第七話 身だしなみ、整えてから始めましょう。
「瑞々しい肌に柔らかい髪ね」
「ふぅん? マイマイと私たちって違うの?」
「みんなそれぞれ個性を持っているのと同じ、質感が違うのだって当たり前よ」
現在私は、ジェイドの部屋にお呼ばれしております。
少し時間をちょうだいと頼まれてしまえば断る理由もなく、彼女のされるがまま、鏡台の前に座ってことの成り行きを鏡越しに見つめることしかできません。
少し前にアデルとリュカが部屋にやってきて、ここまで連れて来られました。────もっと私と話がしたいと、直向きな好意を向けられて、断ることなど出来ましょうか。
「17歳か〜。私その頃何してたか全然思い出せないなぁ」
「マイマイってボクの八つ下なんだ。思ったより歳が近いね」
「リュカってそんなに若かったかしら。もっと長く一緒にいる気がしていたけれど」
鏡越しに目が合うと、椅子の背もたれを抱いて座るリュカが自信たっぷりな顔をして私を見ていました。
「ボクが覚えている限り、49,757回朝が来た。一年が365日だから、今日は136年と117日目──。つまりマイマイの八倍生きてるってこと」
「…………136歳」
歳が近そうと思っていただけに、裏切られた心地です。
そして計算が早い。読み上げる数字が全然頭に入りません。
「フフッ、それは斬新な数え方ね。なら私もマイラより八つ上かしら」
「ジェイドも〜? いくつなの?」
「世紀が八回変わったもの」
「八世紀……? えっ、800年生きてるってことですか……?」
朝から拝むには少々艶がありすぎるジェイドに、にこりと微笑まれると照れ臭くなってしまいます。
少し年上のお姉さん、と思っていただけに頭がついていきません。
吸血鬼の多くは人と同じ見た目をしていますが、決定的な違いはいくつかあります。
不朽不滅の存在と呼ばれるだけあり、彼らは長命です。心臓を銀で穿つか、本物の太陽光でのみ彼らを滅することが出来ると聞かされていました。
視線を窓の方へ向けるとカーテンは開かれ、明るい外が見えています。
陽光を嫌うのではなかったのでしょうか。
陽の光が奪われたと聞いていたのに、明るいことも謎です。ウラーと同じ、人工太陽でも浮かんでいるのでしょうか?
そして瞳の色。────ヴィクターのような赤い瞳は高等吸血鬼と呼ばれ、金色の瞳は下等吸血鬼と一目で分かる違いを有すると聞いていました。
また、鏡にもその姿を映すことが出来ないと聞いていたのに……、彼らは皆黒い瞳に、和気藹々と話す姿が鏡越しでも確認できます。
……すっごく長命というだけで、普通の人間と変わりないように見えます。
それとも牛乳を飲んだが故に、弱点を克服されたのでしょうか。
牛乳め……。昨日の憎い気持ち苦々しく胸に広がります。
「こんな感じかしら。────たまには違う子で遊んでみたかったからマイラが任せてくれて嬉しいわ。付き合ってくれてありがとう」
余所見をしていた私の顔を、ジェイドが鏡に向かわせました。
「────これが私……?」
長くもない髪を巻いて結いあげ飾られて、人生で初のメイクまでしてもらったがために、鏡に映る自分の姿に一体誰かと戸惑いました。
「すっごく可愛くなったねマイマイ」
「元の素材も良いけれど、もっといじりたかったの。とても満足だわ」
「ジェイドってば人にメイクするの好きだから、大抵ボクとアデルが犠牲になりがちなんだよね」
「あら、生意気なことを言うのね。昔は喜んでくれていたのに反抗期かしら」
「…………私って、やっぱり可愛いんだ」
長くなったまつ毛に整えられた眉、ほんのり色付く頬紅が血色の良さを表し、目元をキラキラと肌に馴染む色が目元を強調しています。
いつもよりハッキリとした輪郭の目のせいか、鏡の中の自分まで輝いて見えるようです。
「フフッ。えぇ、そうね────」
自分に見蕩れていると、首から頬にかけて優しく触れる両手に上を向かされました。
「あまりの可愛さに食べてしまいたいくらいよ」
妖艶に微笑むジェイドに、鋭い牙が見えました。
「ジェーイードー。マイマイをいじめないで!」
「ふふふ、冗談よ。そんなに硬くならなくても、何もしないわ」
正直、ここまで油断させて的な展開も予想していましたよ。
つまらなく、あっけない終わりだって、私の人生ならあり得るからと、血の気の引いた頭でぐるぐる自分を慰めます。
アデルに庇われると、ジェイドは離れて行きました。──最初は小さな声で笑っていたのに、離れていくたび顔を背けよろめき、壁に腕をついて震わせる肩の揺れが大きくなって行きます。
「あの……? ジェイドさん、大丈夫ですか?」
「笑いのツボに入ってるだけさ。今のがよほど面白かったらしい」
「ジェイドって暇つぶしに意地悪するんだ。マイマイは気にしなくていいからね」
「はぁ……」
大人の余裕を見せていた妖艶美女から、息を殺し、笑いが止められないお姉さんがそこにはいました。
800年は生きてるのか、怪しくなってきました。
もしかしたら揶揄われているのかもと、そんな気すらしてきます。
「……あのね、マイマイ。準備が出たらいつでも送るってヴィクター様がおっしゃっていたの」
「そうそう。ヴィクター様が起きてるうちに帰るなら頼んだ方がいいよ。おやすみになられたらまた次いつお目覚めになるか分からないから」
「……一晩中起きていたんですか?」
リュカの話も気になりましたが、わざわざ私のために寝ないでいたという話に、心がドキリと緊張しました。
部屋にある時計はもうすぐお昼を示しています。──昨夜別れた時間は覚えていませんが、いつもよりゆっくりな時間に起きたのは間違いなく、ずっと待たせていたことに罪悪感が湧いてきます。
「────哺乳類は、一生のうち約15億回心臓が鼓動すると言われているわ。だけど、吸血鬼にはそれがないの。私たちはこうして生きているけれど、あなたたちからしたら死んでいるのも同じね」
「死んでるって……、普通にこう、私ともお話しされているじゃないですか」
息を整え、また妖艶美女に戻ったジェイドが説明してくれました。
吸血鬼と呼び名があるのに、彼らは存在していると呼ばないなんて────。
その在り方をなんと説明したら良いのでしょうか。
「そうね。『死んでいるけど生きている』って不思議よね。……本当は食事も睡眠も活動するために最低限でいいのだけど、ヴィクター様はここに来てからはずっとお休みされる時間が伸びているわ。一度お休みになってしまったら、次いつお目覚めになるか分からないから、国に帰るなら早くした方がいいでしょうね」
帰れと催促され、この夢心地な時間を終わりにしなければならないことに、心許なくなってきました。
「それに、マイラは聞いたことはないかしら。紅玉の冷血公って。────あの方はまごうことなき人類の天敵よ」
柔らかくたおやかな声とは裏腹に、冷たい言葉が部屋に響きました。