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南溟の断証(ゴリアール)  作者: 雅夢
第二章 台湾沖海空戦「太刀魚が空を翔んだ日、鴨と七面鳥は愚かに踊る。」
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踊る鴨と七面鳥Ⅳ

踊る鴨と七面鳥


 本来であるなら、船団は敵編隊の襲撃に備えてガッチリと陣形を組んで守りを固める必要があった。同行する空母型艦船が対潜水艦専用で、上空援護の戦闘機を運用する能力を持たず、更に近隣の陸上基地からの援護も期待できない以上、守りを固めるいがに方策がないとも言えた。

 実際、船団護衛司令部は、敵索敵機に見つかった段階で逃げ切れないと判断して同様の決断をしていた。

 しかし、宇田川はその方針に噛み付いた。

 せっかく二〇〇〇〇メートルもの遠距離対空射撃が可能な「三種」が居るのにそれでは宝の持ち腐れでは無いか、と言うのが彼の主張であった。

 彼は、「三種」が敵の空中進撃の経路上に陣を張り、そこから敵が攻撃の為に編隊を散開させる前の状態を一網打尽にする案を出した。

 当然、『有効距離とは言え二〇〇〇〇メートルでの射撃では戦果は期待できないのではないか?』との疑念が有川艦長より出されたが、彼の用意した答えは『敵を撃墜は無理かもしれませんが、足並みを乱れさせ統率された攻撃を邪魔する程度の効果は期待できると考えます。散開ではなく分断させて相互の連携を失った敵の攻撃機なら船団の護衛艦隊の対空能力で充分凌げると考えます。』というものであった。

 敵機の撃墜にこだわるのではなく、敵の攻撃を阻止する砲撃をせよとは艦長である有川の指示であったが、副砲長の宇田川は阻止するだけならその距離でも充分可能だと言ってきたわけである。

 しかも、より東方へ進出することが望ましいとも彼は言った。

『東へ行けばそれだけ早く敵を叩けます、それにそこなら確実に連中は密集編隊でいますから一網打尽に出来るでしょう。』

 それは当初、荒唐無稽な案として退けられる筈だった、しかし、その後に齎された電探情報がそれに真剣に検討すべき価値を与えた。

 電探が捉えた米攻撃隊の数は最低でも五〇機、守りを固めた程度で凌げる数では無かったのだ。

 有川艦長は、艦の主な幹部士官を集めると宇田川の案を基に迎撃作戦を纏めて船団護衛旗艦に座乗する護衛司令の近野少将へ具申した。

 半ば強引に作戦実施の許可を得た有川は、「三種」を東方の作戦海域へ向かわせ現在に至るわけである。

 とは言っても砲撃開始時の距離が二〇〇〇〇メートルという数字は決して容易な射撃を意味していなかった、実感しにくいがその距離をわかり易く具体的に表現すると、東京駅を起点としそこから神奈川県との県境を超えて東海道本線上を西へ進んだ横浜駅の手前、正確には生麦事件で有名な地名にある生麦駅に匹敵する距離になる。

 従って敵編隊はその生麦駅上空付近を二五〇km/hで飛行していることになる訳であるから、それを狙い撃つ難しさは理解できるのではないだろうか?

 確かに六〇口径一五.五cm三連装砲は、傑出した遠射能力を有していた。

 問題は、その砲弾を遠方の、この場合は二〇〇〇〇メートル先の敵編隊を砲弾が炸裂の際に形成する爆風と弾体の破片が生成する危害半径の有効内に捉えられる用に照準できるかとになる。

 勿論そのために「三種」は副砲の指揮装置に最新式の三式高射装置を搭載していた、そしてそれを使いこなせる要員もいる、駒はそろっていた。

 しかしながら、高射装置の性能が向上してそれで問題がすべて解決する訳ではない。何より問題なのは、高射機の中核となる光学観測機器が持つ気象変化に対する脆弱性であった、それは距離が伸びるほどに顕著となり一五.五センチ副砲のように二〇〇〇〇前後での遠距離対空射撃を行う際の目視照準には大きな障害となっていた。

 それで行われたのが、今回のマリアナ沖海戦による損傷修理の機会を利用した対空戦闘能力の増強工事であった。

 今回。その工事に伴って後部の副砲指揮所はこれまでの第三副砲のすぐ手前から後部主砲指揮所があった後檣最上部へ移されることになったが、その理由は、改装後の特徴的な姿から理解できる。

