悪役令嬢蠱毒変~悪役令嬢をコレクション&デスゲーム~
【1】最初に、違和感があった
その異常に気付いたのはいつからだろう。
私が在籍しているプルガトリウム学園は共学全寮制学園。――公爵令嬢であった私が、そんな庶民を押し込めるような制度の学校に?
そもそも、この学園に入学した経緯も覚えていない。なのにどうして今までこの学園生活に疑問も無く過ごしていた? ……どれくらいの期間を?
一度湧いた疑問と違和感は尽きることなく広がり続け、その違和は私の存在そのもの、見える世界すら作り替えてしまうような気がした。
そんな、この身を蝕む違和はやがて夢見にも影響を及ぼし始めた。
眠りの中で夢に見るのは、いつも豪奢に飾られていた立派な自宅と、気品と愛情に満ちた自慢の両親や信頼できる優秀な使用人たちの姿。そして……その中心で、一身に愛と期待を注がれていた私。それは、私が覚えている「正しい日常」の光景。
だが私はその日常を、遠く離れた場所で《《見せつけられている》》。見えない壁で隔離された狭い場所で、一歩も近付くことができないその輝かしい光景をただ観客として見ていることしかできないのだ。
「出して、ここから出して!! 私をそこへ帰しなさいよぉぉぉっ!」
夢の中の私が、悲痛な声で絶叫する――
***
「おはようございます、お嬢様」
目を覚ますと、従者の青年アステルが私の顔を覗き込んでいた。
「本日のご機嫌はいかがですか」
「……いつも通りよ」
いつも通りの――悪夢の余韻が残る最悪な目覚めだ。だがそれを口にしたところで従者のアステルにどうすることもできないだろう。
「それは結構。ではお着替えのお手伝いなどは不要ですね」
そんなことを異性であるアステルに頼むことなど今まで無かったと思うが。
思えば、この専属従者も妙なものだ。確か身分の高い者、いや成績優秀者? とにかく特定の生徒に学園が用意した専属の使用人……だったと思うが。こうして毎日のように身の回りの世話をされているのに仔細がおぼろげなのがとても気持ち悪い。
ふと。
今まで積もりに積もっていたこの学園生活への違和感。そのてっぺんに目の前のアステルという存在という薄い一片がふわりと落ちてきて。その重みで、ついに私の中で何かが切れてしまった。
「ねえ。アステル」
「どうしたんですか」
見慣れた微笑みで丁寧に返答するアステル。……今ではその見慣れた表情が張り付けたような不気味な笑顔に感じてしまう。
「あなたは、どうして私に仕えているの。それ以前はどんな生活を? 私の登校中はなにをしているの?」
「どうしたんです急に。私のことなど、どうでもいいでしょう」
「今聞きたいの。なるべく詳しく」
「やれやれ、世間話がしたいんですか? しかし今の時間に無駄話をしていては、学校に遅れてしまいますよ」
「それでもいいわ。どれだけ時間をかけてもいい、学校を休んででも聞いてあげる。あなたの素性を全部教えて」
ぴしゃりと断言する。そうだ。この急に湧き出した些細な好奇心が、不自然極まりない学園生活に対するささやかな反旗となるのであれば、むしろ悪くない。そんな気分だった。
「……」
アステルはうつむき、しばし黙り込む。そして
「やーっと《《お目覚め》》になられましたね、ねぼすけのリナリアお嬢様?」
アステルの態度、が一変していた。さっきまでの柔和な微笑みはどこへやら、酷薄で傲岸不遜な薄笑いを浮かべている。
「しかし記念すべき発露が男への興味にかまけての学校のズル休みなどと! ダメですねえ、俺の見込んだ《《悪役令嬢》》のくせに欲と行動がちゃちすぎる。 ま、ここでエゴが発現した以上、ギリギリ合格ラインです」
今までの従者然とした言動が思い出せなくなりそうなくらい、アステルは大仰な仕草でペラペラと失礼な言葉を吐き出す。……なんなんだ、この男は。
「全てをお教えしましょうリナリア様。
私は悪魔。さらに言えばあなたは死者でありこの学園は死後の世界。そしてあなたは、我々一族が行うゲームのための駒になるのです」
【2】ご令嬢、対面す。
「ちょっとあなた、急に出てきてなんのつもりですの!?」
「そちらこそ、往来のど真ん中でこんな茶番を延々と繰り広げて。他人の迷惑を考えられないのかしら?」
