138 サンドボックス14
ソフィアが王室に輿入れした後、グスタブ=ソーントーンはただひたすら愚直に剣を振るった時期がある。脳天からの切落とし、袈裟斬り、逆袈裟、左薙、右薙、左切上げ、右切上げ、そして切上をそれぞれ一日一万回。
神速の剣を誇るグスタブにとって、八万回の素振りなど一刻もあれば終える。
それでも危機迫る表情で剣を振るうグスタブに家人達は心配したが、時が経つにつれグスタブの表情は落ち着きを見せていく。
それと同時に剣を振る回数も、七万、五万、三万と落ちていった。
ただ、不思議なことにグスタブは、どんなに剣を振るう回数が落ちても一刻、きっちり時間をかける。
たった一回の切落としに一刻かけた時にはソーントーン家もいよいよ終わりかと家人達は絶望した。
そんな彼等をよそにグスタブは「ああ、なるほど」と呟き、倉庫に眠っていたアダマンタイト製の兜を引っ張り出してくる。
アダマンタイトはこの世界で最も硬い金属である。決して折れず曲がらないピュアミスリルの剣でも、1cmの厚みがあればアダマンタイトを斬ることはできないと言われている。
それが最大で3cmの厚みがある兜をグスタブは、
「ふっ」
ガキン!
ただ、一振りで真っ二つに割っていた。
◇
剣や槍の武技の型は偉大なる先人が積み重ねた合理の集大成である。
無論、グスタブも剣の型を幼い頃より何百万回と繰り返しなぞることで身に付けている。
しかし、神速剣を得るために一度、型を崩し離れた。その結果、剣術というものを改めて俯瞰的に見れるようになった。
合理の型をグスタブなりに再解釈し、アダマンタイトの兜でも断ち斬れそうだと思ったから剣を振るっただけのことである。
従兄弟達を失ったことでグスタブ=ソーントーンは神速剣の奥義を手に入れた。
ソフィアを失ったことでグスタブ=ソーントーンは斬鉄剣の極意を手に入れた。
皮肉にも何かを失うたびに強くなるグスタブ=ソーントーン。今宵、全てを失った彼は何を手に入れるのか?
◇
「くっ! 化け物め!」
王を守る最後の砦たる近衛兵は精鋭揃いである。武芸の腕は一流。スキル持ちも少なからずいる。
であるにも関わらず、近衛兵達は次々とグスタブに倒されていく。
時に鎧の継目を狙った柔の剣で動脈を断ち切り、時に鎧ごと突き刺す剛の剣で心臓を破壊する。
しかも【転移】で自在に動き回るため、グスタブを捕捉するどころか同士討ちまで発生する始末である。
今、人類大陸において帝国に次ぐ権勢を振るう王国に相応しい華美を誇った謁見の間に、屍山血河が築かれつつあった。
「ケルスティン殿とサザン殿はどうした!?」
近衛兵長が残る八星騎士の所在を部下に問う。八星騎士のうち、ソーントーンは謀反を起こし、オーソンは裏切り、アシュターはサボタージュ、リーは行方不明である。二枠は空席のままで、残っているのは"不死"のケルスティンと"千突"のサザンだけである。
八星騎士の地位は名誉的なものに過ぎないが、一騎当千の者であることには違いない。ケルスティンとサザンの二人がかりならば、ソーントーンを止められる可能性があった。
「け、ケルスティン殿はレイナルド元帥と共にブロランカに! サザン殿は――」
「サザンなら先ほど死んだよ」
部下の言葉をなぜかジョセフが引き継ぐ。
「は?」
聞き間違いかと思った近衛兵長にジョセフは
「あいつは強気な女を嬲るのに重宝したのだかな。残念だよ」とまるで残念そうに見えない表情で呟く。それはまるで飽きた玩具を一つ失ったかのようで――
その時、突如、強烈な揺れが謁見の間を襲った。
「「「!?」」」
(地震!? まずい!)
王都では滅多に起こらない地震にジョセフの周りを固めていた近衛兵が浮き足立つ。その隙を逃すソーントーンではない。
シュパ!
僅かに開いた隙間にねじ込むように転移し、右から左に円月のように三六〇度、剣を振るった。
白銀の剣閃が過ぎた一拍後に血飛沫が飛ぶ。
周囲の邪魔者を一掃したソーントーンはジョセフの首、目掛けて剣を横薙ぐ。
「陛下!」
ガギン!!
ソーントーンと近衛兵長の目が驚愕に見開く。
アダマンタイトさえ断ち切るソーントーンの剣は確かにジョセフの首を捉えていた。
だが、そこから皮一枚切ることさえ出来ず、ジョセフの体から発する黄金色のオーラに刃は弾かれていた。
「まったく妙なことだ。ブロランカにいたヒューストーム、オーソン、リー、ティーセは未だ死んだ様子がない。しかも、王宮に不穏分子が侵入しているようだ」
そう言うとジョセフはゆっくりと玉座から立ち上がる。
「ハンス。兵達を下がらせよ。邪魔が入る前にソーントーンと決着をつける」
「なっ!?」
近衛兵長ハンスはジョセフが乱心したのかと思った。王国最強の男にジョセフが挑んで勝てるとは思えなかったからだ。
「その金色のオーラ。【全身武闘】スキルか? まさか、陛下――いや、ジョセフ、貴様も、それを使えるとはな」
「驚いたか? まぁ、王族のスキルは基本、秘匿するものだからな」
「驚きはしたがそれだけだ。【全身武闘】スキル一つで私に勝てると思われるとはみくびられたものだ」
「一つではないとしたら?」
「なに?」
その瞬間、ジョセフが消え、ソーントーンの後ろに立っていた。
「【転移】!?」
驚くソーントーンにジョセフは無造作に拳を振るった。
金色のオーラを纏う拳の急襲をソーントーンは危なげなくかわすが――
「!?」
なぜか吹き飛ばされ壁に叩きつけられるソーントーン。
「ぐふ!」
ハンスの目にはジョセフの拳をソーントーンは間違いなく回避したように見えた。であるにも関わらず、腹を殴られたかのように吹き飛び血を吐くソーントーン。
「これは、まさかアシュター殿下の【運命の女】!?」
「ぐ、スキルを三つだと?」
血をぬぐい立ち上がるソーントーン。戦意は未だ衰えていないようだった。
「ははっ、まだまだ」
ジョセフの足元から青白い光が発する。床に魔術陣が展開されていた。
「魔術系スキル!?」
「【大魔導】スキルさ。<アポート>」
魔術陣から一本の剣が迫り出てくる。ジョセフはそれを握り、軽く振った。
「ふむ。流石は神話級の宝剣。<白>にも耐えたか」
ハンスにはその剣に見覚えがあった。華美な装飾は剥がれ落ちていたが、それは間違いなく「妖精剣アドリアナ!」
ハンスの叫びと同時に、ジョセフの背中に妖精の羽が生える。
「東の賢王、西の武王。南に愛染、北に魔導。世界樹守護せし至誠の王よ」
ジョセフの詠唱に合わせてアドリアナは輝き枝刃を伸ばしていく。ジョセフのやろうとしていることを察したハンスは声を張り上げた。
「お、おやめ下さい、陛下! まだ部下たちが!」
「――あらゆる魔を討ち滅ぼさん!」
最後のキーワードと共にアドリアナから発せられた光の奔流が謁見の間を埋め尽くした。