表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/29

Wind Climbing 〜風にあそばれて〜

登場人物



黒瀬結衣(くろせ ゆい):女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 魔法使い(術者)だが現在はその魔法のリハビリ中 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ



白谷駿(しろたに しゅん):男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は存在自体がレアな男子の魔法使い 成績は下あたりから最近は普通くらいに 3月25日生まれ



赤城真由(あかぎ まゆ):女子高生(1年生) 白谷の元カノ 彼に一目ぼれして彼女になったが、とあることで別れてしまった 成績はいい方 2月26日生まれ



青葉彩(あおば あや):女子高生(1年生) 赤城のクラスメイト 関西弁が抜けない カメラ好き


三笠美智子(みかさ みちこ):女子高生(1年生) 赤城のクラスメイト 柔らかい話し方をする 眼鏡をかけている


榛名美穂(はるな みほ):女子高生(1年生) 赤城のクラスメイト 陸上部所属の元気娘


伊勢泝(いせ のぼる):男子高生(1年生) 赤城のクラスメイト 赤城に惚れている

 もしあの時、二人しかいない教室に誰も来なかったら……今頃はどうなってたんだろう。少なくとも、結衣とは──幼馴染とは言葉の上だけの関係となり、家が隣なだけの、同じ年齢の、同じクラスの、かつては腐れ縁と言われていた、つながりのないただの男と女になっていたかもしれない。

 しかし、そうはならなかった。

 "魔法"という名の秘密を持った、結衣と俺。二人とも、別の人から好かれ、そしてその人からつながりを切られた。偶然にしては出来過ぎてるような気がする。

 もしかして、そのシナリオを書いたのは──胸元の、水晶の中に住む、"悪魔"なのかもしれない。空気だけではなく、俺と結衣の"運命"という目に見えぬものまで操ることができるものなのか。そういえば、どっちも『目に見えない』ものだったな。

 俺の鼻先を、心地よい香りがゆらりとくすぐる。清潔感を連想させる、石鹸の香り。なんかこう、何時までもこの香りに包まれてこうしていたい──いや待てよ、何で石鹸の香りがしてるんだ。ここの所、この香りをかぐ回数が増えてる気がするんだが……それに妙に顔の辺りが何かに触れてこそばゆいし……ってこれは──。


 うっすらと目を開けた彼が見たのは、目の前の視界を埋め尽くす幼馴染の顔だった。暴力的なほど眩しい部屋の明かりを彼女の眼鏡のレンズやツルがきらりと反射させ、垂れ下がった髪の先端は痛みとも痒みともつかない刺激を彼の顔に与え続けている。かすかに香る石鹸の匂いを纏ったその奥に、もう飽きるという言葉では物足りないほど見た彼女の瞳が見えた──その瞬間、残っていた眠気は増幅されて睡魔となり、再び彼の瞼を強制的に閉じようと動き始めた……。

「こら二度寝すんな、駿!」

「……はあ?何言ってんだ結衣は。もう飽きたよ。つか、何で俺の部屋来て起こそうとするんだぁああ……まだ陽が出てないだろ」

「とにかく起きて。遅刻するでしょうが」

 お隣さんで幼馴染で腐れ縁の白谷駿(しろたに しゅん)の欠伸をあきれ顔で見ている、やはりお隣さんで幼馴染で腐れ縁の黒瀬結衣(くろせ ゆい)は布団を引っぺがそうとするものの、彼はベッドの上の極楽浄土を作り出している布団を取られまいと必死の抵抗をする。秋翠高校の制服を着てその上にコートも羽織った彼女が、幼馴染の異性の部屋で布団の争奪戦を繰り広げている光景は、傍から見ればシュールなものに映るかもしれないが当人達にとっては真剣なものだった。

「そんなに雪降ってないだろ?天気予報、最低気温は5度とか言ってたぞ」掛布団の中に頭まで没入させた彼は、毛布越しのくぐもった眠そうな声で遠慮せずに反論した「もう先週の雪は半分になってんだし、普通通りに出れば間に合うだろ」

「何言ってんの。今朝追加で10センチは降ったって!朝のニュースで交通機関が乱れるかもって言ってるんだっつーの」

「それでも30センチくらいだろ?大丈夫だよそれくらいなら乱れんだろ……」

 何心配してんだよと言わんばかりに彼は頑なにまだ起きない選択肢を選んだ。

 流石に三学期始まる前に50センチ積もった時には交通機関には乱れが出たが、それから降雪らしい降雪はなく、積もった雪は日を追うごとに少なくなってきていた。今朝10センチは降ったものの、それくらいなら何もない時と同じで乱れる要因はほとんどない。

