それでも、グレアムが撃たれれば終わりである。ならば、覚悟を決めるしかない。
「オーソン殿! 自分はグレアム殿にお仕えしたい!」
「……何だ? 藪から棒に? 命乞いなら不要だ。既に王国軍は降伏した。これ以上、血を流す気はない。俺もグレアムもな」
「自分は【ロールバック】持ちです!」
「何だって?」
「自分は有用だと、今から身を持って証明いたします!」
スヴァンは走り出す。ヘンリク少年に向かって一直線に。
丁度、グレアムも天幕から飛び出してくる。距離はスヴァンのほうが遠い。
(間に合うか!?)
ブシャァ!
数秒後、鮮血が虚空に舞った。