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南溟の断証(ゴリアール)  作者: 雅夢
第一章 八坂激闘譜
14/42

エピローグ

少し間が開いてしまいましたが、八坂激闘譜は一応これで完結です。


八坂激闘譜 エピローグ


 搭乗口のハッチを抜けると南国特有の蒸せかえる様な空気が私を迎えてくれた。

 時刻は、現地時間で14時を過ぎたところで、日差しも容赦なく照りつけタラップを降りるだけで、暑さに慣れない私の身体は大量の汗を噴き出していた。

 汗を拭きつつタラップから大地に降り、振り返るとロイヤルブルーに5つの星を配した国旗と同様の図柄を垂直尾翼に描いたボーイングの737旅客機からは次々と当乗客が降りてきていた。

 その多くは現地の人間で出稼ぎか何かの買い出しらしく大きな手荷物を片手にこの日差しの中、平気な顔でいた。

 ここはかつての激戦の地、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場基地、現在はヘンダーソン国際空港と命名されていたが、どう見ても田舎の飛行場であった。

 何しろ日本の成田国際空港からオーストラリアのブリスベーンを経由してここヘンダーソン国際空港まで飛行時間で計12時間、途中の乗り換えで5時間の待ち時間を要するなど非常に時間が掛かる上にその飛行機の便も週に2便程度と言う失礼な言い方だが「僻地」であった、我らの先達はどうしてこんな所までわざわざ出掛けて来て戦争をしたのか疑問に思わなくはなかった。

 幸いにも私達は先日ブリスベーンで1泊してのガ島入りなので体力的には余裕が有ったが、それは同行者の体調を考慮しての日程だった。

「お疲れ様です、体調は如何ですか?」

 同行者、と言うよりも今回の主賓である老人は七〇代も半ばを過ぎたというのに平然とした顔で杖を突きつつ周囲を見回していた。

「ここがルンガ飛行場ですか・・・。」

 ヘンダーソン飛行場が日本軍の手で造られた当時の名称を口にして、懐かしいと言うには複雑な表情を浮かべた老人はそう言うと再び黙したまま周囲を見回していた。

「流石に着弾孔は有りませんね。」

「まあ、40年も経っていますから、

 それでも大きなものは幾つか跡が判るそうです。」

 そうここ、嘗てのヘンダーソン飛行場には43年前のテ号作戦の際に当時世界最大の戦艦「大和」の46センチ砲弾含めた大小の砲弾が多数降り注いだそうで、その後はまるで月面のようであったと言われている。

 しかし、その穴だらけの大地も40年の歳月を経て、当地が雨が多いことも有ってその痕跡を洗い流しその姿を消そうとしていた。

 それでも事前に聞いた現地のガイドの話によれば、幾つかの条件により巨大な、恐らく46センチ砲弾のものと思われる着弾孔が今も数個残り、中には現在も貯水池等として使用されているものも有ると言う話であった。

「有川さん、入国手続きが有りますので行きませんか。」

 それでも辺りを見回している有川氏に、私がそう言って移動を即すと同行の大学生らしい若者は安堵の表情を浮かべた、有川氏の孫と聞いた青年には旅の疲れが克明に現れていたのだ。


 如何にも田舎の空港と言う作りのターミナルで入国手続きを済ませソロモン諸島へ入国すると受付カウンターの向うには今回合流する予定であった面々が顔を揃えていた。

「ヘイ!ナオ、こっちだ!」

 有川氏の姿を確認すると同年代と見られる白人男性が大きな声で有川氏の名を呼んだ。

「やあ、ハリー元気そうですね。」

「元気なものか、最近は君らにやられた右足が痛くて困る。」

 有川氏の挨拶にノックス氏は流暢な日本語で答えてくれた。

 確かに動きが悪くなった右足を庇い杖を突きながらも歩み寄ったノックス氏と有川氏は固く握手を交わして世間話を始めた。

「ミスター・オオクボ、遠路はるばるご苦労だったな。」

 ノックス氏の後ろから姿を表した大柄な黒人が、如何にもアメリカ人らしい(日本人には大げさな)素振りで私の手を握ってきた、彼はリチャード・ベイカー氏、彼も私と同じ「Historical War Ships」の編集員であった。

 今回、ベイカー氏と私はアメリカ版(正しくは米語文化圏向け)と日本語版の編集部の合同企画として、ノックス氏と有川氏に同行してガダルカナル島まで出向いて来たわけだ。

 勿論ただの紀行企画でこの様な南海の小島へ来たわけでは無い。

 今回、何故に合同企画としてこの島へ来たのか?

