Colorless wind
「おじゃましまーす」
外からは幾度となく見たお隣の玄関。中に入るのはいつ頃以来だっけ…小学校の高学年辺りまでだったかなぁ?と白谷は考えをめぐらすと奥の方から、あ、いつものやつ来たとばかりに結衣が姿を現した。まだ眠気が残ってそうに挨拶。灰色のスウェット上下に整えられてない跳ねた髪の毛、眼鏡はかけているがどことなく傾いてるような感じ、という、おおよそ人を迎えるようなカッコじゃないラフすぎる格好で現れた結衣は、白谷が持ってる箱を確認して、
「んじゃこっちねー」
靴を脱いだ白谷を居間へと導く。
「親おらんの?」
「近所の農協のスーパーへ買い出し。自分はお留守番」
「ふーん…しかし緊張感ねーなーそのカッコ」
「家の中くらい楽にさせてよ」
「いや、俺の人生変わるかもしれんのにそれはないだろ」
「そんなん自分の服がどうのこうのという状況じゃないでしょーに」
畳敷きの6畳間。幼稚園の頃はここでも遊んでたなぁ、と久しぶりに入った部屋を見て感慨にふける。調度品や置物は変わっているとはいえ、基本的なところはあの頃と同じだ。違うといえば、使われてなさそうな床の間には、古文書っぽい古書や、外国語で書かれた文献等が多少乱雑に積まれてある。
6月頭にあった中間テストが終わり、その最初の日曜日。上空を、自転車屋の宣伝をスピーカーでがなり立てて小型機が通過する時間帯に白谷は隣の黒瀬家を訪れた。白地のTシャツにデニム地のジーパンとこちらもラフな格好だがどう見ても寝起きそのままの結衣よりマシか。
「で、どういう話になるん?」
「駿の中で起きてることについての事実確認、対処法…かな?ありえないことなんだけど…」
「なんだそりゃ」
結衣が寝起きでボケてるにしちゃあ言葉とかが理路整然と出てきてる。というか、ありえないことって何?
意味が分からず疑問符が頭の中で飛び回ってるが、結衣の方も何やら考え込んで、何事かを言おうか言うまいかを悩んでるようだ。
「あり得るありえない、って何だよ」白谷が他人事のように呟いている結衣に対して少々の不満をあげる「何が起きてるのか判らんのに…そもそも、この何か…頭ン中チラチラする変なかけら何?」
右手で箱を保持しつつ、左手で側頭部を触る。痛いわけではない。何かの欠片が起こしてるちらつきを抑えようとしてる。
結衣が、何かを決断したように言葉をかけてきた。白谷の方へと向き直る。
「んじゃゆーよ。駿、あんた『魔法』って信じる?」
「魔法?漫画か何かの中の話か?突然だな」
「それ、実際にあるの」
「結衣、お前未だ寝ぼけてるだろ」
「起きてるよ」
「起きてるならそんなこと言わねーだろフツー」
「じゃあ今駿の頭の中で起きてるチラチラしたもの、判る?」
「判らん」
「それ、多分言葉の欠片。魔法のなりそこない」
「…意味判らん」
まあ普通そうだよね、と暫く言葉に詰まる結衣。こいつにどうやって"魔法"をわからせようとしようか、と悩む。実際に見せるか…とその前に。
「駿、この前学校の3階から落ちたよね…何で助かったか判る?」
「判らん。もう死んだかと思ったら突然落ちなくなって…ってそれと結衣と何の関係が」
「自分が空気を集めてクッションを作ったの。『魔法』の力で」
またぁ何適当な事言ってんだ、と苦笑いする白谷をよそに、結衣は胸元からペンダント状の水晶を服の表に出す。いつも身に着けている、やや大きい塊感のある透明の結晶。
そして部屋の窓や襖を開け放つ。6月だからそろそろ夏の兆しが表れる頃だが、まだ居間に吹き込んできた風は春の心地よさを幾何か含んでいた。
「…あんまり腹減ることしたくないけど…」
結衣が部屋の真ん中で、黙り込む。しかしそれは外見だけの話で実際は結衣の頭の中で言葉が生成され、そして微かに、
<パンッ>
