10 レナ・ハワード
グレアムと別れたレナは孤児院の正門前に来た。
粗末でサビの浮いた鉄製の門。
八年前、ここにグレアムは捨てられていた。
グレアムを見つけたのはレナだった。
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冬の早朝、レナは馬のいななきに眼を覚ました。
近所に馬を飼っている家はない。
胸騒ぎを覚えたレナは亡き母の上着を羽織り外に出た。
辺り一面は銀色の世界となっていた。
門の前に見覚えのない籠が置かれていた。
中を覗くと天使が眠っていた。
「おとーさん、起きて! 赤ちゃん!」
昨日も遅くまで遊び歩いていたのだろう。
トレバーが眠そうに身を起こした。
「……レナ」
「ハンナさんを呼んでくればいいんだよね。赤ちゃんにお乳を与えるのに」
「……あと」
「鑑定紙だね」
「……うん」
赤ん坊がお乳を飲んでいる間、トレバーは赤ん坊の指先から取った血で浮かび上がった鑑定紙の文字を読んでいた。
「……『スライム使役』か。どうりで産着と毛布が上質だと思ったよ」
「おとーさん、どういうこと?」
「なに、世の中、持って生まれただけで恥と思うようなスキルもあるのさ。特に上流階級の人々にはね。とにかく危険なスキルじゃないのは確かだ」
レナには信じられなかった。
変なスキルを持っているというだけで、こんなに可愛い子を捨てる親がいるなんて。
きっと、私達と違う生き物なのだろう。
一生関わり合いにならなくてもいいとレナは思った。
「おとーさん、私が名前をつけてもいい?」
「ん〜、いいんじゃないか」
赤ん坊が眠っていた籠を漁っていたトレバーは、金が詰まった小さな皮袋を見つけると途端に上機嫌になった。
「赤ちゃん。あなたの名前はねーー」
レナは母から語り聞かされた話を思い出す。
大地母神より最も愛された魔を討つ慈愛の天使。
「グレアム。今日からあなたの名前はグレアムよ」
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「グレアム……」
その名を呟くだけで、胸の奥に暖かい火が灯る。
父が賭博に狂い孤児院の運営資金を溶かしても、ここまでやってこれたのはグレアムのおかげだとレナは思っている。
日々の掃除、洗濯、炊事に小さい子たちのフォローといった孤児院の雑事はグレアムが率先してやってくれている。
もちろんグレアムだけで出来る仕事量ではないので、グレアムは"○○を△回したらアメ一個提供"のようにして、他の子供たちにも手伝わせている。
「まれにスライムが薬草を持ってきてくれるんです。それを傭兵ギルドで換金していまして」
「ありがとう、グレアム。子供たちに最近おやつも買ってあげられてないから」
「いいえ。すみません。こんなことぐらいしかできなくて」
「何を言っているの。すごく助かっているわ」
「……まさか『異世界転移部』の知識が本当に必要になる日がくるなんて、当時は夢にも思っていなかったんですよね」
「え?」
「いえ、なんでもありません。それよりそれ、孤児院の帳簿ですか。見せてもらっても?」
「ええ。いいけど……。グレアムはすごいわね。もう字が読めるようになったの?」
文字の読み書きと簡単な計算はトレバーが教えている。
子供たちはいずれ孤児院を出なくてはいけなくなる。
その時、読み書きと計算ができるだけで選択肢は広がるのだ。
「書くことも計算もできますよ。……レナさんがやっている治療の報酬と子供たちの稼ぎ、たまにある善意の寄付でなんとかなっているという状況のようですね。ですが、やはりデアンソ商会からの借金が問題ですね。利子の返済だけで元金が減っていない。しかも毎月利子の額が大きくなっている」
「ええ。でも、どうしようもないわ。まとめて返せるだけのお金がないんですもの」
「……他から借金するのはどうでしょう?」
「無理よ。こんな大金、担保もなく貸してくれるところなんてないわ」
「……レナさんは一度に何回"治癒魔術"が使えますか?」
いきなり話題が変わったことに戸惑いつつもレナは答える。
レナはグレアムが自分よりも頭がよく色々な知恵を持っていることに気づいていた。
この質問は今の現状を打開するのにきっと必要なことなのだろう。
「うーん。治癒する怪我や病気の程度で使用する魔力量が異なるから一概には言えけど。……そうね。七、八回ほどかしら」
「では、八人癒やしたら、他の人はレナさんの魔力が回復するまで待つわけですね」
「子供たちのために一回分は常に残しているの。だからもっと少ないけどそうなるわね」
「癒やす順番は?」
「朝から孤児院に来てくれた人順ね。もちろん急患は最優先」
「では、急患の次に傭兵ギルドの傭兵を優先的に癒やすようにしましょう。
彼らは仕事柄、怪我をするのは日常茶飯事です。でも怪我をしている間は仕事ができない。ギルドにとっても傭兵にとっても頭の痛い問題です」
「わかったわ。ギルドの傭兵を優先的に癒やすという条件で傭兵ギルドからお金を借りるのね!」
「ギルドにはタイッサさんに仲介してもらいましょう」
「これでデアンソ商会からの借金を片付けられれば……。うん。いける。何とかなりそうよ! ありがとう! グレアム!」
抱きしめたグレアムの顔は照れくさそうだった。
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グレアムは本当に不思議な子供だった。
どこで仕入れてくるのか聞いたこともない話を知っているし、知恵もある。
年上の子にだって勇敢に立ち向かっていく。
あの年なら一、二歳上の子供でも怖いはずなのに、孤児院の子供がいじめられたと知ればすぐに仕返しにいくのだ。
「こういう問題は放置していたらダメです。やられたらやり返す。当たり前のことですよね」
「でも暴力はよくないわ。話し合いで解決すべきよ」
「向こうの子供たちがわかってくれるまで、孤児院の子供たちに我慢させたくありません。わかってくれるとも限りませんし」
「だからといって夜討ち朝駆けなんてやりすぎよ」
「……たまたまその時間帯しか暇がなかったんです」
たまに過激なことをするが、グレアムの行動は常に誰かのためだった。
まるで母から聞かされたおとぎ話の天使のように。
レナは"グレアム"という天使の名をこの少年につけたことを誇りに思っている。
そして、いつしか別の思いもグレアムに抱くようになっていることをレナは自覚していた。