憧れ続けた人から向けられる優しさと、公爵令嬢としての矜恃
恐怖は色濃くマリアベルに残っていた。
公爵家に生まれ、両親にも勿論殴られたことがないマリアベルには衝撃だったのだ。
だから、今聞かれたことに殴られた時を思い出し震えるマリアベルに気付いたルードヴィッヒは強く手を握った。
「大丈夫です。俺が付いていますから」
「あ……ありがとうございます」
ふるふると震えながら答えると、ちょうど帰ってきたナターシャが2人を見る。
「……随分近いんじゃない?」
「あっ! ナターシャ……いえ、違うの……その……」
「おかえりなさいませ」
「あなたは少しは焦りなさいよ」
「何故です? 特にはばかれるような事はしていませんよ?」
にこやかな笑みのまま、まだマリアベルの手を握りナターシャと話をするルードヴィッヒ。
焦って手を離そうと引くと、ルードヴィッヒの大きく暖かな手は簡単に離れてしまい、少しだけ寂しくなった。
「マリアベル、明日も一緒にお茶会に出るわ。大丈夫、あなたは私が守る」
「守る役目は私ですが」
同じ公爵家令嬢であるはずのナターシャは、鼻息荒くマリアベルに言うと、直ぐにルードヴィッヒが冷静に言う。
マリアベルを抱きしめながら睨むナターシャと、それを受け止めるルードヴィッヒ。
にこやかな笑みのはずのルードヴィッヒに、圧を感じてナターシャはため息を吐き出した。
こうして、翌日の茶会が開催された。
ガーデンに準備されたお茶会会場。
丸テーブルに花が飾られた花瓶、その隣にはワゴンに用意された飲み物とケーキ。
隣にはメイドの姿があって、その後ろにはルードヴィッヒとヘレンが佇んでいた。
ゆっくりと紅茶をサーブしケーキを並べていく。
「…………どういう事かな、マリアベル」
「あら、家族が交流をしようとするのを拒否されるの? 未来の弟君?」
マリアベルに引き攣った表情で聞いてきたガウディに答えたのは、紅茶を一口飲んだナターシャだった。
外行きの言葉使いにガウディが慌てたように否定をする。
「い、いやいやそんなまさか。大事なマリアベルの姉君であるナターシャ様とは今後も親しくさせて頂きたいと思っていますよ」
「なら、よろしいのではなくて?」
「そう、なんですが……その、マリアベルとの茶会を楽しみにしていたからいきなりは驚くというか……」
「…………楽しみ、ねぇ」
ピクッ……と指先を動かすマリアベルをガウディがチラリと見た。
指先がカトラリーに触れてしまいフォークを落とすと、すぐさまルードヴィッヒが歩いてきた。
同時にメイドが新しいフォークを用意してマリアベルに渡す。
「…………ごめんなさい、ふたりとも」
「お気になさらず、ごゆっくり食してください」
ルードヴィッヒが微笑みながら落ちたフォークを取り、メイドもにこやかにマリアベルを見ていた。
ルードヴィッヒの柔らかく優しい声がマリアベルをいたわると、ナターシャは呆れた様子でルードヴィッヒを見る。
「まったく、貴方今まで私にそんな事した事あった?」
「ナターシャ様はカトラリーを落としはしないでしょう?」
「あら、じゃあ今度落としてみようかしら」
「わざとならはしたないですよ」
「よく言うわね」
手を振りマリアベルに似ていない姉はルードヴィッヒを睨みつけてからマリアベルを見た。
先程とは打って変わってにこやかに笑う。
姉であるナターシャは、マリアベルが大好きなのだ。
「マリアベル、ルードヴィッヒがいいのは顔だけよ。あれはタラシだから気をつけてね」
「え……もう、ナターシャったら」
クスッと笑う可愛らしい笑みにナターシャも笑うと、ガウディが目を見開いてマリアベルを見た。
「……あら、そんな驚いた顔でどうなさったの? まるで初めて笑顔を見たような顔ですわね?」
「い、いや! 相変わらず可愛らしいなと思っただけだ!」
「………………だけだ?」
「いえ……だけです」
高圧的に対応しているガウディは、後の妻となるマリアベルを早いうちから屈服させていた。
だが、それがナターシャには通用しない。
冷たく細められたナターシャの眼差しはガウディを捉える。
「…………あなたは何か勘違いをしていないかしら」
「かんち、がい?」
「貴方は侯爵子息。そして私達は公爵令嬢よ。どちらの身分が上が理解していて? それに、時期に妻となるマリアベルだって……常に公爵家が付いていると忘れるべきではないわ。私が今日、ここに居る意味がわかっているかしら」
「…………交流を……深める為……ですよね?」
「あら、ふふふ面白い。誰が大切な妹を蔑ろにして陥れる男と交流などしたいのかしら」
カチャン! とわざと音を立ててカップを置いたナターシャに顔を青ざめさせてカタカタと震えるガウリィは首を横に振った。
「ちが……違います! そんな事していません!」
「あら、違うの? プレゼントは花だけ、貴族の暗黙の了解となっている社交シーズンの年2回~3回のドレス1式のプレゼントは?お茶会でマリアベルは笑っているかしら。先程驚いたのは穏やかにマリアベルが笑ったからじゃなくて? 外出中にマリアベルを放置して置き去りにしているのも確認が取れたわ……他にも、色々あるわよね? 舞踏会や夜会でのパートナーとして隣にいるけれどそれだけでほぼ無視らしいじゃない? 周りの評価を気にして放置はさすがに出来なかったかしらね。でも、見れば一目瞭然だと思わない?……はぁ、普段マリアベルと離れていた事が悔やまれるわ、気付くのが遅くなってしまったんだもの」
息付く暇も無いくらいにナターシャが言うと、さらに顔色を悪くする。
「……どうせ、貴方は女性は格下とでも思っているのでしょうね。従わせて楽しいかしら。マリアベルの騎士を女性にしたのもマリアベルを守る男性が気に食わないのと、庇うのが気に入らなかったのでしょ? あの騎士は私達とは歳が違うけど娘がいますからね。理不尽なマリアベルへの対応に据えかねてお父様に苦言を言っていましたし。……お父様も忙しいからと後回しにするからこんな勘違いして横柄な態度をとるようになるのだわ」
「なっ……横柄……?」
ギリ……と手を強く握りしめたガウリィにルードヴィッヒとヘレンがそっと帯剣に指先を滑らせる。
それに手を挙げて止めたのはナターシャだ。
「大丈夫よ。公爵家で乱暴を働くほど頭は軽くないでしょう?」
ふふ……と笑う強い姉をマリアベルは眉尻を下げて見つめた。