Silhouette of a Breeze
白谷は、最近『妙な感じ』に悩まされていた。
時折何か言葉の断片とかが浮かんでは消え、暫くしてまた出て来る。目の前に飛ぶ小昆虫みたいなうざったさが気になってしょうがない。
「なんなんだこれ…」
まだそんなに頻繁ではない状況だが、集中せねばならないときに出てこられるとただでさえ少ない集中力が削がれる。
「この前まではそんなことがなかったのに…」
3階教室からの転落事故。あの高さから落下して怪我がほぼなかったという『奇跡』を起こした(とされる)当人としては、あとで思い出すほど『…なんか、変』と思いたくなるのだが…。
当然、転落した翌日は先生たちにみっちりと絞られた。高校生にもなってそんなことも判らんのとか、今回は仕方ないが次は賠償させるぞとか、もう少し自分を大事にしろとか…まあ生きてるからこそ怒られてるので、これがもし死んでたら、と思うと…。
「でももうちょい労わる言葉掛けてくれてもいいんじゃね?」
自分の部屋で一人呟く駿。そんな状況で勉強は思ったほど進んではいなかった。
椅子の背もたれを限界まで倒し、背伸びする。頭は重力に引かれて、目は自室の入り口を見つめる形に。
「…結衣、ほんとに泣いてなかったのかなぁ」
自室入り口の更に向こう側にある家の、幼馴染のあの光景を思い浮かべながら再び机にかじりつく。
しばらくしたら中間テスト。今度こそいい点数とらないと隣の幼馴染が何言って来るか判らねえ。
黒瀬は、最近『妙な感じ』に悩まされていた。
授業中、前の席にいる白谷から、何かしら『妙な感じ』が出てる。休み時間になって彼からやや離れるとそれはなくなるのだが、授業が始まって席に着くと、暫くしてその『妙な感じ』が、しょっちゅうではないが集中せねばならないときに出てきて気持ちが削がれる。
「なんなのこれ…」
思い返してみる。この『妙な感じ』を感じ取り始めたのって…
「あの事故の翌日くらいから…か?」
白谷が天井からノミが降ってくる原因を確かめようとサッシ窓に手をかけて通気口を覗き込んだ際、サッシが外れて彼が転落。とっさに水晶の『悪魔』を使役して幼馴染を転落事故から救ったあの日…。
「何か自分ので駿に変な影響させたか…?」
視線を正面の壁と天井の境界辺りを彷徨わせながら呟く黒瀬。
いかんいかん、とかぶりを振る。今は授業中だ。しばらくしたら中間テスト。いい点とらないと駿から何言われるか判らん。
「…なんか最近、弁当の量が足りないみたいな感じやなぁ」
中間テストが迫ってる5月終わり近くのある日の昼休み、やや大きめの弁当箱を空にしながら白谷がつぶやく。黒瀬は相変わらず小さめの弁当箱を空にするにはまだしばらくかかる。
「成長期だからかなぁ…?」
空にした弁当箱を片つけながら何気なく黒瀬に同意を求める。
「そうでしょ?他に原因はないと思うけど…」
半ば決めつけるかのように返答する黒瀬。
「それに高校入ってからでしょ?弁当に加えて時折購買行ってパン買ってたのって」
「まあ、そうなんだが…」
腕組みをして悩むポーズの白谷。それを10秒ほど固定して…やがておもむろに、
「…やっぱり何か食い足らん。ちょっと購買行ってくる」
「いってらっしゃい」
黒瀬の声を聞いてか聞かずかのタイミングで席を立ち、教室を出る白谷。その後ろ姿を見えなくなるまで追いかけた黒瀬は、今度は自分が腕組みをして天井を見上げた。しばし黙考。
…最近感じる、駿から出てる『妙な感じ』。まさかとは思うが…それは…。
「…いやそんな事は無い。第一、男だし…」
そうに決まってる、と脳内の問題を強引に処理して残ったおかずを口に入れて小さな弁当箱を片つける。
「結衣~」
後ろから友人の灰屋の声。その席にはいつもの3人が。
「どしたん?」
「ほら、もうすぐテストじゃんね、だもんで色々と結衣に教えてもらわまいかと思って…」
時間とらせて申し訳ない、といった感じのお願いポーズをする灰屋。
「2年生になったからいい点とらないと親に怒られるから助けて!」
「というわけで学校終わったら灰ちゃんの家で集まって勉強しようかと思ったの…お願い先生教えて」
青野と紫野が続いてお願いポーズ。
