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南溟の断証(ゴリアール)  作者: 雅夢
第一章 八坂激闘譜
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八坂激闘譜 閑話 或る米砲術士官が見たソロモン海戦(前編)

今回は米軍側視点で書いてみました、これまでと相対的な位置関係も逆になるので意外と苦労しました。

加えて何時もの如く文字数が多くなりすぎたので前後編に分けてみました。

八坂激闘譜 閑話 或る米砲術士官が見たソロモン海戦(前編)


 今回の八坂激闘譜で記されている第三次ソロモン海戦第三夜戦に関しては、当然であるが米国側の記述も複数存在しています、中でもアーノルド・H・ノックス中佐(当時)の記述は特に著名であります。今回、幸運にも断証を刊行するに当たり彼の家族の承諾を得ることが出来たのでその一部を掲載することとしました。

 なお表題の❝或る米砲術士官が見たソロモン海戦❞は本文を邦訳するに当って編集部が付けたもので原題は『Batol of The Slot』(The Slotは今回戦場と成ったアイアンボトム・サウンド西方海域の米国側通称)と成っています。


 太平洋戦争が勃発するよりかなり以前より、オーストラリア政府と軍部は第一次大戦に敗北したドイツより植民地を得て南方へ勢力を拡大しつつ有った日本の動きを強く警戒していた。

 こうした日本軍の動きに神経を尖らせたオーストラリア軍は、退役軍人や農場経営者、原住民などからなる沿岸監視隊を組織して日本軍の動向を監視させた。

 この監視隊は、実際に戦争が始まると日本軍の動きを綿密に知らせる諜報活動や、進軍する連合軍部隊の道案内や、日本軍勢力圏内に取り残された兵士の救助などの活動を通じてソロモン方面での戦況を連合国軍有利へ傾かせるのに大きく貢献したと言われている。

 そして、1942年(昭和17年)11月16日の早朝、日本軍が出撃拠点として使用するショートランド泊地に配置していた監視員より1通の暗号電文がニューカレドニア島のヌーメアに有る米南太平洋方面軍司令部に届けられた。

 その内容は次の通りに記されていた。

『泊地二新タナル艦隊ガ到着、内戦艦二隻ハ識別表二無シ、新型ト思ハレル。』

 この電文の内容は、当時の方面軍スタッフを恐慌へ陥らせるのに充分なインパクトが有った。

 何故なら、当時方面軍司令部も派遣されていた第64任務部隊司令部も共に前夜の第2夜戦の終結を持って第三次ソロモン海戦が終結したと判断して代替艦の到着を待って損傷の酷い第64任務部隊のニューカレドニア諸島ヌーメアへの移動を予定していたからである。

 特に先の夜戦において日本軍の戦艦1隻を葬るなどの奮戦を見せた第64任務部隊の司令部ではその衝撃はより大きく、当時任務部隊の司令部要員として旗艦ワシントンに乗り込んでいた私もこの一報に酷く狼狽した人間の一人であった。

 当時任務部隊所属の各艦は、ガダルカナル島近海、アイアン・ボトムサンドにて応急修理と喪失艦から脱出した将兵の救助に当たっていた、しかし、艦隊に所属する艦艇の内、戦闘行動可能な艦は戦艦ワシントン以外には駆逐艦グウィン一隻が存在するだけで、ほかはガダルカナル島北方のツラギに配備されていた魚雷艇や哨戒艇が有るだけと言う極めて手薄な状態であった。

 しかも、電文に拠れば新型と思われる初見の戦艦が二隻含まれるとされていた。

 我が軍の情報部の資料によれば、日本軍は太平洋戦争開戦と前後して大小複数の艦艇を就役させていたが、その中には戦艦2隻、装甲巡洋艦と彼らが呼ぶ大型巡洋艦3隻が含まれていた。

 この戦艦が後にモンスターの異名で全軍に知れ渡る「ヤマト」型戦艦であり、大型巡洋艦の方はメールシュトームの名で航空機乗りに忌み嫌われることと成る装甲巡洋艦「クサナギ」型であった。

