第二十三話 良し悪しは、順番に来て入れ替わる。
この二日、大きな出来事がありました。
まずひとつ。すぐに匂いに悩まされることがなくなりました。
「このお城って空気清浄機完備ですか? まだお客さんがいてもこの快適さ……。カリブンクルスって最高です!」
照明に冷暖房(まだ冷房は使ったことがありませんが)、換気環境も最良最適。程よく湿度もあるため乾燥とも無縁です。
「もう平気なの? 嗅覚が麻痺してるんじゃないのかしら」
「そんなことありません。お茶の香りだってよくわかりますから。ほら」
「────いい香りね。だけどどこで見つけてきたの。うちに茶葉なんてあったかしら」
「地下の保管庫です。アデルと整理していたら見つけたので、淹れてみたんです」
香りを褒められ得意げなアデルと一緒に、大発見をジェイドに報告すると色っぽい大人の笑みで見つめられ、ちょっと照れ臭いです。
そんなジェイドが手にしていたカップをブレイズに渡すと、
「お味はどうかしら?」
「うむ、問題なく飲めるぞ」
「そりゃあ、お茶なんだから飲めるに決まってるでしょ。味はどうかって聞いてるのにー」
「味の良し悪しは俺にはわからん」
大きな声でブレイズに笑い飛ばされてしまいました。
ここは談話室。このお城に来てすぐに案内された場所に、みんなで集まっています。
私、杜若苺來と仲良しのアデル、おめかししたジェイドにウェイトを上下に持ち上げるブレイド、ふわふわの絨毯の上でひとり寝転ぶリュカの五人です。
ヴィクターは外が真っ暗になっても、お客様と話をしているようです。そんなヴィクターの側に、フィルはサポートのため一緒にいるらしく、ここにはいません。
夜まで長々と相談しなきゃいけないことってなんでしょう。眠りが必要なくたって、休憩くらいはあってもいいのに。室内の景色が反射する窓を見てそう思いました。
このお茶も、ヴィクターに味見してもらいたかったな。
「どうして飲んでくれないのよ、ジェーイードー?」
「今はお茶って気分じゃないから遠慮しておくわ。評価が気になるならリュカにも味見してもらったら?」
また何かを数えていたのか、仰向けだったリュカが転がると頬杖を付いていました。
「ガガテス様たちが来た時、そんなに匂った? ……ボクもブレイズも分かんなかったよね」
「彼らとは何度もお会いしているし、香を嗜む方たちだから、何度もお会いしている内に慣れてしまったのでしょう。余計にね」
まだおしゃれな装いのままのジェイドが髪飾りを外していくと、今日という日を終わりにしようとお淑やかさを閉店しました。
「慣れない香りを身体が受け付けないのは、生存本能のひとつよ。きっと私たちにそれほど必要のないものだから、感じないのかもしれないわね」
「生存本能……。確かにあの匂いは死ぬかと思いました」
「マイマイ目を瞑ってたよね〜」
「初めて知ったんですけど、匂いって目にも刺激が来るんですよ。とてもじゃないけど開けてらんなかったです」
「それが今ではこれね。慣れて良かったわ」
今は別の部屋だけど、玄関に近付いても、相談中のヴィクターの部屋に近付いても平気だったので異臭問題はもはや解決。
ジェイドがこちらの頭を軽く撫でると、アデルとブレイズまで真似して来ました。
「……お客さんたちは、お泊まりになるんですか?」
「居住地ごといらしてるからね。自分の居室に戻るでしょうし、そもそも外泊するって概念がないんじゃないかしら」
「パウークの寝室、すごいんだよ。横型にも縦型にも対応出来るんだ。機密性だけでなく音響もいいから、音楽を聴きながら寝れちゃうんだよ」
「横型? 縦型……? 寝るんだから横になるようにするもんじゃないんですか?」
「ガガテス様に頼んで、このお城にも取り付けてもらえないかな〜」
はてなを浮かべる私とは対照的に、リュカは飛び起き目を輝せ、外にまだ停まっている移動都市パウークとやらを指差しました。
外は真っ暗なので、窓に近付かないと何かがあることにも気付きません。
小さな移動型の都市は、吸血鬼たちが数百名暮らしているとか。
