120 サンドボックス1
―― 一年前 王都サンドリア王宮 ――
「閣下! 閣下! お待ちを!」
人類大陸において、帝国に次ぐ勢力を誇るアルジニア王国。
その中枢たるサンドリア王宮の無限回廊において、宰相であるコーを呼び止める声が響いた。
「……何用だ?」
コーを呼び止めたのは王都の商業ギルド長である。
招かざる者の侵入を許さぬこの無限回廊の先には国王ジョセフとその正妃と側妃、そして多くの妾が住まう後宮がある。
後宮制度を作ったのはジョセフである。否、ジョセフが古代魔国のその制度を復活させた。
正妃と側妃達は、諸侯の子女である。多くの女を妃に抱えることは王家と諸侯の力が大きく開いていなければできない。
だが、王家と諸侯の力が開いた理由は、残念なことに王家の力が強まったのではなく、諸侯の力が弱まったからに他ならない。
この数十年で人類大陸の各地に頻繁に出没するようになった魔物。その対処に諸侯は追われ、力を蓄えるどころか、その力を大いに減じることになっているからだ。
「閣下。先日、お話しした件はご検討いただけましたでしょうか?」
商業ギルド長は汗を拭きながら尋ねる。
「……あの件か」
「はい。あの件です」
コーは無言で無限回廊の先に続くように促す。
古代魔国の時代に作られたこの回廊は一見、何の変哲もない。白亜の大理石で作られた支柱が等間隔に並び、右手側には広大な庭園が広がっている。建築上の美しさは帝国や聖国にあるものと勝るとも劣らないが、それは許された者にのみ見せる姿である。
無断侵入者は回廊の出口に辿りつくことはない。王宮の主であるジョセフの赦しがない限り、永遠に回廊を彷徨うことになる。そのような魔術がこの回廊にはかけられている。
そのため、王宮で働く者は恐れてこの回廊に近づかず、また、回廊の補修や掃除も古代魔国の高度な魔術によって不要であるため、人気は常に無い。
故に、秘密の話をするにはうってつけの場であった。
「閣下。例の件はどのようになっているのでしょうか?」
商業ギルド長が汗を拭きつつ、再度尋ねてくる。
商業ギルド長の言う例の件とはディーグアントのことである。
彼は国家事業たるディーグアント政策で甘い汁を吸おうと独自にディーグアントに関する情報を集めていた。
それ自体は特に問題ではない。商人とは金のためなら国さえ売る。そのように考えておけば、まず間違いはない。
だが、それも売る国があればこそである。
数年前、帝国が大規模軍事演習を行った。当時、いよいよ帝国が本腰を入れて大陸制覇に乗り出す前兆かと、各国は肝を冷やす。だが、他に類を見ない規模と長期間の演習後も帝国は他国に軍事的なアクションを起こすことはなかった。
当時の各国の首脳は首を捻ったが、帝国の防諜体制は高く、詳しい情報は入ってこなかった。
だが、数年経ち徐々にではあるが当時の情報が入りつつある。帝国の大規模軍事演習は演習ではなく実戦であったと。
帝国のとある地方で魔物が大発生したのだという。帝国軍の全兵力三分の一に、六武王の半数まで動員した討滅戦であったという。
そして、その魔物がディーグアントだったというのが、商業ギルド長がもたらした情報である。
帝国のとある貴族が自身の領地にディーグアントの女王を持ち込んだことが発端である。
何を考えて、その貴族は遠い竜大陸から帝国まで運び込んだのか、一族は既に全員死んでいるため分からない。
だが、ディーグアントは異国の地で大繁殖を果たし、その討滅に帝国軍が動員されたというのが商業ギルド長の言う真相であった。
「その大発生した魔物が本当にディーグアントであったかは分からぬであろう」
「いえ、閣下。当時、殲滅作戦に参加した帝国兵士にディーグアントの姿絵を見せたところ間違いないかと」
「蟻型の魔物など他にもおろう。それと見間違えているのやもしれん。そもそも、帝国の領土は竜大陸と接しておらぬ。我ら王国と聖国の目を欺き、ディーグアントの女王を帝国に運び入れたと申すか」
「恐れながら」
「…………ふむ。あい分かった。そこまで言うのであれば検討しよう」
「よろしくお願い致します。私の方でも引き続き情報を集めます」
そう言うと商業ギルド長は来た道を引き返していく。
その背中を見送りながらコーはそっとため息を吐いた。
やっかいな話を持ってきたものだと思う。
コーは商業ギルド長の話を軽視していたわけではない。だが、彼の者の話だけで、即時に中止するには、ブロランカ島での実験は成果を上げ過ぎていた。
(さて、どうするか?)
