踊る鴨と七面鳥 Ⅹ
遅くなりました。
踊る鴨と七面鳥
「くそっ!(Shit!)マジかよ!」
トーマス・エカート中佐は、TBFの通信手席でそう怒りの声を上げた。
未だに米パイロットにとって恐怖と同義語である「メールシュトローム(海魔)」、その亜種らしい戦艦の対空砲火にさらされて、既に彼直卒のTBF雷撃隊も5機にまで撃ち減らされていた。
しかしながら、5機とは言え最大の凶器であるMk.13魚雷の破壊力は輸送船程度であれば1発で致命傷を与えるに充分である存在であった。
従って低空より敵船団に接近し、雷撃に成功すれば少なくない損害を日本軍に与えられる、と考えるのは当然の帰結である。
エカートは自身と麾下の4機のTBFをもって、船団中央に切り込み大物を喰う覚悟であった、戦果は決して多くは無いが予定通りならば艦隊からは第二次の攻撃隊が発進している筈であった、後は彼らに任せるしかない。他力本願かもしれないが想定と違う状況に追い込まれた現状では現場指揮官としては、『少しでもダメージを与え敵の足並みを乱し足止めする。』これが正直精一杯であった。
しかし、敵戦艦から逃れて敵船団へ忍び寄ろうとした彼らの目前にまたしても敵艦が現れたのだ、それも想定される敵船団のはるか手前でである。
敵艦は、フリゲート(Frigate)かコルベット(Corvette)と思われる小型艦であったが、この時代の米日の艦艇の常であるように大量の対空火器を登載していて、今回も御多分に漏れず凄まじい対空砲火が編隊を襲った、結果として最後尾を飛行中の一機が犠牲となったが、それよりも痛いのが敵船団に雷撃隊の接近が知れたことである。
それ故のエカートの怒りであった。
「中佐、前方2時に艦影!」
「見付けたぞ、ジャップ!」
操縦士であるクリスチャン・スミス大尉の一報に、手にしていた双眼鏡を向けたエカードは凄みを感じさせる笑みをうかべてそう答えた。
やがて水平線上には複数の艦影がシルエットで現れた、うち一つは空母らしい平べったい独特な容姿をしていた。
既に、先程のフリゲートから報告が行っていたであろう、どの船も黒い煙を吐きながら白いウェーキーを引いて彼らから遠ざかる方向へ変針しようとしていた。
勿論、航空機の速度に水上船舶、それも民間船が敵う訳もなくおそらくそれは護衛の艦艇が来援に駆けつけるまでの時間稼ぎだ。
と、なれば急がなければならない。
「SB2C1機、空母に向かう!」
最後尾の機銃座に座って上空を監視していた後部機銃手(砲塔射撃手)のアーチボルト・グリム2等軍曹が上空を航過するSB2Cヘルダイバー艦上爆撃機に気付いて報告した。
どうやらこれまで雲の影に隠れていた機体が居たらしい、彼らは最適な獲物と言ってよい空母を見付けて隠れ家から這い出たのだ。
「よし、敵の空母は彼奴に任せて俺たちは向こうのタンカーをヤルぞ。」
エカードは友軍の急降下爆撃機が空母への攻撃行動を開始したのを確認すると、クリスに2時方向を必死に航走中のタンカーを獲物に選ぶと、後続の各機に各自自由裁量で攻撃するように命じた。
目前の空母は、一見したところ甲板上に艦橋を持たない小型の護衛空母である、ならば防御力は然程ではなくSB2C1機に任せても問題あるまい、と判断したのだ。
僅かに機体が右に傾き水平線上の艦影が左に流れる、命令に従ってクリスが目標のタンカーを射線に捉える為に右へ旋回したのだ。
「SB2C、始めました!」
後部銃座で窮屈に身をひねりながら上空を監視ていたグリムが報告した。
雷撃の準備を行いながらその報告を聞いたエカードが上空を見上げると、SB2Cが降下を開始したところであった。
SB2Cは、まるで教本の見本の様にそれまでの緩降下から高度約5000メートルで降下角を急速に深くして75度で降下を開始、途中で速度の超過を防ぐために展開したエアブレーキの発する耳障りな風切り恩を身に纏って敵艦後方から降下すると散発的な対空砲火を気にする様子もなく高度約400メートルで1000lb( ポンド)爆弾を投下するとし、素早くエンジン出力を上げて上昇離脱していた。
米軍特有のずんぐりとした対艦用の徹甲1000lb爆弾は、母機から放たれると緩やかな放物線を描きながら確実にジャップの空母目掛けて落下していった。
やがて、それは空母の甲板を捉えてそこを突破、飛行甲板の一部と物われる破片が飛び散り船全体が激しく痙攣したように震えた後、大きな水柱が噴きあがった。
「「何だと!」」
その様子を見ていたエカードとグリムが同時に叫んだ。
爆弾は敵空母を捉えた、しかし、その後にある筈の内蔵された炸薬の炸裂は無かった。
「いったい何がどうしているんだ?
