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三途の川の喫茶店

作者: 毎日居留守


[極上の最期をあなたに]


 いかにもな(・・・・・)雰囲気を漂わせる喫茶店の入り口に張られた謳い文句。これを漫画に出てくるいかにもな(・・・・・)死に装束の男が眺めている姿はさぞ滑稽であろう。しかし、今の俺にそんなことを気にしている余裕なんてなかった。

 そう、俺はもう死んでしまったのだ。死因なんて覚えていない。最後の記憶は病院のわずかに黄ばんだ天井と、必死に語りかけてくる家族の姿だった。


(…いかん、家族のことを思い出すのはやめよう)


 不意に目頭が暖かくなったのに気づき、慌てて思考を目の前の喫茶店に意識を戻す。

 中を覗くと半分ぐらい席が埋まっているのが見える。混んではおらず、さりとて寂しくはない、ちょうどいい塩梅だ。

 立っていても仕方がないので、とりあえず中に入って落ち着こうと決めた。


「―――いらっしゃいませ。」


 鈴を転がしたような、聞いていて気持ちのいい声が出迎えてくれる。この場所には似つかわしくないが、不安だった心が少し落ち着く。


「すみません、今ちょっと手が離せないので空いている席に座ってお待ちになってくださいな。」


 カウンターの奥、客からは見えないようになっている所から可愛らしい少女が顔だけ出してこちらを確認すると、言いたいことだけ言って再び引っ込んでしまった。調理場にでもなっているのだろうか?トマトソースの焼けるいい匂いが漂っている。

 仕方がないので、言われたとおりにカウンター席に着く。


 店内を改めて見回すと、外からは分からなかったが実に様々な人がいた。いや、俺にようやく周りを見る余裕が出てきたから気づいた、というのが正しいのだろう。

 同じカウンター席にはお茶をすすっている好々爺。窓際のテーブル席にはパフェを頬張っている小太りの中年の女性。反対側のテーブル席には、目つきの悪い若い男性が大量の漫画に囲まれている。他にも老若男女問わず色んな人がいるが、みな共通して死に装束を着ている。

 不気味だが、やはりどこか滑稽な絵面だ。


「すみません、お待たせしました。何かご注文はありますか?」


 声に気づいて視線を向けると、先ほどの可愛らしい少女がカウンターの内側に立っていた。

 そして気づいてしまった。少女の美貌に。


 匂い立つ女性特有の色香とメリハリの利いた少女特有のツヤ、そんな相反するはずの魅力が奇妙なバランスで両立するあやふやで気難しい年代であろうこの少女は、その年代の子たちと比べても飛び抜けて美しかった。

 しっとりとしているのにサラサラな、美しい烏の濡れ羽色をした髪。猫のように妖しい力を宿した瞳。血のように真っ赤で艶やかな唇。大きすぎず小さすぎず、整い過ぎていると思うぐらいの均整のとれた身体付き。死に装束と同じくらい白い肌。

 現実味の無い美しさ、そんな言葉がよく似合った。テレビに出ている芸能人でも、こんな子はいないだろう。


「―――おーい、お兄さん。ご注文は?」

「あ、え…ごめん、ボーっとしていたよ。」

「もう、しっかりしてくださいよ。もしかして、お兄さんって|亡くなったばかり≪・・・・・・・・≫ですか?」


 唐突な言葉で、顔が強張ったのが自分でもわかった。しかし、少女はそれで合点がいったらしい。笑みを浮かべて言葉を続ける。


「やっぱり、そういう方にはここの説明をさせてもらっているんですよ。」

「説明…?」

「はい。実はここ、三途の川なんです。」


 目の前が遠くなりそうだった。改めて現実を突き付けられた。しかもよりにもよって三途の川。聞いたこともない場所ならまだ自分を誤魔化せたかもしれないのに、こうもド直球だと無理だ。