結局ズル休みは無しとなったものの、登校早々こんなトラブルに首を突っ込むなんて、私もずいぶん変わってしまったこと……と小さくため息が漏れる。悪魔の開催するゲーム参加という非日常に飛び込んむ覚悟を決めたはいいが。
朝っぱらから玄関ホールで堂々といじめられている子を助けに入る、なんてイベントは果たしてゲームプレイに必要だったのだろうか。
登校早々、幸も色素も薄い儚げな少女が数人の女生徒に取り囲まれて罵詈雑言や平手といった幼稚な暴力に晒されていた。それを高見の見物していたのが、この女だ。間違いなくいじめの首謀者だろう。愉しみを邪魔した私にヒステリックに当たり散らす名も知らない(制服のタイの色からして上級生だろうか)そのお嬢様は、大量にぶら下げたドリルの如き縦ロール髪の自己主張が激しすぎて、あらゆる意味でやかましい。
とはいえ端々に品のにじむ所作を見るに、向こうもある程度の地位がある家の出のようだが。彼女もまた、私と同じ悪魔の駒――『悪役令嬢』という存在なんだろうか。
***
悪魔を自称した彼いわく。
「我々悪魔はこの学園内でゲーム参加に足る強度の『悪役令嬢』の魂を選び出し、その覚醒を促しています。それが今回のゲーム参加の第一条件でしたので」
「なによその悪役令嬢って」
「そちらの世界ではメジャーではありませんか? 聖女のごとき主人公を身分の力で虐げた結果、王族などさらなる上の地位の者に断罪され、地位どころか場合によっては命までをも奪われる滑稽な悪役の小娘!」
「私がそんな道化みたいな女だったっていうの?」
「おや、自覚が無い? 婚約者である王子が平民の娘と距離を縮めていくことに我慢ならず、恋敵に散々嫌がらせ。それが後に発覚し、公の場で断罪される憂き目に」
「身に覚えがありませんけど」
「ふむ、過剰なストレスになる情報を自ら封じているのでしょうか。都合の良い頭をしていらっしゃる」
「馬鹿にしてる?」
「いえいえ、褒めておりますとも。家柄ゆえの高い教養と資質、悪と定義されようと我を貫き通せる身勝手な精神性。あなた様だからこそ、このゲームに参加する資格と才能がある」
やっぱり褒められている気がしないんですけど。
「ゲームのルールは簡単です。あなたと同じく悪魔に見初められた悪役令嬢を見つけ出し、その魂を奪うのです。そうやって最後の一人になれたなら、願いが叶います」
「魂を奪う」なんて物騒なワードが飛び出たが、確かに悪魔らしいルールといえばそうだ。
それにしても私の願い、か。
「ここが死者の世界だというのなら。こんな不自然な世界から脱出し――生まれ直す、それが私の願いね。生前の私の行いが、夢に出てくるあの素晴らしい家族たちに迷惑と不幸をもたらしたというのなら、今度はちゃんと彼らに報いるよう生きるの」
私の宣言に、アステルは眉間に皺を寄せる。
「やれやれ。悪役らしからぬ、つまらない願いだ。まあ、このゲームに勝ってくれるのであればその先どうなろうと構いませんが」
などとアステルには一蹴されてしまったけれど。私がすんなりゲーム参加を決意したこと自体は喜んでいたようだった。
***
「――ちょっと、聞いてますの?」
おっといけない、しみじみと回想に耽ってしまっていた。
とにかく悪魔のゲームに付き合うと決めた以上、この学園内でライバルの悪役令嬢とやらを見つけ出さなければいけない。目の前のいかにもなこの女がそれだと話は楽なのだけど。
(さて、それは分かりません。このような挙動を設定されただけの一般生徒かもしれません)
どこからか不可思議な力でアステルの声が教えてくれる。彼いわく、私のように自我の覚醒を迎えるごく一部の生徒以外は、傍目から見て自然な挙動や営みを繰り広げていても、それは生前の性格に基づいた行動パターンを再現されているに過ぎないそうだ。そういったただの機械的行動なのか、(それこそ悪魔との契約に足るような)自我に基づいた行動なのかを見極め標的を探し出すためにも、怪しい人物や事件には積極的に首をつっこんでいくのが手っ取り早い……というのが私の当面のプレイ方針だった。
というわけで。
「今すぐにここを去りなさい。それとも、他人の迷惑も考えられないような醜態をいつまでも見せつけるのが趣味なのかしら?」
少々下品だがビシッと人差し指を突き付ける。これくらい攻撃的に精神的なゆさぶりをかけるのが駆け引きの基本だと、どこかで聞いた気がするし!