俺たちは何と戦っているんだ?」
実はエカード達には大きな誤認があった、彼らが護衛空母と認識したのは帝国海軍で特TL船として建造された連合国で言うところのMACシップあるいは商船空母であった。
攻撃の目標となったのは「かわさき丸」と言う名の民間のタンカーで、戦時標準船4TL船の甲板上部に飛行甲板を張り5機程度の複葉機を搭載可能としていた、船体は民間のタンカーそのもので装甲は無いに等しい、この為着弾した1000lbの対艦爆弾は装甲貫通を目的とした遅延信管が作動せず、派手な水柱を上げただけで海没していった。
勿論、船体中央に巨大な破口を穿たれた「かわさき丸」も無傷ではない、着弾の衝撃による死傷者が発生し、登載していた艦載機が破損、船内の油槽タンクからは原油の一部が流失していた、しかしながら、直撃を受けながら爆弾が炸裂しなかった事で沈没を免れる事が出来たのだ。
「中佐、前方に敵艦!」
爆撃の結果に気を取られていたエカードは、クリスの報告が現実に引き戻され視線を空母から前方の海上に向けた。
そこには3本の煙突から黒々とした煤煙を吐き出して急行し、エカード達とタンカーの間に割り込もうとする艦影が見えた。
駆逐艦のように細長い船体に3本の煙突、米海軍でも旧式のオマハ級等で見られる所謂条約型と呼ばれる旧式なスタイルの艦であった。
つまり、その時代遅れの旧式艦が自分たちの前に左舷側を見せて立ち塞がろうとしていた、その事実にエカードは頭に血が上るのを感じた。
「邪魔するな、ポンコツ!」
その言葉が彼の偽らざる感情の発露であった。
こちらは米軍の最新式の雷撃機、旧式艦で何が出来る!そんな怒りに対する答えは次の瞬間冷や水を頭から浴びせられる、そんな事態によって返された。
一瞬、敵艦の舷側が燃え上がったとエカードは思った、それほどに濃密な発砲炎がそこに掲げられたのだ。
彼らが対峙したのは、帝国海軍の5500トン型軽巡洋艦の第2グループである「長良」型の2番艦「五十鈴」であった。
太平洋戦争開戦当時で既に艦齢20歳を超える超ベテラン艦であった「五十鈴」は、戦傷の復旧に合わせて防空艦へ改装、前後の備砲は89式12.7センチ高角砲へ換装、両舷へ重雷装艦へ改装した「北上」「大井」の例に倣って張り出しを設けて片舷へ簿式40ミリ連装機銃4基8門、両舷で8基16門を登載し、加えて艦橋前方と後部主砲の後方と艦中央には4連装を登載していた。
つまり、エカード達は計20門のボフォース40ミリが形成する槍衾へ飛び込こんだ訳である、勿論向けられていたのはボフォース機関砲だけではない。「五十鈴」の艦上へ所狭しと設置された多数の単装・連装・4連装の99式20ミリ機関砲もやがて射程に入り次第射撃を開始していた。
「今日は、厄日かよ!」
クリスは、愚痴とも絶叫ともとれる言葉を吐き出すと射点から逃れる為に乗機を思い切り横滑りさた。
彼らの乗機であるグラマン社の艦上雷撃機TBFアヴェンジャーは、その大柄な見てくれの通り敏捷な飛行特性を持った機体ではない。
TBFの特徴は、重量のある航空魚雷を登載しても尚有する安定した飛行特性と、敵機の銃撃や対空砲火にも容易に落とされない防御力の高さで、目標である敵艦へ肉薄する事が出来ることにあった。
対する、敵である日本海軍のKate(97式艦上攻撃機)やJill 〈天山〉は魚雷を搭載しながら海面間近で曲撃飛行の様な俊敏な飛行が出来るが、これは防弾性能を犠牲にした結果であり、高い攻撃力を持ちながら防御力は極めて脆弱であった。