 彼女は、今度は布団ごと幼馴染の体を揺らして何としても起こそうとする。それでも頑として起きようとする気配がない彼に業を煮やした彼女は、揺らす手を放して深いため息を一つついた。明るい部屋だが冷え込んでいるためか、彼女の背景にある黒い家具の手前に彼女のため息の白い影がちらりと映って、そしてそれはやがて見えなくなった。

「どうしても起きないつもり?」

「……まだ営業時間になっておりません……」

 ミノムシのように布団を纏った彼が、洒落てるつもりの言葉を幼馴染に返す。

 数秒間、起こそうとする彼女と、まだ寝ていたい彼との沈黙が二人の間で生起し、しかしそれは彼女の言葉で唐突に断ち切られた。

「そういや前から思ってたけど……駿、この部屋って」彼女はわざとらしく鼻をクンクンさせて何かを嗅ぎ取った「何か臭わない?まるで栗の花の──」

「でてけぇーーーーーーーーーーっ!」

 彼女が発した比喩の言葉は、頑なに布団に閉じこもって惰眠をむさぼろうとしていた彼をベッドから跳ね起こさせた。普通なら布団から出るのも躊躇われるような室温の中、彼は己の"尊厳"を死守するために目にもとまらぬ速さで彼女を抱えるように部屋の外へと押しやって瞬時に扉を閉めた。

「……何つーこと言いやがる……」

 絶対後でネタにするぞ、結衣(あいつ)は……。扉の向こう側の見えない彼女を睨みつけながら朝から無駄なエネルギーを使った彼は、冷凍倉庫かと思うような寒さに思い出したように体中が震え出した。寝巻代わりのスウェットは、内包した布団の温かさをとっくに放出し、一桁温度の寒さを忠実に彼の体に染み込ませていた。しかし、顔だけ寒くないと感じているのは動いたこと以外にも原因があるのかもしれない。

 ──あいつ、水晶の中だけじゃなくてあいつ自体が悪魔なんじゃないのかと、彼は結果的に起こされてしまった状況を逆恨みするように、彼女に悪態をついていた。絶対スカートの下には尻尾を隠してるに違いない。

「駿、下で待ってるから」

 ドアの向こうの彼女はそう言いながら階段を下りて行く。その口調は何処となく楽しそうに、彼には聞こえた。はっきりとした足音は、やがて床を通ってくぐもった音となり、小さくフェードアウトしていった。下に着いたのか、階段を通して母親と彼女が楽しげに話してる声が断片的に聞こえてきた。それはまるで、既にお嫁さんとして家にいるかのように。

 とにかくもう寝ることはできない。彼は寒さに震えながら学校行きの服に着替え始めた。スウェットを脱いで長袖カッターシャツを羽織り、その上に黒の詰襟学生服を着こむ。部屋と同じ温度の制服は着るのを躊躇うほどに冷たかったが、下着姿でいるよりは遥かにマシなのでそれを着るしかない。同じ色のズボンを履き、クローゼットから冬用の靴下を取り出して両足に履く。

「まだ先週の方がおとなしかったよなぁ……」

 彼は未だに劣化が見られない先週の朝の記憶を蘇らせていた。

 三学期が始まる朝、それは何の予告もなく、突然、彼の部屋を襲撃したのだった。小学5年生の時以来の、幼馴染の襲来に彼の眠気は瞬時に消失。それこそベッドから飛び起きた──そのために遅刻せずに済んだが。彼女は大雪の影響で交通機関が乱れ、いつものように出たら確実に遅刻するということで起こしに来たのだが、まあその時は仕方ない。しかし、もうそれが当たり前のようになってることに彼は戸惑いを覚えざるを得なかった。

 何が彼女をそうさせてるのだろうか──お隣さんとはいえ異性の、しかも思春期真っ最中の野郎の部屋に無防備同然で入ってくるなんて……。でも、これが幼馴染、なんだよなぁ……と、漫画やジュベナイル小説とかのラブコメで展開されている光景がリアルに繰り広げられていることに、得も言われぬ不思議な感覚が彼の中に広がっていた。

