第十七話 夢の中、身体が重くてつらいです。
────皆さん、おはようございます。
────新しい一日が始まりました。
────今日も元気に『務め』を果たしましょう。
聞き覚えのある挨拶の言葉が聞こえてきました。子どものような女性のような、アンバランスで高くて明るい声。
毎日往復するだけの道を、大人も子どもも、男も女も誰も彼もが歩いています。
目的地はバラバラでも、辿り着く先はどれも同じ──。
そこに行くために、誰もがこの世に生まれてきたのですから何も考えてはいけません。
────皆さんは幸いにして幸運です。
────外の世界には恐ろしい吸血鬼がいて、いつでもわたしたちを害そうと牙を研いでいます。
────ですが皆さんが≪ウラー≫にいる限り安心して眠れる夜も、幸福な朝が訪れることも、誰にも害されない日常が保障されています。
そんなの嘘だ。
幸せに眠れた夜も、起きて良かったと思う朝もなかったじゃないですか。学校でも社会でも順位が付けられては不必要な人間のレッテルを貼ろうと、誰もが誰かを転ばせ安易な権力者気分。
この先がどうなるか分かっているから列から抜けたいのに──。
どうしてか自分の手足が重くて、列に混じって歩く以外のことが出来ません。
────誰でも受けられる『保障』には、皆さんが果たすべき『義務』があります。
────これからも≪ウラー≫で豊かな日常を送り、美しい未来のために皆さんも≪ウラー≫のために『義務』を果たしましょう。
────それがこの世界に生きる皆さんの果たすべき『務め』です。
まるで見えないリボンに巻かれているかのよう。どうしたいのか明白なのに、手足は動かないし声も出ない。
小さい頃、お気に入りのぬいぐるみにたくさんリボンを付けた時のことが思い出されました。
あの子もこんな気分だったのかな。
それももうどこへ行ったのか覚えがありません。
────皆さん、おはようございます。
────新しい一日が始まりました。
────今日も元気に『務め』を果たしましょう。
リフレインする毎日に、何も出ない無力感。
だけど毎日にすりつぶされてしまえば、余計なことを考えなくて済むかもしれない。
重い手足がまた列に並んで歩き出す。
────皆さんは幸いにして幸運です。
列に並ぶ幸せ。序列が付けられ有用な人だと認められる幸福。
義務を果たせば保障される日々。
それで充分ではありませんか。
それが私、────────だったでしょう?
急に何かがぶつかって、息苦しさと刺されたような痛みで目が覚めました。
「マイマイ! 大丈夫!? どこか苦しいの?」
「…………アデル? えっと……」
身体が重い────。ぼうっとする視線を定めると不安で泣きそうなアデルの顔がありました。腕を上げるとポタポタと冷たい水滴が落ちてきました。
「……どうして私濡れてるの?」
身体が重いのは当然です。ベッドの上でびしょ濡れになっているのだから、布団も身に着けている服も髪も水を吸って重くなっているようでした。
引き離しても濡れて張り付くべしょべしょの布団の感触が最悪です。
「声掛けても起きないし、ずっと魘されてたからなんとか起こそうとして……」
「起こしてくれてありがとうございます、アデル」
バケツを持ってしょんぼりする彼女に、今のが全て夢だったようです。
バカみたいに流れていたアナウンスの声が耳に残っているけど、びしょ濡れで寒いと感じる温度も、べたべたと張り付く不快感も、心配してくれる人の温かさも全部現実だと分かるとほっとしました。
「って、どうしてベッドを水浸しにしているんだ────、アデル! 撒くなら塩にしろ!」
「だってぇ……」
「ふふっ、これでは乾かすまで時間がかかりそうね。洗濯日和とは言わないけれど、大掃除を始めるには丁度良い機会かしら」
「水泳か……。全身運動には丁度良いらしいが……」
「水はねぇ。水が流れるとなんかぞわぞわするから、ボクたちには絶対やらないでねアデル」
開けっ放した扉から皆さんが入ってきました。フィル、ジェイド、ブレイズにリュカ。
怒ってる人、笑っている人、悩みながらも心配してくれる人────。どうして来てくれるのか分からないけれど、口々にいろんなことを言う彼らに嬉しくなってしまいました。
「アデルが起きないと心配していた。────どこか優れないところがあるのか?」
最後にヴィクターがやって来て、心許なそうな声の美しさに思わず顔が赤くなります。
────夢見が悪かっただけなのに、どうして来てくれるのでしょうか。
直視できず顔を背けると目の前に大きな何か影が落ちて、ほの温かいなにかが当てられました。
「どうですかヴィクター様!」
「あら、古典的ね。そういうことするのも久し振りね」
「それで何か分かるの?」
「ヴィクター様には分かるのであろう。流石ヴィクター様」
大きな手でした。抑えるように額に触れているのは────。
「……体温計ってどこかにあっただろうか」
「ある訳ないですよ。我々に必要ないですから」
「まして医者もいないからね。薬はあるけれど果たしてアレは何年物だったかしら。まだ効くと思う?」
影が離れていくと、それがヴィクターの手だったことと、彼が近くに腰かけていることが分かりました。
「────ガガテスに連絡を取ろう。マイラ、君がここに居ても私たちには治す手立てがない」
「だっ──、大丈夫です! 私は元気ですから!! 風邪も引いたことがありませんし、健康優良児なことだけが私の取り柄なので!」
だからあんな場所に戻れと言わないで欲しい。
「だが見るからに紅潮している。熱があるのでは」
「あ~~~、これは急に身体が冷えたから急速に温めているだけです! 走れば元に戻るので大丈夫です!」
ブレイズがぱっと目を輝かせており、思わず私も親指を立てました。
「そうか……? ────とにかく仕切り直した方が良いだろう。ジェイド手伝ってやれ。それからアデル、簡単に相手に水をかけてはいけない。教えてなかった私が悪いが」
「申し訳ありませんヴィクター様ぁ……」
「リュカもブレイズもこの部屋を片付けてくれ。他にもまだ部屋はあるから、帰るまでの間はマイラがそちらに移ればいいだろう」
テキパキと指示を出し、立ち上がろうとしたベッドに広がるヴィクターのコートを思わず掴みました。
「アデルにも皆さんにも、ご心配をおかけしてすみませんでした。本当に私は大丈夫です────。だから、」
何か何かと縋るように言葉を探していると、焦る気持ちの中から湧き上がる言葉がひとつ。
「あの……、私を飼いませんか?」




