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南溟の断証(ゴリアール)  作者: 雅夢
第二章 台湾沖海空戦「太刀魚が空を翔んだ日、鴨と七面鳥は愚かに踊る。」
34/42

落日 1944

架空戦記創作大会2020夏の遅刻投稿作品です。

お題3 マリアナ沖海戦を取り扱った架空戦記

ですが、私の海魔の世界での話ですので若干前提が違います。

落日 1944


 出撃前の暖機運転を終え、機体に吊架された二五番の固定具合を確認した川田信五上等飛行兵は、飛行甲板脇の待機所で煙草に火をつけて出撃の時を待っていた。

「信五じゃないか。」

 何処か記憶の奥底に残った懐かしさの残る声で名を呼ばれた川田が振り向くと、そこには声ともに見覚えのある面影を残した顔があった。

「賢治?多川賢治か?・・・って少尉殿?

 失礼しました‼」

 川田は相手の階級章を見て素っ頓狂な声を出すと、慌てて手にしていた煙草を投げ捨てると敬礼をした。

 声の主は幼馴染の多川賢治であった。

 川田と多川の故郷は三河湾の海岸沿いにに点在する漁村で、同い年で近所に住む二人は幼少の頃より兄弟のように育った竹馬の友であった。

 川田が国民学校の高等科を出た後、海軍へ入隊したのとは対照的に多川は幼少の頃より学業が優秀だったこともあって大学へ進学していた、しかし、この時世だ文学部に在籍していた彼らは戦局の悪化と共に剥奪された徴兵免除により、学徒として戦場に引き出されていた。

「信ちゃん、少尉殿は止めてくれ、少尉殿は。」

 多川は、敬礼する幼馴染に苦笑を浮かべて子供のころの愛称を口にした。

「賢こそ、信ちゃんは無いだろ。」

 敬礼から直って川田は、そう文句を言ったがやがて二人とも破顔一笑して一頻り笑い声をあげると表情を改めたて声を潜めた。周囲の他の搭乗員たちの目が気になったからだ。

「賢治、海軍に入っていたのか。

 元気・・、すまん。」

 川田は、『元気そうだな。』と言おうとしてその出で立ちを見て止めた、多川の右の二の腕には包帯が巻かれ飛行服には血痕が見て取れた。

「先の出撃でな・・・、僕、自分は腕を少しかすっただけだったが後座の御堂少尉は戦死された。」

「じゃあ、さっき着艦した〈彗星〉に?」

 少し前になるが、喪失艦所属の艦載機が数機、「翔龍」へ収容されたのを思い出した、現在は下の格納庫で修理中と言う話だ。

「ああ、母艦の『飛鷹』が沈められたのでな、こちら(『翔龍』)へ来たんだ。」

 聞けば多川たち学徒兵は、海軍入団後に簡単な士官教育を受けその後に飛行科へ配属されて以後飛行訓練に明け暮れていたという、しかし二ヶ月ほど前に突然錬成は打ち切られ〈彗星〉艦爆の乗員として「飛鷹」航空隊の一員として今海戦に参加したと言う。


一九四四年六月一九日、マリアナ諸島への侵攻を企てる米陸海軍を迎え撃つべく発動された『あ号作戦』は二〇日、二日目を迎えたが実質的に特筆すべき戦果を上げることなく敗色の色を濃くしていた。

 前日、先手を取ってアウトレンジより攻撃隊を送り込むことに成功したが自信をもって送り出した航空攻撃隊は敵機の組織的な迎撃に会い、敵の正規空母一隻に損害を与えたと言う戦果を挙げたものの結果的に多大な損害を受けて壊滅していた。

 以後、初日だけでも五度の攻撃隊を送り込んだ帝国海軍機動部隊と近隣の基地航空隊であったが、濃密な防空網に阻まれ殆ど戦果を挙げることなく戦力をすり減らしていった。

 対する帝国海軍の甲乙二個の機動部隊も、敵艦載機の猛攻に遭い直掩隊の奮戦により初日は多少の損害を受けながらも空母の喪失は防げたものの、二日目には敵が戦力を主力である甲部隊に集中した為に前日の防空戦で数が減った戦闘機隊を突破した多数の敵艦載機群の攻撃により多川たちの母艦である「飛鷹」が失われ、更に敵潜水艦の雷撃により歴戦の正規空母「翔鶴」が被雷、大破炎上中であった。