『幼馴染以上、恋人未満』──三学期始まりの日に彼女が教室で言った言葉は多分そうなんだろう、と彼は思う。その証拠に以前ほど"姉""弟”を彼女は言い出さなくなった。言ったとしても、その頃とは意味合いが変わってきていた。明らかに、幼馴染同士の距離は縮まっている。

 このまま距離は縮まって行き、やがては一つになるのだろうか──想像できない未来ではない、と彼はふと思う。しかし、その片隅でシミの様なまだ小さいマイナスの考えが、周囲を少しづつ浸食するかのように広がり始めているのを彼は感じていた。『その想いが"間違って"いたら』と。そんなことはない、とは思いつつも振り払えないそれは常に彼の片隅に、さながら宿木のように一体化していた。

 彼は、呼吸をしばらく忘れている自分に気付いて、落ち着かせようと深いため息をつく。そして不毛になりそうなその考えを振り切るように、机の上に広げたままの教科書や参考書、ノート、筆記用具類を手早く鞄に放り込んでダッフルコートを手に取った。

「──下りるか」

 彼の枕元にある時計は、6時半を少し過ぎていた。


「なあ、結衣」

「何?」

「この前は雪の影響っつーのは判るんだが、最近何で俺の部屋に入って朝起こそうとするんだ?しかも朝飯までうちで食べるようにまでなってるし」

「遅刻するから。一旦家戻って食べてる暇ないでしょ?」

「かといって何でいきなり今年から、しかも小5の時以来って……なんか企んでる?去年までは起きてなかったら勝手に行ってたくせに」

 積雪に関わらず時刻表通りに福井駅へと向かう電車の中はいつも通り通勤通学客でそこそこ埋まっていた。その中でドア傍に立っている白谷は少なからぬ疑惑の成分を含んだ流し目で隣にいる幼馴染を見つめる。対する黒瀬の方は同じく流し目でそれを迎撃するも、彼女の方は何処となく余裕というか、楽しんでいるようにも彼には見えた。

「……なんでだろうねぇ……」

 誤魔化すように、幼馴染を試すかのように、彼女の微笑には意味ありげに白谷には見えた。そして根拠はないが彼はそう思った。彼女のそういうことには俺には言えない何かがあるんじゃないか、と。そうでなければ、ケンカによる絶交やそれぞれに恋人がいた期間があったとはいえ、今年になって出し抜けに部屋に入ってくるようになった理由が見つからなかったからだ。あったとすれば──冬休みの間の、遠野春香(とおの はるか)が絡んだ事柄に関することしかない。

『〈別の人〉が他の女子と一緒にいるのを見るのは嫌』

 ベルのミスドで黒瀬が口にした言葉がさながらレコードに吹き込むためのマスターテープの様な、くっきりとした明瞭な音を白谷の脳裏にありありと再生させていた。もうすぐ二週間になるくらい前の事なのに、昨日どころかさっき言ってたような程の新鮮さで。

「それより駿、今日やるの?」

「んあ?ちょっと考えてないけど……わかんない」

 いきなり話題を変えてきた黒瀬に言葉を詰まらせる白谷。

「やるんなら早めの方がいいでしょ?自分だってその時都合つくかなんてわかんないし」

「そうだけど……タイミングってのもあるからなぁ。つか、話変えんなよ。なんで俺の部屋に──」

「ほら、もう駅に着いたよ。さっさと降りる」

 いつの間にか終着駅に着いていた。下り始めた他の乗客に倣うように、白谷の言葉を遮って彼女は幼馴染の背中を押して話をうやむやにする。

「こら、結衣話を──」

「後で話すから」

 質の悪いスピーカーからがなり立てるように乗換案内のテープ音声が京福福井駅の古ぼけたホームに響き渡る中、黒瀬に押されて白谷は彼女の方を向きつつ電車からホームへと下ろされた。意地でも言わないつもりか、と彼は毒づきながらも多分今は何言ってもしゃべらないだろうから問い質す言葉を喉の奥へとしまい込んだ。

 暗色系のコートを着込んだ一団がぞろぞろと改札を抜け、何人かはそのまま駅裏の方へ、大部分は国鉄の跨線橋を登って敦賀や金沢方向への乗換や改札を抜けて駅前へと流れてゆく。白谷と黒瀬の二人もその中に紛れ込むように、駅前のバス乗り場へと向かっていった。10センチほど降ったせいか、景色は再び白を基調にしたモノクロの世界に近づいているかのよう。

