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爽風

『だったらもう家の敷居跨がせねぇ!バカっ!』

 駿の頭の中で、黒瀬に言われた言葉が勝手に繰り返し再生される。その後キスまで見せつけられ、挙句の果てには手に手を取って逃げられて…。

「…どうすりゃいいんだよ」

 既に引いたはずの、彼女にはたかれた左頬に手が自然に伸びた。

 駿の自室。ベッドに仰向けに寝転がって時間を無為に消費していた。

 明日は日曜で休みだが、明後日は月曜日。登校しなければならないし、同じクラスで黒瀬は真後ろ。顔合わさないワケがない。今からでも気が重くてとても学校へ行く気がしない。

「はぁ…」

 独り言よりもため息の音の方が多い状態。

「…そういや、術者としての訓練、どうすんだろ…」

 本来なら彼女が指導役になるはずだった。でも、こういう状況ではとても頼める状況でもないし、そもそも黒瀬がそれをする気があるかどうか。あれだけ感情的に口論した手前、こちらから腰を折るというのも…。

「…なかったことになるんだろうなぁ」

 またため息。

 色々考える。ぐるぐる考える。でも、ただ回るだけで何の解決も出せてない。時間だけが過ぎ去ってゆく。

 寝返りをうとうが、ストレッチしようが、目を閉じて寝付こうとするが、結果は同じ。

 逆に数時間前の、彼女との痴話喧嘩のシーンがありありと頭の中で再生され始めて、うめき声をあげてのたうつ。

『はぁ!?今更何言ってんのハッキリ言わなかったあんたが悪いんじゃない!』

 その時、そう言われてとっさに反論する言葉が出なかった。

 これだけ長く一緒にいた異性と言うのは黒瀬だけだし、ハッキリ言わなくてもそれなりには伝わってる『はず』、と思ってた。だから途中で胡麻化したりうやむやにしたりしても大丈夫だろう、と。

 甘かった。それどころか向こうは"弟"という言葉を切り出してきた。

 "弟"だから恋愛対象にはならない…卑怯だよなぁ、それで逃げるか。

 …そういえば、男女の幼馴染って互いの近さゆえに家族同然という意識が働いて姉弟のように思ってしまうと聞いたことがある。そうなると、近親との交配を避けようとする…と。

「弟みたいって言うけど、実際の所小学校高学年辺りからそんなに遊ばなくなったからずっとべたべたしてたわけじゃないのに…」

 中学の時には、彼女とつるんでるのは時折くらいで、今から考えると一番疎遠だった時期かもしれない。

 黒瀬以外からの女の子からラブレターとかも何度か貰って、そこから付き合ってた事もあったが…そんなに長続きはしなかった。

 何か違和感があったから…それが理由かもしれない。よく判らないが。

 と、静かな自室に電話子機の呼び出し音が突然響いた。もやもやとした、取り留めのない思考を一時中断して子機の受話器を上げる。

『ごはんできたよー』

「…あーい」

 母親が夕餉が出来たことを知らせてきた。やや気のない返事をして受話器を置く。

 …悩んだって腹が減る。

 自室のドアを開け、下へ降りようとした。

 視線の先に、開け放たれた窓越しに隣の家の2階の一部が見えて、その窓も開いていた。そこにまさに下に降りようとした彼女の姿が。

「…!」

 目が合う。向こうも一瞬、こっちの方を見て…いくつかの瞬間を置いて不快なモノを見たかのように顔を背けた。そのまま下へと降りて窓から見えなくなる。

 数時間前の出来事がまたフラッシュバックする。振り払うようにこっちも顔を背けると、空腹を満たすため台所へと階段を下り始めた。


 月曜日。いつもなら黒瀬が迎えに来てくれるのだが、ああいうことがあったので当然ながら今日からはそれはなかった。白谷はとにかく間に合うように道中、自転車を飛ばし気味に走らせて学校にたどり着く。ホントは行きたくないんだが…心が重い。