秋翠高校では中間や期末テストの結果が50位まで貼り出されるが、前回のテスト…1年生時3学期期末テストの結果になるが、黒瀬は学年20位。2年7組では黒瀬を超える成績を持つクラスメイトはあと5人ほどいるが、あまり話さない成績上位のクラスメイトより、友達関係ある方が色々とやりやすい。
灰屋、青野、紫野の3人はまあ真ん中上辺り。なお白谷は真ん中下辺り。
今日はまあ大丈夫、と言いかけて黒瀬は慌てて口ごもった。そういえば今日は放課後生徒会の会合で、文化委員長として手短だが報告しなければならないことをすっかり失念していた。あぶないあぶない。
「あーごめん、今日放課後生徒会あるからちょっと…」
「あー、そうか。なら明日か明後日辺りはどう?」
「それなら大丈夫だと思う、んじゃその辺りでいい?」
「いいよ~」
黒瀬が灰屋と日程をすり合わせる。そういや授業中とったノートとかをまとめなきゃなぁ…と思いながら振り向くと、
「なんだ今日生徒会か」
「!」
髪の毛が逆立つのかと思ったくらいに驚いた黒瀬。思わず変な声が出かかった。
そこにはついさっき購買へ出かけたはずの白谷がいた。顔が多少の欲求不満を表している。
「…びっくりした…つか、購買行ったんじゃないの?」
購買は体育館を抜けて図書館への渡り廊下途中にある。行って帰ってくるのに10分近くはかかる。
「行こうと思ったらもう売り切れってそこですれ違ってた連中が話してたから戻って来た。ひもじい…結衣、何か食いモン持ってない?」
「ないわ!」
会議開始の少し前。
生徒会室の引き戸が外から開けられ、一人の男子生徒が入って来た。引き戸の鴨居に頭をぶつけないように少し頭を低くして入り、丁寧そうにかばんを置く。
生徒会室は、今はその男子生徒しかいない。外で活動する運動部系の様々な音以外、生徒会室には音がなかった。
その男子生徒はしばらくして、会議が行われる予定の会議室の入り口に佇んだ。会議室を見まわし、ある場所にセルフレーム眼鏡越しの視線を固定する。
同時に鼓動が高まる。体温が少し、上がったかのような感覚。
「…僕に、言えるんだろうか」
楽しみでもあるが、同じくらい苦しい。怖い。
こういう想いをしなきゃいけないのか…。
両の手を思わず握る。やがてうっすらと汗をかいてるかのような温かさ。
生徒会室前の廊下から、誰かが来る足音が近づいてくる。この生徒会室の周りには、あまり使われることのない特殊教室か、その準備室、あとトイレしかない。今は放課後になっているので、こっちへ来る足音はほぼ生徒会関係者。
こんなところは見られたくない…現実に引き戻された男子生徒は、踵を返すと自分のカバンの所へと戻り、椅子に座った。
同時に、引き戸が開く。
放課後、黒瀬の姿は生徒会室横の会議室にあった。グラウンドや周囲の住宅地が一望できる、西校舎3階の南の端に生徒会室とそれに付随する会議室兼資料庫がある。
生徒会会長の3年生永井を挟んで副会長の同じく3年生の芳賀、書記の2年生緑川勇樹が上座に位置し、会計の同じく2年の北川は会長の後ろに別の席を設けて鎮座している。その下手両側には各委員会委員長が並ぶ。黒瀬もその中の一人。
「今回の会合はテストも間近のためになるべく早めに切り上げます。各委員会委員長は年間予定報告をお願いしていますので、手短にご報告ねがいます」
副会長の芳賀が女性らしい艶のある落ち着いた声―聞こえようによっては冷徹な、と表現されても仕方ない―で司会進行を行う。
各委員長からの報告が始まった。今回は基本の報告だけで生徒会からのいわゆる「ツッコミ」はなし。長くなるとテスト勉強にもかかわってくるから、各委員長報告も本当に「手短に」行われてる。
黒瀬もそれに倣って「手短」に報告をする。約2分弱。
会長はA4一枚の資料を見つつ時折発言者の方を見ている。副会長は司会進行。書記は要点を頭でまとめてノートに記している。会計は何かの仕事だろうか、時折電卓をたたいてノートに記入している。
…約30分ほどで全委員会委員長報告が終わり、会長の永井が9月の学校祭に向け、みんな頑張ってほしいというまあありきたりな言葉を述べて散会になった。各々席を立つ参加者たち。黒瀬も、資料と言うには少ないA4コピー紙を数枚持ち込んできたノートに挟んで退出しようとした。
黒瀬のその姿を、生徒会書記はセルフレームの眼鏡越しに見つめた…。声を掛けなきゃ…!