ヴィクターと挨拶しに行ってから接点はないのですが、リュカたちにとっては親しい人たちのようで、────少しだけ輪に入れないことが寂しいです。
でもここで暮らすことは、みんなの持つ輪から少しずつ外れながらも、そばに置いておいてもらうということだとも思うのです。
「……カリブンクルスにはいくつも部屋はあるけれど、どれもただのインテリアで、無駄な思い出ですものね。それらしい形がないと落ち着かないのだから、飾っているだけ。────機能性を重視した無機質なデザインの方が、若い子には好まれるのかしら?」
寂しさを乗せた声が、こちらに問いかけ来ました。────その寂しさは、人だった頃を惜しむような気持ちでょうか。
「私は……、このお城のレトロな雰囲気、好きですよ」
「マイマイ。ジェイドはあの機械デザインが好きじゃないって言ってるだけだから、まともに受け取らない方がいいよ」
「言い方がずるいんだよなぁ……。何か匂わせる感じがいやらしいんだから」
お城のゴシックな雰囲気は、ヴィクターやジェイドのお耽美なイメージにも合致しますが、皆さんのお洋服にも統一感があって素敵なのです。
ですがリュカの気持ちも少しだけ分かります。ゴツゴツのゴテゴテといった古いデザインよりも、シンプルで無駄のを限りなく削ぎ落としたデザインがいいなって思う時もあるので。
アデルとリュカの非難の目をジェイドが笑って流すと、少し離れた場所に置かれていた黒いリボンが掛けられた大小二つの箱を持ってきてくれました。
「私の味方をしてくれたマイラにプレゼントよ」
「────そんなわざわざ……」
プレゼント────。その響きだけで嬉しくて、思わず立ってしまいました。
「……ここに来てから毎日プレゼントをもらってるようなものなのに、追加で受け取れません」
毎日目覚めることが嬉しくて楽しい日々の連続で、きっとこれ以上幸せなことはないのではと思ってしまいまます。
だけど、改めてプレゼントを用意され贈られてしまうと、頬が緩んでしまいます。
「あなたが受け取らなかったら無駄になってしまうわ。マイラ用に用意したものだから、もったいないわね」
両手を伸ばしてちょうど持てる大きさで、見た目に比べてとても軽いです。戸惑いつつ周りにいるみんなを確かめると、開けていいと促されました。
「マイマイ、ジェイドを贔屓したからって、何か出て来る訳じゃないからね。そこまでいいヤツじゃないからジェイドは」
「みんなでマイマイに使えるものを用意しただけだから、どうぞ受け取って」
「────あ、ありがとうございます……!」
サテンのリボン解き箱を開けてみると、大きな箱にはコート、小さな箱には手袋が入っていました。
どちらも真っ黒だけど、女子なら誰でも嬉しくなってしまうような可愛らしいデザインです。
「ずっと屋内にいるのも飽きてしまうだろうと選んだ。防塵防火耐水紫外線も跳ね返す、衝撃にも強く耐久性も備えた機能性抜群な最新鋭の生地を使用したコートと手袋だ。これで屋外でも活動出来よう」
「晴れてたらね。雪が降ってたら傘を差した方がいいよ。あの雪は厄介だからねー」
「暖かいせいか積もらずすぐに溶けるけど、素手で触るとこっちの手も溶けるから、マイマイ気をつけてね」
プレゼントに見惚れていると、ジェイドがコートを肩にかけてくれました。
「軽いでしょう? 見た目より暖かいし、生地も柔らかいから動きやすいと思うわ。おてんばなお嬢さんにはちょうどいいかと思うのだけど、どうかしたら?」
「ちょうどいいです──。みなさん、ありがとうございます!」
外に行ける──。新しい機会に胸が高鳴ります。
好きだと眺めていた白い景色のままでも良かったけれど、その景色の中に私も入れるなんて────。
真っ白な外の空気や雪ってどんなものなのか、少しだけ気になっていたけれど、見ないふりをした気持ちがわらわらと出てくるよう。
たくさんの期待が胸いっぱいに弾けて、楽しい気持ちのままその場で跳ねました。
アデルも一緒に喜びを分かち合うように、手をとって一緒に跳ねてくれると、二人で笑っているうちに他の三人も笑っていました。