 

 その目的は『慰霊』であった。


 ガダルカナル島の島内と周辺の海域には未だに多くの戦没者の遺骨が残されており、また艦船や戦車等の兵器の残骸、遺構も多く残っている。

 今回の企画では、その嘗ての激戦の爪痕が残るこの島へ、現地で戦った経験を持つ日米の将兵の方に同行頂き共に亡き戦友の霊を慰めるとともに、当時の記憶の一部を語っていただくことが目的だったのだ。

 実はこの企画、有川氏とノックス氏の方から提案が有った企画でした。

 以前より両名は実際に砲術士官として太平洋戦争を戦った経験者として多くの体験記や検証記事などの寄稿文を本誌に寄せており、今回太平洋戦争終結40年を記念する企画として両名は慰霊紀行とその随行記事の掲載を提案してきたのである。

 年齢を考えれば両名が揃ってガダルカナル島を訪れる最後のチャンスと言えた。

 同じく終戦40年の記念特集を企画中だった日米両編集部はその企画に乗る形で採用し本日に至るというわけなのである。

 入国後の諸々の手筈を整えてくれていた現地ガイドのハルタ氏と彼に同行していたノックス氏の孫の青年と合流して、我々はこの島でのベースと成るホテルへ移動した。

 飛行場から車で15分という首都ホニアラ中心部に有るホテルは、海岸も一望できる快適な造りの建物でよく冷えた空調が嬉しかった。

 その日は旅の疲れも有ることから、ホテル内で今後の日程の打ち合わせをハルタ氏と行いそのまま夕食と成った。

 ホテル内のレストランで、食事を楽しんだ後、我々は三々五々部屋へ戻ったが、気がつくと部屋の前は海に面したテラスと成っていて、籐編みの椅子とテーブルが置かれていた。

 私は部屋のバーからビールを持ち出すと夜風があたる椅子に腰掛けるとビールを口に運んだ、

「おっ、此方だったか。」

 同じように相部屋のベイカー氏がビールを片手に現れ椅子に向かいの腰を降ろした。

 二人は無言で、ビールの缶を軽く合わせると煽るように缶を傾けた。

「何とも妙だな、あの爺さん達は。」

 空に成った缶をテーブルに置くとベイカー氏はそっと視線を階下のプールへ向けた。

 彼が指し示した先はプールサイドの設けられたラウンジだった、そこにはベイカー氏の言うところの爺さん達がグラスを傾けながら談笑する姿が見えた。

「何処がです?」

 私は未だ飲みきれないビールを口に運びながらそう答えた。

「昔は殺し合った筈なのに今は旧友の様に語り合っている。

 孫達もそうさ。

 何か奇妙に思えてな。」

「ミスター・ベイカーは他の退役軍人に会ったことは?」

「おいおい、仕事仲間なんだ、ミスターは止めてくれ。

 そりゃ仕事柄何人もあるさ、日米、いやドイツやイギリスの爺さん達にも会ったな。」

「それでどうでした?」

 私は彼の話に興味が湧いて話の先を即してみた。

「それが一部の例外を除けば、等しく敵兵は憎んでも目の前のこいつは関係ないみたいな事言うんだ。

 中には、死闘を繰り広げた相手と再会できて涙を流しながら無事を喜んだり抱き合ったりしていたな。」

 そうした例には私も立ち会ったし貰い泣きした事も有った、だからリチャード同じように❝何故❞と思ってはいたのだ。

「彼らのとっては、戦争が終われば敵兵もまた戦友なのでしょうか?」

「かもしれんが、戦争の経験の無い俺達には解らん話かも知れんな。」

 既に3本目と成るビールに口を付けながら、リチャードはそう言うと改めて談笑する老人たちに視線を戻した。

 アメリカ合衆国でもベトナム戦争が終結して10年、戦争を知らない世代は存在した、然しながら冷戦が継続している以上、準戦時態勢とも呼べる国の在り方は変わらない筈だった。

