113 ペル=エーリンク2
酷い夢を見た。
二の砦に借りた部屋で目を覚ましたペル=エーリンクは窓から差し込む朝日を見ながら、そう思った。
自分が二の村に人知れず拉致され、そこに住まう奴隷に取り引きを持ちかけられたのだ。
彼らが対価として示したのがミスリル。魔力との親和性が高く魔力が付与された武具を作るには欠かせない素材である。
王族や高位貴族はそういった武具を好んで装備する。むしろ、そうでない武具を身につけるのは家の恥とも考える。故に、金に糸目をつけない。
夢で見たあの量のミスリルを王都に持ち込めば、自分は一気に有力商人の仲間入りとなるのは間違いない。
「まあ、そんなことはあり得ないがな」
顔を洗おうと、苦笑しつつ寝台から起き上がった。
トサッ
その時、何かが床に落ちた。
「? ――!?」
目を剥くペル=エーリンク。
そこには、昨夜、足代として渡された砂金の詰まった革袋が落ちていた。
◇
ペル=エーリンクは港街に戻るのを明日に伸ばした。砦の責任者には適当な理由をつけたが特に不審がられることはなかった。
そして、その日の夜。
ペル=エーリンクは自室の椅子に座り、ジッとその時が来るのを待つ。
深夜を回った頃だらうか。いつの間にか意識は落ち、目覚めたら昨夜と同じ場所にいた。
「また、お会いできて嬉しいです」
「……こちらこそ。自己紹介がまだでしたね。ペル=エーリンクと申します。王都でしがない卸売商を営んでおります」
「グレアムです」
そう名乗った少年は右手を差し出す。
ペル=エーリンクはその手を迷いなく握ったのだった。
◇
グレアムとの取り引きは二年弱の間に数度、行った。
最初の頃の取り引きは斧や鉈、鋤や鍬などの道具。大量の木板や石材などの資材。鍛治に使うような耐火煉瓦や道具。珍しいところでは組み立て式の台車といったものだ。
まるで新しい村でも作りそうな品々に好奇心を大いに刺激されたが、あえて用途は聞かなかった。
聞かない方が良いこともある。その辺はペル=エーリンクも弁えているつもりだった。
実にタイミングの良いことに(あるいは意図的にか)二の砦の城壁の一部が瓦解した。
その修理のために持ち込んだ資材類に紛れ込ませて、グレアムが要求した商品も持ち込んだ。
不思議なことに、指定の倉庫に商品を置いておけば、いつの間にか消えている。
城壁の修理が終わった頃には、グレアムとの最初の取り引きも終わった。次に求められたのが食料や魔杖といった魔道具、そして各地の情報である。特に王都と聖国の情報を多く求められた。
食料は定期的に砦に運んでいる。最初の取り引きと同じように多少、多く持ち込むだけで済む。魔道具も嵩張るようなものではない。情報にいたっては自分の体一つで済む。
次に求められたのは砂糖や卵、香辛料などの贅沢品だった。娼婦も要望に応じて手配したこともある。倉庫の荷物と入れ替わるように現れた二の村の男達を娼婦の所に連れて行くのは苦労したが、後でグレアムから手間賃をたっぷりと貰えた。
そうして、何度か取り引きを続けた後のことである。この取り引きは次で終わりと告げられたのは。
ペル=エーリンクとしても異存はない。既に充分稼がせてもらった。それに最近、二の砦の責任者が変わり、傭兵達の眼が厳しくなっているのを感じていたところだった。
そうして最後の取り引きの時である。いつものようにペル=エーリンクは代金を受け取るため二の村に、いつの間にか連れ込まれていた。
「例の倉庫に指定していない商品が置かれていてな。間違えて、持ってきてしまったようなんだ」とグレアム。
「間違いではありません。そちらは私からのお礼の品です。帝国で採用されている軍服というものを参考に大、中、小とそれぞれ三十着ずつ、あつらえました。どうぞお受け取りください」
それらはカーキ色のジャケットとズボン、ブーツである。
「悪くない。欲を言えば迷彩柄であれば、なお、良かった。だが、有り難く使わせてもらう」
「迷彩柄とは?」
「ああ、こういうのだよ」
グレアムは一匹のスライムをどこからか取り出して見せた。黒色と茶色と緑色が混じり合った、ペル=エーリンクも見たことがある何の変哲もないスライムだった。
「この色合いが、森の中ではスライムの姿を見えにくくするんだ。そうして外敵の目を欺く」
「なるほど。勉強になりました。今度の取り引きまでには準備しておきましょう」
「……今回で最後だと伝えたはずたが」
「ええ。この島ではね。あなたはこんな島で終わるような人ではないでしょう。あなたの島外での大活躍を確信しております。本当のことを言うと、先程の軍服も一種の先行投資なのです。揃いのカーキ色の軍服を着た集団。その噂を聞きつけ、すぐに馳せ参じることができるように」
ペル=エーリンクは、グレアムとの付き合いを終わらせるつもりはなかったのだ。
まだまだ、彼には金の匂いがする。
「……どうかな。俺の望みは生きるなら平穏に、死ぬなら一瞬でだ。田舎にこもって出てこないかも知れないぞ」
ペル=エーリンクは微笑んで何も答えない。彼の望みの少なくとも前半分は叶わないだろう。グレアムの才能を周囲が放っておくはずがない。
彼は必ず激流の渦に放り込まれ、否が応でも戦わざるを得ないはずだ。であるならば、自分も必ず必要となる。
「まあ、いいさ。その時は、よろしく頼む。ああ、そうだ。軍服の礼にこちらからも、ささやかな忠告をしよう。俺たちが――、いや、何か異常なことが起きた場合、できるだけ速やかに島から出ろ。日没までに」
◇
領主のソーントーン伯爵を追って二の砦に向かう三百名の領兵の背中を見送ったペル=エーリンクは、即座に馬車の御者台に飛び乗る。
「ねぇー、会長ー」
馬車を走らせようとしたところで後ろの荷台から間延びした声がかかる。
「あたし、砦に櫛を忘れてきちゃったみたいなのー。取りに戻ってもいい?」と娼婦の一人が言う。
「諦めてください。日没までに港に着かなくてはいけません。余計な時間を取ったため、もう時間がありません」
「えーっ」
「櫛ならまた今度、買ってあげますから」
「やった!」
不満顔から一転、ニコニコ顔になる娼婦。
反面、今度は別の娼婦達から贔屓だと不満が漏れた。
「わかりました。皆さんにもそれぞれ一つずつプレゼントしましょう。その代わり、港まで一気に飛ばします。舌を噛まないように注意してくださいね」
娼婦の返事も聞かずペル=エーリンクは馬に鞭を入れる。
馬のいななきと、そのすぐ後の娼婦たちの悲鳴がブロランカに轟くのだった。
余談ですが、グレアムは娼婦の件、滅茶苦茶、悩んでます。砦の傭兵に見つかるかもしれないし、娼婦に計画をうっかり漏らすかもしれません(娼婦達は二の村の男達を新顔の傭兵としか思ってませんが)。
ちなみにグレアムは利用していません。
誰が利用したかは内緒です。