「あ…黒瀬さん」
書記の緑川が会議室を出ようとする黒瀬を呼び止めた。一瞬の間があって歩みが止まり、はい何でしょうと答えながら会長の向かって右側に座る書記の所へ近づいた。その間に、他の委員長たちは生徒会室から退出し、部屋には役員たちと黒瀬がいるだけになった。
「黒瀬さん、えーと…学校祭は文化委員長が主軸になって開催しますので、その…い、忙しいところ申し訳ないが中間テスト終わったら…なるべく早めに開催要項やその他諸々の…あのう…報告書作っていただけるとありがたいです」
セルフレームの、やや角張った眼鏡越しに緑川は黒瀬を見つめた。微妙に自分の声が上ずっているかのように感じながら。あとちょっと顔も熱い…気がする。ドキドキが止まらない。
「あ、はい。それは前委員長から言われてましたので、テスト終了後に作成に入ります」
書記さん、最近何かいつもとはちょっと違うような…と黒瀬は思いながら、幼馴染や友達を前に話すざっくばらんな口調ではなく、丁寧で女性っぽい話し方で対応した。
「それじゃ…お願いします」
「わかりました」
一礼して緑川の前から去ろうとする黒瀬。
緑川の心臓がさらにバクバクする。
ここで何かを言わなきゃ、という衝動が言葉を思わず口に出してしまった。
「あ…黒瀬、さん…」
先ほどのとは更に違う声のトーンで呼ばれた黒瀬は、「はい?」と素に戻ったかのような声を上げた。
緑川の表情は、思わず声が出ちゃった…という言葉を顔に書いたような感じだった。会議室に居残った生徒会役員が間髪入れず二人を見る。
「あ…いえ、今のは別に…何でもないです」
どう見ても緑川の顔と言葉がしどろもどろになってる。何か言いたげな口の動きをしているが声になってないように見える。顔が会議室の蛍光灯の、冷たそうに見える青っぽい光の下でも赤くなってるように見えた。何とか言葉を紡いで何でもないことを伝える。
「?…あ、わかりました…」
何かある、と思わせるには充分で、ある意味モロバレなんだが、当の言われた本人はいつもの書記とは何か感じが違うなぁ、とイマイチ理解できてなさそうな感じで小首をかしげながら会議室から退出していった。
一瞬静かになる生徒会会議室。そして一斉に緑川へ視線を向けた。そこにいる彼を除いた全員が『確信』したようで、
「みどりかわ~何言おうとしたのかなぁ?」
永井生徒会会長がこの幸せ者と言いたげに緑川の後ろに回って肩を思いっきり揉む。当の緑川は顔を真っ赤にして言葉もなくうつむいていた。
「どーせならそのまま告白しちゃえば面白かったのに~。公衆の面前で愛の告白って何か漫画の世界に紛れ込んだみたいでワクワクする」
副会長の芳賀が、さっきまで被ってたヨソイキやマジメといった見えない仮面を放り投げてちょっと不良っぽい言葉使いで真っ赤な顔の緑川にそそのかす。顔を近づけて至近距離から緑川の表情を観察。
「でも確か文化委員長、彼氏持ちじゃありませんでしたっけ?」
「そうなの?」
芳賀が知らなかった、といった少し驚いた表情を会計の北川に向ける。
「確か同じクラスの…幼馴染だそうです。ほら、先日3階からの転落事故で無傷だった白谷君です」
北川が手元の生徒関連資料から手早く該当箇所を探し出すと、続けて、
「白谷駿、家は文化委員長の黒瀬結衣とお隣。幼稚園からの幼馴染で、性格は軽めと言われてるが意外にまじめな面が強い。成績は中の下…成績だけで見るとあまり黒瀬さんとは釣り合わないみたいですね」
最後の方は余計だが、そういう所も含めてデータを重んじるの北川らしいなぁ、と生徒会長。ただデータの幾つかはどうやってとったんだと頭の中で突っ込むことも忘れなかった。
「家が隣で幼馴染ってこれは漫画やジュブナイル小説だと相当強力なコンビ…なかなか他人が入り込む余地なんて無さそう。あーあたしにも今からでもいいからカッコイイ男の子の幼馴染が出来ないかなぁ」