「冷戦が終わったら、アメリカ人はロシア人と友人に成れると思いますか?」

「さあな、ただハッキリと言えるのはこうして元敵兵であっても戦友といえるのは、互いの国の威信や意地を背負って剣を交えた相手、拳で語り合った相手だけじゃないか?」

「戦わせた相手、つまり指導者に対してはそうは言えないかも知れませんね。」

 さて、寝るとしよう。と言いながらリチャードは腰を上げるとふと海を見ながら言った。

「だからかな、戦争なんて馬鹿らしい、って言うのは。

 殺し合った相手でさえも、別の時、別の場所で会えば気の合った仲間になれる。」

「この旅で、その辺は解るかもしれませんよ。」

 それは私も同感だった。


 翌日、朝食を済ませるとハルタ氏の先導でホテル前のマリーナからチャーターした船に乗り込みました。

「皆サン揃ッテ居マスネ。」

 メンバーを確認すると、ハルタ氏は岸側のスタッフにロープを解かせた、その様子を確認した船のスタッフはトランシーバーで何やら伝えた。

 やがてアイドリング状態だったエンジン音が高まって船が岸から離れると、次第に速度が上がり始めた。

 船は最初海岸沿いを進んで、ホニアラの西、タサファロング沖で北に針路を取ると更に速度を上げた。

 私達が乗った船は、普段はダイバーを潜水ポイントへ運ぶの使う大きめの船で船内にはメンバー全員が余裕で入れるキャビンも有って、ハルタ氏と彼のスタッフがお茶やコーヒー、ビールなどを用意してくれていた。

 言い忘れたが、ハルタと言うと日系人の様に思われるかもしれないが、彼は純粋なメラネシア人である、偶々姓が日本人ぽいところから以前からよく日本人にガイドを頼まれるそうで、気がついたら今では殆どが日本人関係の仕事と言う話だった。

 彼自身も勉強熱心で独学で日本語を学び片言ながら意思疎通に問題ないほどには話せるのと、現地人らしく現地の事情に精通している彼の存在はこの島を訪れる日本人にとっては有り難いものであった。

 船がコースを北に変えてサボ島の西海上に出ると海流の影響か船の揺れが大きくなってきた、私はコーヒーを片手に朝食後に飲んでおいた船酔いの薬の効能に感謝しつつキャビン内を見渡したが、そこでと二人の老人がキャビンに居ないことに気が付いた。

 キャビン後方のハッチから出ると、そこは船の後部デッキだった、本来はダイビングなどに使うこの船は船尾側にボンベなどの潜水具を置く広めのデッキを持っていた。

 そこには多目的で使えるベンチも置かれて、そこへ座ればユックリと周囲を見渡すことが出来る、そんな構造になっていた。

 しかしながら、私が探していた二人の老人は、ベンチに座ること無くデッキの左舷側に立っていた。

 じっと見つめる彼らの視線の先は、激戦の海域、鉄底海峡の西端に位置するニュージョージア海峡の入り口にも近いサボ島西海域だった。

 ニュージョージア諸島とサンタイサベル島の間に位置する海峡に至る海は第三次ソロモン海戦第三夜戦に於いて二人が乗っていた装甲巡洋艦「八坂」と戦艦ワシントンが死闘を繰り広げ、力尽きた「八坂」が眠る場所でもあった。