白谷は何かが小さく爆ぜたような音が結衣の方向からした…と思いきや、胸元のペンダントがわずかに光ったように見えた。
その刹那、部屋の中へつむじ風が吹いた。それらは瞬時に指定された座標を中心に空気のかたまりを生み出し、やがて見えない空気の何かを形成する。よく見るとその向こう側は透けているが、密度差によって微妙に歪んでるように見えた。
「…何だ今の風は」
「駿、自分の方に倒れてきて」
「いや畳に顔当たるだろ」
「倒れて!」
結衣が声を張る。はいはい、しゃーねーな、と小さく呟いて白谷は、手に持っていた水晶が入った箱を床に置くと、覚悟を決めて倒れこんだ。重力に身を任せて、体は畳に向かって徐々にその速度を増していく。痛みを覚悟しようと身構えたが…畳は目の前にあるのに、倒れこんだはずの体はその手前の高さで何かに受け止められてその速度を少しづつ低下させていき…やがて0になった。
目に見えない柔らかなソファーにでも寝転ぶかのよう。畳と顔の間は10センチほどの高さがあった。
「あ…」
白谷が、3階の教室から落下した時に何かに受け止められたあの感覚とは高度も重力加速度とも全然違うが、それでも似たような感覚が彼の体を包む。
と思いきや、再びつむじ風。今度は部屋の中心から外へと吹き抜け、支えられていた白谷の体は今度は重力に引かれて畳へとタッチダウンした。手を出したが間に合わず、体の正面全体で自分の体を支える羽目にはなった。それによる多少の痛みはあったが、自分の体と頭と知識では理解できないことが起こっていたのでそれを感じ取る余裕さえなかった。
「…なんなんだこれ。なんで空気が…」
「それが『魔法』。『術』とも言うけど」
「結衣、一度聞くけど、どっかに仕込みとかタネある?」
さっきよりは疑う気持ちが失せたがまだいくらかのその成分が残っている白谷が、手品のタネと同じ扱いをしている考えを聞いて結衣はややむすっとした顔で頭と水晶を順に指をさす。そして立ち上がった白谷に向かって、
「そこ動かんといて。もう一つやるから」
また黙り込んで頭の中で言葉を生成する。
何かの音がしたと思うと再び風が吹き込んできた。結衣と白谷の間の空間に何か発生させたようで、微妙に結衣の姿が歪む。
そうして今度は手近にあったガラスのコップを見つけると、出し抜けにノーワインドアップで右手に掴んだコップを至近距離の白谷へ投げようとする。もちろん、全力で。
「ちょ、ちょっとあぶね…!」
「動くなっつってるでしょ!」
避けようとする白谷に結衣は強い言葉で彼の動きを封じようとした。そのままコップをリリースする。
手を離れたコップはそのまま白谷の顔めがけて最短距離の空間を進んでいく。そして当たる寸前…何かに受け止められたかのように空中でその動きを止めた。パッと見た目、空中静止してるかのよう。
思わず目を閉じようとした白谷は、かすかに見える視界の中でコップが空中に止まってるのが見えた。
「…え?」
「だから、大丈夫でしょ?」
いたずらが成功した小学生のような、無邪気さを含んだ笑顔で結衣が告げる。
再び風が空中で止まったコップの辺りから起こり、支えられていた力が抜けて今度は重力に引かれてコップが畳へと落下する。それを結衣は器用に横合いから掴むと、まるでリンゴでもお手玉するかのようにポンポンと跳ねさせる。
…ここまでありえないことが続けて起きれば、"在る"ことを受け入れざるを得ない。
「…まあ、結衣がそこまで言うなら本当なんだろう…」
観念した白谷が疲れたかのように腰を落として畳に座り込む。
「で、魔法としてだ…時折俺の頭の中でうごめいてるナントカの欠片はどーすんの?」
「言葉ね」さりげなく言葉を訂正しながら白谷の正面に胡坐をかく結衣「正直、それはほっといても大丈夫。気が付いたらちらつきは無くなるはず」
「なんだそれ…」