「まあ、やるとしたら──」緑色が目を引く駅前ショッピングアーケードと、送迎車やタクシーなどが埋め尽くしている駅前広場の間の歩道を通って横断歩道を渡り、古めのアーケードの下をバス乗り場へと向かう中、しばらく無言でいた白谷が口を開いた「放課後がいいかな。結衣だってその時間の方がまだ楽だろ?」

「そりゃあそうだね。今日は別にすることないし」

「なら、6時間目が終わったら1‐3辺りうろつくか。そこで様子見て、一旦教室に戻るわ」

「わかった。で、自分何すればいい?」

「まず一回見てからだな。どんな状況で何処にいるのか判らんし……様子見て教室戻ったらその時言うわ」

「ふーん……」

 そうこうしているうちに、秋翠高校へ向かうバス停が見えてきた。50m程置きにいくつか市内行きのバス停があるが、通学時間帯に所々黒山の人だかりが出来てる所は高校行きのバスが出る停留所で、そういう所が数か所ほどある。秋翠高校行きはそのバス停の列の中では大名町交差点寄りになるので、駅からだと結構遠く感じられた。

 既にバス停には同じ高校生たちが30人ほど列を作っていた。その列の後ろに二人は並ぶ。

「結衣、どう?調子は」

 白谷はあえて主語を言わずに黒瀬に問いかけた。声を小さくして、同時に、コートの下から水晶のペンダントをちらりと見せる。それを見た彼女は、どことなく浮かない顔をして視線を下げた。

「あんまり……一応は使えるけど、どうにもまだ昔のようには……」

「そっか……でも、秋の時は全く出来なかったんだろ?」

「その時よりはまだマシだけど……全然ダメ」

「まあ、弟弟子みたいな立場の俺が言うのもなんだけど、気長にやるしかないんじゃねーのかな?焦ったらダメとか」

「それは判ってるけど……」

 ふぐのように黒瀬が頬を膨らませて黙り込む。

 黒瀬の母親も彼女の魔法のリハビリに手を尽くしているが、まだ回復には至ってない。そういうことになったことがない白谷は、彼女に何て言っていいのかわからなかったが、かといって何も言わないでいるのもどうなんだという焦りにも似た気分に急かされた。

 ──結局、白谷は黙ったままでいることにした。下手な言葉は、彼女のリハビリを遅らすかもしれない。それならば彼もまた彼女に倣って、無口の国の住人になるしかなかった。しかし、絶交していた時とは違ってまだ白谷の心は気分的に楽だった。


 その日の放課後から、白谷はあることをし始めた。毎日、似たような時間で判で押したように、東校舎3階の2-7と西校舎2階南端にある書道室間を、北校舎経由で全く同じルートを往復し始めたのだ。

 2-7の教室を出て北校舎東側の階段で2階に下り、そのまま同校舎を西側へ。西校舎との"交差点"を左へ回り、1-3の教室の前を通過してそのまま同校舎南端の書道室へというルート。小脇には教材と称されるものを毎日とっかえひっかえして抱えていたが、それ自体には意味はない。1-3の教室の前を通ることに意味があった。

 2-7の教室へ戻るときには、白谷は途中何度も振り返って尾行の有無を確認していた。し始めた火曜日にはいなかったが、休みを挟んで木曜、金曜とちらちら、と見え隠れするように。本人らは隠れてるつもりらしいが……。

 その金曜日に至っては、来る時間が判ってきたのか2-7から出て階段を下りている時からすでに尾行が付いていたりして、全行程で監視されるようになっていた。もうそろそろかな?ちらちらと見え隠れする尾行を見ないふりをしつつ白谷はそう思い始める。来週月曜日辺りにでもやってきそうだな、と目星を付けた。

「結衣、終わったから帰ろうか」

「判った」

 教室に入った白谷は、ちら、と出入り口の方を見つつ、教室に残って時間潰しの勉強をしていた黒瀬に声をかける。その声は、何処か作為的だった。それに答えた黒瀬の声も、芝居が下手な役者のようにどことなく棒読みっぽさがにじみ出ている。彼女も、幼馴染が入ってきた入り口を見つめた。

 誰かが覗いていたがすぐさま物陰に隠れ、足音をなるだけ消しつつ遠ざかってゆく。

「「……」」

 ストーブが消されて静かになっているせいで、北校舎東側階段を下りてゆく足音が二人の耳に届いていた。やがて2階に下りて廊下を歩き始めたらしく、尾行者の足音が聞こえなくなったのを確かめた二人は、意図せずに同時に小さなため息をついた。