 教室に入り、挨拶をした。黒瀬以外からは「おはよー」と返事が来たが、彼女は一瞬こちらを向いて…瞬間に失望したかのように何も言わず顔を背ける。

 無言で彼女の横を通り、白谷は自分の席に腰を下ろす。始めから友達でも何でもないかのように。

 白谷は周りがざわついてるなぁ…と思ってると、後ろでは黒瀬の友達が、こっちでは男友達が集まってきた。

「…白谷、黒瀬さんと何かあったのか?」

「…まあ、色々と」

 ちょっと前に天井裏からダニが落ちてきて酷い目に遭った黄谷が心配そうな顔をして話しかけてきた。黄谷と同じく友人の深緋(ふかひ)、紺野も黄谷の表情をコピーしたかのような顔をしている。

「黒瀬さんと話しどころか言葉交わさないなんて異常だろ」

「振られた?」

 深緋と紺野が続けて話しかける。白谷は視線を後ろの彼女に向けるかのように横目にしながら、

「振られたのも何も、元々付き合ってないからなぁ」

 白谷は後ろの黒瀬にわざと聞こえるようにやや大声でわざとらしく言い放つ。その言葉を聞いて後ろの黒瀬が、白谷の横を向いた顔を無言で睨みつけた。灰屋、青野、紫野の3人はその雰囲気にのまれて少し怯える。

「…というわけで、今日からは幼馴染でも何でもない、隣に住んでるだけの他人です」

「…ちょっとそれ酷くない?」

 呟くような白谷の言葉に反応したのは青野だった。声のする方へ白谷は視線を向ける。

「酷いとは思わない。そういうことしたんだから」

「どういうことがあったかは判らないけどそう言う言い方ってないんじゃない!?」

「判ってない外野は黙ってろ。黒瀬が言うならともかく」

「あんたそんな薄情な…」

「アオちゃん、もういいよ。どうせこのバカには何も伝わらないんだから」

 黒瀬が身を乗り出して友人の援護をしようとした青野を止めた。睨んでる目はそのままだが、言葉はつとめて落ち着いてるようには聞こえる。

「ニブいやつが何偉そうに言ってんだ」

「物事をマトモに伝えない奴が何言ってやがる」

「人の気持ちも判らん奴が偉そうに姉目線でお説教ですか」

「…弟がバカだと姉は苦労するんだよ」

「苦労してって、はっ!姉の立場利用してこき使ってたくせに!」

「勝手に捏造するな。そんなことしとらんわ」

「おやおやもうボケてるんですか。その歳で可哀そうに」

「過去捏造してるキチガイはさっさと檻付の病院へ行きやがれ」

「そっちこそ今から老人ホームでも予約しとけ」

 横目で黒瀬を睨みつける白谷に、彼女は一旦目を閉じ、深呼吸して、

「アオちゃん、灰ちゃん、ゆかちゃん、こんなバカな男に引っかかっちゃダメよ~。頭の程度疑われるから」

「えーどうせ頭はよくないですよ。でも頭よくても告白されてすぐキスするほど淫乱にはなりたくないわなぁ」

「…ぁんだと!!」

 キスという言葉に反応して彼らの周りに集まっていたクラスメイトが一斉に反応したのと同時に、黒瀬は怒りと少しの恥ずかしさとがミックスされた感情を爆発させた。椅子を足で跳ね飛ばして白谷の席に近寄り両の手で白谷の襟元を締め上げる。彼はその手を払いのけようとするが思ったより彼女の力は強い。

「言っていいことと悪いことの区別がつかんのか!」

「人の気持ち判らん奴が告白されてデレデレしやがって!」

「何も言わなかった奴が人の気持ちどうのこうの言う資格ねーだろが!」

「だからお前はニブいんだよ!そんなのが色恋沙汰なんか出来るわきゃねーだろ!」

「それでも彼氏は出来たぞ!てめーなんざずっと一人でいやがれ!」

「こんな淫乱バカ女に少しでも好意持った俺がバカだわ!」

「ふざけるなこのっ!」

 右手を白谷の襟元から外すと握りしめた拳を握りしめてストレート気味に彼の顔に打ち込んだ。目の前に火花が飛び散るような錯覚。思いがけない攻撃に少し怯んだ白谷だが、もう制御はいらないとばかりに今度は右手で黒瀬の顔にストレートを打ち込んだ。ギャラリーから悲鳴が飛び、それをBGMにひしゃげた眼鏡が宙に舞う。

