122 化学プラント25
ソーントーンの『転移』のために隔離された部屋を出て、すぐに異変に気付く。
(……静かすぎる)
日没から既に半刻。
かがり火も焚かれていない通路は真っ暗だ。
窓から差し込む僅かな星明かりを頼りに通路を進む。
すると強烈な鉄錆の臭いがソーントーンを襲った。
(血の匂い。ヒューストームたちが戻ってきたのか?)
撤退したと見せかけて再度の襲撃。だが、それに何の意味がある?
疑問を抱えたまま足を進めると、扉が破られた大広間に行き着く。
血の臭いはここから発せられている。
ソーントーンは中を覗く。
バリケードを作ろうとしたのだろう。扉の内側にはテーブルや樽が無造作に積み上げられている。
そして、そのバリケードを作ろうとしたと推測される者達が部屋の中にいた。
「エイグ」
その中に防衛隊長のエイグもいる。彼の顔はまるで信じられないものを見たという風に固まっていた。
エイグの生首が無造作に転がっていた。
―― 半刻前 二の砦 ――
エイグは北の森に逃げた生贄奴隷達を追跡する部隊の編成を急ピッチで終えた。
レンジャー能力を持った者を中心に、今回は獣人対策に一の砦に集めていたスキル持ちを全員、追跡部隊に組み込んでいる。
エイグの仕事は北の森から発する魔物から南部を防衛することである。そのための道具として砦と奴隷が貸し与えられている。
今回の件は、貸し与えられている道具が暴走して、エイグ配下の傭兵に死傷者が出たというだけで、伯爵領そのものに損害を与えたわけではない。
砦は多少、焼かれたが元々戦闘で使うことを想定している。砦の喪失ならともかく、多少の損害は問題ない。
だが、その道具がいよいよ南部にも被害を与えるようでは、これは完全にエイグの責任問題になる。下手をすれば王都に連行されて縛り首もある。
道具の管理はエイグの責任となる契約となっているからだ。
(いざとなれば、船を奪って帝国か聖国にでも逃げ込むか?)
今後の算段を考えつつ、ソーントーンを待っていたエイグの耳に奇妙な音が飛び込んでくる。
「? 何の音だ?」
「何がです?」
「このカチカチって音だよ」
辺りを見回すエイグ。
砦の中庭では、部下達が忙しく動き回っている。
奴隷達に散々やられたが、士気は高い。エイグの『戦気高揚』の効果と、仲間をやられた復讐心、そして奴隷なんぞに舐められたまま終われるかという傭兵の矜持が理由である。
傭兵達の間では、奴隷達は魔力切れを起こして撤退したという見方が有力だ。
エイグもそう思っている。何らかの方法で、一の砦から援軍が到着したことを察知し反撃を受ける前に撤退したのであろう。
であれば、すぐにでも追撃に移りたいところではあるが、自他共に認める最強戦力のソーントーンを欠くのは不安が残る。
オーソンが完全復活している可能性があるのだ。今回の生贄奴隷達の反乱で部下の半数以上を失ったが、獣人達を抑えるために一の砦に配置していた精鋭部隊は無傷で残っている。追跡部隊には彼らも組み込んでいるが、彼らまで失えば、エイグは本当に終わりである。
それに、エイグは奴隷達が使っていた魔道具の入手も諦めたわけでない。奴隷でさえも魔術師にしてしまえるあの魔道具があれば、今回の損失など補って余りある。
問題はどうやって入手するかだ。
(いっそのことオーソンとソーントーンが相討ちになってくれないか)
そんなことを考えながら、エイグは奇妙な音の出所を探す。
だが、いつのまにか音は止んでいる。そこに部下の一人が駆けつけてきた。
「どうした?」
報告を聞いたエイグは眉をひそめる。
シャーダルクという男がソーントーンに会わせろと砦に訪ねてきて騒いでいるという。
その男は王国の貴族で首席宮廷魔術師だという。事実であれば、邪険にはできない。
砦の一室に通して、副長が対応しているという。
エイグがそこに向かおうとするとまた、あの奇妙な音が聞こえてきた。
カチカチ、カチカチ、カチカチ。
今度はエイグの耳にだけでなく、部下達の耳にも聞こえたのだろう。戸惑いの声が広がっていく。
「うゎーぁあ!!」
そこに突然の悲鳴。
見ると中庭の地面がおよそ直径十メイルにわたり陥没している。部下の何人かが、陥没に巻き込まれて穴に落ちたのだ。
「ちっ! 何やってんだ!」
救出を指示しようとして、エイグはその動きを止めた。
奇妙な振動音。地面が揺れている。
(地震? いや、これは――)
最初、エイグは間欠泉が陥没した穴から噴き出したのだと思った。
白と黒の混じり合った物体が穴から勢いよく吹き出し、物見櫓の屋根にまで達した。
それらが空中でバラバラになり、黒い胴体から生えた六つの脚が地面を踏みしめ、人間の上半身のような白い体が、かがり火に照らされる。
「デ、ディーグアントだぁー!!!」
その叫びに呼応するかのようにディーグアントの大群が傭兵達に襲いかかった。