第八話 語られる昔話に、今を知る。
「聞いたこと、ないですね……」
「あらそう? 昔は誰もが知っていたのに時代かしらね。────黄玉や翠玉、白銀や瑠璃の名を持つ吸血鬼のことも、もしかして知らないのかしら」
「全然ないです。おしゃれな呼び方ですね」
ジェイドが教えてくれた話に心当たりはなく、唸っても首を捻っても思い当たる話に行き着くことはありません。
もしかして、いろんな瞳の色を持つ吸血鬼が存在するのでしょうか。
今まで教えられた話と違うことから、カラバリが豊富なんだと新たな知見を得ました。
「……もしかして、また私で遊んでます?」
「くすっ、信用されなくなってしまったかしら。でもそうね────、今の人たちがこの話を知らないと言うのなら、きっと私たちについて知られると困る人がいるのかもしれないわ」
「……確かに。皆さんが牛乳好きだなんて聞いたら、酪農家が営業に来ちゃいますもんね」
もしそうなら、私も牧場で働きたい。
あわよくば牛乳を買いにいらっしゃるヴィクター様を拝みたい。買われる時、試飲でもするのでしょうか。
牛舎で試飲する麗人────、想像しただけで絵になります。
あの牛乳たちをいつ誰がどのようなルートで入手しているかは不明ですが、下心がめきめきと苦い気持ちを押しやり、ハッピーな未来予想図を描き出しました。
「面白いことを考えるのねマイラは」
くすりと笑うジェイドに、めくるめく妄想を読まれたのかと思い我に帰りました。
席を立ちジェイドの玩具役から逃げると、アデルとリュカがなんだか大人しいです。
慕う方を貶めるような冗談が好まなかったのかもしれません。────よく意地悪をすると言うだけあって、嫌だと言うのもうんざりとしてしまったのかもです。
「────ジェイドが変な話しをしてごめんね。もしお会いになるのなら、ヴィクター様のところに案内してあげる」
「今の話しみたいなことはないから、心配しなくて大丈夫さ。ヴィクター様はお優しい方だから」
この場の空気から逃れるように、二人が先を促してくれました。
「それじゃあお元気で。この先、マイラが普通の幸せを送れることを祈っているわ」
手を振り、部屋に残るジェイドがそう言葉を送ってくれました。
────────『普通の幸せ』って何でしょうか。
大きくて立派な廊下を歩きながら、彼女の言葉が耳の奥に残ります。────まるでここにいることが分不相応だと、言っているようです。
早く帰れという、忠告だったのでしょう。
彼女なりの優しさだと言うことは理解できても、突き放されたような寂しさが私の背を小さくさせました。
「あの、アデルさん────」
「アデルでいいよ、マイマイ」
「ボクもリュカでいいよ。あ、フィルはきっとマイマイに呼び捨てにされるの気に入らないと思うけど、他のみんなはそこまでうるさくないから気にしなくていいよ」
「ありがとうございます」
「そんなに堅くならないでいいって。歳も近いことだしね」
確かに見た目が同い年くらいですが、実年齢に100歳以上開きがリュカとはあります。アデルは教えてくれませんでしたが、やはり100歳以上の開きがあるのでしょう。
眩しい笑顔に、鋭い八重歯を覗かせているリュカに、苦笑してしまいます。
「なら気兼ねなく呼ばせてもらうね。────ここに来てから、ずっと良くしてくれてありがとう。見ず知らずの人にこんなに親切にしてもらったことなんて、初めてだったからとっても嬉しかった」
「どういたしまして。お客さんなんて何年もいなかったからこっちも楽しかったよ。私たちに付き合ってくれてありがとね」
「マイマイって第何市民なの? 人間には市民階級制度ってものがあるんだろ?」
リュカの何気ない質問に、言葉が詰まります。────できれば触れたくない話題でした。
だけど、そろそろ現実に帰る時間を思えば、自分の価値を再確認しておくべきでしょう。
小さく呼吸を整え、振り返るリュカに小さく笑顔を見せました。
「──詳しいんだね。私は第七市民なの。でも、成績が悪くて……、もしかしたら第十市民まで落ちてしまうかもしれないんだ」
家と学校を往復するだけの日々でした。
互いの価値を高め合うはずの場所は、泥を掛け誰かの足を引っ張り、自分の価値を固持するだけの醜悪な環境で────。泥を被らぬようじっと息をひそめ、自分の価値がこれ以上損なわれないよう張り詰めて生きるだけです。
私たちの価値を決める教師も試験も、なんの意味があるんだと問いかけたくなるほど、つまらなくて無意味なものに思えました。
階級が下がれば、世間のお荷物として居場所がなくなります。
ですが仮に市民階級が上がったとしても、また同じことの繰り返し。──心を殺し、一生息のつまる人生を送らなきゃいけないのかと思うと、着飾ってもらった顔がボロボロと壊れるようでした。
ちゃんと、今は笑えているでしょうか。
まだ、可愛い私でいられているでしょうか。
「ふぅん? 市民階級が落ちるのって良くないことなの? 人間にも階級があるってことしか知らないんだけど、もしかして大変?」
「ヴィクター様も昔、第一市民だったんだって。第七だと……、全然違うのかな」
「フィルとジェイドも。あの二人は確か第二、第三市民だったっけ。……ジェイドはともかく、フィルは上流の出だから人間にもうるさいし、ボクたちにもうるさいんだ」
思わぬ話に、足が止まりました。
古くから第一から第三は上級市民に該当する、特別かつ特殊な人たちのための区分です。
努力と才能があれば、第三市民に手を掛けることは出来るかもと言われていますが、夢物語のようなもので現実に成り上がった人はほぼいません。
────そんな話を何故、《ムートの国》で聞いているのでしょう。
「あっ、さっきジェイドがしたよりもずっと昔の話しね」
「……ヴィクター様って元は人間だったの?」
「ヴィクター様は御真祖のひとりさ。人間から吸血鬼化した訳でもないから、ずっと吸血鬼だよ」
『真祖』とは、始まりの吸血鬼のこと。────────生者を憎み、世界に仇成す者を増やす脅威の存在です。
知識として知ってはいたけれど、実物にこうも簡単に会えるなどと────、誰が思ったでしょう。
「……昔はボクたちの他にも眷属がいたみたいだけど、領地争いや抗争、鬼狩のせいで消えてしまったんだって」
「ここはずっと寂しい場所になってしまったわ。……だからお客さんが来てくれて、私たちも嬉しかったんだ」
心優しい吸血鬼たちに慕われる、第一市民だった『紅玉の冷血公』────────。
ジェイドがしてくれた話と違う印象のヴィクターが、遠く離れた廊下にぽつんと立つ姿が見えました。