 その他、装甲巡洋艦「三種」が「大鳳」への魚雷を受ける形で被雷する損害を受け、その装甲空母「大鳳」も本日(二日目)午前には敵艦爆の集中攻撃を受け、直撃弾六発により差しもの強固な装甲飛行甲板を持つ不沈空母もその機能を停止していた、特に艦橋付近への直撃は艦橋構造物を半壊させ「大鳳」を一時的に操艦不能として艦としての存在意義を奪い取ると同時に機動部隊の司令部を機能停止にしていた。

 しかしながら、損害として何よりも大きなものは一年以上の年月を掛けて再建した航空部隊の喪失であった。

 この海戦が初陣である〈烈風〉は、確かにF6Fと互角以上の戦闘が出来たが配備が始まったばかりで数としては零式と〈瞬雷改〉が主力で、濃密な敵の迎撃網を喰い破ることも、機動部隊を護り切ることも出来なかった。

 そして、今回の海戦が初陣となる多川ら学徒出の素人士官たちも初日の戦闘で多くが失われ前日を奇跡的に生き残った多川少尉も、本日午前の攻撃に参加した際に敵機の迎撃により後座搭乗員を失い、更に母艦である「大鳳」を大破炎上という形で失い、自身も傷付きながら川田の乗る「翔龍」へ辿り着いたのだ。

 出撃した仲間たちは全滅、ペアも失って自分一人が生き残った、と無表情にそして淡々と語った。

 川田の記憶にある幼馴染は歳の割に落ち着いた大人びた少年であった、腕っぷしと向こうっ気の強さで村の一番のガキ大将だった川田にとっては対照的だが息が合った友人で会った。

 しかし、今目前でこれまでの経緯を話す青年士官は、どこか捨て鉢で悲観的な雰囲気を持っていた。

 ある意味、それは自分も同じかもしれない、と言う思いは川田にもあった、だから彼は話題を変える試みをした。


「ところで、親父さんたちは元気か?」

 勿論、多川の両親は良く知っていた、喧嘩っ早く怒られることが多かった自分を庇って両親に頭を下げてくれた彼の両親は川田にとってはもう一組の両親とも言える存在だった。

「ああ、お陰様で元気だ、でも・・・。」

 多川はそこまで言って、口ごもった。

「どうした?」

「実は、姉さんの縁談が決まったそうだ。」

 少し躊躇して、多川は申し訳なさそうに言った。

「頼子さんが、結婚?」

 多川賢治には二つ上の姉が居た、名を頼子と言い器量が良く弟と同様に面倒見の良い女性で、川田は彼女に強い憧れを持っていた。

「すまん、信五。」

「何で賢治が謝るだよ。」

 頼子と言う女性に対する憧れは、彼の一方的な思いであり片思でしかなかった、ならばこの思いは自分の胸に秘めておけば良い、それが川田が既に出した答えだった。


 出撃準備が整うと「翔龍」の艦橋後方の信号マストに『発艦準備を成せ』の信号旗が掲げられ、待機中の機体が一斉に発動機を始動した。

 戦闘中ゆえに出撃前の訓示などはない、唯でさえ主力であった甲機動部隊が無力化された状況である、次はこれまで軽微な損害で編んでいた乙機動部隊に敵機が殺到するのは明白であった、故に出撃は許される範囲で急ぐ必要があった。