 私は彼らにキャビンに降りて身体を休めるように言うつもりだった、しかし、その二人の姿を見て、いや、彼らの纏う空気を感じて私は何も言えず同じように立ち尽くしていた。

「あそこに、お前さんの艦と仲間が眠っている。」

「ああ、やっとここへ来れた。」

 その声は年のためではなく、何かこみ上げてくるもので震えている気がした。

「あそこだけではない、この海で島で、多くの戦友達が君ら連合国軍の手で命を散らせて行った。」

「ああそうだな、だが同じように合衆国と同盟軍の兵たちも多くがここで失われた。」

「彼らは何の為に戦い死んでいったのか、

 なあハリー、彼らの魂は安息を得ただろうか?」

 二人は静かに語りながら、その視線は多くの仲間たちが眠る海から離せないで居るようの見えた。

「何時まで、そうやった眺めて居るつもりかな?」

 急にそう言って有川氏が振り向いた、どうやた立ち聞きしてのに気がついていたようだった。

「風が強いのでキャビンに入られるように呼びに来たのですが・・。」

「それはすまなかったな。」

 ノックス氏はそう言って微笑んだが、そこを動こうとはしなかった。

「殴り合いでもするのではないかと心配だったかね?」

 少し戯けた口調でノックス氏は言ったが、その目は笑ってはいなかった。

「それは・・・。」

「安心したまえ、殴り合いなんぞは40年も前に終わらせとるよ。」

 そう補足したのは有川氏の方だった、生真面目な老人には珍しく茶目っ気のこもった物言いに私は思わず聞き返した。

「40年前?」

「そうだ、40年前だ。」

 有川氏に合わせるように何時もの陽気な老人に戻ったノックス氏だったが、その後で直ぐに険しい表情に戻って説明をしてくれた。

「40年前、戦争に負けた日本海軍は終戦後に生き残っていた戦闘艦を連合国側に引き渡すことに成った。

 その中には「クサナギ」型装甲巡洋艦の4番艦である「ミグサ」も有った、私は当時第三次ソロモン海戦での戦傷により兵学校で教鞭を取っていたが、引取要員に選ばれて日本にやって来たのだ。」

「私は、終戦時に「三種」の艦長だった事から、引き渡しの責任者を任されたのです。」

「それでナオと出会った訳だ、呉の沖の海上でな。」

「そう、引き渡しの式典だったな、ハリー。」

 二人の口から聞いたのは公式な文章には記されることのない生の歴史の断片だった。

「しかし、それでどうして殴り合いに成るのですか?」

「勿論、いきなり殴り合いという訳では無いよ。

 引渡後に日米の乗員で「三種」をハワイまで回航しなければ成らなかったのだが・・・。」

「そこで何か問題が?」

「直前まで刃を交えていた相手だ、何が起きても不思議では無いだろう?」

 半ば諦めの表情を浮かべてノックス氏が話を引き継いだ。

「怒り、憎しみ、後悔、その他諸々の感情を皆が心の奥底に隠して持っていたのです。

 当初はそれでも命令ということが有って、そうした感情を押し殺してきていたのですが・・・。」

「それが爆発したと?」

「まあ、そんな具合だ。」

 悲しげに説明をする有川氏とアッケラカンと語るノックス氏の表情は対照的だったが、同時に時折見せる此方が萎縮してしまうような鋭さはそ二人に共通していた。

「一言で言えば、気に入らない、と言うべきでしょう。

 相手の存在を認められない。」

「そんな状態なのに、一緒に航海に出なけりゃいけない、

 だから、些細なことからでも口論になる、しかも双方相手の言語は正確に理解出来ないと来ているから終いには、手と足の出番と成る訳だ。」

「喧嘩騒ぎが日常化していたと?」

「そうだな、だがより深刻なのは、その相手が日米の兵の間だけでは無かったことだ。」

「それは・・・?」

「日米の兵の間だけでなく日本兵同士、米兵同士と言う事例も頻繁に有ったのさ。」

 そう説明するノックス氏と有川氏は悲嘆にくれる表情を浮かべていた。

「当時の兵たち、勝者敗者、日米の区別なく皆が内に溜め込んだ思い、その根深さと複雑さ、そして如何に心を病んでいたか窺い知ることが出来るの事例ではないかと私は思う。」

 その後語ってくれた二人の喧嘩のエピソードは、何が原因か忘れてしまうほど些細であったと有川氏は語っていた、それでも口論となった二人は次第にエキサイトし最後には殴り合いと成ったのだが結局、取っ組み合いの喧嘩と成ることもなく終わったと言う話だった。

「殴りかかった俺はナオに投げ飛ばされたんだ。

 頭一つ背の低いナオが俺を軽々と投げ飛ばしたんだぜ、信じられるか?」

 ノックス氏はそれを引き継いで、何故か投げ飛ばされた本人が自慢気に投げた相手の武勇伝を語ってくれた。

「それで喧嘩は終わりさ。

 ナオ、お前さん俺を投げ飛ばした後でなんて言ったか覚えてるか?」

「『すまん。』だったな。」

「そうだ、喧嘩に勝っておいて『すまん。』なんて謝る奴は初めてだった。

 だから俺は日本人に興味を持ったのさ。」

 大柄な白人に殴り掛かられそうになった時、有川氏は咄嗟に腕を取り一本背負の要領で投げ飛ばしたそうである、氏は士官学校時代に柔道の教練を受けており思わずそれが出たとも語っていた。

 切っ掛けは至極単純であったノックス氏は語った、この時初めて双方は同じ目線に立って互いを見たと有川氏は語った。

 以来二人は胸襟を開いて語り合う仲と成ったと言い、最初は同じ砲術士官として共通の話題から始まった会話は次第に私的なものとなり、やがて互いが自分だけではなく相手も同じように過去に背負った傷に苦しみながらも向かい合っていたのだ、と理解したという。

