~プリズム~
「ねぇ茉莉ちゃん、今日叔父さんに会ったこと、お父さんと柊吾には
内緒にしておきましょう。」
母は突然そう言った。
「えっ、でも、どうして?」
私は夢中になっていたパフェから顔を上げて母の方を見ると
母はすぐに目をそらした。
「でも花火を買ってもらったし…お父さんにも報告しないと。
お母さんはいつも言ってるでしょ、誰かに何かを貰ったらちゃんと言わなきゃ
だめよ、お礼が言えないからって…」
すると母は私の言葉を遮るように
「でも、でも茉莉ちゃんあなたは知らないかもしれないけど、
お父さん本当は、そういうの嫌がるの。他人に物を戴いたり、
何かをしてもらったりするのをあまり良く思ってないのよ。」
母はそう言い終わるとすぐにコーヒーカップを口にした。
目を伏せてコーヒーを飲んでいる母の顔を見て、“何かいつもの母とは違うな”と
そう感じていた。
「ねえお母さん、そういえば“してくれているんですね”って
叔父さんが言ってたけど…何のこと言ってたの?」
私は叔父が母にかけた言葉をふと思い出し、そのことについて尋ねると
「えっ何?そんなこと言ってた?お母さん全然覚えてないわ」
と母は言って、
「さあ、もう行きましょう」
と私を促した。そして首に巻いていたスカーフを直すとブローチに触れ、
模様の花びらを指でそっと擦っていた。
「茉莉、今日はお土産があるぞーお得意様から戴いたブローチだ。」
父はリビングに入ってくるなり私を見つけて、カバンから小さな箱を
取り出すと私に差し出した。ちょうどその時、夕食を運んでいた母が
横を通り、母が一瞬身体をビクっとさせたのを私は見逃さなかったが
「どれ?」
と私は父に近づいてその小さな箱を受け取った。
「開けてみなさい。」
父にそう言われて私はウキウキしながら箱を開け、入れ物の蓋を開けると
そこにはひまわりの形をしたブローチが見えた。
「うわーかわいい。いいの?」
「いいんだよお母さんにはちょっと子供っぽいだろうから、茉莉にちょうどいい
と思って…使いなさい。いいだろ百合子」
父は母の方を見た。母は焦ったように
「あ、ええ。茉莉ちゃん良かったわね、」
そう言ってそそくさと料理をテーブルに並べた。
私は早速、箱からブローチを取り出すと目の高さまで持っていき、よく眺めると
天井のライトがブローチに反射してキラキラと揺れた。
ブローチはガラスでできていて、黄色の花びらがプリズムのように
光の差し込み方によって色を変えて見せた。
私はそのブローチを右から見たり、左から見たりしながらその色の変化を
楽しんでいると、
「さぁご飯にしましょう。」
と母はせかすように大きな声で言った。
結局私は母に言われた通り、今日叔父に会ったことは一切口にしなかった。
父に“花火は買ったのか?”と尋ねられたが“買った。”としか答えなかったし、
自分でも余計なことは言わない方がいい、知らない方がいいと、そう感じていた
からだった。そんなことより家族皆んなで笑っていられることの方が大事だと
思っていたのかも知れない。
食事を終えて部屋に戻り、父に貰ったブローチを箱から取り出すと
また、光に当て、くるくると覗き込み、その輝きの変化を楽しんだ。
「それにしても“してくれているんですね”って…何だろう?」
私は、昼間叔父が言った言葉をふと、また思い出して少しの間ぼんやりと考えていた。
数日が過ぎ、いよいよ家族旅行の前日となった。
前線の影響で低気圧が停滞しており、父と母は心配して渋っていたが、
私はどうしても出掛けたくて“絶対に行く!”と父にせがんでいた。
「あー晴れないかなぁ…」
私は窓に張り付いて空を睨んでいると、窓の外に、道路を横切る二人の
小さな子供が見えた。
“傘も差してないなんて、濡れちゃうじゃない…”私は気になって
二人に注目しているとそこへスピード上げた車が走ってくるのが見え、
“危ない!!”と思ったのも束の間、ブレーキをかける物凄い音が響き、同時に
子供たちの姿が見えなくなった。
物音に気づいた父が
「どうしたんだ、」
と私に近づいてきた。
「わかんない、でも、あの子たちが…」
「あの子たち?」
「子供がいたの、小さい子。」
そこまで聞くと父はその場を離れ、駆け出して行った。
「どこ行くの?」
追いかけて行った私に父は
「茉莉は待ってなさいっ」
と玄関先でそう言うと慌てて外へ飛び出して行った。
私はリビングに戻るともう一度、窓に張り付き、外を見て驚いた。
改めてよく見てみると叔父の車にそっくりだったからだった。
「叔父さん⁈」
私がそう口にするのを聞くと兄と母もやって来て、窓の外に目をやった。
「ほんとだ叔父さんだ‼︎」
兄がそう叫ぶと私は反射的に母を見た。すると母は両手を口に持っていき、
ハッとしたような表情で
「智さん?どうして……」
と呟いた。そうこうしていると父がこっちを見て、電話をかけるジェスチャーで
「きゅうきゅうしゃ!」
と言った。私は
「お母さんっ救急車だって!」
と母に告げると母は動揺を隠せない様子で、それを見た私は
「お兄ちゃんっ」
と叫ぶと兄はすぐに駆け出して電話のところに行った。
父の両親は他界しており、結婚していない叔父の面倒を見る人は誰もおらず、
もし叔父に何かがあった場合には必然的に私の父と母が世話をすることに
なっていた。
救急車に同行して行った父から連絡が入り、幸いあの子供たちは軽傷で済み、
叔父は身体に異常はなかったが精神的ダメージが大きく、少し病院で様子を
見るということになった。大事には至らなかったというものの、さすがに
明日からの家族旅行には行けるはずもなく、“場合が場合だから仕方がない”と
私も納得していたものの
「…じゃぁ明日の旅行だめだよね…」
と呟くと
「何言ってるの、当たり前でしょ。智さんがこんな時に…」
と母は顔色を変えた。
母はどことなくそわそわしていた。心ここにあらずといった感じで
何をしていてもいや、何かをしていないととても落ち着いてはいられないと
いった風な感じに見えた。
父が帰ってきたのが分かり、部屋を出て階下に行こうとした時
「お疲れ様でした。智さん、大丈夫なんですか?…」
と母の声が聞こえ、私はそのまま耳を澄ました。
「ああ…それより茉莉たちが、がっかりするだろうなぁ行けなくて…」
そう言った父に、母はすぐさま
「それどころじゃないわよ、智さんがこんな時に…」
と呟いた。それを聞いた父が
「…俺には子供たちの方が大事だけどなっ、」
と吐き捨てるように言うと、母はその後何も言わなかった。