灯台守の憂鬱
パンナは息を切らせて隣に立っている私をチラッと見て、自分の荷物に手を伸ばしかけたが、好奇心を抑えきれず、結局は何も持たずに灯台の方へと降りて行った。その足は豹のように速い。
これだけの荷物を夫に持たせて自分だけ先に行くとは・・・と小言の一つも言いたくなる所だが、自分も初めて行った土地の景色に目を奪われ同じような事を何度もした記憶があるので、ミレスピーは仕方なく重い足取りで灯台へと向かった。
灯台へは街道を外れて、専用の道を降りて行く事になる。街道から分岐する道を少し歩くと、いくつもの岩が固まって出来た崖を削って作られた階段を降りることになる。最悪な事に、この階段は全神経を集中させて降りる必要があった。何故なら、階段は幅がやたらと狭く、段数も無駄に多かったからだ。子供の為に作ったとしか思えないようなちまちました階段で、大人を降ろしたくないのかと言いたくなる。
時折足を踏み外して落ちそうになるのを堪え、一段一段身体を若干斜めにしながら降りていると、下からパンナのイライラした声が聞こえた。
「ちょっとミレちゃん遅いよ〜!!早く降りなさいよ〜!!」
「分かったから、ちょっと待っていてくれ!!」
パンナは自分が話したい事があると、数秒でも速く話したいという願望に囚われる傾向にある。きっとこの灯台について、何故これがここにあって海とどう関係しているのかを根掘り葉掘り聞きたいのだろう。
ようやく眼下にイライラしたパンナを捉え、あと少しで階段が終わるという頃合いに、私の足下をもの凄い勢いで一匹の三毛猫が何かを咥えて街道の方へと階段を上がって行った。
猫はもともと小さいので、この階段の狭い幅がが苦にならない。ミレスピーは羨望の眼差しを猫に向け、残りの数段を慎重に降りたのだった。
「ふう。結構きつい階段だったな」という私の安堵の言葉の最後を打ち消すように、膨れっ面のパンナが「遅い〜!!遅いよ。ミレちゃん!!」という言葉を投げかけてきた。
「いや、ちょっと待て。パンナが全ての荷物を私に預けなければもう少し早くここに着いたはずだ」
「私が早く来てって行ったら早く来るの!!それが当たり前でしょ!!」
なんとも理不尽な話しだが、パンナはそう考えているらしい。これ以上会話をしても噛み合わないだけなので、話しを変える事にした。
「で、灯台について話せばいいのか?」
パンナは文句が言い足りなかったのか、こんなに遅くては自分のピンチの時に困るなど持論を展開し始めたので、ミレスピーは荷物を地面に置いて、腰をかけるのに丁度いい石に座り文句を一通り聞いた。
パンナのマシンガンのような台詞回しに感心しながら、ミレスピーは周りを観察した。灯台は切り出した花崗岩を組み合わせて出来ており、石は比較的新しいように見えた。周りに入り江が見られないことから、この辺りに灯台がないとクチュクチュに寄港できなくなる船が少なからずいたのだろう。そこでこの灯台を作ったのだろうとは予想出来た。
「ちょっと!!ミレちゃん聞いているの?」
「ああ。聞いている。パンナがどういう行動をとろうとも、私は体力の限界を超えてでも着いて来ないといけない。そして、パンナの要求はできる限り聞かないといけないだったな」
「違うわよ!!私の言う事は『必ず』聞くの!!」
実際問題パンナがまともな要求をしたことなどほとんどないので、ミレスピーはさくっと聞き流して観察を続ける。
私も旅の中で色々な灯台を見て来たが、この灯台は比較的大きな方だ。という事は貿易な盛んな街が近くにあるという事だ。ヴィオレルの言っていたクチュクチュはそれなりに大きな港街ということなのだろう。
パンナの話しは少しずつ大きくなり、ついにミレスピーが守らなくてはいけない五か条とやらが登場した。パンナが其の二を言っている辺りで、どたどたという音がぴったりくる誰かの足音が聞こえてきた。