それは幼馴染じゃないのでは?と周りが頭の中で突っ込んでしまうが、そんな細かいことなどどうでもいいかのように楽しんでる芳賀副会長。完全に傍観者モード。ポップコーンがあるならそれを食べつつこの状況を楽しむだろう。
「でも成績に関しては緑川書記の方が上なので、その辺りに攻略できる余地があるかと」
データ上はまだ取り付くシマがある、と黒瀬と同じ銀縁ロイド眼鏡をかけた北川会計。
「アレだな、成績で一点突破すれば何とかなるんじゃないか?」
会長が緑川に言葉を振る。生徒会役員全員、なんだかんだで成績は悪くてもテストで50位以内には入ってる。
「…まあ、ハードル高いのは判ってるんですが…」
周りが盛り上がっていて半ば忘れられそうになってる当の本人が、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「真面目そうな子やと思うから緑川に似合うと思うけどな」
「だといいんですけど…」自嘲も含めてか、苦笑いで会長に応える緑川。「というか、何で皆さん僕が彼女に好意を抱いてるって知ってるんですか?」
あのたった一言では普通の人は恋心ことにまで想像できるはずがない、と緑川が疑問をぶつけた。
しかし、どう考えてもあの場面は恋心ありまくりだろう。緑川から出まくってる。あれで気づかないのって普通じゃありえんとまで頭の中で言い切っている永井、芳賀、北川の3人は互いに顔を向けて緑川に向き直り、ニヤニヤ。
ここぞとばかりに切り札を切る。
「4月に生徒会で合宿やっただろ?あの時お前寝言で彼女の名前何回も言ってたぞ。普段おとなしい割には大胆な奴だなぁ、と思ったケド」
「会長からそのこと聞いて今までの会議とかで二人見てましたけど、先ほどの学校祭関連報告書類提出のことづて伝えてた時とか、ちょっと声上ずってましたよね?普通に話すより」
「あーこれは確定だわ、って思っちゃった。で、そのあとのアレでしょ?ダメ押し」
反撃して顔の赤みが引いたと思ったところに3人の言葉の攻撃でまた復活した。しかも寝言を聞かれるというこれ以上ない羞恥プレイ。夢の中で『好きな人』と何やってたかは知らぬが…。どう考えても緑川の顔はさっきより尚更顔を赤くして茹でダコのように見えた。
「ちょ、ちょっとなんでみんな黙ってたんですか…それはないですよ…」
「すまんが、そりゃあその方が面白いし、それに恋愛とかに縁がなさそうなお前が人を好きになるとなったらその行く先見てみたいと思うのが人情だろ?」
「会長それヒドくないですか…」
「まあ頑張れ、生徒会役員はお前の恋を応援するから」
生徒会役員共は、暫くは緑川の恋の行方で盛り上がりそうだ。
「…さっきの書記さん、なんだったんだろ?」
黒瀬一人しかいない教室で帰り支度をする。書記の自分に向けての表情…会議が終わった時から勉強会向けにノート作り直さにゃとか駿の事とか、色々と考えてて反応が鈍ってたせいかもしれない。今考えると…、
「…そうなの!?」
いやまさか…。
かぶりを振り、カバン等の荷物を抱えて教室を出る。思ったほどよりは時間がかからなかったので、新刊等が出てないか本屋へ行こう。
生徒会会合終了後、黒瀬は福井駅前に寄って勝木書店本店で立ち読み等をしてたらそこには同じく立ち読みしていた白谷の姿が。帰る時間を決めて暫く別々に本などを読んだ後、駅前電車通り側の出入り口で待ち合わせして家へと歩み始めた。ともに、自転車を引きながら。
来月半ば過ぎになると夏至になる季節のせいか、19時を回っても空はまだ夕焼けが十二分に残っている。東の空は夜空を予告するかのように茜色から紺へのグラデーション。その中には、いくつか輝く星が姿を現し始めた。
二人とも、黒い上着は外して白いカッターシャツにしている。気温は昼間よりは下がったとはいえ、ちょっと体を動かすと上着を着ていては汗をかく。
「幼稚園行ってた頃思い出すなぁ、こんな時間まで遊んで。親が呼んできて」
「そーそ、駿、まだ遊び足りなくて帰るの嫌がって泣くからこっちの家に連れてきてご飯食べさせたり」
「…そんなことあったか?」
「あったよ。何回も」
