第二章 〜第一部〜 海へ
〜第二章〜
街道の先の空には鳶に加えて白い鳥がちらほら見え始めた。
馬車の轍がくっきりと刻み込まれている土の道の両側は、所かしこに山では見かけない草花が生存競争を繰り広げている。濃い赤や黄色の花も所々に咲いていて見た目もカラフルで、まさに花園というにふさわしい景色だ。
山に住む人間が標高の低い地方に降りて来て、この風景を見れば楽園という文字を頭に刻み込むのも頷ける。それほどまでに鮮やかな色が散らばっているのだ。
その花に囲まれた街道を二人の男女がゆっくりと歩いていた。
二人ともそこそこ重そうな荷物を背負い鞄に入れ、若干前傾姿勢で腰を痛めないようにして歩いている。
旅慣れした男性には見慣れたいつもの光景だが、隣の褐色の美少女は初めて見るこの光景に、鶏も真っ青なスピードで忙しく首を振りながら眼に焼き付けていた。
「おーい。パンナ。そんなに慌ただしくしなくても、こんな風景は今後いくらでも見られるぞ」
ジョンングルールという旅芸人をしながら全世界を渡り歩くミレーミニ・レスピーチェことミレスピーは、詰め込みすぎてはち切れそうな背負い鞄を背負い直し、左肩にかけた高級皮製の楽器ケースを大事に抱え直して、褐色の美少女に言った。
パンナと呼ばれた美少女は、うるさいなとばかりにミレスピーを一瞬睨んだが、好奇心には逆らえないようで、またぞろ周りを観察し始めた。
まあ、何も興味を持たないよりはいいだろうと、ミレスピーは小言を止めた。それにしても踊りで鍛えられたパンナの首は、こんなにも細いのによく動くものだと感心せざるを得ない。もしかすると普段から意識して鍛えているのかもしれない。
綺麗な黒髪を揺らして百八十度の視野を存分に使う美少女などそう見られるものでもないので、ミレスピーは風景よりもパンナを見て楽しむ事にした。
そのパンナは、ミレスピーと一緒に旅をしながら世界一の踊り手になるという夢を追いかけている。夢の達成の為、先日生まれ育った村を飛び出して来たばかりだ。その際、ミレスピーの曲に感銘したのと、パンナにしては珍しく馬が合った事もあり、ミレスピーと急遽結婚した。だから今の名前はパンナ・レスピーチェだ。
パンナが感動したミレスピーの曲は、スティックという独特の楽器で創られる。この楽器は所謂多弦ベースであり、低音から高音まで満遍なく出るのが特徴で、タッピングという弦を叩き付けて音を出す奏法で弾く。彼はこの楽器を使って作曲の旅を続けている。
曲は旅先の土地での出来事を歌詞にし、それに曲を付ける事が多いが、単純に思いついたメロディを曲にする事も多い。パンナの村で大人数のセッションをした事とパンナと結婚した事もあり、多人数で楽しむ曲や踊りに特化した曲も創ろうと、ミレスピーはいつになく曲創りに意欲的になっている。パンナの村の族長から秘密裏に羊皮紙を貰った事もあり、何か思いついたらすぐに譜面化する準備は整っている。
そんなミレスピーをサポートする気はあるのだが、どうも自分の好奇心の抑えが効かず実質ミレスピーまかせの過ごし方をしているパンナは、視覚の情報から聴覚の情報へと興味を移行したようだ。
上空を飛ぶ鳥の声が変わったのだ。パンナの耳には明らかに山で聞いていた鳥の鳴き声とは違う鳥の鳴き声が聞こえて来た。
上を見上げれば白い鳥がいる。
パンナの興味は白い鳥で落ち着いたようだ。ずっと上空を見上げていて視線を落とさない。
「ねえ、ミレちゃん。あの白い鳥の名前は?」
「ん?あれか。あれはカモメだ」
「カメモ・・・カメさんに藻がくっついたみたいな名前だね」
「いや、カモメだ。カモメ。カメモじゃない」
「そのメカモはどういう鳥なの?」
普通の人間は、パンナがわざとやっているように思うだろう。しかし、ミレスピーはここ数日間パンナと一緒に暮らしていて、これが通常のパンナだという事を理解していた。
「だからカモメだ。発音を覚えてくれ。カモメは海の近くにいる鳥で、海の中に飛び込んで魚を捕ることもある。あの鳥のいるところには魚の群れがいる事が多い。だからカモメのいる所にわざと船を持って行く漁師もいるという」
パンナの目が輝いた。これ以上ないくらいに好奇心をそそられた目だ。よどみなく綺麗な目は宝石のようだと、ミレスピーはいつも思う。
「じゃあ、とうとう海に着くのね!!」
「まあ、そういう事だ。潮の匂いもするだろ?」
パンナは周りの匂いを嗅いだ。確かに草と花の匂いの他に、嗅いだことのない不思議な匂いが混ざっていた。
「うーん。なんだか変な匂い〜。これが海の匂いなの?」
「そうだ。フルジュームの村では岩塩を使っていたと思うが、海の水にはああいう塩が入っているんだ」
パンナはミレスピーの言っている意味が分からなかった。水の中に岩塩が入っているなんて事があるのだろか?そんな水はしょっぱくてきっと飲めないだろう。それにあんなに貴重な塩が、沼の水よりも多い場所にあるはずがない。
