116 化学プラント20
それから数日、グレアムとの鬼ごっこは続いた。
ヘンリクは諦めようとせず、ジャックスはそれに無理矢理、付き合わされたのだ。
最初はリベンジを誓う仲間も何人かいたが、それも日が経つに連れ、一人、また、一人と減っていった。
最終的にヘンリクとの二人になった頃には、ジャックスの精神は擦り切れていた。
◇
「へへ。俺はゴミムシだ」
大樹の影に膝を抱えて蹲るジャックス。
その顔に恐怖はない。あるのは諦観だけである。
どこに隠れていようとグレアムは必ず見つけ出した。
グレアムの意表を突くつもりで、砦の近くに隠れようとしたこともあったが、隠れる前に見つかり、「ルール違反だ」と言われて念入りに<衝撃弾>を食らった。
もはや、グレアムに勝つ目がまったく見えない。
「へへ。俺みたいなゴミムシが人間様に勝とうなんて思うほうが間違いだったんだ」
最近は眠れていない。夢の中でグレアムに追われ、<衝撃弾>の号砲で飛び起きるということが続いている。
「俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ、俺はゴミムシ」
呪いのように呟くジャックス。
そんな彼の指に何かが触れる。
「!?」
ビクッと反応し、己の指を見る。そこには一匹のフォレストスライムがいた。いつの間にか、ジャックスの体を這い登っていたのだ。
グレアムでなかったことに安堵しつつも、スライムを振り払う気力はなかった。そのままスライムに好きにさせつつ、その姿を眺める。
すると、そのスライムは体を震わせながら、ジャックスの手をさするように動いていた。
「…………なんだ、お前。もしかして、俺を慰めてくれてんのか?」
手の甲に貼り付いたスライムを顔の前に持ってくる。するとスライムは、そっと体を静かに伸ばし、ジャックスに触れた。
その体には一滴の雫が付いている。それでジャックスは自分が泣いていたことに気づく。
「へっ、情けねぇな。大の男がガキのように泣くなんて」
スライムが再び体を震わせた。まるで、情けなくなんかないよと、訴えているようだった。
「…………お前、もしかして、グレアムが最初に貸してくれたスライムか?」
何となく、フォレストスライムの体の縞模様に見覚えがある。
初日に放置したまま、いつの間にかいなくなっていたと思っていたが、
「もしかして、ずっと俺を見守ってくれていたのか?」
プルプル。
肯定するように体を震わせるスライム。
「そうか。へへ。情けねぇ姿を見せちまったな」
プルプル。プルプル。
「え、もう意地を張るなって? 戦うべき相手を間違えるな? …………へっ、確かにそうだな。相棒のお前にそう言われちゃ、しょうがねぇ」
一見、スライムと意思疎通しているように見えるが、ジャックスの妄想である。睡眠不足で頭が変になっていた。
それでもジャックスの中では真実であった。その日からジャックスはグレアムに謝罪し、スライム達と仲良くなることに努め始めた。
そうして、最終的にジャックスは元不具者組ではオーソンに次ぐ数のスライムと仲良くなることに成功する。
最後の一人となったヘンリクは、流石に一人では勝ち目がないと悟り、グレアムとの鬼ごっこは終了した。
◇
「不本意だが仕方がない。今はお前に従ってやる」
上から目線でヘンリクは言った。
「だが、一つ条件がある。俺にグレートスライムを使わせろ」
「グレートスライムを?」
「知ってるんだぞ。ヒューストームと話しているのを聞いたんだからな。グレートスライムを俺たちに近づけさせないようにしているんだってな」
「まぁ、そうだが」
「ずるいぞ。俺にも使わせろ」
「…………」
どうやらヘンリクは"グレート"スライムという字面から、何か勘違いしているようだった。
「何か誤解しているようだが、グレートスライムという種がいるわけではないんだ。彼らが担う役割の重要性から敬意を込めて、そう呼んでいるだけで――」
「つまり、他のスライムと一線を画すスライムというわけか。ますます、俺に相応しい」
「……」
説明が面倒になったグレアム。
「わかった。ヘンリク、君だけグレートスライムとの接触を解禁する。ただし、食事の配膳係はするなよ」
「? ふん、当然だ。そんなこと他の奴にやらせばいい」
そうしてヘンリクも数体のスライムを呼べるようになった。
しかし――
「ヘンリク。幼なじみとして言わせてもらうわ。あなた、最近臭うわよ」とミリーに言われてしまう。
その夜、半ベソで冷たい井戸水を何度も浴びるヘンリクの姿を可哀想に思ったグレアムによって、ヘンリクのグレートスライムは汚物処理を禁じられたのだった。