決着
「はい、そこまで。」
『……っ』
その声は紛れもなく勇者の声だった。
その声は静止を促すものだった。
その声は騒然たる戦場の隅々までよく通った。
「ぐっ…なんの…つもりだ。」
レーギスが苦しそうに空を見上げる。
そう、空を。
勇者は空にいた、何もない宙に、まるでそこに地面があるかのように自然な立ち姿で。
「ま、魔王様!?」
声につられて空を見上げたムートが苦しそうに声を上げる。
魔王。
彼女もまた空にいた。
勇者に抱えられて。
「えっ?ちょっ、なんで?お、落ちる!」
ただ、魔王は腰に回された勇者の腕一本で支えられている状況にひどく恐怖を感じているらしく、自身に両腕と両足を懸命に勇者に巻き付け必死の形相。
そんな、恥も外聞もなくしがみついてくる魔王に勇者の表情は緩みっぱなしだ。
「リーダー…いや、あのクソ野郎…なんで、あたしたちまで…」
女魔法使いが悪態をつく。
と言うのも、勇者は戦場の上空にて全体に静止をを宣言すると同時に例の魔法なのか莫大な量の魔力を練り上げた。
その余波とでも呼ぶべきか、眼下の戦場にいる者すべでに高圧的な圧力が降り注いでおり、者勇者一行、ムート、レーギス以外の者は膝をつき苦しそうに息をしている。
かく言う、5人も膝をつきこそしないがその場でじっと耐えるしかないようだ。
神官は自分だけでもと結界を張ろうとしたがのしかかる重圧と降り注ぐ濃い魔力による軽い魔力酔いにより断念。
他にもレーギスやムートも何とか自身の魔力を纏い、抵抗しようと試みたものの、漂う高魔力がジャミングのような働きをしている為、うまくいかずただ耐えるしかなかった。
「なぁ、レーギス」
何の感情も籠らない声。
レーギスは、勇者と視線を合わせるも口を開くことはなかった。
どうする?どうすればいい?……わかっている。どうすることもできないと。
「終わりにしようぜ?もう、疲れたし。これ以上聞き分けがないなら……」
一度言葉を切り、国王軍を見渡す勇者。
その全ての者が勇者を見ており、その目はもはや恐怖しか映っていないことを確認すると再度口を開く。
「ここからは、ただの殲滅戦……いや、一方的な虐殺になっちまうな。」
ごくりと、誰かが喉を鳴らす。味方であるはずの魔王軍の者たちですら無意識に呼吸を止め息を殺す。
味方であるはずに魔王軍でこれだ。国王軍などその威圧だけで絶望し、自分たちが手を出した相手がどれだけ恐ろしいものなのか理解し、気を失う者さえいた。
レーギスもこの状況の突破口を見つけられぬまま固まっている。
勇者になるなんて、そんなものはもはや二の次だ。今は、生きて帰る。ただそれだけ……チャンスは生きていればいずれ訪れるはず。
だから、今はどうすれば生き残れるかを考えねば……下手に口を開けばあの規格外は何をしでかすわかったものではない…かと言ってこのまま黙っていても…
「………」
余りにも進展の見込めない状況。
ちょっと強く威圧しすぎたか?
普段から後のことを考えずに突っ走る勇者だが口では、あぁ言ったものの、そのまま実行するほど勇者のバカも末期ではない。
絶対に勝てないと相手の心を完全に折ってしまえば、多少こっちが優位な落としどころでこの戦争を終わらせる事が出来る筈と思っていた。
だが、相手は完全に委縮してしまいレーギスすら口を開かない。
さて、どうしたものか。
「ゆ、ゆうしゃ…」
「ん、どした?」
自分に放つ威圧に押し潰されて苦しむ姿は見たくないと思わず連れてきていた魔王。
その彼女は、初めのうちこそ宙ぶらりんの状態に恐怖し、がっちりとしがみついて固まっていたものの、今の彼女の目には自身の状況による恐怖とはまた違う恐怖と、まるで勇者を心配しているかのような目つきをしていた。
「勇者は人間の希望なんだよね?このままじゃ、勇者が勇者でいられなくなっちゃう……」
「っ……」
「んっ、えっと、なに?」
本当に心配してくれていた。
普段、魔王くらいの年の子は気味悪がって、怖がられても、親身になって心配されたことなんて殆どなかった。
そんな、悲しい性を持つ勇者は小躍りするほど嬉しい気持ちになってもどう対応したら良いのかわからず、なんとなく魔王の頭を撫でるのだった。
「そうだな…このまま行動するのはさすがに肩書きに反するし、あいつらも許しはしないだろう。まぁ、元より脅すだけで実行するつもりなんてなかったけどな。」
勇者はこちらを睨む三人を一瞥し、小さくそんなひとり言を呟くと、さらに追加で魔力を練り上げる。
「国王軍の兵たちよ!」
勇者は這いつくばる王国軍に勇者は声を掛ける。
「引く事も勇気。武器を捨てて投降しろ。」
レーギスではなく国王軍の兵に向かって投降を促したのはレーギスが拒否する事が目に見えていたからだったのだが、思惑は外れてレーギスは黙ったままだった。
かくいう、王国軍の兵たちも口を開くことはなかった。
「………ふむ。降参する気はないと?だったら、仕方ないよな?」
そう言って、勇者は腕をある方角に向かって水平に伸ばした。
そして、そのまま手の平も開いて向ける。
次の瞬間、巨大な魔法陣が出現した。それはまるで手の平を向けた先に攻撃を行うような形で。
「感の良い奴も、そうでない奴もわかるよな?俺がやろうとしてること……お前らが降参する気がないなら、お前らが戦う理由を無くしてやるよ。」
