八坂激闘譜 閑話 或る米砲術士官が見たソロモン海戦Ⅱ−Ⅳ
少し際どいタイミングですが何とか間に合いました。
八坂激闘譜完結です。
八坂激闘譜 閑話 或る米砲術士官が見たソロモン海戦Ⅱ−Ⅳ
戦争の終結、それも我々の勝利で終わったのであるから喜ぶべき事柄であるが、何故か私はそれを素直に喜べなかった。
それと時を同じくして訃報も飛び込んできた。
それは第三次ソロモン海戦以来、何かと縁の有ったウィリス・リー中将(1944年に昇進)の死去の報であった。
死没日は8月25日、戦争終結から僅か10日後の戦艦アイオワの艦上で死因は心臓発作であったと伝え聞いている。
享年57歳は、あまりに早すぎる死であった。
気が付くと自分は84歳になっていた、リー提督や戦死した戦友たちだけではなく戦友や友人たちももう多くは残っていなかった、そう考えると自分だけが長生きしてしまった気がして気が重くなる。
しかし、心配そうに自分を見つめる孫娘の姿を見れば、生き過ぎたのも決して悪い結果では無いとも思えた。
「おじいちゃん、大丈夫?
ママを呼ぼうか?」
黙ってしまった私の様子を具合が悪くなったと勘違いしたユキは、そう心配そうな表情を浮かべ言葉を添えてくれた。
だかから私はユキの頭を撫ぜながら。
「大丈夫だ。」
と、一言答えた。
「本当?」
「本当さ、病院なんてサッサと出てゆくさ。」
それでも心配そうな表情の孫娘に、私は空元気を総動員して務めて明るく答えた。
「誰が、サッサと出て行くですって?」
叱責と言うよりも呆れと言った成分が多めに含まれた言葉と供に部屋に入ってくる人影が有った。
「ハナ。」
「ママ!」
私とユキの反応は好対照と言って良かった。
嬉しそうなユキに対して、私のそれは如何にも医師を嫌う老人のそれだった。
「最低一週間は入院と治療が必要です、先日もそう言いましたよね。」
「私を病人扱いしないでくれるかな?私のは只の風邪だ。」
「父さん、その只の風邪を拗らせて肺炎に成った挙句、ここへ担ぎ込まれたのは何処の誰ですか?
私は医者として根治を命じます。」
医師として毅然とした態度で語るユキ対して、私はそれでも真っ向から反論しようとしたが敵は譲る気配がなかった。
ハナ、ハナエの顔付きや雰囲気は女性にしては骨っぽい厳つさが有ったからこうして面と向かって言われると反論のしようが無かった。
いったい誰に似たのか?いや、この性格も外見も私に似たのだ。然しながら不思議なことに、その娘であるユキは母親(ユキにとっては祖母)である妻のエレンに似ているのだから隔世遺伝と言うのは確かに有るらしい。
「もし私の指示に従えないのであればジャックに頼んで病室の入り口を閉鎖してもらいます。」
「か、海兵隊をか?」
「当然です、パンデミックの恐れがあるとでも言っておきますから問題有りません。」
「ハナエ・・。」
「ですから大人しくしていて下さい。」
ハナが口にしたジャックは彼女の夫で海兵隊大尉と言う地位にあった。厳つく男勝りな彼女も彼から見れば愛らしい女性だ、と言う言葉を聞いたことが有る。
「それより、お客さんが見えていますよ、お父さん。」
私が反論できないのを確認してハナは本来の要件を口にした、どうやら見舞い客を案内してきたらしい。
「もう宜しいですか?」
「ええ、どうぞ入って下さい。」
少し癖の有る英語は聞き覚えが有る懐かしい声を伴っていた。
ハナの影から出るように小柄な老人が病室内へ入ってきた。
昔から変わらない真直ぐと伸びた背筋、今は真っ白と成った頭髪は未だに豊かで丁寧に整えられていた。
足取りは流石に老いが感じられたが、杖を片手にしっかりととした歩みで私の寝るベットへ近づいてきた。
「何だ、元気そうじゃないか。
てっきり葬儀の準備が始まっていると思って急いできたのに。」
「ぬかせ、お前さんより先には逝ってたまるか。」
そんな憎まれ口に憎まれ口で応えたが、彼はベットの側まで来ると私の手を取った。
「お前さんが生きていてくれて良かったよ、ハリー。」
「すまんな、ナオ。わざわざ来てくれのか?」
私は古い友人、ナオ・アリカワの手を握り返した。そう言えば私をハリーと呼ぶ友人も今は少なくなってしまった。
戦傷と戦争の終結で私は海へ再び出る機会を逸してしまうこととなった。しかし、思いがけないことに終戦より2年後の1947年に急遽日本行きを命じられ、日本へ向かう事となった。