「でも逆に結衣の方だって家押しかけてきて無理やり遊ばされた記憶があるぞ…しかしなんだかこっちが被害者みたいな感じになってきた」
「あーなんか覚えてる。弟、って世間では大事にする対象みたいな感じだけど、自分にとっては体のいいおもちゃ代わりにしてるところがあったなぁ」
「…今でもそうじゃね?」
「今は違う。おもちゃにはしてない」きっぱりと言葉と表情で否定する黒瀬「うん、してない。そのつもりだし」
何かアヤシイこと言ってやがる…と白谷が思ってると、黒瀬が視線を合わせて、
「そういや自分も駿も、ずっと幼馴染やってるけどこれって世間一般から見たら付き合ってる、ってことになるのかなぁ」
「…どうなんだろうなぁ。まあ普通はそうなんじゃない?」
不意に言われて白谷は数瞬の休符を置いて、考えがまとまらないかのように答えた。
「この前なんて灰ちゃんから駿とドコまで進んでるの?なんて言われたけど…どうしてそういう風な見方するかなぁ」
「そりゃあいつもお昼一緒に食べてるし、家隣だし、幼稚園からの腐れ縁だし…そういう関係に見えてもおかしくないんじゃないか?」
「腐れ縁云うな」苦笑いして黒瀬は続ける「ホントは違うんだけどなぁ」
そう言う黒瀬の横顔を白谷は複雑さを帯びたような表情で見つめる。なんでそんなこと言うんだ、と。
「…変なこと聞くけど、駿、って彼女とかいる?」
白谷の方を向いた黒瀬がいきなりこの会話の核心を言ってきたかのような言葉を向けた。
「………いきなり何言ってきてるん」
いやいやいやそうじゃないでしょ、と言いかけたのを飲み込んでようやく言葉を返した。
「いや、あんた中学の時モテてたし、幼馴染の自分から見てもそれなりに育てたなぁという自負が」
「俺、結衣に育ててもらった覚えないけど」黒瀬の言葉を白谷がカット「散々おもちゃにしといて何言いだすんだ結衣は」
「で、いるの?」
正面から白谷の目を視線で射抜く黒瀬。真剣さと無邪気さが混じった顔。
白谷は、つい、と視線を外してやや恥ずかしそうに言葉を出す。
「…いる」
そして頭の中で言葉を続ける。目の前にいます、と。
「ほお、やはりいたか。テスト終わって委員会関係の仕事粗方終えたらその子見せて~」
言葉通りを受けた黒瀬が目を輝かせてはしゃぐ。
結衣、時々こういう鈍いところあるよなぁそういえば、と白谷が思ってるところに…。
「ねえその子どんな感じの…子…」
黒瀬がその子のスペックを手に入れようと白谷に話しかけたが、幼馴染の表情は時間の経過とともに硬くなり始めた。
白谷の目が一瞬うずくように動く。同時に、黒瀬の頭の中に例の『妙な感じ』が侵入してきた。
「まただ…最近、どうにも…」
白谷の歩みが止まる。左手で自転車を支えつつ、右手で頭を押さえる。表情が何かを堪えているかのように険しい。
黒瀬も歩みを止めて幼馴染を見る。白谷の『妙な感じ』の正体は何となくわかっていた。でも、彼女が術者として今までに聞いたりしていた事実との相違が、それを拒んでいた。
ありえない。男はなれないはず。でもこの感じはどう考えても…言葉の断片。どういうこと?
それとも自分には知らされていない部分があるというのか。
白谷の表情が、険しさが徐々に薄れてきたのかいつもの元気そうなものに変わってきた。黒瀬の中に侵入してきた『妙な感じ』も、薄らいでいる。
「…やっとおさまったか。んとになんなんだこれ」
コントロールできない『それ』に対する怒りを含んだ言葉。
黒瀬が、静かに口を開く。今の白谷の姿を見て、何かを決意したかのような顔になる。
自分はまだ判らないことがある。でも、母親なら…同じ『術者』としての、自分の知らない『何か』が判るかも。
「駿、中間テスト終わったら…家に来る?駿のその『何か』、判るかもしれない。あと、この前見つかったって言ってた水晶も一緒に」
黒瀬は白谷に視線を合わせず、自分の足元を見るような角度でそう告げた。
夕暮れが、東からの夜空に追われて、西にある山向こうへと去っていった。