 しかしながら、この新鋭戦艦は最新鋭であるが故に情報保全が厳密で、概要の一部しか窺い知りことが出来ない謎の艦であった。

 或る情報に拠れば、その艦の武装は四〇センチ砲を超える主砲(四〇センチより大きい口径、或いは通常よりも長砲身で威力を向上を図っている)を搭載した超大型艦と見られていた。その一方で主砲は旧来の三六センチ砲だが三五ノットを超える高速艦との情報も有ってその評価は大きく分かれていた。

 これは日本軍が諜報対策として、同時期に建造された「クサナギ」型装甲巡洋艦の情報を意図的に流布した結果であった。

 その結果、当時日本軍の最新鋭戦艦の情報を探っていった我が国を含めた諸国の諜報機関は、故意に流布された複数の矛盾する情報を手にした事で逆に混乱し全体像を最後まで明確に捉えられなかったのである。


  状況は極めて不利であった、いや、そうなりつつ有ると言うべきか。

 それが当時、任務部隊司令部にいた者達の共通の認識であった。

 何よりも戦力が不足していた。

 何故ならば、現状では来寇する見られる最新鋭の戦艦2隻を含む日本艦隊に対抗できる戦力が戦艦ワシントン以外に存在しなかったからである。

 第64任務部隊としてアイアン・ボトムサンド任務部隊派遣された戦艦2隻駆逐艦4隻の内、前述の通りワシントンの損傷は比較的軽微であったことから短時間で修復は可能であったが、僚艦のサウスダコタは敵の焼夷散弾と見られる砲弾を大量に撃ち込まれており艦の上部構造物を尽く破壊され、主砲や機関などは健在であったが、それを指揮管制する機能を失っており3連装の40センチ主砲塔3基9門は宝の持ち腐れの状態であった。

 駆逐艦4隻については、グウィン一隻のみが健在であり、他の3隻は全て喪失と言った状態であった。

 そうした状況を鑑みた結果、サウスダコタは護衛の駆逐艦が到着し次第、ニューカレドニアのヌーメアへ回航される予定であった。

 ヌーメア近海には米海軍が持って来た航洋式の浮きドックが多数設置されており、かなりの規模の損傷までそこで修復が可能であったからである。

 

 損傷の酷い各艦と喪失艦から救助された将兵は急ぎヌーメアへ回航するために現場海域を離れる必要が有った。

 後に残るのは戦艦ワシントンと駆逐艦グウィンの2隻、その他救助作業に加わっていたを魚雷艇隊が居たが、こちらはこの後各々持ち場の哨戒ポイントへ散開する予定であった。

 敵の新鋭戦艦を前に極めて不利な状況に置かれて居たが、無論、我々第64任務部隊司令部も南太平洋方面軍司令部も黙ってやられるつもりは無かった。既にハルゼー中将が無理を承知でかき集めた増援部隊がこちらに急行中であり時間的にギリギリで間に合う算段が付いていた。

 来援予定の艦艇は重巡洋艦2隻と軽巡洋艦1隻に駆逐艦7隻と言う構成で、内3隻はそのままサウスダコタ等の損傷艦の護衛兼救助した将兵の移送のためてヌーメアへ戻るがその他は我々第64任務部隊に合流する予定であった。

 この部隊の中核は本来第16任務部隊に所属する艦艇であった、彼らは空母エンタープライズを護衛して外洋の航空支援戦力としてガダルカナル島近海に展開していたのでが先日の日本艦載機の攻撃で守るべきエンタープライズが大破してヌーメアまで戻っていたのだった。

 ハルゼー中将はこの部隊に応急修理の完了した軽巡洋艦ヘレナと駆逐艦3隻を加えて急ぎ第64任務部隊へ送り出してくれたのだ。

 確かに重巡洋艦2・軽巡洋艦1・駆逐艦4は、2隻の新鋭戦艦を含む日本艦隊に対しては充分とは言えないかもしれなかったが、個艦でその敵に対する可能性が有ったことを考えれば貴重な戦力であった。


 当時、この第64任務部隊を指揮していたのは、合衆国海軍少将ウィリス・A・リー提督であった、この1942年始めに少将に54歳で昇進したリー提督は既に大口径砲、特に戦艦の主砲の運用に関するエキスパートとして知られていたが、同時に艦砲よりも遥かに口径の小さな競技射撃の名手としても知られたいた。

