馬の気持ち
馬小屋は思ったよりもしっかりと造ってあり、大きさからすると一見して納屋のように見えた。海側の崖からは少し離されているので、馬が外へと出た時に少々暴れても海に落ちる事はないだろう。
レアンドロビッチは腰にぶら下がっている鍵の束から一つ選ぶと、馬小屋の扉を開けた。中は薄暗いが、天井に天窓が造られていたので暗すぎるという程ではない。
五頭の馬が待機できるようになっているが、ここにいるのは一頭だけだった。
「おー。よしよし。ピチカート。今餌をあげるから、ちょっと客人の話しを聞いておくれ」
そう言うと、レアンドロビッチは馬小屋の奥に置かれていた馬用の牧草を腕一杯に抱えてピチカートの餌置きに置いて、水もなみなみと桶に入れた。
いつもそれほど餌を与えられていないのかピチカートは草が置かれた瞬間一気に食べ始めた。見事な食べっぷりで餌置きは数秒で空になった。
「うほう!!そんなにお腹が減っていたのか?悪かったな」
さほど反省していない様子でそう言うレアンドロビッチにパンナが怒りの視線を向けた。
「ちょっと!!この娘昨日のお昼から何も食べていないし、お水も昨日の夜にはほとんどなくなったって怒っているわよ!!海獣よりもこの娘の世話をきちんとしなさいよ!!」
パンナの怒りはもっともだ。フルジュームの集落では馬は特別な存在で、きちんと世話をしない人間は地獄へ落とされても仕方がないと昔から信じられている。それに、ここに馬を飼っているという事はいざという時の足として考えられているはずだ。それをこのような扱いで放っておくなど許されることではない。
「いやあ、普段はそれなりに世話しているんだよ。でも、ここ数日はちょっと忙しくてな」
パンナがあまりにも怒るのでレアンドロビッチは言い訳がましく言った。
「私にそんな嘘は通じないわよ!!ほとんど散歩もしていないでしょ!!」
レアンドロビッチは何故そのような事が分かるのか不思議だったが、概ねパンナの言う通りだったので、完全に降参した。
「すまない。君の言う通りだ。今後はきちんと世話をするよ」
「駄目。この娘は信用できないって言っているよ!!」
何故鳴いてもいないのにそんな事が分かるのか?
レアンドロビッチは困ってしまった。状況がまったく飲み込めていない以上、パンナの協力なしに話しは進まなそうだ。仕方なくこの状況を唯一解決してくれるミレスピーに助けの目を向けた。
ミレスピーもパンナの怒りは分かるし、レアンドロビッチを許す事は出来ないが、話しが進まないと数千人の人々が海獣にやられてしまうかもしれない。怒るのは全てが終わってからだ。
「パンナがここまで怒るという事をしっかりと胸に刻んでくれ。いいか、海獣も馬も同列に大切にしなければいけない。あなたのそういう部分が今回の事態を招いた一因だと理解してくれ」
レアンドロビッチは深々と頭を下げた。
「すまなかった。歴史ある灯台守を継いだ事で奢っていたのかもしれない」
ミレスピーはパンナを見つめた。パンナの目から怒りの火は消えなかったが、ミレスピーのたしなめようという意志を感じたようで、一回頷くと、レアンドロビッチに背を向けてピチカートをなで始めた。
ピチカートは嬉しそうにパンナの胸に顔を押し付けてじゃれ始めた。
「これは驚いた・・・」
普段の扱いがよほど悪かったのか、ピチカートはレアンドロビッチには一度も見せた事のないような嬉しそうな顔で大きく鳴いた。
「それで、このピチカートの言っている事はどのくらい分かるのだ?」
このミレスピーの愚問にパンナは口を尖らせた。
「全部に決まっているじゃない!!私はフルジュームよ!!」
「そうか。私はさすがにそこまでのレベルではないからな。あの三毛猫について何か知っているか聞いてくれ」
「うん。わかった」
パンナは指でとかすように髪をかき上げ、何やらピチカートにぼそぼそと言った。とても人間の言語に聞こえないので本当に馬の言葉かもしれない。
ピチカートもパンナに向かって何回か鳴くと、自分の目の前の柵に噛み付き始めた。