コーが歩き出そうとしたところで、横から声がかかる。
「なかなか、面白い話をしていたじゃないか」
驚きに足を止めるコー。
声の主は国王ジョセフであった。
こちらに背を向け、庭園に置かれたベンチに座っていた。
「陛下。これはお耳汚しを」
「構わないさ」
ジョセフはこちらに視線も向けずに言う。
ジョセフが何を見ているのかと、その視線の先を見ると二人の幼子が砂遊びに興じていた。
庭園の一部に窪みを掘り、そこに真っ白な砂を敷き詰めている。その砂を使って、子供達――ジョセフの王子と王女である――が城を作っていた。
コーは今のジョセフの顔を想像する。どのような顔をしているのか。子供を見守る慈愛の表情など、正直、想像できなかった。
コーはジョセフを恐れていた。しがない一役人でしかなった自分を財務大臣に抜擢し、果てには宰相に任命してくれた恩はある。しかし――
朝令暮改の愚王。
それが世間一般のジョセフへの評価である。
彼の言動が軽薄で頻繁に変わることからくることによるものだが、コーの評価は真逆である。
そうでなければ、ジョセフの代で後宮が作れるほど王家の力が強くなるわけがない。
諸侯には魔物を対処させることで、諸侯の力を削ぐと考えたのはジョセフである。
故に聖国からの魔物を寄せ付けなくなる聖結界の魔術式提供の提案は都合が悪いものだった。
だから、シャーダルクが起こした一連の陰謀劇にコーとジョセフも乗った。
当時、宮廷内にはヒューストームを聖国に派遣するだけで、聖国が聖結界の魔術式を提供するなど話がうますぎると警戒する声もあり、陰謀はスムーズに進んだ。
実際には、聖結界には欠陥があり、その対処に魔術のエキスパートであるヒューストームの力を借りたいという聖国側の思惑があったようである。
そうなれば王国側に聖結界の魔術式を晒すことになる。ならば、始めから提供という形で恩を売ろうと考えた。
王国の国力がこれ以上、落ちることを聖国が懸念したのもある。聖国とは表向き大陸の覇権を争う仲ではあるが、強大な帝国には聖国だけで抗うことができないのだ。
そういった聖国の思惑もシャーダルクの陰謀で全てご破算になる。
ついでに王国内の間諜も片付けようとジョセフが提案した。
聖国はよほどヒューストームを熱望していたようである。ブロランカに収容されたヒューストームを救出しようと、多くの間諜がブロランカ周辺に集まり、王国暗部によって処理された。
ヒューストームが有能であることは知っていたが、コーにとっては予想外の成果であった。
シャーダルクからのヒューストームの評価を鵜呑みにするほど、王国首脳部は馬鹿ではない。
シャーダルクを宮廷魔術師の首席に、ヒューストームを次席に置いていたのは思惑あってのことである。
ヒューストームの提唱する魔術を万人に、という思想が王国首脳部には受け入れがたく、一方でシャーダルクの研究が王国首脳部が求めるものと合致していたからだ。
だが、シャーダルクの研究も完成し、彼を首席に置く意味も無くなっている。その功績から、しばらくは首席に止め置くつもりだが、ヒューストームを恐れるあまり情緒不安定となったままなら更迭も考えるつもりであった。
このように多少の誤算もあったが、概ねジョセフの思惑通りになっている。
だが、ここに来て商業ギルド長がもたらした情報である。
ディーグアントが実は国を滅ぼしかねないほど危険な存在であるというのだ。
ディーグアントを使って魔物を掃討するという案は、諸侯の力を削ぎたいという王国首脳部の思惑と矛盾する。
コーは当然ながら内心反対したが、ジョセフの「面白いじゃないか」という声で消極的賛成に回った。
王国の政治体制はジョセフとコー、そして王国元帥レイナルドを加えた三頭体制と思われているが、実際はコーがジョセフの意向を汲むため、実質ジョセフの独裁であった。
商業ギルド長のもたらした情報が真実であれば。ジョセフの遊び心が最悪の形で具現することになる。
「あーん!」
王国の未来を憂うコーの耳に突然、子供の泣き声が飛び込んでくる。
砂場で遊んでいた子供の一人が何かの理由で癇癪を起こしたらしい。築いていた砂の城を壊し、もう一人の子供が泣き声をあげたのだ。
子供達の教育係とメイドが子供達に駆け寄るのを見ながらジョセフが徐に口を開いた。
「そういえば、"保険"というものがあるらしいな。商人たちには」
「はぁ」
無論、コーも保険については知っている。商業ギルドが主体で行い、商人から掛け金をとり、商品が事故などで失われれば補填する制度である。
「我々も彼らを見習って保険をかけとくべきとは思わないか?」
「保険?」
「あれをブロランカに仕掛けよう」
ぶわっ!
コーは自身が総毛立ったことを自覚した。
なんて事を考えるんだ、この男は!
「シャーダルクに、……いや、今のあいつは役に立たないか。暗部にやらせよう」
そう言うと、ジョセフはゆっくりと立ち上がった。
「砂場遊びか。あれは面白い。何より気に入らなければ、ぶち壊せばいいのがいい。コー、君もそう思わないか?」
―― 現在 ブロランカ島某所 ――
「なぜ、これがここにある?」
シャーダルクは震え声で自問した。
リーと共にブロランカ島に赴き、訳がわからぬまま突然、リーとソーントーンが決闘を始めた。
そこにティーセ王女も乱入。巻き込まれては叶わぬと、早々にソーントーンの屋敷から退散したが、そこで妙な違和感に気付いた。
(これは……、魔術信号? この波長には覚えがある。まさか!?)
そうして、シャーダルクが魔術信号の発信元を探し数日。今、彼の前には最悪が、ジョセフの悪意が具現していた。