第二十一話 蜘蛛の糸、垂れて絡んで囚われて。
「マイラ……、これから会う連中とは誰とも目を合わさてはいけないし、何を聞かれても答えてはならない。……不快なことを言われるだろうが、わざと煽っているだけだからまともに取り合わなくていい」
「分かりました」
ヴィクターの長い足についていきながら、どんな人たちなのかと不安と期待がぐるぐるしていました。
ジェイドとアデルはいつも通りでしたが、フィルの硬い面持ちと、声のトーンがいつもより低いヴィクターに気を引き締めます。
紹介してくれるけど目を合わせるなって、どういうことなんでしょう。
もうすぐ玄関口が見えてくるかも、というタイミングで嗅いだことのない匂いが鼻に届きました。
「────くっ! なんですかこれ……!」
良い香りに混じり、匂いが重い────。思わず足が止まり、後ろから誰かと追突しました。
甘く優しい香りがした気がしたのですが、それが煮詰まって凝縮され過ぎたような、いろんなものが混じって沈澱しているような、重くまとわりつくような匂いです。
あまりの濃過ぎるパンチに頭が痛くなり、眩暈がして涙が出てきました。
くさい。くさい。くさすぎる〜〜〜〜〜〜。
「……少しの間だけどうか耐えてくれ。アデル、彼女を紹介したらすぐに下がらせてくれ」
「はい、ヴィクター様。……マイマイ、少しだけ頑張ってね」
「ふぁい……、ふぁんありあす……」
背中をさすられ、なんとか持ち直します。鼻で呼吸しないようにしても、取り込んだ臭いのせいで気持ち悪さが身体中を巡っています。
一体なにが来てきるのか興味も期待も消えてしまい、ヴィクターの言う通り目も合わせないし、口も開かないと決めました。
誰かが背中を押してくれる。──目を瞑っても歩けそうなので、流れに身を任せて進むことにしました。
◇◇◇
「やぁ、ヴィクター! 相変わらず辛気臭い顔をしてるネ。元気にしてたカイ?」
目を瞑っていると、変わったイントネーションながらも陽気で元気な声が聞こえました。
匂いに反して、人の良さそうな印象です。高めの声だけど男性なのかな。
もしかしたら、香水をつけ過ぎてしまったお知り合いなのかもしれません。かなり遠くまで匂ってましたが。
「何の用だ、ガガテス」
「『黒玉』だなんて、他人行儀ナ〜。ワタシとキミの仲ダロ? キミには名前で呼んでもらいたいノニ」
声が徐々に近付くので、恐らくヴィクターの側に来たのでしょう。
ガガテスという名前も、何度か耳にしたので覚えています。トレッキング・クラブ────、ではないけれど、確か吸血鬼的繋がりがある人だったはずです。名前が覚えられません。
「フィルとジェイドも変わりなさそうだネ〜。リュカもブレイズもアデルも元気そうだけど────、ソレ、どうしたノ?」
冷たい言い方に心臓がキュッとしました。
誰かいる気配はたくさんしますが、────モノのように呼ばれたので、ここに居るのは私と同じ人間では無いのでしょう。通じる言葉が聞こえても、急にひとりだという実感が湧きました。
アデルが隣で支えてくれていなかったら、周りにみんながいなかったら、きっと恐ろしくて立ってもいられなかったかもしれません。
「ニンゲンだよネ? まさかまた見つけたノー? アナグラに返して欲しいんだったら、いつでも連絡してくれれば良かったノニ」
「そうではない、ガガテス。──紹介する。新しくファミリーに加わったマイラだ」
────ファミリー? 今、家族って言った……??
ヴィクターの声が、頭の中でリフレインしながら響き渡ります。
『紹介する。新しくファミリーに加わったマイラだ』
『紹介する。新しくファミリーに加わったマイラだ』
『紹介する。新しくファミリーに加わったマイラだ』────────。
しょ、紹介ってそういう──?! 勢いよくお辞儀しました。
え、うそ──。居候とか穀潰しって紹介されるのかと思っていたのに、まさかのファミリー。知らなかった──。
もしかして苺來・カリブンクルスとか名乗っても許されるのでしょうか。響きが素敵じゃないですか……!
でもファミリーって何? もしかしたら愛玩動物的な立ち位置かもしれないけれど、雑用係でも全然嬉しい。押し掛けたのにまさかの待遇に喜びが駆け巡り、気分の悪さも飛んでいきました。
目を開けると床が見え、すぐ近くにぺたんこな大きな靴に、艶やかな黒地の裾が見えました。四角い裾は縁取られ、光る布地には細かな模様が入っている。
ヴィクターたちとは全く異なる服装のようです。ゆったりとした白のボトムが裾から見えています。あまり見たことのないお洋服のようです。
ふと息を吐く音と共に、白い糸みたいな煙が頭にかかり足元に落ちてきました。
────何かが近くでこちらを覗いている。そんな気配に息を止めました。
耳を澄ましても、自分の脈打つ音しか聞こえない。シンと静まり、冷たくなる空気に身動きが取れない。何かと目が合わないよう、出来るだけ自分の足元に目を向けるしか出来ませんでした。
明るい場所だけど目を閉じることも出来ず、呼吸をすることすらなんだかこわい────。
「フゥン……。食用にしてはとても足りそうにないようだケド」
「ファミリーだと言ってるだろ。このままここに置くつもりだ」
「エ~? まさか愛玩用? ────キミってば前々カラ乳臭い奴だと思ってたケド、……まさかソッチの趣味まで乳臭いトハネェ」
「聞こえなかったのか、ガガテス────。彼女は、私のファミリーだ。これ以上無用な無礼を重ねるつもりなら、今すぐ追い出してもこちらは構わないが」
嫌なものが絡み付くような空気を、冷たいヴィクターの声が払ってくれました。
──怖いし嫌な空気だけれども、今はその冷たさが頼もしい。緊張で強張る身体が、自分のものになる感覚が戻ってきました。
「アーハイハイ、キミと争うつもりはないヨ、盟友。──失礼したネ。無礼の詫びに今日は色をつけてあげヨウ。ワタシの移動都市パウークにはなんでも揃ってル。他にもニンゲンが必要なら、属性を教えてくれれば用意しヨウ」
「人間は必要ない。……フィル、いつも通りに。ジェイドはマイラに必要なものを見繕ってやってくれ」
「承知しました。リュカとブレイズも借りても?」
「あぁ、よろしく頼む」
カチコチの肩をアデルに引っ張られると、紹介の時間が終わったようです。
やっと離れられることに息を吐いて、床から顔を上げずに下がろうとすると、
「デハ、ワタシたちはいつも通り話し合いと行コウ。──────ジャアネ、マイラ」
親し気に名前を呼ばれ、背筋にゾゾっと嫌なものが走りました。
振り返りも返事もせずアデルと離れました。
「……マイマイ、大丈夫?」
アデルの心配に声が出せなかったけれど、不安そうな顔に硬い顔に笑顔を作って返事をしました。
曲がり角で振り返ると、ヴィクターと彼より大きな背中が一緒に階段を上がっていくのが見えました。退屈で冷たくなるヴィクターの横顔も遠くなり、見えなくなるとほっとしつつも心配です。
いつもの楽しいカリブンクルスが戻ってきて欲しいと、見えなくなる姿に思わず願わずにはいられませんでした。