「自分がそうだった。というより、母親に訊いても同じこと言ってたから、多分そうなんだろうと…」
「何かこうマニュアルみたいな物ってないの?」
「見た事は無い…そのはず」
「なんつーいい加減な…」
あきれた白谷が居間の天井を見上げる。溜息を吐くと、天井から正面の結衣の方へ視線を戻す。
「普通こういうのって"魔法の書"とか"先祖から伝わる秘伝の書"とかいう古い書物とかがあると思ったんだが…」
「基本的に言い伝えで受け継がれてゆくみたい。この水晶と一緒に」
正面の白谷を見つめながら胸元の水晶のペンダントを左手で触る。
ふと思い出したように、
「あ、そーだ。駿が持ってきた水晶、見せて」
ようやく本題のうちの一つに入る。白谷がほら、とそばに置いていた水晶が入った木箱を結衣の前に差し出すと、彼女はありがとと言ってその箱を手に取ってふたを開けた。緩衝材に包まれて、彼女が持っている水晶と似たような大きさの透明な塊が姿を現す。これもペンダント状に加工されていた。
「パッと見、似たような感じだなぁ」
しげしげと手に取った水晶を眺める。形としては荒削りの涙型。やや白谷家の方が大きいか。
「変わったところはないみたい…駿、ちょっと使っていい?」
「いいんじゃね?親からは何も言われなかったし」
念のためか、結衣の水晶を外し、白谷家の水晶をつける。やおら立ち上がり、タンスの中から自分用の水晶の箱を見つけるとその中にしまう。
「箱の裏、何か書いてある」
「ああ、これ水晶を保管する時に誤作動等起こさないようにする結界護符。身に着けてないときには護符が書かれた箱にしまうのが正しいと教えられた」
「うちのは…書いてない」
「ご先祖さんのどこかで無くされたんじゃないかなぁ。術者…まあ、俗にいう魔法使いはこういうのは無くさないように努めるはず…となると、駿のご先祖さんのどこかで術者がいなくなったんじゃないかと。水晶だけが残って」
「結衣、水晶って必ず要るのか?」
「魔法を使うなら。水晶の中の"悪魔"を使役しないと現象を起こせない」
「"悪魔"?物騒な物入ってるんだな…」
「お母さんから教えてもらったけど…何だったっけなぁ…ちょっと思い出せん。始めは男の子の何とかが入ってると教えられて自分もそう言ってたけど、あとで"何とかの悪魔"って教えられた。あ、悪魔って言っても災いとかをもたらすのじゃない。例え話とかからじゃないかなぁ」
「…どう見たって普通の水晶にしか見えないけどなぁ」
「見た目は自分の水晶と普通のとでは見分けつかない。まあ、一応悪魔が入ってるのかを確認する魔法があるから」
そう言って結衣は白谷家の水晶を見つめ、やがて何か硬くて細いものが折れたようなかすかな音がした…弱弱しくだが、透明な結晶が一瞬光る。
「うん、ちゃんとした術者用の水晶だ。使える使える」
さながら使える電子部品をジャンクの中から見つけて喜んでいるマニアっぽい仕草で呟いた結衣。続いてまた小さく爆ぜる音がしたかと思うと、風が駆け抜け…気が付くと結衣の姿が居間から消えていた。
「?結衣、何処行った?」
「同じ場所にいるよ」
確かに声の方向はさっきまで結衣がいた場所から聞こえている。が、姿だけが見えず、その部分だけが向こう側の形をゆがませている。
「…どういうこと?」
「これも魔法。自分の周囲の空気密度を上げて光を屈折させてる」
蜃気楼と似た原理で強制的に光の軌道を変え、白谷の位置からだと結衣の体の周囲を迂回するように通るので、見えなくなる。
再び風が今度は外側へと吹き抜ける。と、結衣の姿を確認できるようになった。
「これで良し、ちゃんと使える」
そう言ってその水晶を白谷が持ってきた箱にしまい込む。今度は自分の水晶を箱から出して首にかけた。
白谷はそれを見つつ、しばらく考え込んだ。結衣に尋ねる。