……と、その直後。
ぱぁんっ!!
縦ロール令嬢の上半身が、なんの脈絡も無く破裂した。私たちが死者であるからか、血肉のようなグロいモノは飛び散らず肉体の破片は煙のように揺らいで消え、残されていた下半身も一拍置いてきれいに霧散した。
「な、な……」
私は愕然とする。生まれ育った世界に魔法の概念はあったし、こんな破壊を巻き起こす魔法が存在しているのは知ってる。けれど今、私はそんな力を使うつもりも準備も一切無かったはず。
なのになぜか、(死者とはいえ)目の前の人間を盛大に消し飛ばしてしまった。
「なによこれぇぇぇぇ!?」
一瞬にして、話に聞いていた生前の悪行とやらを軽く上回る所業をしてしまった気がするんですけど!?
(大いに結構ではありませんか。この調子で『悪役』の名に恥じない罪業を積み重ねていきましょう!)
まるで学業に励むことと変わらない、といった調子で人殺し(死者にこの表現はどうなんだ)を推奨してくる。どうもこの罪を禊ぐ方向になるわけがないらしい。なにせ悪魔ですものね。やかましいわ。
(しかし……この地においては蓄積した悪業をリソースに魔法を発動することが可能ですが、今のあなたのような覚醒直後それも善良な小市民レベルの精神性でこのような派手な業魔を放つことは不可能のはず。誰かのお節介か、陥れられた可能性がありますね)
相変わらず褒めてるのかけなしてるのか分からない評を飛ばしてくる従者だが今はそれどころではない。つまり、私以外の誰かがやった可能性が高い。それは分かった。
が。
ここで状況をおさらいしてみよう。
この場にいるのは縦ロール令嬢と取り巻き、それにいじめられていた子。それにくわえて人通りが多い登校中の玄関ホールということで。
目撃者、多数。
突然のことにしばしの間静まり返っていたホールだったが。一転、ギャラリーたちがどよめき蜘蛛の子を散らすようにさあっと方々へ逃げていく。
もはや私に弁解の余地は無く、人殺しの濡れ衣待ったなしである。
……だが、この極限状態は私に一つの光明をもたらした。
私はその直感に従い駆け出していた。とにかくこの場から逃げる……ためではない。逃げ惑う人ごみの中、狙いを定めた「その人」に真っ直ぐに駆け寄り、わっしと腕を掴む。
「……!」
「ごめんなさい、名も知らないあなた。少し、お話聞かせてくださいな」
捕まえたのは、やはり名前も知らない女生徒。
「人が消し飛ぶ異常事態を前に、目を輝かせて突っ立っている理由を教えてもらえるかしら?」
「……参ったな、ポーカーフェイスは維持していたつもりなんだが」
「みんなが怯えてるこの場で表情変えずに突っ立っているほうが異常でしょうに」
「それもそうか。ははは!!」
化粧っ気の無い身なりに男めいた口調。令嬢のイメージから程遠いが、その威風堂々とした態度には上流階級めいたものを感じる。
「『悪役令嬢』ばかりのゲーム、いかにもな令嬢二人が言い争ってるところに爆弾を投げ込めば、自らは正体を知られることなく漁夫の利を得られる、というところ?」
「ご明察。いやしかし思い付きでやるもんじゃないね。すぐにバレてしまった」
その女生徒は自由なほうの手で私の顎をくいと持ち上げる。
「だが、運悪く仕留めきれなかったとはいえ、ライバルを見つけられたのは収穫だ」
女はニヤリと邪悪に笑む。
……そうだ。私が『ゲーム』について口にして、彼女はその話題に乗った。これでお互いがゲーム参加者であることが露見したのだ。