「あの方角って……まさか!」
「ありえない、国を攻撃するつもりなのか?」
「さっきの魔法を?国へ?」
勇者は眼下への魔力による重圧を解いていた。そのおかげで王国軍の兵たちは立ち上がり勇者が攻撃を行うと言った自国のある方角を力なく見つめている。
「………。」
「大丈夫、これで終わりだから。」
勇者の更なる行動を見て魔王が心配そうに見ていることに気が付いた勇者は、小さく、そして優しく魔王に言葉を告げた。
「さて、どうする?答えは行動で示してもらおうか。今すぐに武器を捨てろ!」
再度、投降を促す勇者。
『…………。』
そして、次第に大きくなる国王軍が武器を足元に落とす音。
ついに、国王軍に勝利した瞬間である。
「終わったな。」
呟くように言葉を口にしたのは神官である。
現在、勇者一行は国に向け撤退、もとい、敗走する王国軍の背を眺めながら佇んでいる。
さすがに、これ以上の悪あがきは無いだろうが念の為に見張っているのだ。
ちなみに、レーギスはこの後必要になる為、拘束して少し離れた場所で魔族に見張られている。
「で、これからどうするよリーダー?」
王国軍の背を眺めながら神官は問う。
そして、問われた勇者はと言うと。
「………。」
「ダメだよ、まだこの人死んでるから。」
うつ伏せに倒れたままピクリとも動かず、戦士のどこで拾ってきたのか小枝でつんつんと突かれていた。
「まったく。調子に乗ってバカみたいに力を使うからそうなるんだよアンタは。これに懲りたら、これからもお飾りらしく大人しく飾られておくことだね。」
「まぁ、言うだけ無駄だろうなこいつは。」
「うん…アホだからねこの人は。」
散々な言われようである。
「あの……」
そんな一向に近づく一つの小さな影。
「っ!…どうしたんだい、魔王たん?」
「ひわっ!?」
先ほどまで轢かれて潰された蛙のようになっていた勇者だったが気付ば魔王の体から数mmの距離に迫っていた。
「邪魔だよ!」
「げふん!」
だが、驚く魔王をよそに女魔法使いの蹴りが勇者を一蹴。すぐさま、物言わぬ屍へと還るのだった。
「ぷぇっ…」
「たった一人でどしたよ、ガキんちょ?」
蹴とばした勇者の背に腰掛け、魔王と目を合わせた女魔法使いの声色はどこか冷たく感じた。
まぁ、今更ながら勇者一行と魔王の対峙である。先ほどの共闘もだが、こうしてお互いに手の届く距離で会話など本来ならば避けるべき最悪の状況なのだ。
「き、今日はありがとうございました!おかげで、わたしは何も失わずに済みました!本当に……本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げる魔王。
それに対し、女魔法使いと後ろに並んで立つ神官と戦士は何とも言えない表情を作る。
「………用はそれだけかい?」
「えっ?」
一瞬何を言われたのか分からず魔王は固まった。
「だったら、さっさと群れに帰んな。あたし等が見逃すのはそこまでだよ。」
「あっ……」
魔王は理解した。いや、思い出した。
自分は魔族。それも魔王だ。
そして、彼女たちは勇者一行。
「なんだい?まだ、なんかあるのかい?」
決して相容れない関係……だったら。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「………。」
何も答えない女魔法使いの無言を肯定と判断した魔王は震えそうになる気持ちをぐっと抑え込み口を開く。
「どうして、助けてくれたの?」
今更だが、聞いておきたかった。
勇者は約束したからと、地下牢で交わした、まだ中身も聞いていない空っぽの約束を果たす為にと助けてくれた。
ただ、それだけ。だから、本当の意味で勇者がどうしてあの数の人間を敵に回してまで中身のない約束を守ってくれようとしてくれたのか、よくわからないのだ。
なにか、特別な事情でもあるのだろうか……それとも魔族だからと区別せずに平等な正義が―――
「リーダーの命令だったからさ。それ以上も以下もねぇ。」
「っ……。」
魔王は下を向いていた顔を上げ女魔法使いを見た。その目は暗く、何の感情も読み取ることは出来なかった。
「めい…れい?」
「あぁ。じゃなきゃ、やるわけないだろう?勇者ってのは風評ってぇのにかなり気ぃつかってんだ。それなのに、魔王を助けた上に、共闘して王国軍を退けたなんて……まぁ、そこは向こうに転がってる軍を率いてたレーギス、だったか?を、うまく使うつもりだから何とかなるけどよぉ。」
「……そっか。そしたら、これからわたしたちはどうなるの?」
本当によくしてもらった。これ以上を求めるのは虫が良すぎるよね。
お礼だって、まともに出来てないのに……やっぱり、人間と魔族は仲良くできないのかな。
魔王は溢れそうになる涙を懸命にこらえながら問うた。
「どうもしねぇ。」
「えっ……?」
だが、想像していた答えとは真逆で何でも無いように答えられたそれに魔王は面食らったように固まる。
「だから、なんもしねぇっつったんだよ。あたしら勇者一行にとって魔族や魔王はそれだけで討つべき悪だ。そう望まれているんだからな。」
「……はい。」
それは、わかっている。理解もしている。でも、だったらなぜ彼女は何もしないなんて言うんだろう?
