13 殺し間
いくつかの動物実験と、孤児院の子供たちをいじめていたクソガキどもへの"人体実験"の結果(ちなみにグレアムは、あのクソガキどもなら、死んでも構わないと思っていた)、グレアムは一つの結論に至っていた。フォレストスライムの内包する低濃度酸素の空気だけで、人を死に至らしめるのは難しい、と。
せいぜい意識を奪う程度。しかも、数分で目を覚ます。
老兵の話に出た傭兵は夜まで気を失っていたというが、あれは伏兵のために徹夜していたせいで、そのまま眠りへ移行したのだろう。
フォレストスライム一匹の生み出す低濃度酸素は、一呼吸か二呼吸分。その程度では、完全な行動不能には至らない。あくまで、スライムが逃げるための時間稼ぎなのだ。
確実に仕留めるには、大量の低濃度酸素空気が要る。
そこでグレアムは、孤児院裏庭の物置で、フォレストスライムを訓練した。
あらゆる通気口をスライムで塞ぎ、室内の空気から酸素を分離して外へ排出し、薄くなった空気だけを室内へ戻す。そうして、人工的に低濃度酸素の空間を作り出す。
グレアムはこれを、"殺し間"と名付けた。
* * *
『ガッシャーン』
デアンソの執務室で窓ガラスが割れる盛大な音が、スライムマイクの思念波となって届いた。
それでグレアムは、執務室での殺し間が失敗したことを悟った。
執務室には今、デアンソとトレバー、ボス格の傭兵と、その副官がいる。
執務室も殺し間にすべくフォレストスライムで密封していたが、必要な濃度に達する前に、ボス格が異常を察知し、窓を叩き割ったのだ。
グレアムの手は、安全だが時間がかかる。だから、眠っている間か、気づかれないうちか、あるいは便所のように必ず立ち寄る場所を、殺し間に選んできた。
執務室は、これまでの部屋より広く、窓も大きい。殺し間にするには時間がかかり、スライムの存在にも気づかれやすい。もとより、失敗の公算は高いと見ていた。
割れた窓をスライムで塞ぎ直そうとしても、簡単に蹴散らされるだけだろう。
グレアムはスライムに撤収を命じ、別の手を打つことにした。
* * *
「なんだったんだ?」
剣の柄頭で窓を叩き割ったボス格の傭兵は、三階の窓から外を見下ろした。
先ほどまで窓枠にびっしり貼り付いていたスライムたちは、今は影も形もない。
「リー」
雇い主のデアンソが、怒気を含んだ声で、ボス格の傭兵――リーに呼びかける。高価な窓ガラスを割られて、怒り心頭のようだ。
「デアンソさん。あのままじゃ、やばかった。俺の【危機感知】が、そう訴えてたんですよ」
「危機? 危機とは、なんだ?」
「さぁ?」
肩をすくめるリー。少なくとも、毒ではない。毒を感知する指輪に、何の反応もないのだから。
「そんな曖昧な理由で、窓を叩き割ったのか!?」
「ご不満なら、次の契約はなしでも構いませんよ。まぁ、窓ガラスは弁償しませんがね」
「くっ」
その人を食った態度に、デアンソは顔を歪める。
それでも、リーの契約を切ることはできない。いなくなられては困るほど、リーは優秀な傭兵だった。そして、リー自身もそれを自覚している。
「……おかしい」
ふと、リーが呟いた。
「なにがだ?」
「あれだけ派手な音を立てたのに、誰も来ない」
デアンソが呼び鈴を鳴らす。いつもなら商会に残った従業員がすぐ来るはずが、いつまでも、誰も現れない。
「あいつら、居眠りでもしとるのか?」
「……様子を見てきます」
「ああ」
副官の男が立ち上がり、扉の外へ出ていった。
「な、なにか、あったんですか?」
トレバーが、震える声で訊いてくる。
「さぁな」
リーは、冷たく返した。
「いえいえ、何でもありませんよ。何かあったとしても、問題ありません。何せ私の傭兵は、全員がスキル持ち。王国騎士団の一個大隊が攻めて来ても、撃退できるツワモノ揃いですからね」
一個大隊はさすがに吹き過ぎだが、一個大隊規模の山賊を相手取り、殲滅した実績がリーたちにはある。量より質を重んじるのが、デアンソだった。
「さぁ、それより。書類にサインして、お金を受け取ってください」
中断していた説得を、デアンソが再開する。
リーは、眉をひそめた。
(今は、そんなことをしている場合か。さっさと逃げる仕度をしろ)
そう怒鳴りたくなるのを、飲み込む。言ったところで、数年越しの悲願を諦めるとは思えなかった。
デアンソが孤児院の土地にこだわり始めたのは、一冊の古文書を手に入れてからだ。
そこには"心無き神"に関する記述があり、デアンソは古地図まで引っ張り出して、この土地には何か重要な秘密があると確信したらしい。
馬鹿馬鹿しい、とリーは思う。すべての魔物を生み出したという"心無き神"など、おとぎ話の存在だ。そんな曖昧なもののために、ムルマンスクなどという片田舎に引っ込んでいるとは、正気の沙汰ではない。
「院長先生。悪いことは言いません。このお金を、受け取ってください」
「し、しかし……」
「先生。このままでは、あなたは犯罪奴隷ですよ」
「……」
「私はね、先生がこんな所で終わるようなお人ではないと思っているんです」
「え?」
「きっと、もう一花咲かせる。そんな器の持ち主だ。商人として何千、何万と人を見てきた、この私が言うのです。間違いありません」
(よくも、まわる口だ)
そんな思いは一片も抱いていないに違いない。呆れを通り越して、リーはいっそ感心してしまう。
「ですが、犯罪奴隷になっては、それも叶わなくなる」
「……」
「王都には、ムルマンスクよりはるかに大きな賭場があります」
「!」
「どうです? ここは一度、王都で再起をはかってみては」
これは落ちたな、とリーは思った。まだ葛藤しているようだが、王都の賭場の話を聞いてから、目の輝きが変わった。
賭博で、逆転する。
それこそが、トレバーの殺し文句だった。
そしてトレバーは、ペンを取り、孤児院の土地をデアンソへ譲渡する書類に、サインした。
「あなたのご英断に、賛辞を。王都はきっと、あなたの希望となることでしょう」