当時、日本はポツダム宣言の受諾に伴い武装解除が行われ艦船の多くが戦勝国へ賠償艦として引き渡されていた。
その殆どは日本国内や引き渡し後スクラップにされるか海没処分と成ったが、幾つかの艦艇は引き渡し先の海軍へ編入されて戦力と成った。
私が派遣されたのは巡洋戦艦「クサナギ」型の末妹である4番艦の「ミグサ」を受け取るためであった。当時の日本では戦後のどさくさを利用して浸透した共産勢力によるとみられる占領政策に対する妨害が頻発しており「ミグサ」の引き渡しにも同様の妨害が行われるとの懸念から、急遽派遣された応援要員であった。
呉沖に係留されていた「ミグサ」へ長旅の末に辿り着いた私を迎えてくれたのが、「ミグサ」の初代にして最後の艦長であるナオシゲ・アリカワ大佐(当時、既に軍が解体されていたために通称である。)であった。
当初は、勝者敗者と言う立場や文化、言語、軍の在り方の違いから衝突することが多く、私も一度アリカワと殴り合いに成りそうになったが、小柄ながら柔道の有段者である彼に意図も簡単に投げ飛ばされたる結果と成った。
しかしながら、勝者である彼が直ぐに謝罪したことから事からそれ以上に事は広がらずに逆にその武術に興味を持った米兵が日本兵に教えを請いたことから交流が広がりその中で共産勢力の妨害工作も未然に防ぐことが出来た。
以来、私とアリカワはナオ、ハリーで呼び合う仲と成り、その後私が日本の海上自衛隊が発足後に幹部候補生学校への連絡要員として派遣されたことから家族ぐるみの付き合いと成っていた。
蛇足であるが、前述の私の次女にハナエと言う日本風の名を付けたのがナオである。
「あっ、リック!
久しぶり!!」
ユキは見舞い用の花束を持ってナオの影で様子を伺っていた少年に気が付き駆け寄った。
「やあ、ユキって、違う!
僕は陸!リックじゃ無い!!」
ユキがリックと呼ぶナオの孫のリクは、ユキよりもひとつ上の16歳、普段はナオに似て物静かな少年だった。
「陸、ここは病院だよ、静かにしなさい。」
「はい・・・。」
大きな声を出したことをナオに窘められて、理不尽だと言いたそうな表情を一瞬浮かべたがすぐにそれを消して頷き、手にしていた花束をハナに渡した。
「ありがとうリック君、さあユキ、リックくんカフェに行こうか。」
気を利かせたハナが花瓶を探しがてらユキとリクくんを階下のカフェに連れ出してくれた。
「大きくなった、リク。」
「それを言うならユキちゃんもだろ?」
「あれはまだ本当に子供だ、別に急いで大人になる必要は無いがな。」
「そうだな。」
ナオは、私の言葉に頷きながら今までユキが座っていた椅子に腰を下ろした。
「あれから5年か。」
「・・・ああ、5年だ。」
「よく育てものだ、お前さんたちは。」
「そうだな。」
リクの父親はナオの長男だった、その長男夫妻は5年前に乗り合わせた旅客機事故で亡くなっていた、ナオとその妻は残された孫を引き取って育てて来たのだ。
息子夫婦を失い、孫を代わりに育てる。それは言葉にすれば簡単だがそれを行うのは簡単ではない。
祖父母は心身ともに老いている、孫との世代間のギャップは小さなものではない。当時すでに70代の後半に達していたナオ達夫婦は苦労してリクを育て、リクもまたその祖父母の苦労に応える様に温厚でありながら芯の強い少年に育った。
ナオたちは良い、息子夫婦は失われたが孫が託されたのだから。
私たち夫婦にはエディーからは託されたものは何も無かったのだから。
私たちの次男エドワード・ノックスはどちらかと言えば大人しい子だった。運動は苦手では無かったが皆とベースボールをするよりも本を読む方を好むそんな子だった。
しかし、ハイスクールを卒業したエディーは空軍へ入隊しパイロットへの道を歩んだ、彼はやがて戦闘機パイロットと成り、ベトナム戦争でF-4ファントムⅡを駆ることなった。
だが彼の戦歴はインドシナで突然終わりを迎えた、彼の操縦するF-4が対空砲火で撃墜されたのだ、皮肉な事に彼を撃墜し死に至らしめたのはアメリカ政府が供与した南ベトナム政府軍のボフォースの40mm機関砲であった。
24歳で戦死したエディーは未婚であったので私達夫婦に残されたものは僅かな遺品と思い出と後悔の想いだけであった。
「それで、今回はどうしたんだ?