 改装後の後部指揮所はその形状と共に大きく姿を変えていた、最も顕著なのが指揮所の上部に設置された巨大なザル状の空中線アンテナであった。

 これは通称ウ式、正式名称・試製ウルツブルグ式電波探信儀(電探)と呼ばれる新型電探の空中線であった。

 後部副砲指揮所が後檣の上部へ移されたのは、このウ式の空中線の電波的視界を確保する為であった。

 ウ式はその正式名称から判るように友邦ナチスドイツが開発に成功した電探で、五〇センチ波を用いて最大有効距離四〇kmの探知を可能とし、二〇〇〇〇メートルの距離であるなら数メートルの誤差と言う極めて精度の高い対空射撃管制電探であった(ヴュルツブルグ市に由来する呼称なのでヴュルツブルグが正しい表記であるが、日本ではウルツブルグの名が定着しているのでこれで記する)。

 同電探の性能の高さを聞きつけた帝国陸海軍は、揃ってドイツへの技術供与を求め、結果として昭和一七年(1942年)に遣独作戦の伊号第三〇潜水艦によって実物と技術者や図面が日本へ運ばれ、以後は陸軍の地上拠点用と海軍の拠点用と艦載用が開発されていた。

 今回「三種」は改修に合わせて帝国海軍の艦船として初めて同電探の艦載型を搭載し初の実戦に臨んでいた。

 それは、日増しに脅威を増す米陸海軍の航空戦力に対抗する艦隊防空の切り札であり、今回の「三種」の戦闘が以後の戦闘を占うための試金石であるともいえた。

 今回、後部副指揮所にウ式を搭載したことでその指揮所内部も従来の物とは多少配置が変えられる等の変化が有った。

 従来の物より指揮所の筒状の覆塔はやや直径を増していた、これは内部にウ式を操作する作業員とその装置を収める為であった。

 しかし、重要な光学観測器の一つである高角測距儀が幅四.五メートルであったことからそれを超えて幅を広げることは不可能で、実際には覆塔は測距儀のレンズの前方が視界を確保する為に切り落とされるような形状になっていた。

 そして、内部の座席配置も中央の防振台上の高射機を囲むように座る操作要員の席はこれまで通りであったが、指揮官席が測距手の後方から広げられた前部の左側となりその横にウ式の操作員が座る形になっていた。

 しかしながら、現状では試作品と言う事で技師や技官が覆塔内にも居て中は相当狭い状態であった。


「二一号より、甲左舷〇九七、距離二四〇(二四〇〇〇メートル)、乙同左舷一〇八、距離二八〇。」

 二一号電探からの情報を電話員の少年兵が声変わりの最中の甲高い声で伝えた。

「岡本少尉、どうだ?」

 副砲長の宇田川少佐は隣に座ってウ式を操作する少尉に問い掛けた。声を掛けられた岡本は、学徒兵らしい未だ子供の面影を残した面を少し宇田川へ向けけて短く答えた。

「感あります。」

 ウ式の操作を担当する岡本次郎は、理工科学生として海軍の技術研究所で勤労動員されていたが専門知識を持ちウ式の操作に長けていた事から今回「三種」へ臨時の操作要員兼操作指導の要員として特務少尉待遇で派遣されていた。

 宇田川は息子のように若く軍隊生活に不慣れな岡本を気遣い何かにつけて世話していた。

 ウ式の表示機は、操作員だけでなく指揮官の席にも有って同じものが表示されているので本来は確認のために声はかける必要はないのだがそこは宇田川の気遣いである。

 もっとも彼自身、本来人懐こい性格であるらしく、また軍隊生活に不慣れで有るが故に階級の下のものにも人当たりの良い彼は指揮所や電探室の要員たちにも好意的に向かい入れられて居た。そして操作員席に座ると、黙々と自身に課された仕事をこなす彼の姿勢も好感を持たれる要因の一つであった。