 川田も、操縦席の座席を離着艦位置まで上げ安全帯を締めて風防を全開にしてその時を待っていた。

 多川たち退避組はこの出撃二は含まれず、現在も一層下の格納庫で修理と補給が行われていて攻撃隊発艦後に飛行甲板に上げられ第二波として出撃の予定であった。

 一般に「改雲龍」型に類別される「翔龍」は、その名の通り「飛龍」「蒼龍」型を元に戦時型として建造された「雲龍」型を更に発展させた中型航空母艦であった、その特徴は、構造の簡素化と対空兵装の強化、航空機用昇降機の大型化と二基への変更、艦橋の位置変更のほか、機関を缶とタービンを交互に置くシフト配置(米軍の空母のように完全なシフト配置ではなく左右二軸ずつをシフト配置としている)とし生存性を上げているほか、日本空母の特徴である舷側の湾曲煙突を「大鳳」や「隼鷹」型のように艦橋上部に右舷外側へ二六度傾斜させた一体化の物へ変更していた。この為、一見すると「翔龍」型の外見は「隼鷹」型に似ているため誤認されることが多かった。


 先発機が速度を上げて飛行甲板前縁より飛び立ったのを確認すると、川田上飛兵は自機のスロットルを一杯まで押し込んだ。

 彼の命令に従い、金星六二型発動機は最大である離床出力一五六〇馬力を発揮する為に轟音を上げやがてプロペラは空を掴み、川田が甲板員の指示に従ってフットブレーキを緩めるとむと、機体は最初はユックリとやがて速度を上げて甲板の凹凸をを拾いながら全速で風上に向かって航行中である母艦の飛行甲板の先端を目掛けて疾走した。

 川田は、機体が甲板を離れると高度を上げながら脚を収納し、主翼のフラップを上げてエンジンカウルのフラップを閉位置にして、操縦室の座席を下げて風防を閉めた。

 彼は一連の発艦後の作業を終えると艦隊上空を旋回して編隊を組む先発機に合流すべく自身も旋回しつつ慎重に上昇をさせていった。

 何しろ離床出力で一五〇〇馬力を超える金星六二型を乗せたとは言え、胴体下に二五番(二五〇キロ)の三式八号弾を一発と、左右両翼に一五〇リットル入りの増槽タンクを吊架した爆戦装備の状態では上昇力も、運動性も共に大きく失われていた。

 それが嘗て軽快な運動性で敵機を圧倒した零式艦上戦闘機の現状での姿であった、五四型となった零式艦戦の爆装形態は通称爆戦と呼ばれる零式艦戦の戦闘爆撃型であり、実質最終生産型であった。

 とは言え一〇〇〇馬力そこそこの栄発動機を登載した通称〈栄〉零戦よりもマシであったろう、海軍は当初、〈烈風〉や〈瞬雷改〉の配備で余剰と成りつつあった〈栄〉零戦の活用策として爆装化を計画していたが、〈栄〉零戦では爆装後に飛行性能が大きく落ちることが見込まれたことから敵主力への攻撃には投入は難しく、新たに数が揃いつつあった〈金星〉零戦の出番と成った訳である。

 

 やがて編隊に追いつくと川田は指示通りに爆装零戦隊に合流した。

「本当に艦隊を丸裸にするんだな。」

 川田は、同じく編隊を組んで飛行する僚機の姿を見てそんな言葉を口にした。

 周囲には、爆装零戦以外にも尖った機首を持つ〈彗星〉艦爆や三人乗りの長大な風防が特徴の〈天山〉艦攻が編隊を組んでいたが、その前方のやや高度をとった所を飛ぶ戦闘機隊には三種類の機体が見て取れた。

 一つは川田たちの乗る零戦と同じ零式艦戦であった、ただしこちらは爆弾を積まない純粋な戦闘機仕様である。戦闘機隊の大半はこの零戦であったが、それ以外にも主翼の中程で上反角が付いた姿が特徴的な新鋭艦戦〈烈風〉とその〈烈風〉の登場までの繋ぎとして局地戦闘機から艦載機へ改装された〈瞬雷改〉の姿もあった。