「お前は魔王だ。」
「…はい。」
「だが、知っちまったからな。」
「…はい?」
「お前が捕まってすぐに殺されてたのであれば、別にそれはそれでどうでもよかったんだ。魔族と人間の殺し合いに特別な感情なんて持ち合わせる程あたしらはもう純粋じゃないんでね。」
「……あ、えと…」
「人間が正義。魔族が悪。この関係が崩れたとき勇者は勇者でなくなる。人間の望む正義は例え無害とわかりきっていようと、泣き叫んで命乞いをしてこようと、魔族は殺すべし。ただそれだけだ。」
「………。」
「だからさ、あたしらは見ない・聞かない・話さない。魔族は見つけたらすぐに消す。そうやって来た……もう、騙されるのは……」
「?」
「まぁ、なんだ。そんな感じでやってきたってのに、今回、あたしはあんたと喋っちまった、知っちまった……あんたがどんな奴か知った気になっちまったん――」
「おい。」
「っ。」
最初の冷たい感じはいつの間にか感じなくなっていた。
あの時、わたしが人間に捕まって殺されてしまう直前に彼女が『おまえもよく耐えた。』って言ってくれた時のような優しい声で話してくれた……でも――
「ちっ、わーってるよ。」
神官さんの一言で女魔法使いさんの表情がまた冷たくなった。
がりがりと乱暴に頭を掻いて、じっとわたしを見つめる。
「わりぃな。個人的には好きになれそうなんだが、あたしは勇者一行の魔法使いさ。これ以上、私情であんたに同情はしてやれねぇ。」
「はい。」
きっぱりと拒絶されてしまった。
でも、仕方ないよね。
だって、立場が違いすぎるんだもの。
「さて、早いとこあたしらもあの豚野郎のとこに戻るかね。」
話は終わりだ。
まるで、そう言うかのように女魔法使いは立ち上がった。
一切、魔王に視線を向けることなく。
「魔王様。」
「っ…。ムート……」
いつの間にか背後に控えていた従者に魔王は大して驚きはしなかった。
だが、続ける言葉も持ち合わせてはいなかった。
「気持ちはわかりますが、お互いのこれ以上の干渉は避けるべきです。どちらかが完全に立場を捨てるならいざ知らず、短期的な関係しか持てないならば尚のこと。帰りましょう。残してきた者たちも心配していますよ。」
そんな、魔王にムートは帰還を促す。
「………うん。」
そして、魔王もムートに返す言葉も見つからず素直に従うしかなかった。
ムートの言う通り、中途半端な関係はお互いのテリトリーで敵を作るだけだと理解できているから。
「では、これで失礼させてもらう。今回の事は語り継ぐ事は叶わないが我々の代が息絶えるまで決して忘れない。もし、あなたたちの身に何かあればこのバハムート、死地にも飛んでいく覚悟。本当に感謝しております。」
そう言って、ムートは頭を下げた。深く、深く。
「あたしらも行くよ。」
その姿を見た勇者一行は何も言わなかった。
だが、その胸には言いようのない満足感がひっそりと息をひそめていた。
「ちっ、なんでお前が仕切ってるんだ。」
「あぁん?なんか言ったか根暗神官様よぉ?」
「なにも……さっさと行けよクソ魔女。」
「あぁ、もぉ!どうして二人はすぐに喧嘩するかなぁ!」
そして、最後まで締まらない一行は、王国に向け歩き出すのだった。
「魔女じゃねぇ!魔法使いだ!あんな陰気くせぇのと一緒にしてんじゃねぇよ!」
「ふっ、たしかにこんなに煩いのでは魔女も仲間には入れてはくれぬだろうな。」
「よし、てめぇは今ここで大好きな神様の供物にしてやんよ!」
「や、やめなよ!みんな見てるよ!早く行こうよぉ!!」
言い合いながら、お互いに先頭を行こうとする女魔法使いと神官に、捕虜である簀巻きのレーギスを抱えて追いかける少年戦士。
そして、置いていかれる変態。
彼らの冒険はまだまだ続く。