21 ドラゴンの腹 2
生気のない首だけとなったグレアムを見て、ヘンリクは震えだした。
「うっ!」
茂みに駆け込み胃液をぶちまける。
「ヘンリク、行くぞ!」
グレアムの頭部が入ったシーツを包み直したナッシュはそれをヘンリクに押し付ける。
べチャリと赤い液体がヘンリクの手のひらを汚した。その感触に再び吐き気を覚えたが、もはや胃からは何も出てこなかった。
一方、ナッシュは領主の館を囲むディーグアントの壁をよじ登って町の様子を確認する。近くに魔物は見当たらない。魔物の視線も感じられない。ナッシュの【視線感知】スキルには二つ能力がある。一つは今、ナッシュを見ている者がいるかどうか分かるというもの。もう一つは、他者の視線の動きを察知できることである。この能力を使えば、他者がナッシュを目撃しそうになれば、その前に身を隠すことができるのだ。そして、この能力は魔物相手にも有効だった。
「よし。首をよこせ」
「ど、どうするんです?」
「町を出て王国軍陣営に駆け込む」
グレアムの話では王国軍は町から十キロメイル南に陣をはっているという。
「お前もついてこい」
「そ、そんな? 無理です! 外には魔物がいるんですよ!」
「なら、ここに留まってオーソンとミリーに殺されるのを待つか? 朝になってグレアムの首なし死体が見つかれば犯人探しが始まる。そこに俺がいなければ誰が犯人かすぐにわかる。ついでに共犯者もな」
「ひ、ひぃ!」
情けない声を出しディーグアントの壁をよじ登るヘンリク。ヘンリクにはもう少しだけ役に立ってもらう必要がある。ナッシュのスキルならば魔物の視線は躱せるが、残念ながら鼻や耳で獲物を探す魔物も多い。運悪くそういう魔物と遭遇した場合はヘンリクを囮に使うつもりであった。
「遅いぞ、ヘンリク」
「ま、待ってください。み、水を」
ハァハァと息を切らせるヘンリク。領主の館を脱出して三十分。何度か危うい場面はあったが、今のところヘンリクを囮に使う事態にまでは至っていない。そして南門の通用口まで辿り着く。
「あ、あれ?」
「どうした?」
「スライムが……」
軍服の肩口にいつも小さくなってくっついているタウンスライムが、いつのまにかいなくなっていたのだ。
「逃げたんだろ。グレアムを殺して【スライム使役】の効果がなくなったんだ」
「そ、そんな! あいつには俺の全財産を預けてあったんですよ!」
ナッシュはタウンスライムの亜空間収納が使えなくなることを見越して背嚢に全財産を移し替えていた。対してヘンリクは背負い紐で肩にかけてる魔銃以外持っていない。
「わ、わかっていたなら忠告してくれてもいいじゃないですか!」
「知るか」
(馬鹿が。そんなことにも思い至らないとは。やはり、こいつは囮にしか利用価値は残ってないな)
それともここで始末しようか。いや、殺るにしても、ここではまずい。<炎弾>の光は意外に強く魔物を引きよせかねない。殺るとしたら町の外に出てからだ。
「ほら、いくぞ。お前が先に立て」
「そ、その前に水を分けてください」
「王国軍の陣営に着いた後にたっぷり飲ませてやる。さっさといけ!」
「…………」
ヘンリクとナッシュは通用口を通り町の外に出る。だが、門から出た数歩のところでヘンリクは足を止めた。
「どうした?」
「……何か変じゃないですか?」
「何がだ?」
「いえ、何となく……」
一瞬、ナッシュの殺意を悟られたかと思ったが違うようだ。
「いいからさっさと行け! わけのわからないこと言っているとぶっ殺すぞ!」
「は、はい」
震えて早足で歩き出すヘンリク。
(まぁ、どちらにしろぶっ殺すんだがな。あばよ、ヘンリク)
ナッシュはヘンリクの後頭部に狙いを定めて魔銃のトリガーを引いた。
だが、反応がない。
(ん? トリガーの故障か?)
魔銃の心臓部を収めているコパートメントの小窓を覗くナッシュ。
(ん?)