 彼は1920年に出場したアントワープオリンピックの射撃競技14種目において金銀銅7つを獲得しているが、この1大会7つの記録は1980年のモスクワオリンピックでアレクサンデル・ディチャーチンに抜かれるまでオリンピック記録であった。

 こうした射撃に対する卓越した技量と、当時、日本軍の真珠湾奇襲から始まる航空戦力の主戦力化の中で、従来の主戦力である戦艦はその用途から外されつつあった、こうした用兵の流れの中から戦艦を艦隊護衛の中核として位置付ける一方で、上陸作戦時における艦砲を用いた事前制圧任務に用いるなどの新しい使い道やレーダー射撃などの新しい技術の確立と習熟へ力を入れていた事がリー提督を戦艦の主砲運用に於けるエキスパートとした地位を確立させたと言ってもよいだろう。

 そして今、この砲術の達人は、自軍の戦力と予想される敵の戦力を元に基本的な作戦の概

要を導き出した。

 今回戦闘に参加する各艦は要は寄せ集め、悪く言えば烏合の衆であった、更に悪いことに各艦は艦隊としての合同の戦闘行動訓練を行っておらず連携は期待できるレベルでは無かった。

 そこで彼は極めてシンプルで効率的な戦術で日本艦隊を迎撃することを決定した。

 その概要は次の通りであった。

1,敵の主砲のみが有効な遠距離での砲撃戦は避ける。

2,敵に反撃の暇を与えること無く、レーダーを用いた射撃で圧倒する。

3,戦艦と重巡洋艦の照準を敵の戦艦のみに絞り集中させる。

4,敵の砲撃能力を奪った後に駆逐艦隊の魚雷で止めを刺す。

 シンプルでは有るが果たして可能かは別の次元の問題で、当時この戦術を聞いた誰もが非常に困難だと考えたと言われている。

 それでもこの戦術に誰もが反対しなかったのはこれ以外に部の良い戦術が見当たらなかった事もあるが、指揮官であるリー少将がレーダーを用いた射撃に於いては合衆国海軍でも卓越した技量を有していたことが有った。

 しかもその技量は先の第2夜戦において戦艦「キリシマ」を撃沈するまで追い込むなどの実績を見せつけていたことから将兵の信頼は厚いと言えた。


 最終的に援軍は間に合った、16日の夕刻に増援部隊は無事にワシントンと合流することに成功。TBS(艦隊内通信機)を用いて各艦に作戦内容を伝達すると、艦隊は大型艦による本隊をワシントンを先頭に、重巡洋艦、軽巡洋艦の順で単縦陣をとらせ、駆逐艦隊も5隻の単縦陣として、本隊の単縦陣の側面に配置した。

 リー提督はヌーメアへ引き返す艦隊がアイアンボトム・サウンドを離れるのを確認して、全艦隊にサボ島北の水道後方に布陣するように命じた。彼の考えは単純で魚雷艇などの小型艇を哨戒艇として彼らの進軍する水道の各所に潜ませて動向を探りサボ島近海まで引きつけて島影を利用して身を隠しながらレーダーによる射撃で敵の先手をとる算段であった。

 そして彼ら(日本艦隊)は現れた。

  ワシントンが搭載するSGレーダーが、距離23000メートルで複数の目標を捉えたのだ。

 このSGレーダーはイギリスより供与された新技術を用いて開発された索敵用のマイクロ波レーダーで、分解能が高く細かい探査が出来るのが特徴で加えて初採用のPPI表示器により方位と距離が正確に測定できる優れた性能を持っていた。

 因みにこのPPI表示器は、一言でレーダーと言われて皆が想像する丸い画面に光る線がクルクルと旋回するあの画面である。

 SGレーダーのカタログ上のスペックは戦艦であれば41キロ先から感知できるされていたが、今回は23キロで敵を補足している41キロと言う数字がカタログ上の理想値だとしても随分と接近してからの感知である。