ところが相手は人一人を遠隔で吹き飛ばす力を使えるのを証明済み。片やこっちは本日ゲーム参加したばかりの丸腰一般人。今になって己の不利と浅はかさに気付いて血の気が引いていく。
どうしよう、今からでも全力で逃走するべきか。あるいはアステルがなにか良い手助けを――
(私の魔法力もリナリア様の貯蓄に依存します。しかし現時点のお嬢様が悪業をロクに蓄えていない以上、こうして脳内会話するのが精いっぱいですね)
ですよね!
「くっ、あははははは!!」
……しかし、予想していた惨事は起きず、目の前の女はただ高らかに笑うだけだった。
「安心したまえ、せっかくしつらえた『令嬢殺しの犯人』を消すなんて勿体ないじゃないか」
魔法の力も使ったのだろうか、彼女は鮮やかなくらいするりと私の手をふりほどき大きく距離を取っていた。
「せっかくだから自己紹介を。朱砂 梟子。姓は赤い砂、名はフクロウの子と書く」
聞きなれない異国のネーミングだ。
「君の名を聞いてもいいかな?」
「り、リナリア=フォン=ブルムガルテン」
まずい、あまりにも自然で堂々とした名乗りからの質問で、ついさらっと答えてしまった。
「君の洞察力と行動力、気に入ったよリナリア嬢。これからしばらく仲良くしようじゃないか。他のプレイヤーを潰すまではね」
その同盟は果たして信頼できるのか、詳しく訪ねようと思ったが、その言葉が出るよりも早く、梟子の姿は煙のようにかき消えていた。
【3】早くも集う運命の、友……?
あの後結局、こんな騒ぎの後で平然と学園生活が送れるか!! と寮の自室に逃げ帰り無断欠席。翌日にはアステルに押し切られいやいや登校することになった。……のだが。
学園は驚くほど「いつも通り」だった。いや、遠目に好奇と畏怖の視線は感じるがそれでも「人殺し(冤罪だけど!)」に対する態度にしてはずいぶんと平和的で、何か言われるでも拘束されるでもなく教室に辿り着いたし、授業も始まった。
(当然です。この学園は『日常』を維持する強制力が働いていますからね。自我の無い生徒は毎日うまいこと記憶が調整されるので、誰かがどれだけ重い犯罪を犯そうと逮捕! 断罪! とはなりません。ただし犯罪を目撃した者たちの中に潜在的に畏怖は残るでしょうね)
なるほど、自我を持たない生徒たちにとってはいつまでも平和で都合の良い世界、というわけだ。
「あの……リナリア先輩、ですよね」
そうこうしているうちに休み時間。クラスメイトにすら絶妙に避けられるようになってしまい、教室の居心地が悪くて廊下に出ていた私に近付いてくる者が一人。
透けるような金髪と白い肌に、湖を思わせる澄んだ蒼い瞳の美少女。――昨日助けようとした、あのいじめられっ子の女学生だ。たしかあの時は、逃げ惑う群衆に紛れて彼女の姿は消えていて、私は寮へ逃げ帰ってしまったために安否は分からずじまいだったが。
目の前の彼女は、少なくとも警戒の類は見られない……というか明らかにその逆の――
「私、一年のミーシャです。昨日は、ありがとうございました」
まさか昨日の記憶がある? いやだとしたらあの人体破裂のショッキングな光景を生み出した(ことになってるであろう)私などトラウマ級の存在だろうに、こうして私に無邪気な尊敬の眼差しを向けてきているのは変だろう。
「あの、とても失礼かもしれないけれど。私があなたに何をしたのか教えてくれるかしら」
「?」
ミーシャは不思議そうな顔をして首を傾げる。無理もない、昨日あんな劇的なシチュエーションで出会ったばかりなのに、一晩で忘れているなんて記憶力に問題があると思われて当然だ。
