ありがとう、共に生きた君へ。
私達は今日も生きている。
起きて、ご飯を食べて。
遊んで、笑って。
小さな物事に泣き、大きな物事に喜んで。
それはきっと、彼ら彼女らも同じ。
犬も、猫も、ハムスターだって、同じ。
人間のエゴによって自然の動物からペットという括りに変わったけれど。
一生懸命生きているのは、彼らも同じだ。
人間と人間以外の違いなんて、数えればきりの無いもの。
けれど一つだけ、これだけは間違い無く同じなんだと思う。
君を亡くして、私がこうして涙を流している事。
家族を亡くすのは。
悲しいよ。
君に楽しい人生を送らせる事が出来たかな。
君ともっと遊べたんじゃないかな。
君が死ぬ瞬間、私も傍に居れたんじゃないかな。
色んな事が思い浮かぶけれど、一番思うのはね。
ありがとう。
ずっと生きてくれて。
十八年間も私の家族で居てくれて。
ありがとう、 。
私の二十一年の殆どに、君が居たんだよ。
かけがいの無い、日常の一つだったんだよ。
もっと永く一緒に居たいなんて、そう考えてしまう私も居るけれど。
それはきっと、私の我が儘だよね。
冷たくなった身体。
開いたままの瞳。
力の無い、手足。
見て、死んじゃったんだなって感じて。
触って、ありがとうって思って。
抱っこして、初めて、君の死を、本当に理解したよ。
ありがとう、さようなら。
私は君の前では泣けないから、皆の前では泣けないから。
こうして君への最後のメッセージをベッドの上で書きながら。
今もね、泣いてるよ。
ありがとう。
別れは辛いけど、君がこの人生を楽しんでくれたって信じてる。
傲慢かもしれないけど、人間の自分勝手かもしれないけれど。
君に噛まれて泣いた日も。
君と公園を走った日も。
君を怒った日も。
君とタオルを取り合った日も。
帰って来て君が出迎えてくれた日も。
足腰が動かない君を膝に乗せた日も。
ずっと、永かった。
こんな短い文章でしか空の君に伝えられないけれど。
感謝を込めて、私は君にさよならを。
ありがとう。
さようなら。
共に生きた君よ、どうか安らかに。
おやすみ。
本日、六時半頃、飼っていた愛犬が逝去しました。
十八年も長生きしてくれて、最近は寝たきりでした。
昨日は母がシリンジであげるご飯もあまり食べず、寝ていました。
一緒に居たのに、昨日はいつもみたいに膝に乗せていません。
最後の日くらい、もっと抱き締めてあげれば良かった。
皆さんは大切な家族をもっと大切に、一日一日を一生懸命に生きてください。
それが私が、君から受け取ったメッセージだから。