121 化学プラント24
シュゥン!
二の砦にある暗く埃っぽい部屋にソーントーンは再び転移する。
煙を発する魔術で二の村の生贄奴隷達が目の前から姿を消した後、ソーントーンはエイグに追撃隊の編成を任せ、自身は状況の確認と今後の指示のため一の砦と港街に飛んだ。
一の砦は予想通り、別働隊によって襲撃を受けていた。人質として(そしてディーグアントから保護するため)牢に閉じ込めていた獣人の子供達は残らず奪われていた。
そうなれば、一の村の獣人達も大人しくしている理由はない。彼等は一の砦で暴れた後、ニの村の奴隷達と同じように森の中に消えたという。
そこでソーントーンは港街に飛んだ。生贄奴隷達はやはり船を狙ってくると予想したためだ。
これだけの事をしでかしたのだ。もはや、彼等が我々に恭順することはないだろう。王国法では反乱に加わった者は良くて鞭打ちである。だが、被害の大きさから全員の極刑は免れない。王国の面子の問題がある以上、それは間違いない。
故に生贄奴隷達が王国やソーントーンと交渉することはない。こちらも交渉することはない。
そんな彼等が次にとる行動を考えた場合、島からの脱出という選択肢が浮かんだ。
いかに強力な武器があっても、食べる物が無ければ生きてはいけない。彼等の村に田畑はなく、魔物が出没する北の森では開墾もできない。
森の中には実が成るものもあろうが、今回逃げた奴隷達全員の腹を充分に満たせる量が手に入るとは思えない。大型の獣も残らずディーグアントに狩られている。
ならば、こちらからは積極的に打って出ず兵糧攻めに徹する。だが、ヒューストームとオーソンがそれを予想していないとは思えない。
ならば、島からの脱出を試みるはずだ。聖国にでも亡命するつもりかもしれない。厳しい行軍となるであろうが、島に止まるよりは希望がある。
では、その脱出の手段である。
ソーントーンとジュリアはヒューストームに施されていた魔力の封印が破られたのだと考えている。
生贄奴隷達は何らかの方法でヒューストームの魔力を借りて魔術を使っていたのではないかと予想した。
彼等が突然、姿を消したのはヒューストームの魔力が尽きたからなのかもしれない。森の中に姿を消し、ヒューストームの回復を待つ算段か。
そうして回復後、獣人達と共に再び攻勢に出る。今度は脱出のための船を奪いに。
島の周りの海には魔物がおり、イカダを作って海を渡ろうとしても、あっと言う間に魔物に襲われて海の藻屑となる。事実、毎年、一の村の獣人達が自身の身体能力を過信し、島からの脱出を試みる者が現れるが、例外なく魔物に食い荒らされた状態で、遺体が対岸に流れ着く。
島から脱出するには船しかない。高位の魔術には<飛行>もあるが、魔力を大量に消費する上、連れて飛べるのは一人が限界であろう。それにもし、ヒューストームが<飛行>で脱出するつもりなら、とっくに実行していてもおかしくない。故に<飛行>はない。
他国からの手引きで脱出する線も考えた。例えば、派遣した船を北部のどこかに接岸して、ヒューストーム達を回収する。
だが、これも可能性は低い。わざわざ獣人達を救出したのがその理由だ。他国にとって価値のある獣人など一の村にはいない。いたとしても全員を救出する理由はない。危険を冒して救出する価値があるのはヒューストームとオーソンぐらいであろう。
ヒューストームの温情で救出を実行したのだとしても、船が獣人達まで乗せるとは思えない。乗員が増えれば食糧も必要になる。
故に他国からの手引きもない。これはグレアムの言う通り、生贄奴隷達の単独行為であろう。
ヒューストームの魔力回復後、獣人達と共に港を襲撃。
これが、生贄奴隷達の次の一手だと予想したソーントーンは、警戒を厳にするようにジュリアに命じて港街に置き、自身はニの砦に戻る。
