141 サンドボックス17
ヒューストームの圧倒的才能に打ちのめされ、魂が抜けたようなヨハン=シャーダルクにグレアムは同情した。
シャーダルクの気持ちはグレアムにも痛いほどわかったからだ。グレアムは自分のことを天才と思ったことは無い。今世でも前世でも圧倒的才能の差がある人間が近くにいれば、嫌でも自分の非才を痛感する。
その人間が、今世ではヒューストームであり、前世では異世界転移部の部長――中村優である。
二人とも自分ではとても勝てないと思わせる圧倒的才能の持ち主であった。魔術も学校の勉強もグレアムなりに必死に取り組んだつもりだが、ヒューストームの構築する魔術式は半分も理解できていないし、優には成績で一度も勝ったことは無い。
「まあ、仕方がない。世の中には神様に愛されて生まれたとしか思えないような奴がいるんだ。俺たちのような凡才は凡才なりにできることをやって生きていくしかない」
そうグレアムは軽く口にする。シャーダルクへの慰めの言葉ではあったが、グレアムの嘘偽りない本心でもあった。
「ふっ、愛か。神に愛されず、親にも愛されず生まれた私は果たして生きている意味があるのだろうか?」
「愛されているだろう。神様は知らんが、親には」
「お前が私の何を知っているというのだ。幼少の頃より、シャーダルク家の跡取りとして厳しく躾られ、親の愛など感じたことなど一度もなかった」
「生みの親のヒューストームに愛されているじゃないか。俺の弟子入りの条件として、お前と会っても殺さないでやってくれと言われたぞ」
「……なに?」
グレアムはその条件が出された時、ヒューストームとシャーダルクの関係を聞いた。
若き日のヒューストームは一人の名門貴族家当主の妹に恋をする。なんだかんだあり、その恋は成就するが、二人が公に一緒になるには問題があった。
ヒューストームが平民だということである。
そこでヒューストームは爵位を得ようと戦場に出る。当時、帝国の大規模侵攻があったのだ。戦いは一年にも及び、何とか撃退に成功する。
戦場で並々ならぬ武勲を立てたヒューストームは喜び勇んで彼女のもとに帰るが、彼女は死んでいた。幼い乳飲み子を残して。産後の肥立ちが悪かったらしい。
赤子を抱えて悲嘆に暮れるヒューストームに彼女の実家から接触がある。
それがシャーダルク家である。
シャーダルク家は代々、魔術師として王国魔術部門の重要ポストを歴任してきた家柄である。
だが、当主の子供達は魔術系スキルに恵まれなかった。領地を持たない法衣貴族であるシャーダルク家にとって魔術部門のポストに就けないことは家の存続に直結する重要問題である。
そこで目をつけたのが妹の子供であるヨハンである。ヨハンは【魔力感知】という魔術系スキルを持って生まれていた。
シャーダルク家の当時の当主はヒューストームにヨハンを引き取ることを提案したという。
ヒューストームはその提案を泣く泣く飲んだ。愛する妻を失った失意と、男一人では赤子も殺すことなると言われては手放すしかなかったという。
そうしてヨハンはシャーダルク家の跡取りとして引き取られたが、ここでもヒューストームが平民であることが問題となって出てくる。
「名門貴族家の当主が平民の血を引いているというのは血統を重視する貴族社会にとって決して外聞の良い話ではない。だから、ヨハンは当主の子供ということにした」
幸い、同時期に当主の妻が出産していた。ヨハンをその子と入れ替え、実の子は里子に出したらしい。
「師匠は決してヨハンの出生の秘密を打ち明けないことを誓った。ヨハンの将来のために」
それから十数年経ち、ヒューストームは宮廷魔術師の末席にいた。決して待遇はよいとはいえなかったが、ヒューストームはその地位に留まり続けた。
「公爵や聖国からも秘密裏にヘッドハンティングがあったらしい」
それらも断り続けたのは、肝心な時に妻の傍にいられなかった後悔からだった。
生みの親だと明かせなくても、せめてヨハンの近くにはいてやりたいと思ったからだという。
「そうして、立派に育ったあんたが宮廷魔術師として初めて登庁した日、一目であんたがヨハンだとわかったと言っていた。目の色と鼻の形が母親にそっくりだったからって」
それから、数十年、ヨハンが首席宮廷魔術師の地位につくまで、ヒューストームは影に日向に見守ってきたのだという。ヒューストームにとっては幸せな日々であったとのことだ。