3 王国逃避行2
王国元帥レイナルドは航空部隊を派遣した以外に大きな動きをとろうとしなかった。レイナルドと長年、連れ添った副官は今のレイナルドはどこか精彩を欠いているように思えてならない。グレアム捕獲も王国軍参謀本部にほぼ丸投げの状態である。これは何事も人任せにしないレイナルドにしては珍しいことであった。
一方、丸投げにされた形の王国軍参謀本部が取ろうとした次の手は物量戦である。少数の部隊では蟻喰いの戦団によって返り討ちにあう可能性が高い。ならば、数千の大軍を蟻喰いの戦団にぶつけようという考えである。
◇
「ふん。多勢に無勢か。面白みのない手だが悪くはない。だが……」
ヘイデンスタム公爵は王国軍参謀本部から届いた書状を机の上に投げ捨てた。
「チャイホス。返信しておけ。領内の魔物退治に追われ、兵は出せぬとな」
「よろしいのですか?」
ヘイデンスタムの秘書チャイホスは自身の主人に訊いた。いくら公爵といえど、王国軍からの要請を無碍にして、主人の立場が悪くなることを懸念したのだ。
「ふん。こちらに協力もせず、都合の良いときだけ協力しろなどとよく言えたものよ。それにブロランカ島について正式な回答をもらっていない」
一月前、寄子のソーントーン伯爵が納めていたブロランカ島が消滅した。その詳しい経緯をヘイデンスタムは王国に問い合わせたのだ。ヘイデンスタムにとっても他人事ではない。自分の領地が突然、消えるなど悪夢でしかない。そしてその悪夢を引き起こしたのが王国だというのであれば看過できない。
「もしグレアムという男の言う通り、それを引き起こしたのがジョセフだというなら大義はグレアムにあると言って憚らない者もいる」
「平民の中にはグレアムを義士と称えるものさえいると聞きます」
「グレアムが王都でやったプロパガンダが効果的だったな。なかなか頭の切れる男のようだ。しかも、王国航空部隊がグレアムが率いる謎の部隊によって壊滅させられたらしい」
「!? まさか!? 王国の精鋭部隊ですよ!?」
「警備の厳重な王宮に入りジョセフの首を挙げた男だ。ありえないとも言えん」
「…………」
「いずれにしろ、下手に手を出せば痛い目をみるのはこちらかもしれん。手出し無用。今一度、配下の者たちにもそう通達せよ」
「はい。…………ところで、ケネット王子の件はどうされますか」
「…………一部の貴族と妙な動きをしている件についてか」
ケネットはジョセフの第三王子である。
第二王子にして王位継承権第一位のテオドールは簡易ながら神殿で王位継承を済ませている。
政治的混乱を鎮めるためテオドールは東奔西走しているようだが、あまり上手くいっていない。
ケネットはそれをテオドールの能力不足だと批判している。
だが、これはテオドールの能力が原因というよりも、ジョセフのやらかしがあまりにも悪辣だったからだ。
ヘイデンスタムが見たところテオドールは有能な王となる片鱗がある。レイナルドの進言を聞き入れディーグアント計画の中止を命じていることがその証拠だ。
少なくともケネットなどよりはよほど有能な男と言える。
「…………引き続きケネット王子の監視を続けよ」
もうクズに国を任せるのはウンザリだった。
◇
ヘイデンスタムを始めとした諸侯の非協力的態度と、テオドールからグレアムを早急に捕らえるように厳命された参謀本部は止むを得ず王国軍のみで対処することを決めた。
白羽の矢を立てたのは対聖国国境警備軍である。蟻喰いの戦団が聖国を目指していることは既に判明している。ならば対聖国国境警備軍にあたらせるのが都合が良い。
対聖国国境警備軍の兵力は約八千。全軍で当たれば、いかに魔銃を装備した蟻喰いの戦団といえども撃破は可能と思えた。
しかし、対聖国国境警備軍は国境に広く分散している。蟻喰いの戦団に当たれるのは良くて千だろう。しかも、長年、聖国との戦いを経験していない対聖国国境警備軍は弱体化している。
参謀本部は対聖国国境警備軍単体での蟻喰いの戦団撃破を諦め、国境封鎖に専念するように命じた。