 実は、この〈烈風〉と〈瞬雷改〉は艦隊の防空任務の為の艦隊直掩機であった。

「大博打だな、こりゃ。」

 川田は、周囲を見回してそう苦笑した。


「我レ今ヨリ航空戦ノ指揮ヲ執ル」

 旗艦「大鳳」の被弾時に負傷した小沢治三郎中将に変わって指揮を執ることとなった、山口多聞中将は皮肉にも二度目となる電文を発信すると、残存の航空戦力を集結させ稼働機全機による敵艦隊攻撃を命じた。既に時刻は十六時を過ぎ日没までの時間を考えれば時間的にも戦力的にもこれがこの海戦に於ける最後の攻撃であった。

 目標は、発見された中で最も近隣に存在した空母機動部隊であった。

 参加戦力は、残存の甲部隊(一航戦)の空母「瑞鶴」に乙部隊(二航戦)の「雲龍」「海龍」「翔龍」「神龍」にミッドウェー海戦の生き残りである「飛龍」と改装空母の「隼鷹」の艦載機から戦闘機隊 零式艦戦六四機、〈烈風〉二四機、〈瞬雷改〉三六機、爆撃隊 〈彗星〉二八機、零戦爆戦二〇機 雷撃隊 〈天山〉八機,、総計一八〇機と言う内容であった。これらには前述の通り先の戦闘で失われた「翔鶴」「大鳳」「飛鷹」等の空母の生き残りも含まれていたが、作戦開始時には六〇〇機を超える艦載機が存在していたことを考えるとこれまでの喪失の大きさが判ると思う。また航空戦力はほぼこれで払拭し修理中の機体が二〇機ほどある程度で正しく一か八かの全力出撃であった。

 当然だが、機動部隊を護る戦闘機の傘はこれでなくなった、しかしながら、艦隊には装甲巡洋艦「草薙」「三種」、防空巡洋艦へ改装した軽巡洋艦「大淀」と「能代」の他乙型駆逐艦多数が配置され万全とは言えないまでも一方的に蹂躙される事態は避けられる筈であると、山口長官は目算していたとも伝えられている。


 高度を上げ、編隊を組んだ最後の攻撃隊は敵艦隊へ向けて進撃を開始した。

 攻撃隊は大きく二つに分けられていた、戦闘を行くのは零戦と〈烈風〉〈瞬雷改〉の戦闘機で構成される制空隊、その後方に攻撃隊第一波として零式艦戦を護衛にした爆装零戦と〈彗星〉〈天山〉であった。

 更に後には乙部隊各艦に分散して収容された喪失艦の艦載機の内、作戦可能な機体からなる攻撃隊第二波が続く予定であった。

 更に攻撃隊前方には艦上偵察機〈彩雲〉と二式艦偵の合わせて十機が、先行して敵艦隊に向かっていた。彼らの任務は、敵戦闘機よりも優速であるその速度性能を生かして、敵機動部隊への攻撃進路を開削することにあった。

 これらの機体には、大きな麻袋が積まれていたがその中身は模造紙に錫箔を張り合わせたものを細く短冊状に切った物で、それが大量に詰め込まれていた。

 帝国陸海軍で「電波欺瞞紙」と呼ばれるこの錫箔紙の役目は電波の反射率が良好な性質を生かして敵の電探レーダーの探知電波を撹乱することで、極めて軽量なために長時間空中を滞空することから攻撃隊の囮として使用されていた。

 偵察機隊は、速度を生かして艦隊周辺を飛び回りながら欺瞞紙を散布して敵戦闘機を引き寄せる予定であった。

 この戦法を考案したのは、第二航空戦隊司令である山口多聞中将であった。

 山口提督は、ミッドウェー海戦の敗北の後に第二航空戦隊司令を解任され霞ヶ浦航空隊の司令を命じられていた。一見すると海戦での敗北の責任を負わせた左遷人事に見えるが実態は先を見据え、若手乗員の育成と新たな攻撃方法の思索を山本連合艦隊司令長官より命じられての赴任であった。

