13 殺し間
いくつかの動物実験と、孤児院の子供たちをいじめていたクソガキどもへの人体実験の結果、フォレストスライムの内包低濃度酸素の空気で死に至らしめることは難しいと結論づけた。
(ちなみにグレアムはクソガキどもは死んでもいいと思っていた)
せいぜい意識を失わせる程度、しかも数分で意識を取り戻す。
老兵の話の傭兵は夜まで意識を失っていたという話だが、伏兵のために徹夜したため、そのまま眠りに移行したのだろう。
一匹のフォレストスライムの低濃度酸素空気は一呼吸か二呼吸分、その程度では完全に行動不能にはできなかった。
あくまでもフォレストスライムが逃げるための時間稼ぎなのだ。
確実に仕留めるには大量の低濃度酸素空気が必要だった。
そこでグレアムは孤児院の裏庭に設置された物置でフォレストスライムを訓練した。
あらゆる通気口をフォレストスライムで塞ぎ、室内の空気から酸素を分離し室外に排出、精製した低濃度酸素空気は室内に戻す。
そうして人口的に低濃度酸素の空間を作り出す。
グレアムはこれを"殺し間"と名付けた。
『ガッシャーン』
デアンソの執務室から窓ガラスが割れる盛大な音が、マイクスライムから思念波で届けられた。
それでグレアムは執務室での殺し間の失敗を悟った。
執務室には今、デアンソとトレバー、ボス格の傭兵とその副官がいる。
執務室も殺し間とすべく、フォレストスライムたちで密封していたが、必要な低濃度酸素となる前にボス格が異常を察知し窓ガラスを叩き割ったのだ。
グレアムのとった方策は安全ではあったが時間がかかる。ゆえに眠っている間に、気づかれないうちに、もしくは便所のように必ず立ち寄る場所を殺し間とした。
執務室は今までの部屋よりも広く窓も大きい。殺し間とするには時間がかかり、スライムの存在に気づかれやすい。
もとより、失敗の可能性は高いと思っていた。
割れた窓をスライムたちで塞ごうとしても簡単に蹴散らされるだろう。
グレアムはスライムに撤収命令を出し、別の方策をとることにした。
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「なんだったんだ?」
剣の柄頭で窓を叩き割ったボス格の傭兵は、三階の窓から外を見下ろした。
先程まで窓枠にびっしりと貼り付いていたスライム達は今では影も形もない。
「リー」
雇用主のデアンソが怒気を含んだ声でボス格の傭兵――リーに呼びかける。
高価な窓ガラスを割られたことに怒り心頭のようだった。
「デアンソさん。あのままじゃやばかった。俺の『危機感知』スキルがそう訴えていたんですよ」
「危機? 危機とは何だ?」
「さぁ?」
肩をすくめるリー。
少なくとも毒ではないことは確かだ。毒を感知する指輪に何の反応もない。
「そんなあいまいな理由で窓ガラスを叩き割ったのか!?」
「ご不満があるようでしたら次回の契約はなしでもいいんですよ。まぁ、窓ガラスは弁償しませんがね」
「くっ」
その人をくった態度にデアンソは顔を歪ませる。
それでもデアンソはリーの契約を切ることはできない。
いなくなると困るほどにデアンソにとってリーは優秀な傭兵であり、リー自身もそれを自覚していた。
「……おかしい」
ふと、リーが呟いた。
「なにがだ?」
「盛大に音を立てたのに誰も来ない」
デアンソは呼び鈴を鳴らした。
いつもなら商会に残っている従業員がすぐにやってくるはずだが、誰もやってくる気配はなかった。
「あいつら居眠りでもしとるのか?」
「……様子を見てきます」
「ああ」
副官の男が立ち上がり、扉から外に出ていく。
「な、なにか、あったんですか?」
トレバーが震える声で訊いてくる。
「さぁな」
それに対し冷たく返すリー。
「いえいえ、何でもありませんよ。何かあったとしても何の問題もありません。何せ私の傭兵たちは全員がスキル持ちなのです。王国騎士団一個大隊が攻めて来たとしても撃退できるツワモノ揃いですよ」
騎士団一個大隊は流石に吹き過ぎだが、一個大隊規模の山賊を相手にして殲滅した実績がリーたちにはある。
量よりも質を重視するデアンソだった。
「さぁ、それよりも書類にサインして金を受け取ってください」
中断していた説得を再開する。
リーはこれに眉をひそめる。
今はそんなことをしている場合ではない。さっさと逃げる仕度をしろ。
そう怒鳴りつけたくなる思いを飲み込んだ。
言ったところで数年越しの悲願を諦めるとはおもえなかった。
デアンソが孤児院の土地ににこだわるようになったのは一冊の古文書を手に入れてからだ。
そこには"心無き神"に関する記載があり、デアンソは古地図を引っ張り出して、孤児院の土地には何やら重要な秘密があるようだと確信したようだった。
馬鹿馬鹿しいとリーは思う。すべての魔物を生み出したという"心無き神"はおとぎ話の存在だ。
そんなあやふやなもののためにムルマンスクという片田舎に引っ込んでいるなどリーにとっては狂気の沙汰だ。
「院長先生。悪いことはいいません。この金を受け取ってください」
「し、しかし……」
「先生。このままではあなたは犯罪奴隷ですよ」
「……」
「私はね、先生がこんなところで終わるようなおヒトではないと思っているんです」
「え?」
「きっと、もう一花咲かせる。そんな器の持ち主です。商人として何千、何万と人を見てきた私が言うのです。間違いありません」
よくもまぁ、まわる口だ。そんな思い一片も抱いていないことは間違いない。呆れを通り越し、逆にリーは感心してしまう。
「ですが、犯罪奴隷になってはそれも叶わなくなってしまいます」
「……」
「王都にはムルマンスクよりもはるかに大きな賭場があります」
「!」
「どうです? ここは一度、王都で再起をはかってみては?」
これは落ちたなとリーは思った。まだ、葛藤しているようだが王都の賭場の話を聞いてから、眼の輝きが違ってきた。
賭博で逆転。
それこそがトレバーの殺し文句だった。
そして、トレバーはペンをとると、孤児院の土地をデアンソに譲渡する書類にサインした。
「あなたのご英断に賛辞を贈ります。王都はきっとあなたの希望となることでしょう」