 黒瀬は反動で少し後ずさりしたが、拳を貰って闘争本能が完全に出たのか、レスリングのタックルの要領で白谷の胴を掴んで勢いのまま押し倒した。黒瀬が白谷の上…マウントを取ると容赦なく両の手の拳で白谷の顔に向かって振り下ろそうとする。白谷はそれを必死で防ぎつつ、体重差を利用して黒瀬のマウントを解除させると今度は逆ポジションになって彼女に向かって拳を振り下ろそうとした時…。

「お前ら何やってる!!」

 教室に怒号が響く。それに続いて賑わっていたギャラリーたちが一斉に静まり返る。

 担任教師の中島がギャラリーを割って入って阿修羅のような形相で喧嘩中の2人の所に足を踏み入れた。組み合ってた二人も担任の姿を見て動きが止まる。そこへ中島が歩み寄り、立て続けに二人の頭を叩いた。

「白谷、黒瀬!今すぐ職員室…じゃない、保健室へ来い!」

 喧嘩は強制終了された。我に返ったか、二人から怒りのオーラが消え去り、バツが悪そうな顔をして中島の前に立ち上がる。

 担任の中島が場所を変更した理由が立ち上がった二人を見てわかった。どちらも左頬にあざのような内出血跡と、口端から流れる血。

「ほら、早く。あとは自習!」

 中島に連れ出されるように二人はぞろぞろと教室を出ていく。あとに残ったクラスメイトを中心にしたギャラリーは、しばらく無言で先生と二人を見送ったが、やがて魔法が切れたかのように三々五々自分の場所へと戻り始める。

「…灰屋さん?」

「はい?」

 気が付いたら隣にいた灰屋に、紺野が話しかけた。

「…何かこの喧嘩、互いの恥ずかしいことを思いっきり喚いてた様な気がするんですが…」

「…私もそう思っただら」

「こういうのを"痴話喧嘩"って言うんですね…」

「だら…私も気を付けないかんら…」


 …そのままでは職員室で説教は出来ないということで、先生はまず二人を保健室へ連れて行き、治療を優先させた。どちらも左頬に大きめのガーゼを貼り付けられて…そのあとそのまま約1時間、みっちりとお説教と相成った。

「…まあ経緯が経緯だけに多少は大目に見よう。でもな、今度同じ事起こしたら容赦なく停学にさせるぞ。これ、内申に響くからな」中島はそう二人に告げた。「もういいぞ、教室へ戻れ」

 互いに1mほどの距離を開けて椅子に座っていた二人は立ち上がって先生に謝罪をして…互いにどちらが先に保健室を出るか視線で1秒ほど牽制しあって白谷が先に保健室を出た。黒瀬が出たのは白谷から30秒ほどした後だった。失礼しましたと言って引き戸を閉める。