ミレスピーが足音の方を見ると、灯台の海側から太った中年の男性が走ってくるのが目に入った。その男性は短パンに薄い麻のシャツを着ており、油汚れの目立つシャツとエプロンから推察するにこの灯台を管理している灯台守だろう。
灯台守は怒りながら熱弁しているパンナと石に座ってそれを聞いているミレスピーを見るなり、すがるような目をして走ってきた。
「はあはあはあぁぁ・・・だずだがた。げこが・・・げこ」
普段から運動をしていないと見え、息の上がり方が酷すぎる。何を言っているのかがまったく分からない。
「まあまあ。少し落ち着いて。何を言っているのかさっぱり分からんぞ」
「ミレちゃんは私の話し!!」
この期に及んで自分の話しを聞けというパンナは流石だ。
まあ、夫たるものまずは自分の話しを聞くべしという意見も分からなくもない。普段はそうすべきだが、さすがに見るからに困っていそうな人間が目の前に来れば話しは別だ。
「パンナ。五か条はまた後で聞く。まずはこの人の話しを聞いてあげよう」
「駄目!!だってミレちゃん絶対に私の話しを聞いてないもん!!」
よく分かっていらっしゃる。でも、それはお互い様だと言っておこう。パンナも私の話しは絶対にきちんと聞いていないと断言できる。
灯台守は何かを伝えたいが、パンナの顔があまりにも怖いので、次の言葉が出なくなってしまった。
「パンナ。君の話しは私が世界で一番きちんと聞いている。できるだけパンナの考えるように行動はする。だから、ここは一旦彼の話しを聞いてくれないか」
「だから、それが駄目なんだって!!まずは私!!」
これは自分が真摯に話しを聞かないと駄目なパターンだ。灯台守には悪いが、パンナの五か条を最後まで聞かないと話しにならないだろう。
「分かった。では其の三から話してくれ」
「うん。じゃあ、ちゃんと聞いてね」嬉しそうに言う。
突然上機嫌となり、言葉滑らかに話し始めたパンナに唖然としながら、灯台守は息を整えつつミレスピーとパンナが話しを聞いてくれる状態になるのを待った。
ようするに何をするにもまずはパンナの事を優先すべきで、私がそのように行動していれば特に問題はないという事だろう。まあ、時と場合にもよるが。
パンナの話しは十分に及んだが、灯台守は横でやきもきしながらそれを聞いていた。したたり落ちる汗も止まり、今やそれが冷や汗に変わっている。顔色もいいようには見えない。きっと余程の事があったのだろう。
ミレスピーがよそ見もせず真面目にパンナの話しを聞いたので、パンナも満足したようだ。
「いい。きちんと守ってね」
「ああ。分かった」
「で、この人誰?」
ようやくパンナがミレスピーから目を離し、灯台守を認識した。
「あ、あの?私の話しを聞いてもらっても大丈夫ですか?」恐る恐る聞く。
「ああ。かなりの慌てようだったな。何があった?」
灯台守はさっき我々が降りてきた狭い階段の方を見ながら「あなた方がここに到着した頃、三毛猫を見かけませんでしたか?」と聞いてきた。
「三毛猫か。ああ、そう言えば何かを咥えた猫が階段を上がって行ったな」
「そ、その猫です」
「その猫がどうかしたの?」
灯台守は一瞬口籠って話していいものか考えたが、一刻を争う事態だと考えたのだろう。すぐにいま起きている事について語り始めた。
「あの猫が持って行ってしまった物を取り返さないと、この海が大変なことになるのです。具体的に言えば、この先のクチュクチュ及び、海岸沿いの建物はすべて崩壊するでしょう」
ミレスピーは厄介毎に片足を突っ込んでしまったと、一歩引こうかとも考えたが、この話しにパンナが食いついた。
「ええ!!何でそんな重要なことを早く言わないのよ!!」
灯台守とミレスピーはその理由をよく分かっているが、面倒毎がもう一つ増えては敵わないので、何も言わなかった。
「もう少し詳しく説明してくれないか?」
ミレスピーの問いに灯台守は頷いた。