 これには現場海域が島々が散らばる内海でその島影が索敵の妨害に成っていたのと言う地域的特性と、ワシントンのSGレーダーが先の夜戦で損傷し応急修理のもので感度と精度がやや落ちていたと言う事情も理由として考えられる。

 それでも先に敵艦隊を発見出来た事は大きかった、これまでの戦訓により日本艦隊には夜間においても10000メートル先まで索敵可能な能力を有している可能性が有った、人間の視力を鍛えてこの能力を得ていることから限度は有ったが驚異的な能力である、しかしながら今回はそれを超えて先手を打てた訳である。

 艦上は既に哨戒艇からの連絡により敵艦隊の接近に合わせて臨戦態勢を取っており、我々任務部隊司令部要員もワシントンの艦橋内部の司令塔内に席を移して指揮をとっていた。

 決して広くはない司令塔の奥の海図台には上からアクリル板が置かれその上に担当要員が次々と索敵結果をグリースペンで書き込んでいた。

 今のところ発見されたのは前衛と思われる駆逐艦らしき小さな光点3つと少し後方の大きな点2つ、その直後に先のものよりはやや小さな光点が2つ並んで真直ぐこちらに向かってきていた。

 今のところは順調といえる、敵はこちらに気付く素振りもなく虎口へ入り込もうとしていた、出来れば18000,理想で言えば15000まで引きつけて攻撃したい、今ならそれが可能だ、司令塔の非常灯の赤い照明の中で軍人というよりも研究の第一人者の風格を持つ教授と言った方がお似合いなリー提督が満足そうな笑みを浮かべていた。

 しかし、その直後に理想とも言える状況は打ち砕かれた。

「レーダー室より報告、発信源不明の電波を確認、波長は10センチ、発信方位は210、以上です。」

 レーダー室につながる電話を片手に伝令員が叫んだ。

「210?敵が来る方角じゃないか?」

 結果を書き込まれた海図台のアクリル板を覗き込む私のみ耳にそんな言葉が入ってきた、言ったのは主席参謀だったか?航海参謀だったか?。

 その呟きは皆が同じくして持つ懸念材料であった。

 レーダー室からの探知報告が正しければ、電波は日本艦隊が来る方角から放たれている事になる、しかも指向性の高い、レーダー波として最適な10センチの波長でだ。

 つまり事実を精査するなら、その電波は日本艦隊が発している事になる、それは彼らが明確にレーダーを装備してそれを使用している事を意味していた。

 但しこちらを探知しているかは不明だ、何より敵のレーダーの性能が分からない、日本軍の電装品は貧弱で低性能だとは言われているが、実際のところは例外もあって確信は持てない。

「ジャップがレーダー使ってるだって?

 何かの間違いじゃないか?」

 そんな疑いの言葉を口にしたのは参謀の一人スコット中佐だったが、それは同時にここに居る者の総意といってもよかった。

「だが事実は事実だ、直視しろ!」

「今はそんな事よりも奴らをどうするかだ。」

「それじゃあ、ここで撃つか?」

「いや、今ここで撃っても命中は期待できない。」

 スコット中佐の言葉が皮切りに皆が口々に好き勝手な意見を口にする。

「そうだな・・・。」

「提督?」

 これまで黙って喧噪ともいえる司令部要員たちの狼狽ぶりを眺めていたリー提督の言葉に幕僚達は続けていた不毛な議論を打ち切った。

「そうだな、ノックス君、君ならどうするかな?」

 そう言って、今まで黙って喧騒を聞いていた私に振り向いて提督は問い掛けて来た。


さて、前回の投稿からだいぶ間が空いてしまいました。実はこの間に鼠径ヘルニヤ手術&1周間の入院、追突事故(100%被害者)、最後には転勤と目まぐるしくイベント満載で一周間自宅療養なのですがグッタリとくたびれた感じです。

 それでも何とか投稿できました、実は打ち込みの為に前屈みなると手術後が痛くなるので集中し執筆出来なくてストレス溜まりまくりでした。


 というわけなので誤字脱字あるかもしれませんが宜しくお願いします。有ったら教えてね。

 後編は日曜日の夜に投稿の予定です。お楽しみに。

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