 今回、多数が出撃していた爆装零式艦戦の活用も同様であった。

 爆装零式艦戦は戦闘機改造故に誘導桿を持たず急降下爆撃は不可能であったことから、同機の爆撃方法は降下角度四五度以下で行われる緩降下で行われた。

 緩降下爆撃は、急降下爆撃と比較して命中精度には劣るものの、減速の必要性が少なく生存性を高める事が可能で、これに石の水切りの要領で爆弾が海面を跳ねる反跳爆撃を組み合わせれば舷側に爆弾を命中させれる事から急降下爆撃よりも打撃力が高く、雷撃よりも高速で攻撃できることから生存性も高くすることも可能であり、精度の高い電探による警戒網を掻い潜り濃密な対空砲火を躱して攻撃が可能なこの爆撃方法は、既に旧来の方法が封じられて手の出しようがなくなっていた現状に於いて数少ない光明だと山口長官以下の航空隊幹部たちは判断したのである。

 勿論、緩降下爆撃と反跳爆撃にも問題点はある。

 最大の問題は、反跳爆撃時の速度と高度の調整であった。速度と高度が適切でないと爆弾は反跳しない、場合によっては海面ではねた爆弾が母機に跳ね返って来ることさえあった。

 霞ケ浦と土浦に集められた若手の搭乗員たちは、この摩訶不思議な爆撃法を繰り返し訓練させられ、最終的には命中率六〇%を達成して訓練生の多くが爆装零式艦戦と共に新造艦で編成される第二航空戦隊司令に復帰した山口中将と共に、この海戦に参加していた、川田もその一人であった。

 山口提督ら航空隊幹部の苦心の作である「電波欺瞞紙」と「反跳爆撃」は第二航空戦隊に於いては活用されたが、アウトレンジ攻撃に自信を持っていた小沢長官麾下の第一航空戦隊が主力の甲部隊司令部では、正攻法に拘り顧みられることは無かった。


 やがて前方を飛ぶ機体が細かく翼端を振って高度を下げていった。

 高度を下げるのは制空隊に後続していた〈彗星〉や〈天山〉と爆装零式艦戦に護衛の零式艦戦で構成される攻撃隊であった。川田も爆装した機体を慎重に降下させる、攻撃隊は全機、高度二〇メートル付近で水平飛行に移り敵電探の探知波から逃れ敵艦隊に肉薄する為にこの高度を維持して飛行する。

 電探の電波も光と同様に直進する性格から地球の丸みの向こう側に隠れた航空機、あるいは船舶は感知できない理屈である、加えて海面近くの飛行体は海面が電波を乱反射する為に感知領域に入っても尚、電探では容易に感知できない。

 低空で敵艦隊へ肉薄する所以はそこにあった。

 勿論、肉眼で捉えられれば容易に補足は可能であり、逆に低空飛行中の攻撃隊は自身では敵の存在を知ることができない、従って攻撃隊誘導の仕事は前述の陽動隊の〈彩雲〉の仕事になる。

 今も、攻撃隊の先頭で先導する〈天山〉が緩やかに左旋回をして針路を変えて行く。

 川田もフットバーで細かく蹴りながらラダーを左に切り、補助翼で逆に右ロールを僅かに切ることで水平のままで左へ回頭していった。

 現在のところ敵機の迎撃もなく順調に飛行する事が出来たが、当然であるが偶然ではない、これは陽動かく乱にあたる〈彩雲〉や二式艦偵の成果であり、先行して敵戦闘機を上空に引き付けてくれている戦闘機隊の献身的な働きの賜物であった。