ヒューストームの魔力が回復する前に追撃するためである。生贄奴隷達がディーグアントの出る森まで撤退したのはソーントーンに追撃させないためかもしれない。
(危険を冒して追撃するより、兵糧攻めのような消極策を選ぶと思ったか? そうならば甘いぞ)
エイグが再編成した部隊と共にヒューストーム達を追撃する。あれだけの人数が移動しているのだ。足跡から追跡は容易だろう。
コホッ。
転移先の人気のない部屋で、思わず咳がでた。
どうにも、この部屋は埃っぽい。部屋には滅多に入らないように厳命しているが、掃除ぐらいはさせるべきか。
ソーントーンの『転移』は、脳内に思い描いた場所に即座に移動できるスキルである。だが、転移先の状況を知れる『千里眼』のようなスキルや、転移先に物体があれば『自動回避』するスキルはソーントーンの『転移』スキルに付随していない。
そのため、転移先に障害物があれば思わぬ怪我を負うことがある。だからソーントーンの視界外の場所に転移する場合、この部屋のように常に立ち入り禁止の領域を作っておく必要がある。彼の『転移』スキルが低位と呼ばれる所以である。
ソーントーンは不安そうなジュリアの顔を思い浮かべながら部屋を出る。森にまで同行させるつもりはなかったし、ましてや無骨者だらけの砦に置いておく気も無かったので、砦から一緒に連れ出したのだ。
港街の防衛、ジュリアはその命令を受け入れた。
「主、お気をつけて」
「ああ、今夜中にケリをつける」
「……やはり私も護身術ぐらい身につけておくべきでした。このような時にご一緒できないとは」
その言葉にフッとソーントーンは笑った。
「仮にお前が護身術を身につけていたとしても、連れていくつもりはなかったさ」
「主……」
ジッと潤んだ瞳でソーントーンを見つめるジュリア。
その姿をソーントーンは美しいと思った。
彼女はどこかソフィアを思い出させる。
ジュリアは金髪に浅黒い肌、ソフィアは銀髪に白い肌と、容姿は似ても似つかないのに。
ジュリアの存在がどれほど自分の救いとなっていたか、ソーントーンは自覚する。
領地の規模に見合わぬ伯爵という地位は、ソーントーンを政治的に苦しめた。ブロランカ島の規模であるなら子爵がよいところである。現に先代までは子爵だったのだ。
この才女がいなければ、自分はとっくの昔に潰れていたことであろう。
「今度の件が終わればゆっくりしよう。お前にも何か褒美をやろう」
「奴隷の反乱は私の落ち度です。褒美などいただく資格はありません」
「反乱など一の村で常に起きていた。被害の拡大は奴隷達の監視を怠ったエイグの責任であり、お前には何の責任もないさ」
「……それでしたら、お願いしたいことが」
「何だ?」
「それは……」
顔を赤くしモジモジとするジュリア。
(なるほど)
それだけで察することができた。ソーントーンも無骨者と言われるが、木の股から生まれたわけではない。彼女も年頃なのだ。
「うん、わかった。許可しよう」
「えっ!? 本当ですか、主」
「無論だ。反対する理由がなかろう」
その美しい顔に喜びが溢れた。
「だが、一度は私に逢わせてくれるんだろうな。お前が選んだ男のことだ。その点は心配していないが――、どうした?」
喜びから一転、無表情になったジュリア。何やら怒りのオーラのようなものまで幻視する。
「いえ、やはり直接言わねば駄目なようですね」
「ふむ?」
「お気をつけて。エイグが待っています。汚名返上しようと首を長くして待っていることでょう」
「う、うむ。では行ってくる」
「はい。……本当にお気をつ――」
『転移』直前に見せたジュリアの顔は不安と寂しさが入り混じったものだった。それでも彼女は美しいと思った。彼女に選ばれた男に思わず嫉妬したくなるほどに。
そして、それがジュリアとの今生の別れとなった。