「…2年生とはいえ将来のこと考えると色恋沙汰で問題起こす余裕はないんだけどなぁ…」

「中島先生、それは仕方ないですよ。思春期ですから」

 養護教諭の愛知が作業をしていた机から椅子ごと反対方向へ振り向いた。背もたれにかけられた白衣の端とポニーテールにした長い髪がはらりと揺れる。

「それはそうですが…心配だなぁ」

「まあ、確かに手間は掛かる年頃ですけど、彼らは彼らなりで何とかやってますから、それ見守りましょう。それが教師の役割ですし」

「うーん…まあ、確かに…」

「先生はどうでした?高校生の(この)頃って」

「そりゃあ真面目に…でもないか。なんだかんだでクラスメイトの女の子とデートとかはしてたり」

「え,すごい。モテたんですね」

「星の話ならだれにも負けなかったですからね、ははっ!」

「じゃあ今度、放課後辺りに星のお話聞かせてもらおうかな?」

「いいですよー、ってもうこんな時間だ」

 中島先生はご迷惑おかけしましたと愛知に頭を下げて保健室を後にした。人の気配が消え、静けさが再び保健室を占拠する。

 再び愛知先生一人になった保健室で、誰に聞かせるわけでもない独り言を口にした。

「…怪我させるのはよくないけどねぇ…でも、白谷くん、黒瀬さん、仲良く喧嘩してね」


 …白谷と黒瀬が保健室に入って数分後。

「結衣…大丈夫かなぁ」

 保健室の入り口からやや離れた壁に寄りかかって腰を床に下ろし、緑川勇樹は保健室に入ったまま出てこない結衣(かのじょ)を待っていた。

 騒ぎが起こって緑川が隣の教室(2-7)へ向かった時には二人は取っ組み合いの喧嘩をやってる最中で、あれよあれよとしてる間に担任の中島がやってきて二人を保健室へ。緑川は友人に具合が悪いと適当に言って授業を抜け出していた。

 始めは養護教諭の愛知が忙しく動き回ってる音がしていたが、やがてそれが収まると今度は2-7の担任である中島が説教をする声が聞こえてきた。痴話喧嘩からとはいえ暴力沙汰だから話は長い。

「…結衣、停学になるのかなぁ」

 説教している中島の語調は扉を通してでも強めにしか聞こえない。それなりの罰が下るかと緑川は覚悟した。しかし、大目に見るという先生の言葉が保健室の扉越しに聞こえてくると、直接自分の事ではないが、安堵の感情が全身を駆け巡った。

 やがて保健室から白谷が出て来ると辺りを見回すことなしにそのまま教室へと向かって行った。

 それから30秒ほどした時に、

「失礼しました」

 引き戸を閉めつつそう言って結衣が廊下に出てきた。

「結衣さん」

 静かな廊下に音量を絞った声で勇樹は結衣に声をかけた。名前を言われて彼女が振り向き、暫く声のした方向に目を凝らす。声の主が判ったらしくちょっと驚いた表情を見せた。いつもかけてる眼鏡はなく、左頬には結構大きめのガーゼが貼り付けてあり、喧嘩の大きさを物語らせていた。

「勇樹…くん!あれ、授業は?」

 とうの昔に1時間目は始まっている…というか、終わろうとしてる時間に近い。勇樹の声の大きさにつられて彼女も自分の声の音量を絞っていた。

 勇樹は素顔の結衣の所へ来ると、彼女の手を自然に握ってすぐに外へ出る通路の外側へと二人は移動した。タイミングが良かったのか、その後2-7担任の中島が保健室から出てきた。

 廊下からはサッシの引き戸に隠れて見えない場所、床と地面の間を3段ほどの階段になってるところに二人は腰掛ける。

 目の前は置いてある自転車でほぼ一杯になってる自転車小屋。その奥に見えるのは学校の隣にあるやや大きめのお寺の建物。さながら壁のように二人の視界を占拠している。

「結衣さん、大丈夫ですか…顔」

「ちょっとまだ痛みはありますけど、歯は折れてなかったみたいだし…口の中を切ったくらいでしたね」

 どう見てもガーゼに覆われた左頬が痛々しいのだが、結衣は大したことが無いように笑みを浮かべながら勇樹に話した。とはいえ、ややぎこちないように見えるのは気のせいか。

「…授業抜け出させてごめんなさい。何か付き合い始めてからトラブルばかりで…」

「いいんですよ。好きな人なんだから」

「…何かそう言われるとまだ恥ずかしいような…」

 言った方も言われた方もまだ付き合い始めて2、3日。まだ二人ともドキドキ感が慣れてない。

「…結構喧嘩とかの手が早いんですね」

「小さい時に近所のガキ大将みたいなことしてたせいかもしれません。別のガキ大将とかとケンカしてましたし…。と言っても…白谷(あいつ)のお姉さんみたいなことしてただけですけど」

