第六章:嵐のプレゼン、最初の激突
決戦の日、大手流通チェーン「ネクスト・マート」の本社ビルは、まるで要塞のようにそびえ立っていた。このプレゼンで好印象を与えられれば、全国の店舗への配荷が約束される。フロンティアにとっても、エンパイアにとっても、絶対に負けられない戦いだ。
プレゼンルームには、ネクスト・マートのバイヤーや役員たちが厳しい表情で顔を揃えている。詩織は、自分の心臓の音がマイクに拾われてしまうのではないかと思うほど、緊張していた。
「――では、まずフロンティア・ビバレッジ様より、プレゼンテーションをお願いいたします」
司会者の声に、詩織はすっと立ち上がった。隣に座るチームメンバーたちが、固唾を飲んで見守っている。大丈夫。私たちは、私たちの信じる道を伝えるだけだ。
「ご紹介にあずかりました、フロンティア・ビバレッジの水野です。本日は、私たちが提案する『次世代クラフトティー・結』について、お話しさせていただきます」
詩織は、あえてデータや数字から入ることをやめた。蓮に勝つためではない。自分たちの商品の本質を伝えるためだ。
「皆様は最近、誰かと心を通わせた、と感じる瞬間はありましたか?」
語りかけるような口調で、詩織はプレゼンを始めた。SNSでの繋がりは増えたけれど、リアルなコミュニケーションは減っていく。そんな現代社会の歪みを、詩織は自身の言葉で丁寧に紐解いていく。
「私たちが作りたいのは、単なる嗜好品ではありません。人と人が向き合うきっかけを作る、コミュニケーションツールとしてのお茶です。例えば、離れて暮らす親子が、故郷の味を懐かしむように。例えば、大切な友人と、ゆっくり語り合う時間のお供に。この『結』が、その中心にあってほしいのです」
詩織の言葉には、熱がこもっていた。それは、机上の空論ではない、彼女自身の願いだった。審査員たちの固い表情が、少しずつ和らいでいくのが分かった。好感触だ。詩織は、商品に込めたストーリー、厳選した国産茶葉の生産者の想いなどを、次々と語っていった。
三十分間のプレゼンを終えた時、会場からは温かい拍手が送られた。安堵の息をつく詩織に、チームメンバーが小さくガッツポーズを見せる。
手応えは、あった。
しかし、その自信は、次の瞬間、脆くも崩れ去ることになる。
「――続きまして、エンパイア・ドリンク様、お願いいたします」
入れ替わりで登壇した橘蓮は、先ほどの詩織とは対照的に、一切の感情を排した表情でマイクの前に立った。
「エンパイア・ドリンクの橘です。我々が提案するのは『The Craft Answer』。市場への、唯一無二の”回答”です」
彼のプレゼンは、詩織のそれとは全く違っていた。スクリーンに映し出されるのは、膨大なデータに基づいた市場分析、ターゲット層のペルソナ、詳細なコスト計算、そして圧倒的な流通効率を可能にするサプライチェーンの図。
「先ほどのフロンティア社様のプレゼン、大変感動的でした。素晴らしい”物語”です。しかし」
蓮はそこで言葉を切り、冷たい視線を詩織に向けた。
「物語だけでは、商品は売れない。売れなければ、誰の手にも届かない。それは、”物語”が存在しないのと同じことです」
彼の言葉は、的確に詩織のプレゼンの弱点を突いていた。いや、それだけではない。まるで詩織が語る内容をすべて先読みしていたかのように、詩織の『心をつなぐ』というコンセプトの”甘さ”を、冷徹なデータで完璧に論破していくのだ。
「フロンティア社がターゲットとする『孤独を感じる現代人』という曖昧な層に対し、我々は『都市部在住・30代・可処分所得500万円以上の、健康と自己投資に敏感な女性』と明確に設定。彼女たちが求めるのは感傷ではなく、具体的なベネフィットです」
「国産茶葉のストーリー性は魅力的ですが、安定供給とコスト面に大きな課題がある。我々は、世界中から最適な茶葉を調達し、最新の技術で最高の品質と最適な価格を実現します」
蓮の言葉は、魔法のように審査員たちを魅了していく。彼らの表情は、先ほどの温かいものから、ビジネスマンとしての鋭いそれに変わっていた。
そして、極めつけだった。
「ビジネスは、おままごとじゃない」
蓮は、静かに、しかしはっきりとそう言った。それは、最初の会議で詩織に投げつけられた言葉と同じだった。しかし、今日のその言葉は、何百倍も重く、詩織の胸に突き刺さった。
プレゼンが終わった時、会場は先ほどとは比べ物にならないほどの、熱のこもった拍手に包まれた。
結果は、言うまでもない。
「――両社ともに甲乙つけがたい素晴らしいご提案でした。つきましては、二次プレゼンにて、再度ご検討させていただきたく存じます」
『再検討』という言葉は、事実上、エンパイア・ドリンクに軍配が上がったことを意味していた。こちらの”情緒的”な提案に対し、彼らは具体的な数字での再提案を求めているのだ。
会議室を出た詩織は、力の抜けた足でよろめきそうになった。悔しい。完敗だった。廊下の向こうを、チームを引き連れて悠然と歩く蓮の背中が見える。
その背中は、あまりにも大きく、遠く感じられた。