「…なあ、結衣。一応俺が魔法使えるとして…それって必ず魔法使いというか術者にならないといけないのか?」
「…駿が女の子なら、それは本人の自由じゃない?と答えてると思う」
女の子なら、という条件に頭の中に『?』マークが乱れ飛ぶ白谷をよそに、声のトーンが自然に落ちたのか、落ち着いた、しかし多少の困惑を秘めたような声で結衣が答えた。
「自分、未だに駿が魔法使える資質があるということ自体が信じられないんだけど…この魔法、女性だけしか使えないはず」
「は?」
「女性の、しかも何故か長女のみが受け継ぐ資質。下の妹とかには受け継がれない。ましてや男は」
「…俺、男なんだけど」
「だから混乱してる。自分が知ってる限りは男の術者はいないはずだから」
「じゃあなんで俺はこんな目に遭ってるんだよ」
「…例外があるのかなぁ…?」
「…もうちょっと調べといてくれ」
視線外してやや焦りながら考え込む結衣に、多少苛立った感情を言葉に乗せて白谷が言い放つ。
家の外が騒がしくなってきた。車の音が聞こえてきたと思いきや、バタバタと車のドアを開ける音、何やら確認の声、パタパタとこっちの玄関へと近づく足音がして、
「ただいまぁー」
子供っぽい高い声が玄関に響く。どうやら買い物に出かけていた結衣の家族が戻って来た。
「おかえりー」
結衣が応える。ちょっとイライラしてた空気が一旦リセットされる。ナイスタイミングで戻ってきてくれたと二人は心の中で家族に感謝した。
「ただいまおねーちゃん…あ、駿君だ久しぶりー」
開け放たれた居間の向こう側を、買い物袋を両の手に下げた結衣の3つ下の妹、由紀が姿を見せた。
男の子みたいなショートカットに、セルフレームのボストンタイプ黒縁眼鏡。浅葱色のTシャツをスソから出して膝辺りまでの丈の長さのデニムのジーパンの腰辺りを隠すという、快活さが表に出てる恰好だ。
「お、由紀久しぶり~」
白谷が気軽に挨拶を返す。返事を受けた由紀は白谷に買い物袋ごと手を振ってそのまま奥の台所へと姿を消す。
次いで結衣の両親が同時に玄関に入って来た。
「あらお久しぶり。いらっしゃい」
「お、駿君じゃないか。ゆっくりしてってな」
結衣の母親と父親が続けて姿を現す。由紀が粗方荷物を持ってったためか、母親の方に買い物袋は一つだけ。父親の方は手ブラだ。
「お邪魔してます」
白谷が軽く会釈をする。そのまま両親は奥の台所へと向かったが、
「おかーさん、ちょっといい?」
結衣が母親を呼び止めた。ちょっと待ってねーと手に持った買い物袋を一時台所に置いて母親が再び居間の所に姿を現した。
結衣が立ち上がり、居間の所に来た母親と二言三言話をする。ちら、と一瞬白谷の方を向いた母親は結衣と白谷を底辺とする三角形の頂点辺りに正座をして腰を下ろした。
「駿君、術者…というか魔法使いになったらしいんだって?」
「…ええ、今結衣の話を聞くとどうやらそうらしいんですけど男はなれないっても言われるし…」
結衣の母親に言われて白谷は恐縮しながら返答した。
「これはまた…珍しいというか、滅多にないことが起きてるというか」
どことなく結衣の母親の目が輝きはじめたように見えた。
「え…自分、術者って男はなれないって思ってたけど…」結衣の思ってた常識と母親のそれとが微妙に食い違ってたことに困惑する「男でもなれるの?」
「基本は女性の長女だけだよ。でも、雄の三毛猫がたまに生まれるように、男性の術者も滅多にない確率だけど、生れ出ることもある。ゼロじゃないよ」
「それ何処からか訊いたの?」
「まあちょっと待って、後で話すから」
結衣がその話の大元を聞きたくて少し語勢を強めた口調で母親に詰めたが、さらりと躱して話を続ける。