 今も上空の彼方には幾つもの飛行機雲が走り、絡み合っている様子が見て取れた。時折、閃光が走りオレンジ色の炎を上げた何かが落下してゆくのが見えた。

 しかし、幸運は長くは続かなかった。

『敵機、三時方向上方にグラマン!』

 改良されて感度が上がった無線機より報告する声が響いた。素早く護衛役の零式艦戦数機が増槽を捨てて高度を上げ敵機に立ち向かって行った。

『十一時方向、駆逐艦!』

 立て続けに敵艦発見の情報が入り、水平線上に幾つも艦影のシルエットが見え始めた。

 ここまで来て先頭を飛ぶ〈天山〉が信号弾が撃ち上げた。

『全機突撃体形つくれ!』の合図だ、各機は増槽を捨てると緩やかに左右に広がった横陣形を組み更に速度を上げた。

『後方敵・・!』

 絶叫でもたらされた敵襲の報は、途中で途切れたが充分に伝わった。

 すぐ横を飛ぶ僚機が、火箭に捉えられ四散し海面に叩きつけられたが川田はその事実を意識から押し出して上空、後方、左右と見回して敵機を確認した。

「来る!」

 川田は、すぐ後方に近づいていた敵機が主翼の前縁を発射炎で真っ赤に染めて火箭を放つのと同時に可能な限りの右旋回を行いその射線から逃れた。

 攻撃に失敗した敵機は、射撃を断念して高度を取ろうとしたがその後方に追いすがっていた零式艦戦の二〇ミリ機銃弾を受けて海面に突っ込んでいった。

 見れば、そこかしこで乱戦となっていた、味方は既に体形を取れぬままバラバラで敵艦隊中央に向かってゆく、やがて探し求めた敵影が姿を現した。

『空母だ!』

 その声が自分だったか、他の者のだったかは判らない、ただ親の仇のように求めていた敵の姿を川田はハッキリと捉えた。


 敵の空母は正規空母と見られる大型が一つ、更にその手前に軽空母らしい小型な艦影が二つあって慌てて回避運動を開始したのが見て取れた。

 攻撃隊の最初の標的に選ばれたのは、二隻の軽空母であった、飛行甲板の右舷側に直立して立つ煙突が特徴のその艦は狙われいることを察知すると見事に左右に針路を分けた。

 しかし、それは緩降下で近づく爆装零式艦戦にとってあまり意味のある行動ではなかった。それでもその対空砲火はすさまじく、四十ミリと思われる大口径機銃の砲弾により爆撃コースにあった四機が瞬く間に叩き落された。

 それでも一機が反跳爆撃を成功させ、その零式艦船は被弾して主翼を炎に包まれながらも爆弾を命中させるとそのまま敵艦の艦橋へ突っ込んでいった。

 それを皮切りに、爆装零式艦戦と〈彗星〉の反跳爆弾と〈天山〉が投下した魚雷により二隻の軽空母は被弾炎上しつつ波間に没していった。

 次の目標となるのは、大型空母である。

 しかし、敵も今度は容易には攻撃させなかった。

 上空より友軍の戦闘機隊を振り切ったと見られる戦闘機隊が舞い降りてきて直掩の零式艦戦との空中戦を繰り広げ、一部はそれを突破して攻撃隊に襲い掛った。

 爆装して身動きの鈍い攻撃隊各機は必死の回避運動を行いながらも次々と餌食となっていった。更に、周囲の艦艇の対空砲もそれに加わって攻撃隊を撃ち減らしてゆくが、その対空砲火に同士討ちを恐れて敵機が引いたその隙を数機が突き、弾幕を潜り抜けて果敢に攻撃を行った。

 最初に被弾したのは、敵空母と攻撃隊との間に割り込んだ巡洋艦であった、その艦には二発の反跳爆弾が命中し、うち一発は煙突の基部に命中したことで急速に速度を衰えさせていった。

 そして、その間隙を突くように四機の爆装零式艦戦が反跳爆撃を敢行したが、一機が投下前に撃墜され、投下に成功した三発の内一発は投下高度が高すぎたらしくそのまま海中へ没し、他の二発も的確な操艦により避けられ、更に同じく雷撃を行った〈天山〉の魚雷一発も回避されてしまった。

 しかし、敵艦が回避することで反対側に回り込んでいた〈天山〉隊には絶好の攻撃位置を提供することとなり、超低空から敵空母に接近した〈天山〉三機は全機が対空砲に撃ち落されながらもそれまでに魚雷を投下、うち一発が左舷前方側の艦首に近い位置へ命中した。

