【5】
その日の夕飯になり、凛は卓についた人物に驚く。
「まだいたの、春徳?」
「そっす。冷たいっすね、姉御。俺、ここの居候になったっす」
「居候って、お父さん…!!」
凛が恨みがましそうに大雅を見ると、彼はごほんとわざと咳をし、言葉を吐く。
「どうしてもといって聞かないんだよ。しょうがないだろう? それにもう1人、休ませているからね。心配だろう?」
「それは、そうだけど…」
凛は客間のあるほうを見、焦れた思いだった。
「ー焼餅、焼けたわよ」
定が大皿を持って来、卓の上に置く。焼餅とは麺点、つまり小麦粉で作った点心の代表的なものであり、基本としては塩味の、平たい固めの食べ物だった。
「いい香り!!」
思わずごくりと唾を飲み込み、はっと気づく。
ー雅巳さんからもらった蜂蜜を使うといいかもしれない。
しかしダイエット中の凛は、基本的に豆腐しか食べられないのだった。さすがに寒くなってきたので、冷奴ではなく、湯豆腐ではあるが。
「うわっ!! 美味しそうっす!!」
「そうだろう、春徳。うちの母親の料理は絶品なんだぞ」
清が誇らしそうに言うので、春徳が「へえ」っと声に出す。どうやら清と春徳はすでに仲良くなったようだった。男同士だから、何やら共通点があったのかもしれない。
ー私は認めてないけど!!
言いたいのを我慢して、凛は定に言う。
「小梅さん、どうしよう。呼んでくる?」
「そうね。皆で食べたほうがいいものね」
定の言葉を受け、凛は椅子から立ち上がり、小梅を呼びに行く。
「小梅さーん?」
客間を覗くと、小梅はぼうっとしていた。暗い中、オーラが青白く見え、幽霊のように思えるのだった。
「小梅さん、小梅さん」
数回呼ぶと、小梅がようやくこちらを向いた。その動きは緩慢で、まだ夢の中にいるようだった。
「あの…?」
「私、葉凛って言います。普通に凛って呼んでください」
「凛…さん…」
動きの悪い人形のように呟くと、小梅はじっと凛を見てくる。
「そう、凛さんっていうんですか。よろしくお願いします」
手を差し出すと、真珠のような白い手が出されたが、その手首の細さに、どきりとする。
ー何故、こんなに細いの?
質問が浮かぶが、凛は努めて明るく言う。
「夕食ができたんですけど、どうしますか?」
「夕食…」
そう言った途端、小梅は「うっ」と口を押さえる。突然のことに、凛はびっくりし、側に寄る。
「小梅さん!! 小梅さん!!」
「…だ、大丈夫です…」
か細い声で言われ、凛は本気で心配する。
「何なら横になっていたほうが…。あ、そうだ! お粥にしましょうか?」
「…ごめんなさい。お粥はちょっと…」
小梅の声は基本的に小さく、よく耳を澄ませないと聞こえないのだった。凛はどうしようかと悩んでいると、小梅から言ってくる。
「私…食べ物を受けつけないんです」
「…へ? 食べ物を受けつけない…?」
そんな人間がいるのかと、凛は驚いたのだった。
ーだから、こんなに細いのか…。
納得がいき、さらに聞く。
「だから厨房の近くから匂いがした時、気持ち悪くなったんですか?」
「…はい、申し訳ありません」
「いや、いいんですけど…」
凛は困って頭を巡らせた結果、やはり小梅に聞くことにした。
「何か食べられるものがありますか?」
「食べ物…」
小梅は天井を見、よく考えてから答える。
「豆腐一欠片か、みかん1個なら…」
「…え? それだけでいいんですか?」
「はい、十分です」
小梅の表情は真面目で、嘘を言っているようには見えなかった。
「馬鹿みたいなんですけど、本気なんです」
「そんな…」
どういう食生活をしてきたのだろうかと、凛のほうが焦る。
ーお医者さんに見せたほうが、いいのかな…?
しかし、それは口に出さなかった。多分、何かの理由があって食べられないのだと悟ったのだ。その途端、凛は自分が恥ずかしくなった。
ー世の中、色んな人間がいるけれど、食べ物があるのに豆腐だけ食べている私って…贅沢でもったいないことをしているのね。
強く反省すると、凛は暗くならないように声に出す。
「分かりました。豆腐、持って来ますね。それでいいですか?」
「…はい。申し訳ありません…」
小梅は恥じたように頭を下げたが、恥じるのは凛のほうだった。
ー普通の生活をしているようで、私ってわがままを聞いてもらっているのね。
豆腐ダイエットをしたいと言えば、実行してくれる家族に感謝しなければと、改めて思ったのだった。
「ちょっと待ってください。すぐに持って来ますから」
凛がそう言うと、小梅は軽くうなずいた。少しふっくらしたほうが健康的でかわいいと思うのだが、そうはいかないらしい。
ー何があって痩せているのかしら…?
ふと思ったが、今は詮索せず、凛は厨房へ向かったのだった。




