第二十二話 目指すのは適者生存。最適解?
「あの人、いったいなんなんですかぁ」
「……黒玉の坦懐公、ガガテス様だよ。ヴィクター様と同じご真祖様のおひとりで、あちこちにいろんなものを届けて下さるんだ。昔から人間社会にも関わりが深くて、物資以外にもいろんなことを教えて下さるの」
やっと落ち着いて呼吸できる場所にやって来たものの、全身からまだ匂いがついてそうでかなり涙目です。
以前のように、アデルに水でもぶっかけて貰った方が諸々早いかもしれません。
「だけど、マイマイに冷たい態度取るとは思わなかったな……。ごめんね?」
「アデルは何も悪くないですよ。あと……、私の他にも地上に人間っているんですか?」
以前も誰かがそんなことを口にしていました。
あまり良い意味ではなかったのは分かっていたけれど────、地上ではあまり歓迎されない存在なのだと、さっきの件で嫌でも理解しました。
帰れと促しずっと気に掛けてくれていたのは、きっとこういうことから遠ざけてくれていたのでしょう。
「いるけど……、────────他のご真祖様は人の血を好む方が多いんだ。私たち、似たような見た目をしているのにね」
だんだん元気がなくなるアデルの声が、肩に乗りました。
私は床に座りソファにもたれ脱力することしか出来ずにいましたが、彼女の頭を撫でてあげました。────彼女太めの髪は撫でる度元気にふわりと弾むので、つい撫でたくなってしまうんです。
意気消沈してもふわふわなアデルの髪は変わりません。
「吸血鬼の皆さんからしたら、食事が歩いているようなものですもんね。ウラーなんてバイキング会場みたいな場所ですし」
ウラーでは自然受胎もありますが、それとは別に生殖管理がなされています。少子化対策の一環で一定の年齢になると、健康診断と一緒に精子と卵子の提供を行うのです。
人の身体を使わず人間が生まれるようになってから、長らく安定した人口ピラミッドが保たれていますが、同時に競争社会が激しさを増しました。
そして施設で生まれた子どもは、家々に振り分けられます。血の繋がりというのは意味を失くし、代わりに個人の能力が『価値』となる。
『価値』がつく前の人間って、一体なんなのでしょう────。
そんな想いをずっと持っていました。
「そんなこと、私たちは思ってないよ! こうやって仲良く過ごせる方がずっと楽しいもん」
「私も…………、自分が作ったパンと一緒に出掛けたりできたら良かったな」
ある想いが湧き、噛み締めるように口をついて出ました。
「────……うん? どうしたマイマイ?」
「今思ったんですけど──、私がバイキングの食事だったら、誰かに食べられるのを待っている状態ということですよね。例えると、私が昨日焼いたパンと交流出来るみたいな状態だと思うんです」
信じがたいものを見るかのようにアデルが青ざめた顔を向けますが、待ってくれと手で牽制しました。
「……どこかに頭ぶつけた? もしかして、匂いのせいでおかしくなっちゃった?」
「どこにもぶつけてないし、正気ですから。聞いて下さいアデル。──昨日作ったパン、もう食べちゃったけど、今までで一番上手くできたんです。形もバッチリ、食感も良くて、程よい焼き目に出来て。だからあの時食べるのがもったいなくて、出来たらもっと一緒にいたかったなって気持ちを思い出したんです」
ふんわりと焼けたパンに、あの時確かに愛着を持ちました。丸いフォルムが愛らしく、焼き立ての甘い香りに胸がいっぱいになった瞬間を思い出し、もうなくなってしまった寂しさが胸中に渦巻きます。
「……食べてしまう前にもっと私の好きなものを見せてあげたかったし、あの子が生まれたこのお城の良さを知ってもらえばよかったなって。そうなると一緒に出かけるためのパン用バッグを作ろうとか、パンたちが安心して最期まで過ごせるように、順番にみんなに紹介したいなとか、──いろんな気持ちが浮かびました」
「…………パンの話、だよね?」
「だけど人によってはパンはパン。出来たてを食べるのが最適解だと思う人もいるし、いびつに焼けたりちょっとでも焦げたら、全部失敗だと思う人もいます。──ジェイドはちょっと失敗したパンもアレンジしてくれて、美味しい食事にしてくれますが、ウラーでは売り物として作られたパンの失敗作は、よく廃棄されていました」
食糧廃棄問題の多くは過剰生産に寄る食べ残しや廃棄、売り物として『価値』のつかない商品を捨てることに起因します。
きっとこれも同じことなのでしょう────。
「きっと吸血鬼の皆さんの中には、食事のくせに好き勝手歩いて喋るなんて生意気なと思う人もいれば、私のようにパンを慈しむ人もいる。──だから私、美味しくなります」
価値が付く前も、『無価値』と評価がつけられた後も、ないものにはなりたくない。
新たな決意の勢いのまま、立ち上がり拳を天井に突き上げました。
「せっかく私をここに置いてくれるヴィクター様のためにも、また誰かに紹介してもらった時に相手の方に『へぇ、いいじゃん』って言われるくらいには、魅力ある人間になります!」
「どうしてマイマイは食べられる前提なの? ここのみんなはそんなことしないよ?」
「今のところ可愛いということくらいしか、お役に立てることがないので。せめて……、一眼見て美味しそうだねって言われるくらいには……っ!」
あの日の雪辱がふつふつと湧き、握りしめる手と、決意に力が入りました。
置いてけぼりのアデルが私を見上げて、少し考えると、
「もしかして……、ヴィクター様に不味いって言われたの、結構ショックだった?」
「まぁ、それなりには」
よくウラーでは若い女子供は格好の餌食という話でした。……だからこの花の乙女、杜若苺來が誰にも相手にもされないのは、やっぱり悔しいじゃないですか。
「あのお知り合いの方にも、こんな不味そうな娘をそばに置いておくなんてと、馬鹿にされたことくらい私にも分かりますよ!」
匂いや雰囲気だけでなく、捕食対象としても私自身が格下の相手だというのは重々承知しています。
だけど、家族だとヴィクターに紹介してもらえば、弱気になんかなっていられません。
「よく分かんないけど……、マイマイがんば」
「はい! 見返してやります!」