 今も彼は、探知範囲を細かく切り替え、操作方向を微妙に動かしてより探知情報を確かなものにしていった。

 勿論、照準作業に当たっているのは岡本少尉だけではない、指揮所内には七人の操作員が各席でメーターやボタンが並ぶ高射機に向かって作業を黙々とこなしていた。

 意外かもしれないがこの時代、電探やレーダーで検知した諸元やデータは射撃指揮装置へ自動的に入力される訳ではない。

 それは、先進的な英米においても同様で、検知された情報は人の手によって入力され射撃情報となってゆく。

 今回のウ式による統制射撃も同様で、ウ式で得られた探知情報はそのまま操作員席後方の高射機へ要員の手によって入力されてゆく。

 唯一、旋回角だけはウ式の空中線が指揮所の上部に乗っている関係上同時に旋回するので自動的に高射機に入力されるが、同時に旋回手による修正は行われる。

 それ以外の俯仰角、距離は、高射機の各部に設置されたそれぞれの表示機メーターに赤い親針として示されていた、各作業員はそれを白塗りの子針で追いかけ重なるように操作する、この方式は高射機が算出した情報を各砲が入力するのに使う方式(タコメトリック式)の応用であった。

 高射機に入力された距離、仰角、旋回角、の各諸元とジャイロを介した前後左右の動揺修正情報は通信回線を通じて艦内の発令所に送られて、そこに設置されている卓型の機械式計算機である高射盤(高射射撃盤)へこれもまた人の手で入力される。

 そして高射機から各種諸元が伝達された高射盤では艦艇ログやジャイロから算出される自艦の速度や進行方向等を加えられて、左右と上下の見越角を算出して高射機からの方位角と仰角に加算して高角用時限信管の起爆秒時と共に敵(的)の未来位置を砲へ伝達されていた。

 高射装置から送の射撃諸元はお馴染みの赤い親針の動きで各砲塔へ送られる、前部二基後部一基の計三基の副砲では砲塔ごとに一名の旋回手と各砲ごとに一名の計三名の仰角手が照準作業に当たっていて、目前に置かれた表示器上の赤い親針に自身の操作する砲の状況を示す白塗りの子針が重なる様に操作して行た、重なった状態が高射装置の指示通りの方向を向いていることを意味し、二の針が重なって始めて射撃が可能となるからである。


 やがて、作業に没頭していた岡本少尉が呟くように、そして安堵するように声を発した。

「捕まえました。」

「よし、よくやった坊主。」

 岡本が声に出すと同時に、表示機を覗き込んでいた宇田川はそう言って彼の仕事結果を称賛した。

 ウ式の表示機は二基、縦軸と横軸、つまり旋回角と俯仰角をそれぞれ表示すようになっていた、どちらもAスコープであったが現在その表示は目標がウ式が発信する電波の軸線上にいることを示していた。

 表示された距離は二三四(二三四〇〇メートル)をであった、作業に遅延は許されない距離である。

 彼は素早く指揮官用の計器盤上の各砲の状況を確認した、全砲の二本の針が重なっている事を見て、宇田川はブザーを短く二度鳴らした。


 ブザーが鳴るのは、艦上の三ヶ所、副砲塔の内部であった。


「装填!」

 各砲の装填手がレバーを引くと、これまで垂直になったていた装填架に収まっていた砲弾が架の上部を支点に持ち上がってゆき、やがて装填架が砲尾の装填口と面一になるとラマーが砲弾を素早く薬室に押し込みラマーが後退すると同時に薬室が閉鎖された。

「各砲装填よし!。」

 装填状況を示すランプを注視していた伝令兵が声を上げる、勿論同じものは指揮官席にも有るが二重で確認は基本だ。

 副砲は、副砲指揮所の高射機から送られていた射撃諸元に合わせて旋回が行われていて装填が終了する砲身に仰角をつけるために砲口を持ち上げた。

 これで全副砲は統制射撃を開始する為の最終段階に入ったのだが、同じ頃各砲塔内では次に備えた作業が行われていた。

 装填が終了し、再びもとの位置に戻された空の装填架には下層の弾薬庫から運び上げられた薬莢が装薬手の手で置かれ、次の瞬間には装薬手に変わって装弾手がその上部に15.5センチ砲弾を置き更に弾抑え(弾頭抑え)を起こして砲弾を上部から抑えるようにして固定した。この時、砲弾の先端に付く信管がその抑えの中に入るようになっているがそれが重要であった、実はこの抑えは装填架が移動する際に砲弾と薬莢の合わせ目がずれない様に抑えると同時に、高射盤から送られた信管の起爆秒時を設定する役目を持っていたのである。

 一般的に高角砲の砲弾は設定装置に差し込んで時限信管の設定を行うように成っていたが、帝国海軍の高角砲では装填過程で信管が設定できるようになってた、八九式や九八式では装填架を倒す時に砲弾先端が通る溝にその機構が組み込まれていた。