主力は王都から発した五千の軍。その到着までの足止めである。
◇
「皆、よく集まってくれた。まずは状況の説明からしよう」
グレアムは蟻喰いの戦団の面々を見まわし告げた。
「現在地は、聖国国境の南、約十キロメイルだ。王国軍は国境を封鎖。聖国を繋ぐ主な街道に関所を作り、検問を行っている」
グレアムは幻影魔術で俯瞰図を空中に投影する。自分たちを示す青い点が下側に、王国軍を示す無数の赤い点が上側に表示される。
「どこも真っ赤じゃなねーか」
ジャックスが呆れたように言う。
「ああ。だが、昼間偵察したところ王国軍の士気は低い。広範囲に分散しているから、強引に突破しようと思えば可能だろう」
「なるほど、じゃあ、いよいよ明日は聖国入りか。まぁ、長かったような短ったような逃避行だったな」
ジャックスの軽口に小さな笑いが起きる。
逃避行というほど悲壮な旅路でもなかったからだ。
グレアムは逃亡資金をたっぷりと蓄えている上に、一の村住民分も含めた物質もペル=エーリンクから必要十分に購入し亜空間に収納していた。途中、村や町に立ち寄り、足りないものを購入したり、宿に泊まり英気を養うこともしている。
「聖国にはいかない」
突然のグレアムの宣言に二の村住民を中心に騒めきが起きる。
「今の聖国は政情不安定だ。このまま聖国に入ると騒乱に巻き込まれる恐れがある」
ブロランカ島でペル=エーリンクと取引していた際に彼からもたらされた情報である。ブロランカ島脱出後も立ち寄った街で裏付けを行い、情報が正しいことを確認している。
「そこでだ。君達の今後の身の振り方を確認したい。以前、俺は二の村組に聖国での市民権の購入を約束した。そこで、望む者には市民権購入にかかる費用と今日までの給与を渡し、戦団から退団することを認める」
ザワザワと隣り合う仲間と話し始める二の村住民達。
「魔銃は? 退団したら持っていっちゃ駄目か?」
「駄目だ。渡すことはできない。スライムも全て置いて行ってもらうから亜空間収納もできなくなる。ただし、通常の武器と旅に必要な物は支給する」
それを聞いたジャックスは何かを考えているようだった。
「聖国へ行かず、どこへ行こうというのだ? まさか、このまま王国に留まるつもりか?」とドッガー。
「行き先は秘密だ。教えることはできない。危険もある。それも考慮してくれ。それと、一の村住民たち」
グレアムは狼獣人の少女ミストリアを中心にして集まる獣人達に向き合った。
「今日まで、なし崩し的についてきてもらったが、そろそろ君たちの立場をはっきりさせたい。正直に言おう。当初、俺は君たちを助ける気はなかった。君たちを助けたのはティーセ王女の要請があったからだ」
グレアムの言葉にジャックスはギョっとした顔を見せる。グレアムがそのことを獣人達に暴露するとは思わなかったのかもしれない。
一方の獣人達の反応は淡泊だった。それを聞かされても怒るふうでもない。
「そうか。王女が我々を助けるように頼んだのは少し意外だったが」とミストリア。
「怒らないのか?」
ミストリアは首を横に振った。
「我々も独自に脱出計画を練ったが、一度として二の村住民の救出を考えたことはなかった。助けてもらっておいて文句を言う立場にないさ」
「そうか。俺について来れば仕事は保障する。離れるというなら止めはしない」
「それを聞いて安心した。むしろ、放り出されることを心配していたからな。逃亡奴隷の私たちに王国に居場所はない。かといって市民権を持たずに聖国に行ったところでな」
「それでは?」
「ああ。既に我々の意志は統一している。よろしく頼む」
「蟻喰いの戦団へようこそ」
グレアムとミストリアは握手を交わすと、獣人達から拍手と歓声があがった。
「正式な入団祝いに少量だが後で酒を振舞おう。二の村組もどうするか、明日の朝までには決めてくれ」
「なあ。ちなみに聖国の政情不安って具体的になんだ?」
そうジャックスに問われ、グレアムはただ短く告げた。
「魔女狩りだ」