とはいえ、『学園の強制力』とやらで改変された事実と私の記憶の齟齬があるのであれば、恥を忍んで今のうちにすり合わせておくべきだろう。
「いちいち覚えていられないくらい、たくさんの人助けをしてるんですね」
と、ミーシャは微笑んだ。なにやら好意的に解釈されたようで良かった……のだろうか。
それから彼女が少々熱っぽく語るところによると、ミーシャがイジワルな令嬢にいじめられていたところに私が助けに入ったという認識は共通しているようで、その後、なんやかやでいじめっ子たちが私にひどく言い負かされて逃げ帰った……ということになっているらしい。うん、実にマイルドな記憶改変だ。
「その時の先輩の剣幕が悪魔のようだった、なんてみんな噂してて」
「それでみんな私を怖がってるわけね……」
「でも、そこまでして私のことを助けてくれたのは……格好いいと思います」
そう言ってはにかむミーシャは、もはや恋する乙女のような可憐さだった。けどその思慕を向けられているのが自分だと思うと、なんか非常に良くない気分になってくる……!
(ラッキーでしたねリナリア様。こうして育まれた人脈を悪用、いえ活用するもよいでしょう。他人を使って人知れず着実に悪事と悪徳を重ねればライバルを陥れるのに役立つでしょうし、先の事件のように容易く人を消す魔法だって使えます)
「あの、恩返しさせてください。私、あなたのためならなんでもできそうなんです……リナリア先輩」
同時進行で悪魔の囁きが聞こえているせいもあるのだろうか。ミーシャのその純粋すぎる瞳に、危ういモノが見える気がする。
(さあ、いかがしましょうか?)
「……少し考える時間をちょうだい」
人助けの縁で、私に懐く後輩ができました。豊かな学園生活はもとよりゲームにおいても有利なイベントなのだろうが……なんだか頭が痛くなってきた。
【x】少女たちの秘密
寮で定められた就寝時間を過ぎ、梟子は夜の学園内を散歩していた。
規則で定められた就寝時間を過ぎての外出は、自室で眠る以外の選択肢すら思いつかない一般生徒どもと違う、自我を得た生徒の特権だ。
とはいえ、さすがに本来一般生徒がやらないような行動は敵プレイヤーに悟られやすくなる。本当なら軽率にやるべきではないのだが、生憎と梟子とその契約悪魔の生来の気質の都合上、彼女は夜だろうと自室でじっと大人しくなどしていられないのである。
――ふと彼女の本能と契約悪魔がほぼ同時に背後の気配を察知した。梟子がさっと身をかわすと、背後から人影とその手に光るモノが通り過ぎた。
「君は……ミーシャと言ったか」
昨日の、いかにもなご令嬢とその取り巻きのいじめ現場にいた子。見目が良く内向的な性格ゆえに僻まれる、いかにもな「いじめられっ子」だ。
梟子としては全く興味がわかない人種ではあるが、彼女のおかげで面白いライバルを発見できた、そういう意味では恩人と言えなくもないか。
その彼女が、冷たい無表情で目の前に佇んでいる。色素と生気の薄い姿にネグリジェのシルエットも手伝って、幽霊のようだ。
しかしその消え入りそうな外見に反して、その手に握られているモノが異質な存在感を放っていた。――ナイフだ。厨房で手に入るような果物ナイフであったが、それを持ち出しこんな時間に出歩きあまつさえ誰かに危害を加えようとするなど、明らかに一般生徒を逸脱している。
――明らかに、この少女は自我の芽生えた生徒だ。