「当らなければ問題ない。」と考えて全ての力を攻撃に振り向けた日本軍と、「機体の調達と搭乗員の育成に掛かるコストを考え。」攻撃力と防御力のバランスを考えて生存性を高めた米軍、と言った具合に戦い方に関する考え方の違いからくる極端な差異であるが、現状、TBFに乗るエカード達にとって今一刻は高い敏捷性を有する機体を欲したに違いなかった。
それでも、パイロットのクリスは渾身の力を込めてフラットバーを踏み込み、エルロンで当て舵を当てて機体を大きく傾けないまま機体を右方向へ滑らせた。
前方より飛来していた無数ともいえる機銃弾の雨が左へ逸れて行くが、全てを躱しきることは叶わず数発が衝撃と共に機体各部の表面を削り取っていきコックピットのキャノピーも至近を掠めた銃弾の衝撃波でヒビが入った。
間一髪のところで敵の銃弾を掻い潜ることに成功したエカード機であったが、後続機はそうはいかなかった。
「中佐、2番機が!」
切羽詰まったような砲塔射手のグリムの声に、エカードが後方を振り向くと炎を上げながら四散する列機の姿が目に飛び込んできた。
「ハワード!」
それは、ハワード・ヒル大尉の指揮するTBFで、ソロモン以来エカード中佐のTBFの僚機を務めて来た相棒の最後の瞬間だった。
「クリス、タンカーはどこだ?」
僚友の死に歯ぎしりする思いでエカードは、その怒りの行き先を求めた。
「前方11時、退避行動中です!」
「逃がすか!」
エカードが、クリスの報告に視線を前方へ向けると彼方に背を向けつつあるタンカーの姿があった。
エカード達が、立ちはだかった防空巡洋艦の弾幕から逃れる為に大きく戦場を迂回する間の撤退行動だった。
その姿にエカードは怒りを覚えた、『虚仮にしやがって!』そう思えたのだ。
「クリス、あいつを屠る。行け!」
「Aye,Commander!(はい、中佐!)」
エカードが焚きつける様に命じると、クリスはそう歯切れよく答えると艦尾を見せて逃走するタンカーへ機首を向けた。
標的とされたタンカーは、逃走の為に艦尾をエカード達に向けていたがこの状態での雷撃は巧く無い、被弾面積が小さく更に後方から追いすがる形になる為に魚雷が目標に達するのに時間が掛かるからだ。
クリスは、少しでも被弾面積を大きくするためにタンカーの右舷側に回り込んで雷撃を行おうとしたが、敵船も必死に取り舵を切って船尾を向け続けようとした。
勿論、それを許すクリスではない、そもそも船舶と航空機とでは速度が違うのだ、やがて彼は乗機をタンカーの右舷に回り込ませることに成功すると爆弾倉の扉を開いた。
航空雷撃は本来距離2000メートル付近で行われるのだが、それは編隊で攻撃する場合であった、しかし、今回は単機による攻撃である、エカートは距離1000まで接近して確実を期すように命じた、上空に敵機が存在せず尚且つ敵の対空砲火が商船故に疎らであることから不可能ではないと判断した結果であった。
「Mark!mark!」
照準器越しに狙いを付けていたクリスは、そう叫ぶと魚雷投下スイッチを押した。
次の瞬間、彼らのTBFは1トンを超える重量を持つMK13魚雷が切り離されたことで上空へ飛び上がっ・・、らなかった。
「どうした?」
魚雷投下後の挙動が無いことを訝しく思ったエカードは、パイロットのクリスにそう問い掛けた。
「くそっ、ここまで来て!」
「クリス、何にがおきた⁉」
「魚雷が落ちません。」