 一瞬、頭の中に幼稚園の頃の自分の幾つかのシーンがよぎる。いつも相手は白谷。

 泣き虫で、かばってやらないと。そんなことを何気なしに思ってた。

 "弟"だし。

「強いんですね…だから僕はそういう所に魅かれたのかもしれないです」

「そうなんですか?」

「初めて生徒会と各委員長との会議で顔合わた時には、眼鏡かけてて髪もストレートだったので見た目おとなしめで清楚だなぁ、と思ったんですけど、打ち合わせ等の発言とか聞いてると結構気が強そうだなぁ、と思って」

「うーん、そういう感じは確かにあるかも。時折男っぽいしゃべり方する時ありますし」

「僕、上に二人兄がいるんですが、いつも僕とかを引っ張ってて、そういうのを見ていたせいもあって…。僕自身はおとなしめで気が弱いところもあったので、兄みたいに強く他の人を引っ張るようになりたい、という気持ちが出来て…そこに結衣さんの気の強いところが(しょう)に合った、と言うか…性に合うなら二人なら何でもやっていけるんじゃないかと」

「そうなんですか…でもなんかそう言われるとちょっと恥ずかしいような…」

「…その時から、気が付いたら僕の中で結衣さんの存在が大きくなって…いつも逢いたくて、独り占めしたくなりました」

 結衣はいきなり彼の顔に近づけた。眼鏡がないので目を細めて彼の顔を凝視してる…あまりの近さに一瞬勇樹は慌てた。

「…もう独り占めされてます」

 彼女は目を閉じた。勇樹は素早く周りを見回して…目を閉じた。

 勇樹と結衣との隔たりは、ゼロになった。


 お昼休み。1-3の教室に、後ろ髪をシニヨンにした青葉が駆け足の勢いのまま入ると最短距離で友人らとしゃべってる赤城真由の所へやってきた。肩で息をして一呼吸おいて口を開く。

「真由、今話聞いたんやがお前の好きな人、彼女と取っ組み合いの喧嘩したらしいで」

「えっ?」

「そんでな、グーでお互い殴ったゆうんで保健室送りになったらしいで」

「なんで…前見た時あんなに仲良かったのに…?」

 意味が分からず困惑した顔をする赤城。

 確かに1時間目が始まる前に何か校舎の反対側が賑やかだな、とは思ったのだが、まさかそういうことになっていたとは。

「アオちゃん、事情判る?」

 友人の一人の榛名が訊いたが、青葉の方もよくわからないまま聞きかじってたせいか、明確な回答は提示できなかった。

「真由ちゃん、互いにげんこつで殴ったっていうことは相当怒ってたって考えられるわね」

「真由、こりゃあチャンスやで」もう一人の友人の三笠の言葉に続いて、青葉が意味ありげな事を言い始める「今告ったら、多分ふらぁーと真由の方へ心傾くで」

 赤城にとって青葉の言葉は悪魔のささやきに等しいものに感じた。他人を蹴落としてでも、自分がその場所を占拠する。良心がそれを拒絶しないかどうか、が問題にはなるが…。

「でもちょっと…それは…」

 腰が引けたわけではない。『彼と彼女が喧嘩した時に横から彼氏を奪った』という行為が他の人の共感を得られない、と。そう思うから赤城は青葉の言葉に否定的に答えた。

 しかし、

「真由、恋は戦争や。奪えるもんは奪ってまえ」赤城にけしかける青葉の目は獲物を狙う肉食獣のそれだった「チャンスをつかみ損ねて泣くより、卑怯者と言われても好機を生かし切れ、や!」

 それでも赤城は決断しかねている。半分泣きそうな顔をして、彼女の中で何かの感情と戦ってるかのよう。

「真由ちゃん、女は度胸!」

「真由ちゃん、ここはアオちゃんの言う通りの方がいいよ。確かに悩むけど、これ逃したらもうあの先輩と一緒になれないかもよ…」

 榛名は青葉と似た行動パターンだから予測は付きやすかったが、いつもなら慎重な言葉を選ぶと思われた三笠も青葉や榛名と同じ意見に、赤城は泣きそうな顔から変化し始めた。端から見てるだけでも、彼女の表情に自信と言うかやる気が出てきてるように見える。

