140 サンドボックス16
― 30分前 ―
グレアムがブロランカ島からの脱出方法として検討したものの中に、空気を満たしたタウンスライムの亜空間にグレアムを除く全員で入り、そのタウンスライムを連れてグレアムが単独で脱出するというものがあった。
これができなかったのはタウンスライムがスライム以外の生き物を亜空間に収納するのを嫌がったためである。
亜空間に生き物を収納できるのはタウンスライムの統括役であるムサシの一時間が最大であり、他のタウンスライムは十分も我慢できず、多くのタウンスライムは虫でも生きているものの収納は嫌がったのである。
グレアムはスライムが嫌がることはしないことに決めている。一つ二つできないことがあっても彼らは有能で充分に助けられている。
なので、この案は早々に廃棄したのだが、一つだけ例外があった。
グレアム自身ならば、例え何時間でもタウンスライムは嫌がらずに亜空間に収納してくれたのだ。
そこでグレアムは王城への侵入にこの方法を使うことにした。
二の砦が<煙幕弾>で覆われた際にタウンスライムにグレアムを収納させ、そのタウンスライム自身も限りなく身を小さくさせてソーントーンのズボンの裾に潜り込ませた。
【気配感知】スキルを持つオーソンも太鼓判を押してくれた潜入方法である。後はソーントーンが今回の件で王城に報告に行ってくれれば、無事、侵入成功である。
そして、多少予定とは違うものの、王城に侵入したグレアムは亜空間の中で苦悩していた。
(失敗した)
<白>の存在は師匠のヒューストームから聞いてはいた。だが、このタイミングで王国が使ってくるとは完全に想定外だったのだ。
ディーグアントのフェロモンで彼らの襲撃を二の砦に集中できたことは確認している。一部のディーグアントは南部の農村近くに出没したようだが目の前の生い茂った麦を収奪して巣穴に帰っていったようである。
それらの状況を亜空間の中で、島の各地に配置したスライムから送られてくる音声で確認していたグレアムはホッと一息ついていた。領民に犠牲を出さずに済み、ヒューストームは喜ぶことだろう。
後はソーントーンが領民全員を島から脱出させる。避難先は隣のグラシア子爵領だろうか。落ち着いたらペル=エーリンクを通して多少の資金援助はしてもいいかもしれない。
そして、王国から島に本格的な調査が入り、島の地下はもうどうしようもないことに気付くのである。<白>を使うことがあるとしたらこのタイミングであろうとグレアムとヒューストームは考えていたのだ。それが、まさか領民諸共とは考えていなかったのだ。
グレアムは未だ現代日本の価値観を引きずっており、ヒューストームはロマンチストで人間の善性を信じすぎるところがある。この世界では人の命は安いのだということを忘れていた。
(王国を舐めていたのかもしれない)
先程から必死にヒューストームに連絡を取ろうとしているが応答がない。
無事に対岸に流れ着いていれば、王都に先行したオーソンが二キロメイル毎に配置したロックスライムを中継して連絡が取れるはずである。
連絡が取れないのは彼等がまだ海の上にいるからか、それとも<白>に飲み込まれたからか。嫌な想像がグレアムの頭をよぎる。やはりC計画なんて考えずに脱出計画にだけ専念すべきだったか。
(落ち着け。脱出組には師匠もいる。あの人は魔術の天才でエキスパートだ。何とかしてくれているかもしれない)
後悔の念を押し殺し、グレアムは取り敢えずヒューストームとの約束を果たすことにした。ソーントーンのズボンの裾からグレアムを収納しているタウンスライムは離しており、代わりに盗聴用のロックスライムを忍ばせた。
そして今、グレアムはシャーダルクの前に立った。
「誰だ? 貴様?」
「蟻喰いの戦団団長グレアム。大賢者ヒューストームの不肖の弟子さ」
「弟子だと? 奴の弟子は全て王国から追放したはずだ。いや、そもそもお前は若すぎる。いつ奴に弟子入りしたというのだ?」
「まぁ、それは置いておいて」
グレアムは魔術式を展開し、グレアムを中心とした床が青白く光り始める。
「一応、確認だがあんたがヨセフ=シャーダルクで間違いないな。王国首席宮廷魔術師の?」
「そ、そうだが」
「そうか。残念だよ」
グレアムがシャーダルクに手を翳す。
ヒューストームたちの生死はまだ不明だが、島に残してきた数百体のスライムは確実に<白>にやられたことだろう。シャーダルクはその<白>を開発した魔術師である。少なからず、スライム達の死にシャーダルクが関係していると思うと、グレアムの心中は穏やかではいられない。だから残念に思うのだ。シャーダルクを殺せないことを。
バシュゥ!
「――ぐぅう!?」
シャーダルクが痛みで苦悶する。シャーダルクの足を焼いていた白炎が消失していた。
「な、なにを?」
「<魔術消去>だ。痛みを感じるのはたぶん白炎が消えて、末梢神経なんかの痛みを感じるメカニズムが復活したからだろうな」
グレアムはシャーダルクの足に軽く<怪我治療>をかけて、応急処置もしてやる。
「な、なぜヒューストームの弟子が私を助ける? ……待て、<魔術消去>だと? 今、<魔術消去>と言ったか!?」
シャーダルクが唾を飛ばして興奮する。
「あ、あ、ありえん! まさか、ヒューストームが完成させたというのか!? 魔術を魔術で消去するなどという矛盾を!? 古代魔国でさえなかった魔術だぞ!」
「何を今更。師匠の書いた論文をあんたも読んだんだろ? 理論は完成していたんだから、後は魔術式を構築するだけだ」
「たわけ!!! 理論はできていても、完成まで超えねばならぬハードルはいくつもある! 百や二百ではきかん! それを全て独力でクリアしたというのか!?」
「まぁ、あの人は本物の天才だからな」
二の村住民が三の村で戦闘訓練を受けている頃、ヒューストームは一人、<魔術消去>の魔術式を構築していたのだ。
「ありえん。ありえん。何百人もの優秀な魔術師が共同で取り組まねば、到底、できるものではない」
シャーダルクは茫然自身といった状態だ。
「何をそんなにショックを受けているんだ? あんたも<白>なんてものを作ったんた。充分に凄いことだと思うがな」
なぜかシャーダルクを慰めるグレアムに、慰めらめた当人は自嘲的に笑った。
「私のやったことなど<白>に多少、手を加えただけだ。<白>は元々、古代魔国時代に開発されたものなのだよ」
当時の<白>は発動したら最後、魔力を持つあらゆるものを燃やし尽くすまで止まらなかったという。
古代魔国の首都で暴発した<白>は北の氷原、西の砂漠、東の海に達するまで燃え続け、南の森林地帯も意図的に燃やす迎え火という方法で、白炎に焼かれる前に森を半分焼くことでようやく止まった。被害は実に千キロメイルもの範囲に及んだという。
「<白>から白炎が放たれる前に、約三〇キロメイルの範囲に白光が放たれるように<白>を改修した。その白光を浴びたもの以外に白炎が延焼しないようにな。いわば、私は五〇あったものを百にしたにすぎん。だが、ヒューストームはゼロから百を作ったのだ。まさに歴史に残る偉業だよ」