108 化学プラント14
二の村に潜む聖国、もしくは帝国の間諜はヒューストームに任せることにした。王国にグレアムの脱出計画さえ悟られなければどうでもよい。
さて、その脱出計画だがグレアムは行き詰まっていた。
二の村住民全員が無事に聖国まで脱出するには四つのハードルがある。
一つ目は砦に常駐する傭兵団の存在。多くは獣人が住まう一の村近くの砦に配置されているとはいえ、二の砦にも百を下らない傭兵が配置されている。
二つ目は港街を守る領軍だ。兵士の多くは専門の戦闘職ではないが、海の魔物との戦いを日夜繰り広げていると聞く。戦力的に馬鹿にはできない。
三つ目はその海の魔物である。本土までの距離は最短で約三十キロメートル。歩けば六時間はかかる距離だ。小舟やイカダを作っても島の周りに流れる潮流のせいで真っ直ぐに進まない。海の上でグズグズしている間に襲われれば終わりだ。
四つ目は王国軍の追跡だ。無事に島から脱出できたとしても聖国との国境までかなりの距離がある。王国はこの島での実験に力を入れていると聞く。その実験に関わった奴隷を逃すとは思えない。ましてや、この村にはオーソンとヒューストームを始めとした何人かの重要人物がいるのだ。
聖国までの道中にいる領主の協力は得られないか。グレアムがオーソンとヒューストームに確認したところ難しいだろうとのこと。
その多くは弱小領主。王家の怒りを買うことを恐れ、協力どころか寧ろ捕らえる側に回るだろうとのことだ。
これらの四つのハードルをいかにしてクリアするか。こちらにはオーソンがいるので、強引にでも突破は可能だが、全員無事というのはまず不可能だった。グレアムは妙案が浮かばないまま、一年が経とうとしていた。
◇
「ディーグアントの襲撃が多くなってきている?」
ミリーにそう言われてグレアムも気付いた。
確かに昨夜の襲撃は今月三回目だ。グレアムが来た頃には月に一度あるかないかだった。
「度重なる襲撃に一の村の被害は甚大になっているそうです」
ミリーは痛ましげな表情を浮かべていた。彼女は獣人に同情的だった。何でも実験の始まった初期、まだ一の村が獣人、二の村が人間と明確に分けられる前の頃、彼女達は獣人達に世話になったのだとか。
「……竜という天敵がいない環境で大繁殖しているのかもしれない。間引きが必要だな」
「オーソンさんに頼みますか?」
「最終的にはそうなるだろうが、まずはディーグアントを調べたい」
「ディーグアントをですか?」
ミリーは今更、何を調べるというのかと言いたげだった。ディーグアントは毎月やってきて、今もそこに転がっている。
「生きた状態のものを詳しく調べたいんだ。ディーグアントについて知っていることはカダルア草を食べた俺達の匂いに惹きつけられることと、魔物としては珍しく他の魔物を襲って餌にするということくらいだ。オーソンは無敵だが、だからといって敵の情報を何も持たせずに敵陣に飛び込ませたくない」
寧ろ早目にやっておくべきことだったが、ディーグアントの危険性が下がったため優先順位も低くなったのだ。
「森の中で彷徨いているディーグアントを一匹捕まえてくる。傭兵がディーグアントの死骸を取りにきたら適当に誤魔化しておいてくれ」
「ダメです! そんな危ないこと! オーソンさんに頼んでください!」
脱出計画の策定は滞っていたが、グレアムの魔術習得は順調だった。最近では<アイス・ロック>、<プラント・バインド>といった捕縛系魔術を習得したので実践で試してみたいと思っていたところだった。
だが、ミリーに激しく反対されてしまう。時折、彼女はこのような過保護ともいえる態度を見せる。最愛の兄がディーグアントに殺されているので、それも仕方がないことかと思うが行動を制限されるのはグレアムとしても困る。
最悪、雇用者権限で強行することも考えたが、自重することにした。こういうことの乱用は良くない。これから先、単身でもっと強い危難に飛び込むこともあるだろう。その時に使ってこそ、ミリーを説得できるのだ。
「わかったよ。ディーグアントの生け捕りはオーソンに頼むことにする」
グレアムの言葉を聞いたミリーは心底、安心した表情をする。
それを見て、グレアムは本当に雇用者権限とやらが効果を発揮できるのか不安を覚えた。