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最悪な再会のはずが、氷のプリンスな彼に胃袋も心も掴まれました~ライバルなのに、二人きりだと激甘なんです~  作者: 水凪しおん


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第四章:偶然の休日、暴かれる趣味

 週末。連日の激務と、橘蓮という存在にすり減らされた心を癒やすため、詩織は気分転換に神保町の古書店街を訪れていた。新しい企画のヒントになるような、古い茶葉に関する文献でも見つからないかと思ったのだ。

 入り組んだ路地裏、カビとインクの匂いが混じり合った独特の空気が、詩織のささくれた神経を少しだけ和らげてくれる。いくつかの店を巡り、目当ての本がありそうな、ひときわ古びた専門店の暖簾をくぐった。

 薄暗い店内には、天井まで届く本棚が迷路のように並んでいる。民俗学や歴史の専門書が中心のようで、客は詩織以外に誰もいないように思えた。軋む床をゆっくりと歩き、茶の歴史がまとめられた棚へと向かう。

「……あった」

 一番上の棚に、探していたものによく似た装丁の本を見つけた。しかし、背が高くない詩織には、どうしても手が届かない。どうしようかと困っていると、ふわりと、背後から馴染みのある、けれどここにあるはずのない香水の匂いがした。

 驚いて振り返る間もなく、すらりとした腕が詩織の頭上を越えて伸び、目的の本をいとも簡単に抜き取った。

「……これを探していたのか」

 心臓が跳ね上がるとは、まさにこのことだった。そこに立っていたのは、紛れもない、橘蓮だった。

 彼は、ラフな黒のタートルネックにジーンズという、いつもとは全く違う姿をしていた。完璧にセットされた髪も、今日は少しだけ無造作で、トレードマークである冷徹なオーラが嘘のように消え失せている。そのせいか、どこか印象が柔らかく見えた。

「た、橘さん…!? なんで、ここに…」

「それはこちらのセリフだ」

 蓮は少し驚いたように目を見開いた後、すぐにいつもの皮肉めいた表情に戻った。しかし、その声にはいつものような刺々しさはない。

「君こそ、こんな埃っぽい場所に何の用だ。デートの相手もいないのか」

「あなたこそ!」

 思わず言い返して、詩織はハッとした。彼の手に、一冊の分厚い本が握られていることに気づいたからだ。表紙には『日本古代における祭祀と植物』と書かれている。古い民俗学の本だった。

「……意外な趣味ですね」

 詩織がぽつりと呟くと、蓮は少し気まずそうに視線をそらした。

「……仕事の資料だ。合理的な戦略を立てるには、文化的な背景の理解も必要になる」

 早口でそう言う彼の耳が、ほんの少しだけ赤い気がした。氷のプリンスが、休日に一人で古書店巡りをしている。その事実が、なんだかおかしくて、詩織の口元からふっと笑みがこぼれた。

「何がおかしい」

「いえ、別に」

 笑いをこらえながら、詩織は彼が取ってくれた本に視線を落とした。それは『東洋喫茶文化の変遷』という、まさに詩織が探していた珍しい古書だった。

「…あなたも、お茶の資料を?」

「ああ。競合の動向は、徹底的に分析するのが俺のやり方でね」

 そう言って、蓮は詩織が探していた本をパラパラとめくり始めた。同じものに興味を持っていたという事実に、二人の間に少しだけ、気まずくない種類の沈黙が流れる。この沈黙は、少しだけ、京都の夜のそれに似ている気がした。

 しばらく本を眺めていた蓮が、ふと顔を上げた。その目が、まっすぐに詩織を射抜く。

「…そういえば」

 彼の唇が、ゆっくりと開かれた。

「あの夜、君も似たような話をしていたな。飲み物に、物語を乗せたいとか、なんとか」

 ドクン、と詩織の心臓が大きく鳴った。

 あの夜。

 彼は、確かにそう言った。京都の夜のことを、彼は覚えていた。気づかないふりをしていたのではなかったのか。それとも、今、思い出したというのだろうか。

 詩織が激しく動揺し、言葉に詰まっていると、蓮は核心に触れそうで触れない、その絶妙な一言を放ったまま、ふいと表情を消した。

「まあいい。くだらない感傷だが、君のその”物語”とやらが、どこまで通用するのか見せてもらう」

 そう言うと、彼は「この本は俺が買っていく」と一方的に宣言し、民俗学の本と一緒にレジへと向かってしまった。

 一人残された詩織は、その場に立ち尽くすしかなかった。

『あの夜、君も似たような話をしていたな』

 その言葉が、頭の中で何度も何度も反響する。彼は、一体どこまで覚えているのだろう。そして、なぜ今、その話をしたのだろう。

 彼の本当の心が、分厚い専門書のように、どうしても読み解くことができなかった。ただ、今日の彼は、いつもの『氷のプリンス』とは、少しだけ違う匂いがした。それは、古書のインクと、ほんの少しの優しさが混じったような、不思議な匂いだった。

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