猫塚目指して
灯台から階段を歩いて上がると、さっきまで歩いていた街道に出た。その街道の向こう側には猫塚があるという草原が広がっている。
太陽の光を全身で浴び、緩やかな風になびく草や花は実に気持ちが良さそうだ。ピチカートの足で踏みつけられる草に若干の哀れみを覚えるが、緊急事態故に許して欲しい。
パンナはピチカートにぼそぼそと話しかけた。ピチカートは一回頷くと、首を大きく振って周りを観察し始めた。右から左へと首を曲げ、何かを掴んだのか数回頷いて正面を向いた。
ピチカートは草原の一点を見つめながら、パンナに何事かを鳴き声で知らせた。
「ふーん。場所は分かったけど、なんだか色々な気配を感じるらしいよ。もしかすると猫以外にも誰かいるかもしれないわね」
可能性は色々とあるが、最悪の場合も想定しておいた方がいい。
もし首謀者として人間が武器を持って立っていたら展開的には最悪だ。こちらは戦闘などできない上、武器の一つも持っていないのだ。しかし、だからと言って手をこまねいている訳にはいなかい。最悪、敵を観察できる。何も分からないのは致命的だが、一つでも正確な情報を持てば、展開は確実に変わるからだ。
「パンナ。いざとなったら一目散に逃げるぞとピチカートに言ってくれ」
「言わなくてもミレちゃんの言う事分かっているから大丈夫よ」
ん??どういう事だ?
ミレスピーはよく理解できないという目をパンナに向けた。
「ピチカートは私の言う事が分かるのか?パンナは不思議な言葉を使って話しているではないか?」
「ああ、あれは女の子同士の会話を聞かれないようにしているだけ。ミレちゃんは普通に話して大丈夫だよ」
そんな男にだけは分からないという言語が存在するのかはなはだ疑問だが、それが本当だとすると、余計な事を言うのは控えた方が良さそうだ。
「ピチカートと私が話しをできるようにはならないのか?」
「うーん。それはかなりの年月が必要ね。彼女は生まれた時から人間に飼われているから分かるだけで、もちろん人間の言語は話せないわ。でも、はい、いいえの意志表示くらいはできるから、もし意見を聞きたかったら、首を振って答えてもらうといいわ」
本当に私の言葉が馬に伝わるのだろうか?物は試しだ。ちょっとやってみるか。
「では、ピチカート。猫塚までは近いのか?」
ピチカートは薄く鳴くと、首を横に振った。なるほど。この場合はきっとノーの意思表示だろう。
「パンナ。猫塚まで遠いという事でいいのか?」
パンナは呆れた顔をミレスピーに向けると、「ううん。違うよ」と言ってきた。
なに!!違うだと・・・ま、まさかあれが「はい」の表現なのか・・・?
ミレスピーはピチカートの表情を見たが、特に変わった様子はない。パンナが分かっているので特に気にしていないのだろう。
「では、ピチカートは何と言っているのだ?」
「えーとね。近くはないけど、遠くもないって言っているよ」
「・・・・・・・・・」
やはり、ピチカートに細かい話しを伝えたり、通訳が必要な時はパンナにお願いしようとミレスピーは心に決めた。
「パンナ。私はピチカートの言いたい事の全てを理解できない。できれば一回一回正確に伝えてくれないか?」
パンナは明らかに面倒そうな顔をして、ぶつぶつ呟いたが「ミレちゃんも早くピチカートの言う事を理解出来るようになってね。それまでは話してあげる」と渋々OKを出した。
時間もないので、話しはこれくらいにしておこう。
「では、猫塚に出発しよう」
ミレスピーがそう言うと、待ってましたとばかりにパンナがピチカートにまたがった。鐙を使うことなく地面を蹴って、ひらりとまたがる姿はさすがはフルジュームといったところだ。
パンナの真似をしてジャンプして乗ろうとしたが、ミレスピーには全く無理な芸当だった。
「パンナ。これではまったく乗れない。どうにかならないか?」
「え?ジャンプすればいいじゃん」
「残念ながら私はパンナほど軽くはないし、荷物が邪魔をしてなかなかうまくはいかないのだ」さすがに運動は苦手だとは言えない。
「ふーん。仕方ないなあ」
パンナはピチカートに何か伝えると、ピチカートはふぅというため息のような声と共に足を折り曲げて身体を縮めてくれた。どうにも恰好悪いが乗るときはこうしてもらわないと無理だ。
ミレスピーは両手をピチカートの背中に着け、跳び箱の要領でなんとか股がると、パンナの後ろに座った。
