第十九章:逆転のシナリオ
蓮の衝撃的な告白と暴露により、最終プレゼンの会場は、前代未聞の混乱に陥った。
「何を勝手なことを!」
「会社を、創業者を裏切る気か!」
エンパイア・ドリンクの役員たちが激高し、蓮に詰め寄ろうとする。警備員が慌てて間に入る、一触即発の事態。一方、不正を暴かれた木戸は、顔面蒼白のまま、その場で立ち尽くしている。
詩織は、ただ、壇上で毅然と立つ蓮の姿を、涙で滲む瞳で見つめていた。
彼は、こんなにも、私のことを。自分の全てを投げ打って、守ろうとしてくれていたなんて。信じきれなかった自分が、恥ずかしくて、情けなくて、胸が張り裂けそうだった。
このままでは、蓮が会社から葬り去られてしまう。誰もがそう思った、その時だった。
「――静粛に」
凛とした、それでいて誰もが逆らえない威厳を持った声が、会場の後方から響いた。人々が振り返ると、そこに立っていたのは、杖をついた一人の老人。エンパイア・ドリンクの創業者であり、蓮の祖父である、橘龍之介その人だった。
彼は、誰の助けも借りずに、ゆっくりと壇上へと歩みを進めた。そして、孫である蓮の隣に立つと、マイクを握った。
「この度は、弊社の内紛により、皆様に多大なるご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び申し上げる」
深々と頭を下げる創業者に、会場は静まり返る。
「木戸、お前の悪事はすべて把握している。専務、あなたも同罪だ。後日、正式な処分を下す」
その言葉は、二人の失脚が決定したことを意味していた。
そして、龍之介は、隣に立つ蓮に視線を向けた。その目は、厳しくも、どこか温かい光を宿していた。
「…蓮。お前は、わしの教えに背いた。わしは、お前に結果だけを求めてきた。心を殺せ、とさえ言った。だが…」
龍之介は、そこで一度、大きく息を吸った。
「お前は、わしが本当は作りたかったものを、思い出させてくれた。わしが、この会社を立ち上げた時の、あの青臭い情熱をな」
彼は、ポケットから一枚の紙を取り出し、高らかに掲げた。
「ここに、わしからの最後のメッセージがある!」
スクリーンに、その紙が大きく映し出される。そこには、力強い筆文字で、こう書かれていた。
『小手先の策略ではなく、魂のこもった商品を作れ。わしは、橘蓮のやり方を支持する』
状況は、この一言で、完全に、劇的に、逆転した。
創業者が、孫のやり方を公に認めたのだ。役員たちは、もはや何も言えない。蓮が提示した誠実な姿勢と、創業者のカリスマ性。それは、不正にまみれた権力闘争よりも、はるかに強い説得力を持っていた。
審査員たちは、この一連のドラマに、ただただ圧倒されていた。彼らが見たのは、単なる商品のプレゼンではない。一つの会社が生まれ変わろうとする瞬間であり、一人の男の、愛と信念の物語だった。
結果は、もはや言うまでもなかった。
「――本件、採用は、フロンティア・ビバレッジ社の『月光草のクラフトティー・結』とさせていただきます」
審査委員長が、そう告げた。会場から、わっと歓声が上がる。フロンティア・ビバレッジのメンバーは、抱き合って喜んだ。
しかし、審査委員長は言葉を続けた。
「ただし、条件があります。この素晴らしい商品を、より多くの人に届けるため、販売・流通に関しては、エンパイア・ドリンク社と、全面的に提携していただきたい。橘蓮さんの、その魂のこもったやり方と共に」
それは、誰もが予想しなかった、最高の結末だった。
勝者も、敗者もいない。両社の”想い”が認められ、手を取り合うという、奇跡のシナリオ。
すべては、蓮の、たった一人の覚悟が引き起こした逆転劇だった。
詩織は、歓喜の輪の中心にいながらも、ただ、遠くに立つ蓮の姿を探していた。蓮は、役員たちに囲まれながらも、そっと、詩織にだけ分かるように、小さく微笑んでみせた。
その微笑みは、三年前の京都の夜のように、優しくて、穏やかだった。