「女性の方は生まれて数年くらいで資質が現れるけど、男性の方は滅多にいないし、発現年齢が女の子と比べて遅いのよ…丁度駿君の年頃かな?出るのは。どっちも最初は細切れの言葉ばかりが時折浮かぶけど、1、2か月過ぎると治ってちゃんとしたのを作れるようになる。習わなくても。そういう因子が体の中にあるんだろうね…ただ細かい制御とかは練習しないと」
「じゃあ、俺の頭の中でうごめいてる細切れのって、暫くはこのままですか?」
「まあ駿君、1、2か月はそれに付き合うことになるよ。なんだかんだでメンドクサイけど。結衣だってそういうのを克服してきたのだから、駿君にもできるよ」
「1、2か月も駿の『妙な感覚』に付き合わんといかんのか…」
「あら、結衣だって小さかった頃はしょっちゅうその感覚うけてたわよ。まだいいじゃない、家族と違っていつも一緒に過ごしてるわけじゃないんだし」
「でも学校じゃ自分の席の前、駿だよ。一緒にいるようなもんじゃない」
「それでも家は違うでしょ?お隣さんとはいえ、それだけの距離があると感覚は届かないから」
母親に言いくるめられて次の言葉を見出せない結衣。微妙な表情。
「あ、おばさんすみません。さっき結衣の方からこのことに関する書物とかが無くて全部口伝えって聞いたんですけど…」
「それはホント。あたしも母親から口伝で言われたの。少なくともウチは、ね。他所は知らないよ。でも最近は魔法に関する国の機関が出来たみたいで、史料請求すると研究結果とかを郵送で送ってもらえるのよ。まだ判らないことが多くて史料ないと言われることもあるけど。男でも術者になれるというのはそこから取り寄せた史料に書いてあったわ」
「国の機関…いつの間にそんなの出来てるの…?」
「まだ出来て数年しか経ってない状態で、しかも基本、公にはしてないみたい。史料の方は術者として登録されてれば出来るわよ。結衣も登録されてるから今度やってみたら?」
「公になってない国の機関にどうやって登録したの…?」
「向こうから来たのよ。どうやってウチの事調べたかはよく判らないけど、何度か会って大丈夫なことは確認した。その点は安心して」
「怪しいなぁ…騙されてない?」
「向こうも術者だったよ。それは確かめてる」
「というか、日本にどのくらいいるの術者って」
「具体的な事は教えてくれなかったけど、各都道府県に2、3人位はいる、って話してたかなぁ」
「思ったよりいるなぁ…ウチらだけかと思ってた。っていうか、その国の機関は何してるの登録なんかさせといて」
「『術者』の登録、管理、捜索、"悪魔"使役言語の研究、調査、ってところね」
「…おかーさんひょっとしてそこにもう働いてるとかしてない?」
「してないわよ。ただ趣味で古文書や海外の文献とか読んでるし、この魔法の事も知りたいからやってるだけ。国の機関も分析に協力してくれるなら喜んで史料送るでしょうし。結衣もやってみたら?」
「自分はパス。出来れば読みたくない。」
「文系の大学行きたいんでしょ?ならそれくらいは趣味でやらないと」
「お母さんの趣味と一緒にしないでよ~」
結衣の不満をサラッと流した母親は、白谷の方を向き直る。
「まあ駿君、このことで判らなかったら結衣じゃなくてあたしにお訊きなさい。少なくとも娘よりはアドバイスできるわよ」
「は、はぁ…」
長い親子の会話の直後に話を振られて気おされた感じの白谷。思い出したように、
「さっき結衣と話してたんですけど、俺、術者というのになった方がいいんですかね…?」
言われた結衣の母親はしばらく考える。無言の時間が思ったより長く白谷は感じた。
「…まあありきたりな言葉だけど、それは自由だと思うわ。あたしたちがどうこうできる権利ないし。でも、もうその資質は出現してるし、まだ魔法とかは使えないけどもう術者にはなってるわ」
一旦言葉を区切る。