「よっしゃよっしゃ、真由はそうでないとなー」

「真由ちゃん、がんばろ」

「応援するよ!あたしら友達だもん」

 青葉、三笠、榛名の3人に力を貰ったか、赤城の表情に笑みが現れる。ハマってたドツボから抜け出して、通常モードに戻った。

「ありがとうみんな。今日…先輩に言ってみる」


 放課後の生徒会室。いつもの生徒会役員4人の他に、騒ぎの片方の当事者、文化委員長の黒瀬の姿があった。生徒会役員たちとの学校祭の打ち合わせがあるからだが、それは朝方の騒動で黒瀬がけがをした、と言うことで数日後に延期。続いて緑川が黒瀬を彼女にした、ということで"お披露目"みたいな会がなし崩しに始まった。

 朝方の騒ぎは教室が近くだったので何となく耳に入っていた生徒会長の永井だが、生徒会書記の緑川とと文化委員長の黒瀬が一緒に生徒会室に入ってきて、しかも先週土曜日に彼氏彼女の関係になったという話を聞いて思わずウソ!?と言ってしまった。でも緑川は彼女を結衣と言い、黒瀬は彼を勇樹と言ってるのを見てこれは間違いないなぁ、と納得することに。

 なお、副会長の芳賀は会長より驚きのリアクションが派手目だった。会計の北川は表向きは冷静にはしていたが、自分のデータに狂いがあったのが響いたか、時折の行動に普段からしたらありえないドジな事をしてたので内心は驚いていた様に見える。

「…緑川のやつ、本当に黒瀬さんを彼女にしてしまったとは」彼女にはできるだろう、とは思ってはいたがまさかこんなイベント等がまだ何もない時期に…と生徒会長の3年生・永井が感心するかのように呟いた「しかもフタを開けてみたら彼氏だと思われてたのが彼氏じゃなかった、とはねぇ」

