音楽は皆のもの
魂を込めた歌は心に響く。言霊の力は眠っている相手にもきっと届く。
ミレスピーは紛れもない自分の実力をここで出したかった。今までの旅で得て来た経験を、この世で最も生きとし生けるものを繋げる音楽で表現するのだ。
山羊も羊も文句なく楽しいと思える世界。それは人間の楽園ではなく、彼らの千年王国だ。
ミレスピーは息を思い切り吸うと、呼吸を整えた。そして、ミヒカリコオロギ貝をサウンドホールから、胸に戻すと、スティックを弾き始めた。
左手で低音を奏でながら、高音部を右手で奏でる。
「さあ、みんな 旅立とう 幾千もの山を越えて どこまでも深い海を渡って どこかにある 僕たちの楽園へ」
なるべく楽しくなるように、伴奏はコミカルな感じにする。いつもは恰好付けているので、若干小難しい奏法で弾いたりするが、今はそういう時ではない。
「昼寝は好きか? 踊りは好きか? お菓子は好きか? いやいや 君たちには 決して無くなることのない一面の草場だろ?」
ここで転調。
「素晴らしき季節は春 氷の雲は北に還り 太陽は長閑な息を吐く 新しき芽吹きが出迎え 動物達も目を覚ます」
スティックの調べは今までで一番滑らかで、音も温かい。もちろん曲によって音は変えている。しかし、この音はリアで弾いたりブリッジ側で弾くテクニックやスティック本体で作る音を越えた自分でも表現し難いものだ。強いて言えば神に祝福された音とでも言えば良いのか。
これならきっと山羊にも羊にも情景が思い浮かぶはずだ。
この世の楽園で、穏やかな柔らかい陽の光の中、やさしくて涼しい風の音が聞こえる。小鳥がさえずり、新緑の草が一定のリズムで揺れている。そこには川が流れ、岩塩から塩も取れる。そんな光景を山羊と羊達は夢の中で眺めている。
こんなイメージをみんなに届ける為、ミレスピーは必至にスティックを操った。思わず口ずさんでしまう歌と演奏が耳に届けば、みんなが同じ想いを共有してくれるはずだ。
「どんぐりも 菜の花も 新緑の草も みんなが君たちを待っている 蜂も蜜をくれるし うるさい犬もいない」
みるみるうちに山羊と羊の顔に笑みが浮かぶ。皆がこの平和で楽しい風景を見ているのだ。ついでに言えばパンナもよだれをたらしながら、へらへら笑っている。全くもっておめでたい奴である。
「さあ、行こう ここは安住の地 人間も 犬も 狼も 熊も いやしない さあ、行こう ここは最高さ 人間も 犬も 狼も 熊も いやしない」
山羊や羊達が、もそもそと寝返りを打つ。もう少しだ。
パンナが仰向けになって足をぱたぱたさせているのを横目で見つつ、トドメを刺しにいく。
「さあ、立とう そして 行こう 私と共に さあ、立とう そして 歩こう 私と共に」
すると、信じられない光景がミレスピーの目に飛び込んで来た。山羊と羊が次々と立ち上がったのだ。もちろん彼らは全員酔いつぶれて寝てはいるが、ミレスピーの歌による呼びかけに応えてくれたのだ。
ミレスピーの張ったテントの周りは、真っ白な毛で埋め尽くされた。全頭がゆらゆらと揺れているので、白い草が揺れているように見える。この上をパンナが歩いていたら、それはまさに第二の聖少女伝説として語り継がれそうな見事な情景だったであろう。しかし、そのパンナは、山羊と羊と一緒に立ったまま寝ていた。
このままでは羊と山羊の通行の妨げになるし、彼らと一緒にどこかへ行ってしまいかねないので、ミレスピーはパンナをよいしょっとおぶった。そのままパンナを腰紐で自分に固定して、絶対に落ちないようにすると、羊と山羊の群れの端っこに急いだ。
ミレスピーは群れの端に立ってスティックを構えると、山羊と羊の群れを見た。全頭が立ってにやついていた。さあ。ここからだ。
果たしてうまくいくかどうかは分からない。だが、躊躇している暇もない。こうしている間にも、街から偵察隊が近づいて来ている。
マーチ風のイントロを弾くと、ミレスピーはリズムを取りやすいように、歩調を音楽に合わせる。
「一、二、一、二、一、二、ぜんたーい進めー!!」
ミレスピーが歩き始めると、すぐ近くにいた山羊と羊も歩き出した。
平地で後方が見えにくく、きちんと確認はできないが、みんな付いて来てくれているはず。ミレスピーは祈るような気持で、山の方へと進んだ。