クリスはインカム越しにそう焦った声で答えると操縦席内のスイッチやレバーを動かしたが、魚雷が落ちる様子はなかった。
先程の対空砲火の被弾で、どこか投下装置に不具合が発生したらしい。
これは非常に拙い事態であった。
敵を攻撃できなくなったと言うのは勿論だが、魚雷を抱いたままのTBFは母艦への着艦が出来ないのだ。
前述の通り登載中のMK13魚雷の重量は1トンを超える、従ってTBFの機体重量に更に1トンが加わることになる、唯でさえTBFは空虚重量(武装・燃料・乗員を含まない重量)で5トンに迫る重量機である、そこへ更に魚雷の重量が加わればTBFの主脚といえども着艦時に一気に加わる衝撃と重量に耐えられる筈もなく、更に着艦フックと甲板上のアレスティング・ワイヤー(制動索)もその機体重量を止めることが不可能であることは明白であった。
従って、登載中の魚雷を投棄するか機体ごと放棄しない限り、彼らに帰り着く術は無いと言う事だ。
その時である、激しい衝撃と轟音がエカード達を襲った。
「敵艦発砲、先程の軽巡です。」
後方の視界があるグリムが、即座に状況を報告した。
エカードが振り向くと、先程迂回した軽巡洋艦の艦首と艦尾に設置されていた砲塔が旋回して此方を向いていた。
敵艦は旧式の軽巡洋艦であるが備砲は高射砲に換装されているらしく、酷く正確な対空射撃をつるべ撃ちにしてくる、これまで発砲してこなかったのは距離が近すぎたことと射線上にタンカーがいた為らしかった。
敵艦の備砲は前後2基4門と言う事で脅威とは見えなかったが、前述の通りその射撃は正確で無警戒で飛ぶのは危険であった。
そして、飛来する砲弾は次第に正確さを増しやがて至近距離で炸裂し始めた。激しい衝撃に機体が木の葉のよう翻弄され、そして機体は急に上空へ飛び上がった。
これまで離別を拒否していた魚雷が落下していったのだ。
勿論、この様な状態で海中へ踊りこんだMK13魚雷は航走を始めたがその行く先に敵影は無く、真直ぐに白い航跡を描くだけであった。
「中佐、どうします?」
雷撃を終えて低空を退避行動中の乗機を操縦していたパイロットのクリスは、指揮官であるエカード中佐にそう指示を求めた。
「帰投だ。間もなく第二次攻撃隊が到着する。」
時間的にもそろそろ第二次攻撃隊が到着す頃であった、攻撃終了後の丸腰の機体がウロウロしていては邪魔になる、そうした判断のもとの帰投命令であった。
既に第一次攻撃隊の各機も攻撃終了後には、戦果確認の数機を残して帰投しているはずであるし、その機体にも第二次攻撃隊が到着後には帰投する手はずになっていた。
エカードは、現在の的船団の位置を第二次攻撃隊指揮官へ打電しそれの受信応答を確認するとクリスに改めて母艦へ戻るように命じた。
後は、第二次攻撃隊の仕事である。
次の攻撃隊には、既に敵艦隊に対する目論見違いが報告されていたので、軟目標へ対応した装備となっている筈であった。
『であるなら、彼らは自分たちの二の轍を踏むまい、今度こそはジャップ共を海底に葬ってくれるに違いない!』
と、エカードは心の内で息巻いたが、実際に口に出た言葉は、
「本当に、今日は厄日かもしれんな。」
という、ボヤキにも近い言葉であった。
これで完結のつもりでしたが、もう一話続きます。
気付けばこの話で台湾沖海空戦としては14話になっていました。
いらん事ばかり書いて中々終わりませんが多分後一話で完結できると思います。
ですのでもう少しお付き合いください。