 いたずらっぽい視線を会計の2年生・北川に向けた。視線を受けた北川は事実とはやや違ったデータを出してしまったことに多少恐縮気味に、

「こちらのデータ精査に誤りがあったのは事実です。このわたしの目をもってしても見破れなかったとは…」

 銀縁ロイド眼鏡の奥の瞳は、次はもっとデータ分析を深くしないと…と一層気合が入っていた。

「痴情のもつれで拳を振るいあう幼馴染同士…何だか滾るものがありますねぇ」

 副会長の3年生・芳賀が公には見せない乙女モードをいくらか動員して妄想と鼻息を荒くしている。

「いや基本男が女子をグーで殴っちゃいかんだろ」

「でもこれには彼の方にも譲れないモノがあるからと見ました!」

 会長が男としてそれをたしなめても芳賀の乙女バリアは壊せない。

「黒瀬さん、歯とかは大丈夫でした?…ってそういや眼鏡、無いですね」

「口の中切って多少血まみれにはなりましたけど歯の方は大丈夫だったみたいで…あと眼鏡は壊れちゃったので後日買い直します。ご迷惑かけてすみません」

 会長に訊かれた結衣が生徒会役員たちに頭を下げた。

「黒瀬さん、まあ暫くは会合とかは休んでてもいいよ。学校祭に関しては作ってもらった資料とかあるから、それで多少は時間が稼げる」

「あ、いえ、今回は自分の事ですし、そちらに迷惑かけてますし…」

「気にすんな。優秀なスタッフがいるから問題ない…あ、そうか、緑川に逢えるしな」

「あ…あのっ…」

 会長から言われて思わず隣の勇樹を見てしまう。勇樹の方も結衣の方を見て顔を赤らめてる。

「いやぁ、青春してますなぁ。おねーさんはうらやましいっ!」

 結衣と勇樹の背後に回り込んだ芳賀が右手で彼女を、左手で彼の肩を抱いて居酒屋にいるようなおばちゃんみたいな感じではしゃぐ。

「おーい芳賀さんよ、二人痛がってるぞ加減しな」

「はっ!?」

 会長からのツッコミ。いつの間にか抱き寄せて手のひらで彼、彼女の肩を叩いていた力が強くなってて二人とも表情が痛笑いになってた。

「あ、ごめんつい…」

 二人から手を放して後ずさる副会長。笑ってごまかそうとする魂胆だ。

「あ、それじゃ結衣(かのじょ)と帰ります」

「すみませんお先に」

 タイミングを計ってたのか偶然か、勇樹と結衣がそういうとお辞儀をして生徒会室を後にした。

「…何か高校生してるなぁ、って感じだなぁ」

 暫く静かになった生徒会室で、会長が彼らが帰った後の引き戸を見て羨ましそうにつぶやいた。

「そうですねぇ…」

「…ちょっとうらやましいかも」

 副会長に続いて会計がぼつりと口にした言葉に二人が即座に反応した。

「…これはまた北川さん珍しい言葉を」

「へえ…北川ちゃんにも恋心が」

 永井会長と芳賀副会長が口元をにやけさせて会計の北川の顔元を覗き込んだ。口にしてから二人の行動にちょっと驚いた北川は改めて表情を引き締めて、ズレてなかったのにわざとらしく眼鏡をいじって位置を直して、

「あ、いえ、そんなことは…」

「…顔赤いよ」

「!」

「ははっ、冗談冗談」

 会長にからかわれて今度こそ顔を赤くした北川はふくれっつらをしてその場を少しだけ離れた。

「…もう、からかわないでください!」

 でも、会計の口元はすこし笑みがこぼれていた。


 黒瀬が彼氏の緑川と生徒会室で役員たちと賑わってる頃、左頬に黒瀬と同じくらいの大きめのガーゼを当てたもう一方の当事者・白谷は図書室にいた。朝方の騒ぎの後は気晴らしと休み時間まで黒瀬と一緒に居たくないということであちこちフラフラしていたに加え、放課後、普段なら余り寄らない図書室も行って何気なく時間を潰そうとした。しかし図書室で本を読んでも今朝の事やその前の事とかが頭の中で渦巻いて集中できない。それに、頻度がかなり少なくなってるとはいえ、言葉(コード)の切れはしは時折浮かぶ…それも集中力を欠かせる原因にもなっていた。

 それでも1時間ほど座って何冊か本を読んでいたが、帰った方がまだマシか、と思って席を立つ。

 窓の外は梅雨特有の鉛色の雲が立ち込め、やや強めの雨が降っていた。外で気晴らし出来なかった原因を窓から眺めつつ、時折ため息をつきながら生徒玄関へ歩を進める。

 蛍光灯が点いてるにもかかわらず薄暗い生徒玄関は、部活やっている生徒以外の『帰宅部』は粗方帰ったらしく、見た目無人の状態だった。

「確か傘はあったはず」

 下駄箱の下の傘立てに自分の傘を見つけて外履きの靴に履き替える。そして内履きの靴を下駄箱に戻した時。

 ぱたぱたと内履きの音。その音に気付いて、蛍光灯で照らされていても薄暗い廊下をふと見た。

 何回か聞いた靴音。その音が静かになった…その音の主が、そっ、と姿を現した。

 白谷が何回か見た女の子がそこにいた。腰辺りまであるおさまりが悪く長い髪。中学生と言われても通用しそうな幼さが残っている顔。

 緊張してるせいか、表情が硬い。それでもその瞳はまっすぐ白谷の顔を見つめている。白谷の方も、その視線を外すことを忘れたかのように彼女を見つめていた。

 …さっきまで強めに降っていた雨が、いつの間にか止んでいた。

 そして時間の経過と比例して雨雲の切れ間が出てきたのか、昼間と比べるとやや茜色にシフトしたかのような陽の光が周囲を照らす。生徒玄関の小さな窓から入った光が、薄暗いこの場所を明らかに明るくしていた。