「羊も山羊も 蹄を挙げて 大地を蹴って 進めー 進めー 行き着く先は楽園だ!! 蹄を挙げて 山を登れ 進めー 進めー 行き着く先は楽園だ!!」
ミレスピーは時折後ろを確認する。白い塊が自分目掛けて押し寄せて来ている。牧羊犬がいる訳でもないので、ペースは非常にゆったりとしているが、この塊に押されたらと考えると、少し肌寒くもなった。少なくも羊と山羊を走らせる事は絶対にしないようにと心に決めた。
小川を渡り、若干登りに傾いた草原に足を入れる。意外にも細かな石が多いので歩きにくい。きっと、数年前までは、小川はこの辺りを流れていたのだろう。ただ、山羊と羊は普段から慣れているようで、足を取られることもなく悠然と歩いている。
風の音と数百頭の蹄の音。そして、ミレスピーの歌声とステッィクの音。これらに羊と山羊の唸り声も混ざってきた。初めは酔いの浅い羊や山羊が何匹か目を覚ましたのかと思ったが、どう見ても一頭として起きている気配はしない。よくよく唸り声を聞いてみると、どうやらミレスピーの曲を口ずさんでいるようだ。
ミレスピーの曲は、人間相手には全くといって相手にされないが、もしかすると動物相手ならヒットを飛ばせるかもしれない。ミレスピーはその可能性を頭の隅で考えたが、それでも人間に受け入れられる曲を創るべきだと、思いを新たにした。
斜面の上までくると、全てを見渡せるようになった。
ミレスピーがテントの方を見ると、最後尾の山羊と羊も動き出したのが見えた。実は、スティックの音と自分の声が後ろまで届いているのか不安だったのだ。これで、憂いなく進めるというものだ。
「流れる雲は 羊のようだ 雲の上はふかふかさ 皆でやろうよ かくれんぼ 皆でやろうよ 滑り台 雲の上はふかふかさ 皆でやろうよ かくれんぼ 皆でやろうよ 滑り台」
歌の中では、山羊と羊の行く先は、ついに雲の上の世界になった。ミレスピーは、行けるものなら自分も行ってみたかったので、夢の中でそこへ行っている山羊と羊が少し羨ましかった。背中で気味の悪い笑い声を発しているパンナも、きっと雲の上で遊んでいるのだろう。
遅々として進まないと思っていたこの集団も、前を見ればもう少しで山というところまで来た。最後尾もきちんと付いて来ている。しかし、ミレスピーの耳には、馬の鳴き声と、馬車の車輪の音が聞こえて来た。ここまで来て山羊と羊を偵察隊に殺される訳にはいかない。しかし、この状況では、彼らを山へ届けられないのは明らかだった。
まずい。このままでは、奴らに見つかった上、私も異端審問にかけられかねない。
ミレスピーは、ない頭で必死に考えた。しかし、歌詞は出て来ても、問題の解決策はまったく出て来ない。
馬の蹄の音はどんどん、大きくなって来る。
「パンナ!!起きてくれ!!パンナ!!」
もしかすると二人で考えれば何か突破口が見つかるかもしれないと、ミレスピーはパンナを起こしにかかった。
しかし、パンナは起きないばかりか、暴れながら癇癪を起こした。
「もがー!!うるさーい!!!」
切羽詰まった夫に何を言うかと思ったが、寝ている相手には何を言っても通じない。ミレスピーが苦々しくテントの方を見た瞬間、パンナの腕が後ろから伸びて来て、あろうことかスティックの弦をかき鳴らした。
「あ、おい!!何を・・・」
そして、激しいリフを刻みながら、パンナは胸につけたミヒカリコオロギ貝に向かって大声で叫んだ。
「うがー!!ラム肉食べたーい!!」
すると、先頭の羊達が恐怖の表情を浮かべ、一瞬にして目を覚ました。
「ヴェ〜〜〜〜〜〜!!!」
恐れおののいた声を発した一頭の羊が、走り出すと、次々に目を覚ました羊達が山へと走って行く。そして、山羊もその羊達の慌てように目を覚まし、パニックになって、一緒に走りだした。
草地にも関わらず土煙を巻き上げ走っていく山羊と羊は、馬に引かせた戦車が戦場を駆け抜けて行くに等しい迫力があった。幸い、彼らもミレスピーとパンナを仲間と認識していてくれたのか、一頭たりとも二人に追突する事なく、山へと走って行ってくれた。
それにしても、山羊と羊がこんなにも早く走れるとは、思ってもみなかった。肉にして食べられるという恐怖を感じたら、動物は皆こういう行動に出るのだろうと妙に納得してしまう。
最後の一頭が山の緑に隠れると同時に、ミレスピーのテントの脇に、荒々しい風情の男達が姿を現した。行商人が連れて来た街の人間だろう。