 巨大な艦に一発の魚雷の命中であったが、敵艦は急速に速度を落とした。

 そこへ、〈彗星〉と爆装零式艦戦が反跳爆撃を行うために殺到したが、敵は充分それを予測しており高度を落としたF6Fが多数待ち構えていた。

 その結果がどうなったかは想像に難くない。

 攻撃隊の多くの機体が、投下位置に付くために回避行動をとれないまま撃墜されていった。それでも何機かは投下に至っており、更に二発の反跳爆弾が敵空母の両舷に一発づつ命中した。


 ここまでの戦闘で攻撃隊は戦力の約六割を失っていたが、ここに至っても敵艦に致命傷を与えられないでいた。


 その時である、上空から四機の〈彗星〉が舞い降りてきた。

 その機体は、川田たちの攻撃隊の後を追って進軍してきた攻撃隊第二波の喪失艦の艦載機群の一部であった。

 彼ら四機は、敵艦隊の上空へ到達後に戦闘の推移を見守り、敵戦闘機が低空から攻撃を仕掛ける友軍に掛かりっきりになるその時を狙って急降下爆撃を仕掛けてきたのである。

 しかし、それでも米軍である。

 彼らは、四機の急降下爆撃を察知すると周辺の艦を含めた対空火器を空母上空へ集中させた。

 先ず先頭の〈彗星〉が直ぐ近くで炸裂した高角砲の砲弾に風防を叩き割られ上に左主翼を断ち切られてコースを外れて落下していった。更に二番機と三番機には大口径機銃の火箭が向けられ何れも投下高度に達するまでにそれに捉えられて四散した。

 最後の一機も先の三機と大差ない未来が待っているように見えた、それでも愚直なまでに急降下を続ける四番機もやがて機銃弾の直撃を受けたらしく発動機付近から黒い煙と炎を吹き出し始めた。

 その時、川田は気が付いた、それは修復した跡らしい無塗装のジュラルミンが目立つ機体だった。

「賢!」

 聞こえるわけがないとわかっていても、川田はそう叫ぶしかなかった。

 ふとその時、炎に包まれたその機体の操縦席で多川賢治がこちらを向き笑顔を浮かべた、そんな気がした、遥か彼方で見えるわけがないのにだ。

 多川機は、力尽きる前に敵空母の飛行甲板、その前部に突入した。

 次の瞬間、巨大な爆炎と黒煙が上がり、甲板の一部と思われる構造物が四方に飛び散った。

「わあああああああああ!」

 絶叫ともつかない嬌声を上げてスロットルレバーの機銃発射把柄を握りこむと両翼四門の十三ミリ機銃を乱射させ、その射線を敵空母に向けると乗機を幼馴染が敵空母の甲板に穿った破口へ向けた。

 川田が放った十三ミリ機銃弾は飛行甲板のスポンソンに設けられていた機銃座を襲いそこで川田機を撃ち落そうと構えていた機銃員数名を一瞬してそこを血の海にした。

 しかし、川田にはそれ以上に手荒な歓迎が待っていた。敵空母と周辺の艦からはこれ以上の損害を阻止するべく猛烈な対空砲火が向けられ、無数と言ってもよい砲弾と機銃弾が川田機に襲い掛ったのだ、しかし、川田の爆装零式艦戦はボロボロにされながらそこを突破した。

 機首と主翼は炎に包まれ、操縦席の彼自身もその炎に焼かれつつあったが彼はその顔に笑みを浮かべていた。

「・・・・。」

 彼が最後にどのような言葉を口にしたのかは誰も知らない。


 川田機が破口へ飛び込むと先程の多川機以上の爆発が起きた。

 既に先の爆発で発生した可燃ガスが爆発したか、飛び込んだところが格納庫であったことから駐機中の機体の燃料や、登載予定の弾薬に火が回ったのかもしれない。

 爆発が連続して起こり、飛行甲板の前側三分の一程度が内から膨らみ、そして激しい爆炎と共に吹き飛んだ。

 米海軍の航空母艦は開放型の格納庫を持っているために格納庫内での爆発は左右舷側の開け放たれた解放部から逃げる筈であった、しかし、今回の爆発は格納庫の下の艦内で起き爆風は四方へと広がり艦内前部で暴れまわった挙句、最終的には脆くなっていた飛行甲板を破壊するに至った様であった。