私の見舞いに態々サンディエゴまで来た訳ではないだろ?」
「ああ、今回はアメリカ海軍からの要請でな。」
私の問いにナオはそう言いながら持っていた鞄から書類のコピーを出すと私に寄こした。
「なるほど、ハワイが退役か。」
私はその書類の文面を呼んでため息交じりにその言葉を口にした。
「仕方がないだろうな。
船体そのものはアイオワ級よりも古いんだ。
限界と言っても良い。」
ナオはそう言いながらも寂しそうに笑い、「よく頑張た。」と言い加えた。
「そう考えると、彼女もまた戦友と言う訳か。」
「そうだな。それでだ、退役後はハワイの真珠湾に記念艦として残される、その時に展示する日本側の資料を纏める関係で私が呼ばれた訳だ。」
ナオはそう言って今回の訪米の理由を説明してくれた、確かにハワイの日本での資料を纏めるのにナオ程適任者は居まい、何故ならば彼はかつてその艦の艦長だったのだから。
BB-67の艦番号を持つ戦艦ハワイ、元は大型巡洋艦アラスカ続くCB-3の艦番号を持っていた。
然しながらハワイは当初計画されていたアラスカ級大型巡洋艦の3番艦ではない、番号だけ見るとそう見えるのは、ハワイが建造中止と成ったアラスカ級3番艦の艦名と番号を引き継いだからである。
ハワイの生まれ故郷は日本の呉、その海軍工廠のドックであった。
ここまで語れば多くの人は気がつくと思うが、ハワイの前身は日本海軍の巡洋戦艦(日本では装甲巡洋艦と類別)「クサナギ」型の4番艦「ミグサ」であった。
そう、戦後間もなく私が日本に赴き譲渡に立ち会ったあの巡洋戦艦である。
当時、各国の軍隊は戦争終結に伴って拡大した軍隊の規模を縮小し、余剰と成った兵器の削減を行っていた。それは我が合衆国軍も例外ではなく、軍の規模の量的縮小を図っていた。ここで量的と書いたのは、既にこの時点で東側(共産主義陣営)との対立が避けられない状況になりつつあったために、国家の財政破綻を避けつつ戦力を維持する為に量的な縮小と並行して質的な維持、若しくは向上が必要と考えられたからである。
この方策に従う形で海軍は賠償艦として譲渡されたメールシュトームの末妹である「ミグサ」を自軍に合わせる形で改修して、建造中止のアラスカ級大型巡洋艦の準じる形で戦力化を企図した。
呉からハワイへ回航された「ミグサ」は、その後ノーフォーク海軍工廠へ移されてそこで改装が行われた、しかし世界情勢は余裕のある改装を許さなかった。
改装の上に於いて極東方面での緊張が高まった為に最低限の艤装、武装の搭載とその指揮装置の設置に留めてそれ以上の改装は日本へ回航して生まれ故郷の呉で行われる事と成った、実際にノーフォークを出港した時の「ミグサ」改めハワイの武装は、主砲としてアラスカ級の50口径30.5cm砲3連装3基、副砲にウースター級の47口径15.2cm両用砲連装2門を流用し、対空火器はボフォース40mm機関砲連装8基とすべて既存のを搭載しての就役であった。
朝鮮戦争に於いて対地攻撃に予想以外の貢献をしたハワイは、朝鮮戦争の停戦後に再びノーフォーク工廠へ戻されて上部構造物の一新と機関の換装をを含めた徹底した改装が行われた。外見上の特徴は、これまで塔のように聳え立っていた艦橋構造部がアメリカ海軍の特徴である箱型に変わり、艦橋後方にはレーダーのアンテナやFCSが設置された塔型のマストが立てられ、アラスカ級に準じる上部構造の形状と成っていた。