「正確には三途の川の手前、ですけどね。ほら、あちらを見てください。」


 確かに、窓からは海と見間違わんばかりの大きな川が見えた。対岸には薄っすらと何かが見えるが、遠すぎてそれが何かと判断するのは少し難しい。


「………これが夢って落ちだったりはしない?」

「さー、流石に胡蝶の夢の証明は出来ませんし?」

「だよね…はあ、やっぱり現実かー。」


  あり得ない光景にあり得ない美少女、そしてあり得ない状況。思わず頭を抱えてしまう。不思議な感覚だが、妙に納得してしまえる自分がいて、嫌だった。


(というか、三途の川の手前に喫茶店があるってどういうことなんだよ。)


 内心で愚痴っていると、後ろでドアのベルが鳴る。

 思わず振り返ると、そこには優しそうなおばあさんが立っていた。


「おお、ばあさん。来たか。」

「ええ、お待たせしました。」


 どうやら、好々爺の待ち人だったらしい。おばあさんの姿を見て嬉しそうに立ち上がった。


「お嬢ちゃん、会計をお願いできるかの?」

「いいですよ、お茶一杯ぐらいタダで。」

「おや、本当かい?」

「ええ、良い旅への私なりの餞別です。」

「そうかいそうかい、餞別ならありがたく受け取ろうかのう。それじゃあの。」

「いってらっしゃいませ、おじいさん。」


 妙にテンポの良い会話の後、こちらにも会釈してから感じの良い老夫婦となった二人は去っていった。

 これから裁かれるであろうに、二人の背中は幸せそうだった。

 そんな二人の背中を見送りながら、少女は口を開く。


「あのお二人は交通事故らしいですよ?で、おばあさんも来るはずだから待たせて欲しいって。」

「…なるほどね。」


 あのおじいさんは俺とは違って悟りきっていた訳か。


「このお店はですね、こういうためのお店なんです。」

「こういうため?」


 唐突な言葉に、思わずオウムのように聞き返す。


「ええ。さっきのおじいさんみたいにちょっと待ちたい人。お兄さんみたいに落ち着く時間が欲しい人。本来は、そういう人だけに見えるお店だったんです。」


 そう語りながらおじいさんのいた席の清掃をしている少女は、母親のように優しい、それでいてどこか影のある目をしていた。



「ちょっと店員さん!お会計!」


 今度はパフェを食べていた中年女性が立ち上がる。何気なく見たテーブルには大きな器が五つほど転がっていた。

 なんというか、女性の別腹とはやはり凄まじいものである。


「全く、どれだけ食べてもお腹いっぱいにならないのよね。やっぱり、さっさと向こうに行って天国とやらでたくさん食べてやるわ!」

「…天国、ではなく極楽ですよ。お会計は六文になります。」

「文?そんなお金なんて持っていないわ。私にも餞別としてまけなさいよ。」


 なんというか、随分厚かましい人である。先ほどのおじいさんとのやり取りを見ていたらしい。強い口調で押し切ればどうにかなるとでも思っているのだろうか?

 流石に見過ごせないので注意しようと腰を浮かすが、少女は目で俺を制した。


「大丈夫ですよお客様。袂をちょっと探ってみてください。」

「袂?…え?何よこれ?」


 訝しげな表情で言われたとおりに探った中年女性は、なにか見つけたようでますます困惑を深めて見つけたものを取り出す。

 出てきたのは、時代劇でとある岡っ引きが投げているような古いお金が紐で一括りにされているものだった。


「これは冥銭といって、あの世とこの世の境目である三途の川近辺で使えるお金です。ちょっと失礼します、ひーふーみー…ちょうど六文ありますね。」

「…いつの間に持っていたのかしら?」

「お葬式の時にご家族が入れてくれたのではないでしょうか?気づいてない方がよくいらっしゃるんですよ。」

「なるほどねー。というか、知っていたなら早く行ってちょうだいよ!おばさん、恥かいちゃうところだったじゃない!」


 さっきとは一転して、いい笑顔で少女の肩を勢いよく叩く女性。なんというか、本当に女性とはたくましい生き物である。


「じゃあご馳走様!」

「いってらっしゃいませ、良い旅を。」


 こうして、嵐は去った。ようやく力を抜いて周りを見ると、何やら袂を探っているのが幾人かいる。俺も今のうちに確認していた方がいいだろうか?