「ミレちゃん。私にちゃんと捕まっているのよ」笑いながら言う。
「わかった」
不本意ながらミレスピーはそう言うしかなかった。
パンナはピチカートの頭をやさしくなで、首に抱きついた。乗る前の儀式みたいなものだろう。私も演奏の前には必ずスティックのネックをなでている。何か効果がある訳ではないが、曲に入っていく為の儀式みたいなものだ。
「では、近くもないが遠くもない猫塚に出発するぞ!!」
「ねえ、ミレちゃん。それじゃ全然気合いが入らないよ〜」
頬をふくらませてパンナが文句を言う。ピチカートもパンナに賛同したのか頷いている。きっと姉が二人いる末っ子の男は、こういう扱いを受けて部屋の隅に引きこもるのだろう。
ミレスピーは仕方なく言い直した。
「では、私達の旅を栄えある物にする為に出発!!」
「おー!!」
パンナの号令一発、ピチカートが走り始めた。
あまりの加速に振り落とされそうになったが、ミレスピーはパンナに抱きついてなんとか落馬は回避できた。しばらく走って慣れて来ると、唐突に草と花の匂いが風に乗って飛び込んで来た。そういえば、草花の匂いを曲にしたことはなかった。何となく曲が頭に浮かんだが、振動で思考が途切れ途切れになるのと、これからやることを考えたら、曲は頭の中から霧散した。曲という物はもう少し落ち着いた時に創るべきものなのだろう。
それでも、一定の間隔で鳴るピチカートの足音を聞いていると、違うメロディが浮かんで来た。私は根っからの作曲者なのだろうと自分で勝手に納得してしまった。
馬を題材にした曲は数多く創られているが、今頭の中にある曲はそのどの曲よりもアップテンポでノリが良い。これは記憶しておくべき曲だ。ミレスピーは急いで頭の中で楽譜を完成させると、それを記憶した。曲を楽譜にしてしまえば写真のように覚えておける。これはミレスピーの特技と言っていい。暗譜が非常に得意なのだ。
スピードがさらに上がる。暗譜を終えたミレスピーは再び猫の捕獲に集中した。
ピチカートはそれほど大きい馬ではないが、全身バネという表現がぴったりの馬だった。ミレスピーは真っ直ぐに走るというよりも飛び跳ねているように感じた。あまりにスピードが出るので、パンナが少し抑えるように注文してくれた。しかし、ミレスピーはうねる風は弱まらないし、スピードも落ちたように感じなかった。
もう一つすごいのが、ピチカートの地面を踏む音だ。これはもの凄くお腹に響く。インチ数の大きなバスドラムの音のようだ。大地を蹴る足の力強さが半端ではないのだろう。これでも本気ではないとすれば、競走馬として名を馳せるはずだ。
この名馬というにふさわしいピチカートをぞんざいに扱っていたレアンドロビッチには、さらなる反省を求めたい。
ピチカートは気持よく草原のど真ん中を気持よく走っていたが、次第に木々の生い茂る山の裾野を走るようになった。きっとあの三毛猫のいる猫塚が近くなってきたのだろう。
木や土手に隠れながら十分程走ると、ピチカートは明らかにスピードを緩め、足音を小さくした。
ミレスピーは「パンナ。あとどのくらいか聞いてくれ?」とパンナの耳元でささやいた。
「うん。分かった〜!!」とパンナは大声で返事をする。
これでは私が小声で聞いた意味がないではないか・・・
まあ、パンナに細かいことを求めても無駄というものか。ミレスピーはため息混じりに草原の先を見つめた。ミレスピーの目にはまだ猫塚らしきものは見えなかった。
「ねえ、あとどれくらい?」普通の調子で聞く。
ピチカートは一瞬遠くを見て、パンナに小さく鳴いた。
「ふーん。もう目と鼻の先みたいだよ!!」
パンナは拳を握って無駄に気合いを入れて答えてくれた。
今の大声でこちらの存在が向こうにばれたとしてもおかしくはない。ミレスピーは慌ててパンナの耳元でもう少し小さな声で話すよう促した。しかし、当のパンナはいまいちその意味が分かっていないようだ。
ピチカートは完全に歩きになった。
ミレスピーは若干緊張しながら前を見据える。自然と身体に力が入る。
「ミレちゃん。そんなにぎゅっとして・・・まだお昼よ」顔を赤らめる。
こっちは気が気ではなく力を入れているというのに、パンナはどういう神経をしているのかと言いたい。
「いいから、だまって前に集中してくれ」
その言葉にパンナはカチンときたらしく、かかとでミレスピーのスネをおもいきり蹴ったのだった。