 その後、ノックス氏が新たなに創設された海上自衛隊学校へ砲術の教官として来日したことも有って、両氏の交友は今日まで続いていたそうである。


 気がつくと、船はエンジンを止め速度を落としやがて錨が投じられて停止した。

 そこは、装甲巡洋艦「八坂」が眠る海だった、いやそれだけでは無い。その夜だけでも日本側で重巡洋艦「衣笠」が、米海軍側でも重巡洋艦のペンサコーラとノーザンプトンの二隻と多数の駆逐艦が沈められており、ノックス氏の乗っていた戦艦ワシントンも沈没こそ免れたものの艦橋を直撃されて艦長のデイビス大佐をはじめとした多くの乗員が戦死していた。

 そして、その夜に限らず、ガダルカナル島を巡る戦いでは鉄底海峡の異名がある様に大小無数の艦艇がこの海に沈み、多くの将兵がこの水底に眠っていた。

 正しくそこは、その南溟の海はそれ自身が多くの魂の眠むらせる墓地その物だった。

 船が停止して暫くするとキャビンから両氏の孫と編集部のスタッフと現地ガイド達が出てきた。

 準備が整うと皆が船の舷側へ整列をした。

 勿論、カメラマンは別で彼らは景気の良いシャッター音を鳴らしながら写真を撮り続けていた。

 有川氏とノックス氏は列から一歩進み出て海に向かって敬礼をした。そして手にした酒瓶の栓を開けると中身を海に注いだ。

 有川氏の瓶からは透き通った清酒が、ノックス氏のそれからは琥珀色のウイスキーが芳しい芳香とともに南溟の海に流れていった。

「南溟の海に眠る英霊たちに、敬礼、礼!」

 有川氏がその歳に不釣り合いな程に大きな声で号令を発すると、元軍人のノックス氏と有川氏は敬礼をし、両氏の孫が抱えてきた花束を海に投じ、全員が黙祷を捧げた。


 錨を挙げエンジンが動き出すと、船は大きく円を描きながら向きを変え、この鎮魂の海に別れを告げる事た。

 老人たちは黙祷の後一度しっかりと握手をすると一仕事終えたと言った表情でキャビンへ入っていった、そこで彼らは孫も交えて近況を語り合い、旧友の消息などを情報を交換していたが、互いに世話になった友人や知人が故人となっている事に悲し気とも諦めとも見える表情を浮かべ涙を流していた。

 しかしながらである、やがてビールやジュースの注がれたカップが配られてガイドたちの音頭で乾杯が行われ、亡き友にその杯を捧げると老人たちはにこやかな表情で孫やスタッフ、現地ガイドたちと談笑を始めた。

 老人たちが慰霊に向かう時と思うと少し肩の荷が降りたように見えるが、同時にその分背中が小さくなったような気がしたのは私の思い過ごしだったろうか?

 結局、何故彼らが心の内に溜め込んだ怒り憎しみ悲しみなどの過去の諸々の想い、蟠りを捨て手を取り合えたのか。

 その問いに対する答えは、有川氏が語った言葉にあると私は思う。

「何故、敵を許せたのですか?」

 それは旅の中で私が有川氏に問うた言葉だった、この問いに対して氏はこう答えた。

「敵であった彼らを許した訳では有りません。

 彼らと話すうちに、彼らもまた我々と同じ様に心に傷を持ち苦しんでいた事に気付かされたのです。

 そして彼らのそう言った想いを認めた、自分たちと同じ、同類だと思えたです。」

 氏はそう語った後で、「今の若い方には理解し難いですかね?」とも語った。


「Historical War Ships」終戦40年記念特別企画

「ガダルカナル島 慰霊紀行より抜粋」


内容に関しては色々と意見があるかと思いますが、これは私の私感として読んで頂きたいと思っています、ただ色々な実録の戦記やドキュメンタリーでもこの様な形での和解や交流が書かれていることから完全に的外れでは無いと思っています。


 前書きで一応の完結と書きましたが、実際にはもう一話挿入する予定にしています。それが投稿できて次の話に行けると思っています。

 何時ものようにですが、意見・感想を是非お願いします、また誤字脱字が有りましたら感想の方へお願いします。

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