 爆発と共に、機体の残骸やもの人であった物が上空や四方へ飛び散らせ、激しく炎上した。

 やがて空母は消化のために停止したが、そこには最早日本軍機の姿は無かった。


 この攻撃をもってマリアナ沖海戦、米国名称フィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)は終結した。

 日本帝国海軍は、この海戦で正規空母「翔鶴」「大鳳」「飛龍」と改装空母の「飛鷹」を失い、第二航空戦隊司令の山口多聞中将は乗艦の「飛龍」と運命を共にした。

 この他、空母「雲龍」「神龍」「隼鷹」が中破、「瑞鶴」が小破の損害を受けている。

 航空機の喪失は、艦載機、基地航空隊、陸軍機を合わせると五〇〇機を超える数が失われ、搭乗員も四〇〇人を大きく上回る数が戦死していた。


 対する米海軍も、決して軽微とは言えない損害を受けた。

 軽空母「モントレイ」「ガボット」が撃沈され、エセックス級空母の「バンカーヒル」が大破「ホーネットⅡ」が中波と判定される損害を受けた。なお「ホーネットⅡ」は先に初日の攻撃で攻撃隊が撃沈したと判定した空母だと思われる。

 航空機の喪失は、一七〇機程度と日本軍に比べれば相当小さくなる。


 結果的に見れば、米海軍側の圧勝と呼べる結果で、最後の乙部隊の攻撃が無ければ一方的勝利とも言えた。しかしながら、その無理な攻撃でより多くの航空機と搭乗員を失う結果も生んでおり功罪は相半ばと言うところであろう。

 これ以後、米軍が占領したマリアナ諸島の各島は基地化され、帝国本土へ長距離爆撃機による直接攻撃が可能となり、さらに沖縄や台湾などへの侵攻を可能とする足掛かりを得ることとなった。

 正しく太平洋戦争における天王山の戦いと言うべき海戦であった。


 そして、この戦闘で最後に行われ米側が機動部隊の司令であった小沢治三郎中将の名から『オザワアタック』と呼称した決死攻撃は、以後連合軍将兵にとっては恐怖の代名詞となってゆく。

 尚、この名称に関しては実際には山口多聞中将により作戦の策定と指揮が行われていることから近年では異論が出されている。

 そして、より重要なのは帝国陸海軍、更にそれを構成する日本民族に対する侮りがたい恐怖と畏怖の念が生まれたことにあった。

 日本人は、劣勢に置かれても武器が有れば決して抵抗をあきらめない、敵を打ち負かすためには己の命すらその武器の一部とすると。

 それが日本人なのだと。


 それは、戦争終結より長きの平和の時代に慣らされた現在の日本民族が忘れた本質なのであろうか?

 嫌、それは平時の中では不要としてその内奥深くに潜ませていると私は考えたい、何時か民族に未曽有の危機が訪れれば再び立ち上がることを躊躇しないとの希望を私は抱いている。

今回、約一週間で仕上げたので粗の目立つ作品ですが、何とか完成出来ました。

踊る鴨と七面鳥の六話で書いたマリアナ沖海戦を日本側から書いた話です。


今回二人の若者を出しましたが、もう少し掘り下げたかったのですが話の展開が難しくなりそうなので断念しました。


昨日の投稿では急ぎすぎて、最後のシーンが雑な感じがしたので書き足しを行いました。


また、文中では説明しきれませんでしたが爆装零式艦戦の機銃は従来の二十ミリ二門十三ミリ二門から重量軽減のために作中のように十三ミリ四門になっています。但し、機銃弾が陸軍の一二.七ミリ機関砲のように空気信管+炸薬入りのマ弾と同様の形式を採用しているので威力は大きく落ちてはいません。

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[良い点] 御参加ありがとうございます! [一言] 主人公の機体が金星零戦というのが興味深いですね。この機体も昭和19年中に実戦参加していれば、もう少しマシな戦いをできたかもしれませんね。
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