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逆さ絵  作者: K-ey
1/5

~真実のパズル~

私は幼少の頃、ある時から決して入ることが許されなくなった裏庭の門をくぐってから

というもの、たびたびそこを訪れては誰にも邪魔されることなく、ひとり秘密の遊びに

夢中になっていた。

遊びといっても少女にできるたわいもない遊びで、それでも本人にとってはひどく大それた

“冒険”のようなものだった。


あの夏は確か、季節が入り乱れては行ったり来たりを繰り返してそれでも確かに、

ゆっくりと静かに日々を越えていく、そんな印象に残る夏だった。


「茉莉ちゃん、お兄ちゃんにジュースを持って行ってくれないかしら。

あの子ったらお母さんの言うことはちっとも聞いてくれないけど、

茉莉ちゃんの言うことなら何でも聞くんだから…」


兄はある日を境に母との距離を置くようになっていた。

あの夏の日、裏庭で兄と二人、虫取りに興じ、途中“喉が渇いたしちょっとおやつでも

食べに行って来よう”と一旦家に帰ることになり、家に向かって歩いていた時、

先を歩いていた兄が家の門をくぐるなり急に立ち止まって、振り返って私にこう言った。


「茉莉、ストップ。やっぱり戻ろう。」

「えーなんでぇ、せっかく来たのにぃ…」


そう不満をあらわにして兄の方を見ると、今まで見たこともないような表情をしていたので

子供心にも“何か大変なことが起きたのではないか”と察知し、私は兄の言うことに素直に従った。

来た道を戻るときのあの空気感。「何があったの?」と容易には聞けない何か張り詰めた

バリアのようなものを纏った兄の佇まい。

私はそんな兄の後ろ姿を上目遣いでチラチラと確認しながらとぼとぼと暗く湿った細道を

再び裏庭まで戻って行った。


「茉莉、今日は暗くなるまでここで遊ぼう。」

「お兄ちゃん、でもお母さんに叱られるよ。」

「いいんだよー、今日は特別な日なんだ。お母さんがいいって言ったんだよ。」


兄はそう言うと、すぐそこの枝に手を伸ばしてそれをポキっと折り取ると、片っ端から

辺りに生えている草などをなぞり、時には剣のようにバサッバサッと切る真似をしては

奥へと進んで行った。



さっきまでは一緒に遊んでくれていた兄だったが、私が何か話しかけようとすると

クルッと向きを変えてわざと私と顔を合わせないようにしているようだった。

私は、時々怒ったような素振りを見せる兄の様子を伺いながら、暗くなるまで遊んでいた。


「あ、お兄ちゃん雨。雨だよー。」


頭にポツッと雨粒を感じ、夢中で兄にそう報告すると、下を向いて地面に何かを書いて

遊んでいた兄は一度舌打ちをしてから


「帰るか…」


と立ち上がった。手を叩いて砂を払うと


「行くぞ。」


と私に声をかけ歩き出した。




空には大きな雲が灰色とオレンジ色を伴って一面を覆っていた。

草の表面を太陽が照らし、大きな木の葉っぱをより一層深い緑にして、あともう少しで

沈もうとしていた。


「お兄ちゃん、まだ少し晴れてるのに雨なんてちょっとおかしいね。」


私がそう言うと兄は面倒臭さそうにやっと返事をして、後ろを振り返りもせずに

そのまま歩みを進めた。




私はこの日見た兄の背中を一生涯忘れることはないだろう。

この先何が起ころうとも、時がどんなに過ぎようともこの兄の背中だけは

いつまでも脳裏に焼きついて、決して離れることはないだろうと、思った。






とぼとぼと歩いて行き、やっと家まで辿り着くと、兄はドアの前で一旦立ち止まり、

後ろを振り返って私に言った。


「茉莉、お兄ちゃんが先に入るからちょっとここで待ってるんだぞ。

お母さんに叱られるかも知れないから。」

「うん…でもお母さんが遅くまで遊んでいいって言ったんでしょ。」


私がそう言うと兄は一瞬顔色を変えたが次には口を尖らせて


「いいんだよ、うるさいなぁ」


と大きな声を出すとゆっくりと玄関のドアを開け、中に入った。数分すると兄が顔を見せて


「余計なことを言うんじゃないぞ。」


と言った。


「ただいまー」


と言いながらドアを開け、中に入ると奥の方から


「お帰りー」


と母の明るい声がした。“なーんだ別に何ともないじゃない”私は気持ちを軽くして

リビングの方へ進んで行った。


「茉莉ちゃんお帰りなさい。」


母は私の顔を見るなりそう笑って声をかけた。そして


「ずいぶんゆっくり遊んできたのね。お腹が空いたでしょ、早く手を洗ってらっしゃい。

お父さん今日も遅くなるって言ってたから、お夕飯先にいただきましょう。」


と言うと台所へ姿を消した。私は兄の方を振り返り、


「お兄ちゃん、お母さん全然怒ってないじゃない…」


と言うと


「いいんだよっ」


と兄はそそくさと部屋を出て行った。




母はいわゆる美人で、たまに授業参観などで学校に姿を見せることがあると

“茉莉ちゃんのお母さんは綺麗”と評判の、友達から羨ましがられる存在だった。

だから私はそんな母をいつも自慢に思っていた。


手を洗ってテーブルに着くと、まだ来ていない兄を心配して


「柊吾、ご飯よ。」


と母が言った。ほどなくして兄が姿を見せると


「さぁご飯にしましょう。」


と微笑みかけた。今日の母はいつもよりどことなく浮かれているように見え


「お母さん、何かいいことでもあったの?なんか嬉しそう。」


と思わず口にすると、兄は咄嗟に顔を上げ母の方をチラッと見た。母は驚いたようにポッと顔を赤くして


「いやあねえ、別に特別いいことなんて何もないわよ。」


と言った。




あの時は分からなかったけれど、今の私には分かる。この時母は母親として見せる顔の裏に

女としてのそれを隠し持っていたのだってことを。






「ねえ、二人とも楽しかった?今日は何して遊んだの?」


母は話を変え、そらすようにすぐさま少し声を上げてそう質問してきた。


「うん楽しかった。虫取りして遊んだの。お兄ちゃんが蝉を捕まえて、もー

嫌だって言うのに私の顔に近づけたり、トンボを捕まえて服に付けたり…あ、私ね、

帽子で蝶々捕まえたんだよ。」

「そう、すごいわねえ。」


私は兄の方をチラッと見たが、兄は黙ったまま食事を続けており、少しも話に参加しようとする気配はなかった。それから母は私の話にうんうんと相槌を打ちながら、時には笑い声をあげて楽しそうに食事をしていた。


「ごちそうさま」


食事中一言も発しようとしなかった兄が席を立とうとすると、すかさず母が声をかけた。


「柊吾、どこか具合でも悪いの?」

「別に、」


兄はぶっきらぼうにそう言うと立ち上がり、リビングを後にした。母は心配そうな声で


「何かあったのかしら…ね、茉莉ちゃんあなた何か聞いてない?」


と呟いた。


「別に…きっと眠いんじゃない?お兄ちゃんに悩みなんてあるわけないんだから…」


私は母にそう告げるとデザートのスイカに塩を振り一口ほおばると、後は夢中になった。





お兄ちゃん、お兄ちゃんはあの時、ひとりで辛さや寂しさを抱えていたんだね。

そんなことは一切知らずに、本当にごめんね…。






「あ、雨っ、」


いよいよ本降りになった夏の雨が周りの音をかき消すように、地面いっぱいに隙間なく打ち続けていた。


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