ミレスピーは何事も無かったかのように、ステッィクを弾きながら、小川へと降りて行った。
丘から降りてくるミレスピーを見つけた身なりのいい役人と思われる髭を生やした男が、ミレスピーに声をかけてきた。
「おい!!そこの旅芸人!!ここいらで、山羊と羊が大量に死んでいるのを見かけなかったか?」
「はあ?確かに、昨日ここに寝泊まりはしたが、山羊や羊など見かけてないな。ちょうどいい。私の演奏を聴いていくか?」
「ふん!!私達はそれほど暇でない!!」
随分と訝しんだ目をミレスピーに送った後、その役人は行商人を厳しい目で睨んだ。行商人は必死になって、本当に見たと役人に訴えているが、役人は、行商人を引っ掴んで馬車に乗せ、自分も馬にまたがった。
「まったく。こんな嘘を言って、何の得があるのか?旅芸人。邪魔したな!!」
そう言うと、無駄足に腹を立てながら、役人達は街へと引き返して行った。
役人達を遠くに見送ると、ミレスピーは、パンナをテントに寝かせ、鉄の入れ物に火にかけて、朝のスープを作った。
もう陽は充分に登っている。そろそろ歩き始めないと、また夜に野宿する事になりかねない。
テントからは幸せそうなパンナの寝息が聞こえてくる。
上空の羊雲を見ながら、ミレスピーはもう一度、あのどぶろくを飲みたいと思った。
〜そして次の街へ〜
この街道はもう少しで海に出る。それは、潮の香りが鼻に入って来たので間違いがない。
「パンナ。もうすぐ海が見えるぞ」
「本当!!今度はどんな動物さんと踊れるかな?」
「いや、人間相手に踊ってくれ」
「でも、動物さん達との話し楽しかったよ」
「あれは、かなりの特殊例だ。きっとパンナが精霊に祝福されているからだな」
「うふふー。ミレちゃん、私を見直した?」
「ああ。こんな妻がいるなんて、誇らしいかぎりだ」
パンナはミレスピーの言葉に満足すると同時に、大きく目を見開いた。
「う!!」
「またか・・・だからあれほど、変な果実は食べてはいけないと・・・」
「だって、美味しそうだったんだもーん」
そう言いながら、パンナは草影に走っていく。
「猛獣に襲われそうになったら、大声出すんだぞ!!」
「はーい!!」
ま、パンナの腹痛も海を見れば治まるだろう。あれだけ雄大な景色は他にはない。そして、私達はこの大陸を回った後、海を越えてまだ見ぬ音楽と踊りを求めて旅をするのだ。
ミレスピーはパンナに飲ませる整腸剤をリュックから出すと、水を入れた革袋の上に置いた。そして、昨日、パンナに教わった踊りの足さばきを試してみた。余りの難しさに、足がこんがらがって倒れそうになる。ミレスピーは、やはり踊りはパンナに任せた方がいいと思った。
ふと思い出せば、パンナの踊りは山羊や羊にも受けていた。きっとどんな生物をも楽しませる踊りなのだろう。
そして、山羊と羊を駆り立てたパンナの行動を思い出す。結局あの後フルヤにもケチュケーにも会えなかったが、ここを訪れれば、きっとまた私達に会ってくれると思う。その時はとびきりの酒を持って来るつもりだ。
それにしてもパンナが無意識で放ったあの叫びには魂を感じた。ベースを和音でかき鳴らして、シャウトするどこかのアーティストが乗り移ったに違いない。羊と山羊をあれほど駆り立てられるのだから、きっとその音楽は聴く者の情動を激しく揺さぶるに違いない。完成系が思い浮かばないが、そのうちそういう音楽を作ってみたいものだ。
海鳥が流されて来るのが見えたタイミングで、森の木々が揺れる。潮風が頬を伝って海の存在を改めて私に伝える。ミレスピーは、その心地よさが、パンナと一緒にいる心地よさと似ていると思った。
きっとそれは、安心感と創造力の二つが組み合わさった独特の感じなのだろう。
向こうからお腹をさすりながらパンナが戻ってくる。
ミレスピーは小言を止めにして、パンナを笑顔で迎えた。もちろんパンナも笑顔で抱きついてくる。
少し気になるのは、性懲りもなくパンナの手にまた見たことのない果実が握られている事だ。気苦労を楽しみへと昇華させる方法も編み出さねばなるまい。
まだ見ぬ世界は、私達を歓迎してくれるだろうか?まあ、幸いにして私達は、単細胞で深く物事を考えない。だからきっと大丈夫。見かねた世界の方が私達を助けてくれる事だろう。