 本来、六〇口径一五.五cm三連装砲は通常の平射砲であった。軽巡洋艦として就役した「最上」型の主砲として開発された時には名称に三年式が有ったが、これは砲の薬室の閉鎖機構である尾栓の形式名である、これから判るのは同砲が薬嚢を用いる形式であることだ、砲弾とは別に絹の袋に装薬を詰めた薬嚢を用いる形式の砲では砲と装薬を分けて装填する必要があった、しかも装填時には仰角を緩めて装填位置へ戻す必要があった、当然これでは対空射撃に必要な迅速な連射が不可能であった、従って高角砲は口径の大小に関わらずほとんど例外なく薬莢式を採用していた。

 このため、六〇口径一五.五cm三連装砲では「草薙」型に搭載する際に高角砲化が図られた事で装薬の形式は薬莢式に改められていた、この改造により六〇口径一五.五cm三連装砲には「大和」型や「大淀」型に搭載された薬嚢型と「草薙」型や「矢矧」型に搭載された薬莢型存在することになる。

 しかし、一五.五cm砲ではその砲弾と装薬を充填した薬莢を合わせた重量は一〇〇kg近くなる、これでは機械装填式とはいえ連射するのは困難である、そこで、砲弾と薬莢を分離して別々に装填架に乗せそこで一つにして使用する形式を取っていた、これと同様の形式は米海軍の当時主力であったMk12 五インチ砲でも取り入れられており、連射速度維持に貢献していた(同砲では前述のように砲弾先端を信管設定装置に差し込んで信管の起爆時間を設定していたのでこの為の仕様でもあった)。


「艦長、通信室が敵信を捉えました。」

 防空指揮所で、通信室に繋がる艦内電話を持った電話員が声を上げた。

「友軍攻撃隊を誘導する先導機パスファインダーだな。」

 有川は、報告の通信をそう判断した。

 通常では、敵を逃さないためにも、又、友軍を誘導する為にも索敵機等が敵艦隊に張り付いて情報を刻々と送り続ける、状況不明の状態で攻撃するのは危険であるし非効率であるからだ、従って敵はマタ船団の状況を確認するために先行する機体を送り込んでいたらしい。

 今回は最初の発見以降は敵の通信が発信されていなかったがここにきて発信が始まったようである。

 もし先導機が最初から船団に張り付き様子を伺っていたとすれば、「三種」が船団より離れてのを見たかもしれない、そうでれば目論見が露呈した可能性があった、しかしながら二一号電探を稼働した段階で船団周辺には単機でも機影捉えられてはいない。

 ならば・・・。

「艦長、敵編隊間も無く二〇〇!」

 待ちに待った福音ともいえるその方報告を聞いた有川は、速水砲術長と一瞬安堵の表情を浮かべて顔を見合わせると間髪入れずに命令を発した。

「副砲、左一斉打ち方始め!」

「うちーかたはじめ!」

 後部副砲指揮所の電話員が防空指揮所の艦長からの命令を伝えると、宇田川は素早くそう指示してブザーのスイッチを押した。

 宇田川が鳴らしたブザーは短く三回、これは副砲発砲の警告であり、副砲の発砲時に発生する衝撃波で艦上の乗組員が被害を受けることを避ける為であった。

 本来、こうした措置は戦艦の主砲発射時がよく知られているが副砲の砲口径が一五.五センチと中口径ながら六〇口径の長砲身の為、発射時には強力な衝撃波が発生させる、従ってこの様な措置が必要であった訳である。

 艦上ではこの単のブザー音が鳴っている間に艦内に退避す有るなどの行動が指示されていて、耐爆覆いが施されていない機銃座の要員たちは急い退避所へ身を隠した。

 そして、宇田川は一拍呼吸を置いてもう一度ブザーを鳴らした。

 今度は長くだ。

 そして、それが鳴りやむと同時に高射機の仰角手兼射手席についていた上等兵曹が叫んだ。

「てーっ!」

 同時に彼は高射機に取り付けられた銃把型発射装置の引き金を引いた。


やっと戦闘開始です、お待たせしました。

対空戦闘のプロセスを記した話と言うのは意外に少なくて、高射装置の描写はまずありません。

ですので、私の創作部分が相当入っています、私の世界の話と言う事で了承ください。


で、あと一話で完結させたいと思っています、今度は米軍視点で、いけたら良いな(^^;

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