「…何か?」

 沈黙を破ったのは白谷。必要最低限の疑問形の言葉。

「あ…あの、白谷センパイ」両の手を胸の前で祈るような形で握って、おどおどしている様子「…よろしいでしょうか」

「…いいけど?」

 彼女の意図を計りかねている白谷。と言うより、意図は大体判るが確信はしていなかった。

 彼女はそのままの姿勢で白谷の側へと歩み寄る。

 身長差30センチ分の角度で彼女は白谷を見上げた。胸の前の両の手は下ろしてお腹の前あたりでモジモジしている。明るく照らされた玄関の乱反射で彼女の顔が赤くなっているのが判る。

 そして何かを決断したかのように表情が引き締まった。

「…私、1年3組の赤城真由と言います。白谷センパイ、私と付き合ってください!」

 生徒玄関に彼女の声が若干のエコーを伴って響いてゆく。さながら声以外の時間を止めたかのような。

 身長差30センチ分の角度で赤城を見つめる白谷。

 …女の子に告白されることは中学時代、何度かあった。だから、多少は慣れている。顔色は変わってはいない。

「…突然だなぁ…」

 白谷は思ったことをそのまま口にした。続けて、

「赤城さん…保健室で俺を見てた子だよね?」

「…はい」

 詰問されるかのような言葉に赤城の表情が曇る。

「…何でまた」

「…私もよくわからないんです。でも、初めて会った時に何かこう…目をそらせなかった…」

「うーん…」

 黙り込む二人。

 赤城は、ダメかも…と思い始めた。自然に、両の目の端に涙があふれ始める。

「…あのさ」

 白谷の言葉に反応して赤城は両目を開けた。目にたまった涙が幾筋か頬を伝う。

「俺、今日…幼馴染の女の子と取っ組み合いの大喧嘩して、その上殴ってケガさせたくらいのアカン奴なんだわ…」

 また視線を外したが、その目には照れが垣間見えた。

「そんなんでも…いいのか?」

 ちら、と横目で彼女を見た。

 赤城の表情が、泣き顔寸前からコマ送りで見ていくかのようにだんだん明るくなっていった。表情に感情があふれ出て止まらなくなっているかのよう。

「…はいっ!」

 彼女のその言葉を待っていたかのように固まっていた時が動き始めた。気持ちいいそよ風が玄関を吹き抜けて二人を包み、駆け抜ける。

「センパイ、よろしくお願いします!」

「ああ、よろしく」

 うれしさのあまりか、彼女が白谷に抱きついた。彼も、途中…数瞬その手は止まったが、ゆっくりと彼女の体を抱きしめる。

「…このまま時間が止まってほしいです」

 彼女の声は、彼に気づかれない位の小ささだった。


「黒瀬さん、郵便です~」

 郵便局員が黒瀬の家に小包を届けた。結衣の母親…黒瀬木綿子(ゆうこ)がそれを受け取ると、差出人を見て少し笑顔になった。

 差出人は…『自治省内部部局第4課・形而科学技術推進事務局』となっている。表向きにはそれで通っているが、あくまでもそれは書類上だけのものにすぎない。

 正しくは、内閣府直轄部局・魔法庁。世間に公表されてない、出来て数年しか経っていない新設の省庁から送られてきたものだった。

 小包を解き、まず中から取り出したのは魔法庁職員で術者の御寺由紀(おでらゆき)からの手紙。

 そこには、男の術者に関する記述らしきものが見つかったので、そちらで解読等の業務委託をお願いしたい旨が書かれていた。

 次に、見つかった史料を取り出す。古文書保存のため、中性紙で作られた段ボールの箱を開ける。

「さて、また辞書片手に部屋にこもりますか」

 最近日本のどこかで見つかった、和紙に書かれた崩し字の古文書。長帳がメインでそれぞれ厚みがあるように見える。後は紙片などをまとめたものが長帳の厚さの半分ほど。思ったよりボリュームはありそうで、保存状態もよく、虫食い等の穴とかも少なかった。

 いくらかさらっ、と目を通す。

「…おやおや、これは面白そうな史料ですこと」

 これは解読し甲斐がある…木綿子の脳裏に学生時代や大学院時代に古文書まみれで研究に没頭した頃の記憶が甦っていた。

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