実のところ、悪魔がちょっかいをかけずとも自我が発現する生徒は存在する。梟子の観測結果によると生徒の3割程度がそうである。
彼女はそんなちょっと変わった一般人なのか、はたまた我々の同類か。契約悪魔の力で探りを入れるか? いや、どちらにせよこちらを攻撃してきた以上、下手なちょっかいはリスキーだな。……などと考えを巡らせている最中でも梟子の表情は涼しいものだ。
「ずいぶんと危ない玩具を持っているね。護身用かい?」
「リナリア先輩に、迷惑かけないで」
「リナリア嬢? 彼女に危害を加えるつもりはないよ。同盟を結んだんだ。それは君とて理解しているだろう?」
梟子とリナリアの接点を知っているということは、昨日のあの一連の騒ぎの顛末を正確に把握しているなによりの証拠だ。
「でも、危ないことをしようとしてる。先輩と一緒を巻き込んで」
「それはあながち間違いではないが」
そう漏らした梟子の喉元に、ミーシャのナイフが突き出される。その手に躊躇いの震えは無く、すぐにでも急所を突ける絶妙な間合いを取っている。……ただの女生徒にしてはいやに迷いがなく手馴れている。
「あの人は、王子様かもしれないの」
「リナリア嬢は女性だが?」
「でも、王子様。私を救ってくれる人」
どうやらミーシャの中では非常に単純な計算式が通っているらしい。そしてその中の重要な位置にリナリアは知らないうちに組み込まれてしまい、一方で梟子はその計算を妨げるノイズ扱いされている……と。
ああ、なんて
――面白い幸運なのだろう!!
梟子は平静を装いつつも、内心では踊りたいほど歓喜していた。
あれは、ただの気まぐれだったのだ。ごくありふれたいじめの現場に、思いつきで少し手を加えただけなのに。それによってリナリアという面白い好敵手を発見できたのみならず、それに付随してこの奇天烈なイレギュラー少女も釣れたらしい。
「ミーシャ、と言ったね。君は誤解しているようだ。確かにリナリア嬢とは多少刺激的な出会いを果たしたが、今は同盟関係にあるからね、彼女に危害を加えるつもりは全く無いよ」
実際、《《今のところは》》リナリアを潰すメリットが無い以上、嘘は言っていない。いずれ殺し合う関係になる可能性は低くないが。
「それよりも、だ。私との同盟を上手く活用すれば彼女を君の望む王子様に育てあげることができるかもしれない」
「……!」
ミーシャの瞳に宿る敵意が興味に変わったのを、梟子は見逃さない。
「王子というのは危機に陥ってなお姫を救う者、そうだろう? その王子を陰ながらフォローし本当に致命的な危機を避けられるように導く……そうだね、正義の魔法使い? 私はそういう存在なれると思うんだ」
「本当に、」
「君が許してくれるのなら、そう在れるよう努力するつもりだよ」
「……」
しばし考えた後、ミーシャは刃を降ろしたが、その眼は油断なく梟子を見つめている。
「もし先輩が、お前のせいで傷つくようなら絶対に許さないから」
「ああ、彼女の保護と……そして成長のために最善を尽くそう」
この約束を反故にする頃には君への対策はキッチリできているだろうしね。と、梟子は心の中で付け加えていたが。
梟子の言葉にミーシャは小さく頷くと、猫のような俊敏さで暗がりへと走り去っていた。
ともあれ、夜の邂逅は結果として両者にとって有意義なものであった。奇しくも、別れ際の少女たちの想いは全く同じであり。
――ありがとう運命の人。
あなた/君との出会いが、私の人生にこうして素敵な彩りをくれている!