「ただ、魔法の事を調べてる趣味やってる人からしたら、術者同士が結婚して生まれた子供が資質を持って生まれるかどうかは知りたいのでなってほしい、というのはあるわ。あくまであたしの"願望"だけどね」
ちらっと娘の結衣の方を見る母親。結衣の方は何言ってんの!って感じで変な事言わないで、と言いたげな顔。
「男性の術者自体がまれな現象だから、史料とかにもそのことが載ってないのよ。今までなかったのかもしれないけど。術者同士が結婚して生まれた子供が術者になるのかならないのか。あたし興味あるわぁ」
えーとこれお見合いの席だったっけ?と思ってしまう位に結衣の母親の口から飛び出す結婚とか子供とかの単語。俺と結衣はまだ高校生なんですが、と口に出してしまいたい衝動にかられた。
「それじゃお昼作らないといけないから台所戻るね。あ、駿君、お昼食べてく?」
「いえ、お昼は母親が用意しておくって言われたのでもうじき戻らないと」
「あらそう?残念。駿君のお母さんによろしく伝えといてね」
「ありがとうございます」
そう言えば思ったよりも結構長居してたな、と思って白谷は腕時計を見る。いくつか聞きそびれたことはあるかもしれないが、それは追々聞いていけば。
結衣の母親がそれじゃ、と挨拶して台所に戻る。居間は再び結衣と白谷の2人。
「どーすっかなぁ…」
白谷が両の手を後ろに回して床につき、上半身をのけぞらして天井を見上げる。
「…まあ、便利な時もあるけどメンドクサイ時もある…って感じかなぁ。自分は」
「でも、結衣がそれ持ってなかったら今頃俺の家は俺の葬式やってるよ。今ここでこうやって話してるのもそれのおかげだろ?」
「まあそうだけどね。それに駿の命救ったんだから駿の彼女さんにもいいことしたわけだし」
結衣の言葉を聞いて複雑な顔をした白谷。口元は、いや…そうじゃない、と呟く形になっていた。そして、ずい、と白谷は結衣のと距離をさりげなく縮めた時。
「そういや、もうすぐ学校祭の開催要項等の作成が終わるから次の日曜日辺り、彼女さん連れて来たら?自分が色々と駿の扱い方を彼女さんに…」
「結衣、ごめん…もう家に戻るわ。ありがとな」
結衣の言葉を強制的に言葉で断ち切って、白谷は立ち上がった。何て表情をしていいか判らない。結衣の方は不意をつかれた感じで言葉を飲み込む。けど、理解できてない顔をしてる。
「ん?帰る?」
「今日は色々してくれて助かった。また後日話しようや。その時にはどうするか答え出してると思うから…」
白谷は傍にあった白谷家の水晶が入った箱を小脇に抱えて、結衣の方を向きながら後ずさりする。結衣も立ち上がって白谷との距離が開かないように歩む。
「わかった。その時には連絡して」
「…うん、また連絡する」
玄関で靴を履き、お邪魔しましたーと帰りのあいさつをする。台所からまたきてねーという結衣の両親の声。結衣はそれを見守っていた。
「それじゃねー」
結衣が明るく手を振る。
「それじゃまた…」
白谷が玄関の扉を閉じた。
結衣はそれを見届けた後、独り言のように呟いた。
「何か帰り際、駿、元気なかったなぁ…?」
何でだろ、と思った結衣だが、その後強烈な空腹感を覚えた。さっきまで複数回も魔法使ってた反動を何とか抑えていたがここにきて一斉に襲い掛かってきた。
「そういえば結構魔法使ったからお腹が強烈に空いてる…お昼まで持つか?」
急ぎ足で台所へ。何かなかったっけなぁ、と思いながら。
「はああ…」
自室へ戻ってドアを閉めて、そのドアに背もたれながら床へずり落ちる。あまり他人に聞かれたくないような大きなため息を一つ。
「…何だかなぁ」
これも小学校高学年の頃を最後にして互いの家に行かなくなったからかなぁ、と駿はつぶやくと、ちら、とドアの向こうを見つめる。
「幼馴染だけど、"幼馴染"ってだけじゃねーか…それじゃダメな気がするんだよなぁ」
再びため息。そして、
「…距離、もう少し縮めようか…な」