改装終了後の大型巡洋艦ハワイは、アラスカ級が舵の利きの悪さと船体の強度不足など問題が吹き出す形で早まったのとは対照的にその後も機動部隊の対空護衛艦艇として艦隊に留まったが、ベトナム戦争終結と共に退役とされノーフォークでモスボールとされたが、その後レーガン政権下において現役復帰と共に電子装備の一新と対空火器の換装、対空対艦ミサイルとそのコントロールシステムを搭載され類別もCG・ミサイル巡洋艦とされたが直ぐにBB・戦艦へと変更された。
こうして退役と復帰を繰り返してきたアイオワ級戦艦とは対照的に、ベトナム戦争後の一時的退役を除き常に機動部隊の守護神で有り続けたハワイであるが、艦体その物はアイオワ級戦艦より先に建造された年代物である、実際に1990年代に入ると老朽化が目に付くことに成り故障や修復が必要な事案も増えていた、既に海軍は強力な打撃力を有する原子力空母を中核とする機動部隊=空母打撃軍とロサンゼルス級に代表される原子力を動力とする攻撃型潜水艦とSLBMを搭載する戦略ミサイル潜水艦を主力とする艦隊へと変質していた。
もはや大艦巨砲主義の権化のような戦艦は既に無用の長物と化していた、その結果である。
海軍は本艦を艦体の老朽化を理由に1990年末での退役を決定、以後は記念館艦として保存されることが決定した、とナオの持ってきた書類には記されていた。
「そうか、ハワイが退役か。
お疲れ様と言うべきだろうが・・・。」
「ハリー?」
そこまで言って、何か胸に込み上げるものがあった。
おそらくナオも同様であっただろう、彼もまた神妙な顔付きで私を見ていた。
「ならば、戦友の晴れ姿を見に行かねば成らないな。」
それは涙ぐんだことへの照れ隠しでもあったが、私は敢えて明るい口調でそう言った。
嘗て敵国で建造され「ミグサ」として我々と戦い、その後に我々のものとなって共に戦ったハワイ、運命に翻弄されたがしぶとく生き残ったその艦が遂に軍務を終えて我々と同じ様に退役するのだ、祝ってやらなければ成らないだろう。
私は存命の筈の嘗ての関係者の名をピックアップしてその式典に花を添える構想を描いた、勿論ナオも同様だ、彼もまた同じ様に日本の関係者に働きかけるつもりでいたようだ。
しかしながら、その祝の席は思いがけず待たされる結果となった。
1990年8月2日、イラク軍が隣国クウェートへ侵攻、翌年の1991年1月17日にアメリカ・イギリスを中心とした多国籍軍がイラクへの攻撃を開始した。
俗に言う湾岸戦争の勃発である。
この戦争で1990年末で退役予定であったハワイは、ペルシャ湾へ派遣された第7艦隊の空母機動部隊の構成艦として艦隊に同行することとなり退役は延期されることとなったのだ。
前書き書きましたように、八坂激闘譜もこれで完結です。
色々盛り込みすぎて整理が大変でしたが何とか終わりまで書けてホッとしています。
しかし、断証はこれで終わりでは有りません、少し時間を頂いて次の作品に手を付けたいと思っています。
今回の話は私には珍しく女性が出ています、それも二人も!
そう言った点も含めて感想や意見を頂けると励みに成ます。
また誤字脱字や間違い等が有りましたら感想の方へ書き込んで頂けると助かります。
それでは次回作をお楽しみに。