コパートメントの留め金を外して中を開けると、何もない小さな空間が広がっていた。
◇
グレアムの言った通りに王国軍はクサモの町から十キロメイルほど離れた南に陣を構えていた。
「止まれ! 何者だ!」
「王殺しの下手人グレアムの首を持ってきた!」
兵士の誰何にナッシュがそう答えると、軍の高官らしき人物が呼ばれる。
「こ、これは確かに! ……ナッシュとヘンリクといったな。詳しい話を聞きたい。ついてこい」
長大な幕舎に案内されてから数十分。先程の高官と一緒にでっぷりと太った男がやってきた。
「貴様が参謀本部が言っていた内通者か。確かにグレアムの首であることは間違いないようだ」
不機嫌そうなベイセルは傍に立つ口髭を生やした男をチラリと見た後、苦々しく宣言した。
「よかろう。貴様が大罪人グレアムを討ち取ったことを認めよう」
ナッシュは平伏しつつ心の中で快哉をあげる。殺されて手柄を横取りされるのではないかとドラゴンの腹に飛び込む心持ちだったが、ナッシュは賭けに勝った。
「だが」と続くベイセルの声に冷や水を浴びせられる。
「あの町の周りの爆発する地面は何だ? あんなものがあるなど聞いていないぞ。まさか貴様、我らにグレアムの首を取られるのを恐れ、わざと黙っていたのではあるまいな」
ナッシュの周囲から剣呑な殺気が漂う。王国軍はあれで多大な被害を出したのだ。回答を間違えれば切り捨てられてもおかしくない。
「だ、旦那様!」
「閣下と呼べ」
「閣下! あっしがわざと情報を流さなかったなんて大きな誤解です!」
「ほう。知らなかったと」
「あっし達も今朝知らされたんです。"地雷"を町の周囲五十メイルに渡って埋めてあると」
「待て。町の周囲がどれだけあると思っている? その地雷というやつは一朝一夕で埋められるものなのか?」
「いえ、グレアムはあの町に立て篭もったその日の晩から例の蟻どもを使って作業していたようで。あっしらもあんな物が埋めてあるなんて夢にも思わなかったんですや」
「ならば貴様ら、どうやって町の出入りをしていた?」
「グレアムの野郎が指定した道がありやしてね。そこ以外は決して立ち入るなって厳命されていたんですよ。今夜もその道を通ってここに参上した次第でして」
「ふむ。一応、筋は通っているか……。町に続く安全な道があると言ったな? それは軍が通れる広さか?」
ベイセルがそのように聞いてきた意図を察する。友人に心の中で詫びつつも、実際に良心が痛むことはなかった。ナッシュにとって友人とは利用すべき者でしかないからだ。
「いえ、大の大人がようやっと一人通れるぐらいでして」
「むぅ。それでは全軍を町に送り込むのに時間がかかりすぎる」
「それについては良い情報があります。恐らく、埋められた地雷は既に機能していないかと」
「なぜ、そう言える?」
「地雷の正体はスライムでさあ。あっしは見たんです。グレアムが黒いスライムを地面に埋めているのを」
「待て。爆発するスライムなど聞いたことがない」
お前達は知っているかとベイセルは幕僚を見るが皆、揃って首を横に振った。
「スライムの魔術でさあ。グレアムの野郎が命じて<火爆>を起こすんで」
「下等なスライムが魔術を使うだと!?」
ナッシュの推測でしかないが間違いないと思う。魔銃のコパートメントを開けた時、中身は空っぽだった。
グレアムの警備に入る前に魔銃の心臓部がコパートメントにあったことは確認している。それから魔銃は背負い紐で肌身から離していない。
考えられるとしたら魔銃の心臓部はスライムだったのだ。魔道具みたいなものだとグレアムは言っていたのでそれを信じていたが、考えてみれば魔石を交換したことは一度もない。魔石の魔力がなくなれば魔道具はただのガラクタである。
そして、魔銃のスライムもグレアムの死と共に【スライム使役】から解放され逃げたのた。
「むう。スライムが<炎弾>や<火爆>を使うというのか? にわかには信じ難いが……」
「ですが、これで魔銃は魔道具ではないと言った先王陛下のお言葉と辻褄が合います」
「スライムを魔道具の代わりに使えるようになれば、帝国など敵ではありませんぞ」
ナッシュの説明を受け騒がしく議論するベイセルの幕僚達。
「待て待て。スライムの魔術については後にしよう。それで、ナッシュ。"地雷"となっているスライムも既に逃げ出している可能性が高いと?」
「ええ、その通りです。何なら証明しても構いやせん」
そう言うとナッシュは先程から委縮して黙り込んでいるヘンリクを楽しそうに見るのだった。