「…まあこのように、いつの間にか迷っている人だけではなく、みんなに見えるようになってしまって、おかげでメニューも増えて大忙しですよ。このお店は私だけで回しているので。」


 話を続けているようだ。袂に意識を向けていたのを慌てて少女に向けると―――苦悶の表情を浮かべ、先ほどの女性の背中を見つめる少女がいた。

 それは、とてもこの年代の子に出せるものではない、深い深い自責の念に駆られている。そんな表情だった。


 それを見ると、問わずにはいられなくなった。ほとんど意識せずに口を開く。


「…なあ、君はこのお店を―――。」


 ―――なんで始めたのか。

 そう問おうと思ったが、最後まで言葉が紡がれる前に彼女はこちらを見て、優しく笑いかけた。


「―――お兄さん、お時間みたいですよ?」

「え?時間?」


 何のことかよく分からなかった。俺は1人で死んだはずなので、待ち人がいるわけでもない。

 それとも、地獄の裁判にも出廷時間が決まっているのだろうか?


 その答えは、どちらでもなかった。


「ええ。ほら、手を見てください。」


 言われたとおり自分の手を見てみると、透けていた。


(ああ、なるほど。透けているな…って、透けてる!?)


 慌てて裏を見たり振ってみたり確認してみるが、どこをそう見ても透けている。

 彼女はそんな俺の様子を、まるで悪戯が成功した子供のように、楽しそうに見ている。年相応の、意地悪な笑顔だった。


「お兄さん、私を見た時に【欲情】したでしょう?」

「えぇ!?」


 可愛らしい唇から飛び出した生々しい言葉。

 別にやましい気持ちがあったわけではないが、心臓が跳ねたのは男の反射条件である。繰り返すようだが、別にやましい気持ちがあったわけではない。


「あのね?亡くなった人って【性欲】は無くなってしまうの。もう、子孫を残す必要が無いからね。でもおにいさんは私を見て【綺麗】だって思ったでしょう?思わず全身を舐めるように見ちゃったでしょう?」


 いちいち表現がアレだが、確かに綺麗だとは思ったし、全身をマジマジと見てしまったのは本当なので、黙っておく。


「それって子孫を残すための本能、つまり【性欲】があるからこそ思えることなの。だから、その時に分かったのよ。『ああ、この人、まだ死にきれていないんだ』ってね?」


 気が付くと、腰のあたりまで消えてしまっていた。痛みは無い。それどころか消えているはずなのに、感触はある。実に奇妙だ。


「いわゆる瀕死状態。ほぼ逝きかけってやつね。おめでとう、こうやって体が消えていくってことは、あなたの意志が勝ったのよ。生き返ったの。」


 彼女は我が事のように嬉しそうだ。

 そして我が事のはずなのに、急展開過ぎてついていけない俺。


 それもなんだか悔しいので、一矢報いるためにこれだけは言ってやることにした。


「…口調。いつの間にか素になってるぞ?」

「おっと、えふん。これは失礼しました。」


 可愛らしい咳払いをして最初の言葉使いに戻す。そして、なんだかおかしくって、二人揃って笑う。

 もう体は全て消えていた。残るは首から上のみだ。


「それでは、いってらっしゃいませ。また、死んだときにお会いしましょう?」

「ああ、その時は執着するものが無いように気を付けるよ。」

「…ええ、それが、いいわね。」



 彼女の頭を下げている姿を最後に、視界が暗転した。







 気が付くと、わずかに黄ばんだ天井と必死の形相の家族が出迎えてくれた。俺は安心させようと笑いかけ、口を開く。


「なあ、聞いてくれよ。三途の川にさ、喫茶店があったんだ―――。」


 誰かに語りたくて仕方がなかった。儚くも強く、美しくも醜い彼女の事を。


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