天使
怒りなんて、微塵もなかった。
後悔なんて、微塵もなかった。
ただ喪失感という穴が、暗い穴が、ぽっかりとあいて・・、悲しくて・・溢れて・・溢れて・・。
ただただかなしくて、哀しくて、悲しくて・・・。
竹中さんはとても悲しかったのだ。悲しすぎて悲しすぎて、そして気づいたら、朝、自分の部屋、自分のベッドの上、ただ涙が流れていた。
現実とは、そんなものなのです。
「なんでだよっっっ」
そりゃ竹中さんも突っ込みたくもなるというものだ。
でも、現実とは、そんなものなのです・・・。
竹中さんは、ずっと泣き止むことが出来なかった。
何かとても大切なことを忘れているような、とても大切なものを失くしてしまったような・・。
出勤しなければ・・。
よろよろとベッドから這い出し、出掛ける準備をする。
なんなのだろう、この喪失感は・・。
何なのだろう、この胸を引き裂くような痛みは・・・。
けれどもそんな日もある。
悲しい夢を見る日だってある。
けれど、どんな夢を見たって、どんな悲しい日だって、日本人の40歳は仕事にいかなければならないのだ。
竹中さんは柔道整復師の資格を持っている。
もう、20年もマッサージの仕事をやってきた。
結婚はしていないし、特にお金のかかる趣味ももっていない。せいぜいアニメを見るくらいのものだ。
今日もいつもと同じ、出勤して、仕事帰りには弁当とビールでも買って帰り、アニメを見て眠るだけだ。
けれども竹中さんは、その日で、職を失うことになってしまった。
誰一人、施術できなかったのだ。
いつも通りにマッサージをしようとして、けれど、誰の体にももう、触れることは出来なかった。揉むことは出来なかった。
なんとか触れようと手を伸ばせば、胸に強烈な痛みを伴う悲しみが湧き、溢れ出し、涙と嗚咽を堪えることはできなかった。
数日間、診療内科へと通い、ストレスを軽減した方がいいと言われ、色々な所へと散歩などに出かけた。
けれども、もう誰かを揉んで癒したいという心は、欠片も生じはしなかった。
ある日、ふと遊園地へ足を運んだ竹中さんは、ジェットコースターやスリルのあるアトラクションを体験することで、びっくりした拍子に何か大切な場所に届くような、そんな気持ちがすることに気付いた。
その日から、毎日毎日毎日毎日・・、遊園地へ通った。
毎日何度もジェットコースターに乗り、何度もホラーハウスに入り、心が一瞬何かに近づくような気がして・・、遠ざかり・・、そんなことを繰り返す日々を送った。
2か月も立つと、痩せこけて目の血走った竹中さんは、怖いアトラクションよりも怖いと有名になり、遊園地から出禁になってしまった。
しかしそれも、丁度頃合いだった。
竹中さんはもう、貯金も尽きて、明日を生きることが難しくなっていたのだから。
竹中さんは、気づいていた。
こんなことを続けても、きっと何の意味もないということを。
いずれすぐに、明日の生活すら出来なくなる。
そもそも、明日を生きる意味すら、今の竹中さんにはもう見えなかった。
頃合いなのだ。
人生で、初めて望むバンジージャンプ。
しかし、1回きりの、命綱なしのバンジージャンプ。
きっと、そのびっくりは、自分をどこか大切な場所へと連れて行ってくれるだろう・・・。
街で最も高い建物の屋上に、竹中さんは立つ。
見渡せる早朝の街は美しく、遥か遠く、懐かしい何処かが見えるような、そんな気がした。
朝靄の合間を、コンクリートの建物が朝日で銀色にキラキラ輝いて、涙で滲んだその情景はまるで、美しく神秘的な池のように竹中さんには見えた。
竹中さんは、ゆっくりと体を池に浸して・・・。
竹中さんは天使に手を引かれて、どこかへ泳いでいく。
とても美しい褐色の天使達だ。
1人は、襟足の長いショートカットの天使で、大きなおっぱいとむちむちのお尻がとっても魅力的だ。
1人は、長い髪がところどころ撥ねてるキュートな天使で、やっぱり大きなおっぱいとぴちぴちなお尻がとっても魅力的だ。
竹中さんは、2人の天使をどこかで見たことがあるような気がしたけれど、でも思い出せなかった。
だけどきっと、そんなことは些細なことなのだ。
だって・・、きっとこれからは・・、ずっとこの天使たちと一緒にいられるのだから・・・。
毎日、神秘的で素敵な温泉に3人でゆっくりと入るのだ。
『『大事なのはマッサージよっ』』
女性は些細なことに、とてもこだわるものなのです。
おわり
最後まで目を通していただき、ありがとうございました。
楽しく馬鹿らしい、笑えるお話をと書き始めた第1話でしたが、こんな悲しい結末になってしまうとは・・、作者もびっくり致しました。