「あの三毛猫はここ数日うろついていたようよ。レアンドロビッチに伝えたけど無視されたって言っているわ」
「いや、伝えられたと言っても・・・さすがに私には理解出来ませんよ」
見るからに困った顔をしてピチカートを見たが、柵と一緒にかじられそうになったので、数歩下がって一回ため息をついた。
「でね、その三毛猫は自分がどこから来たのかをピチカートに話したようよ。私は場所が分からないけど、彼女は分かるみたい。小屋から出ればそこまで走ってくれるようよ」
なるほど。ピチカートが柵を噛んだのは早くここから出せという意思表示か。場所も重要だが三毛猫が何をしていたのかも聞かないといけない。
「で、パンナ。その三毛猫はここで何をしていたのかは分かるか?」
パンナは頷くと、先程のよく分からないぼそぼそっとした話し方でピチカートに聞いた。ピチカートは目を血走らせてさらに柵を噛みながら嘶いた。きっと余程腹の立つことがあったのだろう。
「えー。本当?それひどいねー」
「パンナ。説明してくれ」
「うん。その三毛猫は何かを探していて、その合間にただでさえ少ないピチカートの食べ物を笑いながら奥のあの草置き場に持って行ったようなの。理由はただ意地悪が好きだから。そして、こうも言ったようよ。ここはあと数日で海に沈む。だから餌もいらないだろうって。でね、最後にわざわざ変な物をくわえながらここへ来て、馬鹿な人間と一緒に死んじまいなって笑いながら言われたそうよ!!」
つまりはこの話しに一番詳しいのは間違いなくピチカートだということだ。
「レアンドロビッチさん。我々にこの馬を貸していただけませんか?」
「ううむ。しかし、この馬が本当にそんな事を言っているのか・・・」
するとピチカートはいいかげんにしろとばかりに水の入った桶を蹴飛ばし、レアンドロビッチを全身びしょ濡れにした。
「もー。ちゃんと信用しないからだよ」
パンナの言う事はいちいちもっともだ。我々を完全には信用していないのかもしれないが、この馬を見れば少なくとも詐欺師ではないことは容易に分かりそうなものだ。
髪から水をしたたらせてピチカートを凝視した後、頭を振って水を落とし、ついでに濡れたエプロンと服を叩いて形だけでも水を落とすと、レアンドロビッチはミレスピーの前に立った。文字通り頭が冷えて現実に立ち返ったのだろう。
レアンドロビッチはピチカートがこんなにも表情豊かに、そして感情が分かる行動をしたのを見た事がなかった。所詮動物と考えていたが、きちんと世話をすれば動物は飼い主にそれなりの行動をするのだろう。その反省を込め、パンナの話しを信じることにした。それに、こうなっては海獣の食事の時間までに自分がこの事態を解決する事は不可能だ。
「では、このピチカートはあなたがたに預けます。ただ、私にもできることがあるかもしれません。できればもう少し詳しく状況を聞いて下さい」
「ふむ。そうだな。私もこれだけではさすがに厳しいと考えていた。パンナ。三毛猫についてもう少し分かるか?」
パンナはピチカートに落ち着くように促し、再び水の入った桶をピチカートの前に置いた。ピチカートは心を落ち着けるように水を口に含むと、パンナに何かをささやいた。
パンナの目が驚きで見開かれる。パンナはもう一度確認するかのようにピチカートに何かをささやくと、ピチカートは頷きながら小さく鳴いた。
パンナとピチカートはすっかり打ち解け、コミュニケーションも順調なようだ。
話しを聞き終わると、パンナは難しい顔をして、ピチカートの言葉をたどたどしい表現で話した。
「ええと、猫、反乱、魚、とか、人間、お金、亡者?うーん?どうやら三毛猫が色々話したらしいんだけど、難しくてよく分からなかったみたい。ただ、この悪巧みには人間も確実に絡んでいるようよ。許せないわね!!」
まったくもってろくでもない猫と人間だ。こいつらにはきっちりと責任を取らせなければいけない。ミレスピーもパンナ同様憤った。