「もう!!ミレちゃん!!私が何も知らないからって嘘つかないでよ!!」耳をつんざくような怒声が飛ぶ。
「ちょっと待て。誤解だ。海に着けば分かる」
「ふんだ!!もう口きてあげない!!」
パンナは怒って足早に歩き始めた。歩幅も大きく、ずんずん先へと行ってしまう。たまに空パンチをしているのを見れば、完全にヘソを曲げた状態だと分かる。
ミレスピーは立ち止まって二回地面をつま先で叩き、怒れるパンナを見た後、ため息を一回ついた。反省の二文字が頭に浮かぶ。
さも当然の知識が場所によっては、嘘つき呼ばわりされる事はよくある事だ。岩塩しか見た事のない人に、塩の含まれている水があると言ったところで、見るまでは理解できないだろうし、冗談にも聞こえないだろう。
今後は説明には気をつけようと心に決め、ミレスピーはパンナを追いかけた。
※
街道は右に左にうねりながら、丘の上へと続いている。かなり潮の匂いが強くなってきたので、まもなく海に出るのは間違いないだろう。
ミレスピーは、他人には聞かれたくない程の平謝りで、ようやくパンナの機嫌を回復すると、塩の話しを封印しながら海路での旅について説明をしていた。
「ふーん。海は荒れると船が沈んじゃうんだー。怖いねー」
実際に体感している訳ではないので、パンナからはどこか能天気な言い方が返ってくる。
「私達がこの周辺の中心地の海運都市チュクチュクに着いたら、今度は海路で違う国を目指すことになる。その時は海が荒れないように海神さまに祈りを捧げないとな。荒れた海程恐ろしいものはないぞ」
事実、ミレスピーは大洋を渡る時に何度か死にかかっている。海の旅は山賊に襲われるよりも余程恐ろしい思いを沢山するのだ。その上海賊まで出るのだから始末が悪い。
「チュクチュクはどのくらいで着くの?」
「ああ。ヴィオレルの話し方から察するに二、三日歩けば着くと思う。馬なら一日もかからないで着くけどな」物欲しそうな顔でミレスピーは言う。
その顔を見たからかどうかは分からないが、パンナは「じゃあ、馬捕まえようよ」と言いだした。
「お前な。野生の馬がこんな海の近くにいるはずがないだろ」
「えー。そんなことないよ。だって、向こうから馬の声が聞こえるよ」
パンナが丘の上を指さす。
ミレスピーには馬の鳴き声は聞こえないが、普段から馬と共に生活していたパンナは馬独特の鳴き声が聞こえるのかもしれない。
「じゃあ、早く丘の上に行って確かめよう。スーク岬は目と鼻の先のはずだ」
「よーし!!じゃあ私が先に見て来るねー」
そう言うと、パンナはちゃっかり自分の荷物をミレスピーに渡し、丘の上に向かって猛ダッシュして行った。曲がりくねった道を完全に無視して、パンナは真っ直ぐに丘を上がって行った。その速さといったら馬も真っ青な速さで、飛脚にもされそうな勢いだ。全身にバネでも入っているかのようなしなやかさのある走りで、スピードを落とす事無く丘を駆け上がり、時々どうだと言わんばかりの顔をこちらに向ける。
歩いても息が上がるというのに、この坂をいとも簡単に駆け上がるパンナの身体能力はどうなっているのかと言いたい。
ミレスピーも頑張って若干のスピードアップを試みたが、三十秒で頓挫した。この荷物と、この坂の勾配を考えれば仕方の無い事だ。
歯を食いしばって地面を見れば、どういう訳かバッタと目が合った。大粒の汗をしたたらせるミレスピーをケケケッと笑うと、バッタは草むらに飛び込んで、わざと羽を使って遠くに飛んで行った。しかも丘の上の方へと飛んで行った。
何故か最近動物や虫に馬鹿にされることが多い。
バッタの分際で私を馬鹿にするとは許せないと心の中で息巻いたものの、肝心のバッタを追いかける事もできず、バッタをお仕置きする為に寄り道などすればパンナが怒りだすのは目に見えている。キキヌンで山羊に笑われた事がフラッシュバックしてさらに腹が立ったが、現実路線で上を目指す事にした。
丘の上を見れば、パンナがまもなく頂上に着こうとしていた。ミレスピーは汗を拭い、腰に付けた革袋の水を口に含み、再び登り始めた。
ミレスピーがふと頂上付近に目をやると、パンナは足の動きを止めていた。そして、丘の向こう側を身じろぎ一つせずじっと見つめている。
きっとパンナの心を掴んで離さない何かがそこにはあるのだ。
ふきでる汗でハンカチの機能を失った布を、ばたばたと乾かしながら必死の思いで岡のてっぺんに辿り着いたミレスピーもようやく頂上へと到達した。ミレスピーの目にもパンナが見ている情景が飛び込んで来た。なるほど。これは固まって動けなくなるのも頷ける。
そこにはどこまでも広がる真っ青な海が目にまぶしく、太陽の光を一身に受ける真っ白で巨大な灯台が建っていたのだ。