「いつまでやるのよこんなこと」

 黒瀬がイマイチ乗り気でない表情を隠さずに白谷に訊いた。火曜日にすぐやるつもりかと思っていた彼女は、幼馴染がなかなか決行せずに時間を引き延ばしてるようにしか見えないのにしびれを切らし始めていた。訊かれた彼の方はそのことを知ってか知らずか、しかしこの日は昨日までとは明らかに違う、と彼の表情が教えていた。

「月曜辺りかな、と思う。明日は半ドンだから多分やらないんじゃないかなぁ。さっきも見た通りここまで尾行してるんだから」

「ふーん……」黒瀬は体のいい所で教科書やノート類を閉じて帰り支度を始めた「まあさっさと終わらせよ……いくら中間テストがない三学期とはいえ、短いんだから」

「はいはい」

 白谷も帰る準備をし始める。鞄にそれなりの教科書やノートを詰め込み、コートを羽織る。黒瀬もコートを羽織りながら、

「駿、今日はどうする?」

「ん~それじゃ夕食後、そっち行くわ」

「わかった。準備しておくから」

「お願いします、先生」

 恭しく白谷は黒瀬に向かって首を垂れる。"弟"のそういう仕草に優越感を刺激されたのか、彼女は待たされた間の不機嫌を浄化するように口元に笑みを浮かべた。

「仕方ないわね。これも"弟"のためだ」

「しかし……」白谷はもう二人しかいなくなっている2-7の教室をぐるりと見まわした「朝は結衣が俺の部屋へ起こしに来て、夜は俺が結衣の部屋に勉強教えてもらうためにそっちへ行く……半年前じゃ考えられなかったことだなぁ」

「まあ確かにそう。いいも悪いも、こんなことになるなんて思いもつかなかった……」

「こんな今だから、未来もずっと変わらないと思ってた」白谷は教室の前の方にある蛍光灯のスイッチを切るためにそこへ移動して行く「けど、振り返れば色々と変わって行ってるんだなぁ、って」

 ぱちん、とスイッチを切った蛍光灯はエネルギーを失って暗がりが粗方のディティールを黒に埋没させる。廊下の蛍光灯の明かりがうっすらと教室の半分を照らし出すが、見える世界は黒白のみで描かれた写真のように色を失って、単純化される。

「それじゃ、帰ろうか」

 白谷は、顔半分が廊下の明かりに照らされた幼馴染を見て促した。しかし彼女は、彼の方を見たまま何かに操られているようにそのままの姿勢で立ち尽くしている。

 彼女の口が、何かを言いたそうにかすかに動いた……白谷には、そう見えた。

「ん?どうした?」

 彼に言われて我に返ったか、黒瀬は催眠が解除されたように体が動き出す。

「あ、ああ、ゴメン。帰ろうか」

 色彩を失ったような、陰と闇の黒に沈む教室の中で、白谷は、幼馴染の頬にそこだけ彩が付いているかのように、見えた。

「……ああ」

 白谷は、その時大事な何かを見過ごしたような、そんな小さな後悔の念が胸をよぎるのを感じ取っていた。


 週が改まった月曜日の放課後。

「じゃあ行くで。手筈通りにしてや~」

 1年3組の教室では、女子4人と男子1人の集団がある行動を起こそうとしていた。青葉彩(あおば あや)は、冬制服のスカートのポケットから銀と黒の古めのコンパクトカメラを取り出すと椅子から立ち上がると、車座にしていた三笠美智子(みかさ みちこ)榛名美穂(はるな みほ)伊勢泝(いせ のぼる)も立ち上がり、青葉と一緒になって教室から廊下を覗いた。その4人に遅れて、赤城真由(あかぎ まゆ)が彼女らを心配そうに見つめつつ、ゆっくりと立ち上がる。

 先週の火曜日、放課後のある時間に授業で使う教材等を持って白谷が1-3の教室前を通過するのを彼女らは見ていた。休日を挟んでそれの翌日も、そのまた翌日も、土曜日はさすがになかったがこの日も、白谷は放課後の決まった時間に授業で使う教材等を持って、まるで監視されてることを忘れてるかのように、無防備に通過していった。行き先は、1-3と同じ階にある西校舎の南端にある書道室。そこへ教室から持って行った教材を置くと、代わりの教材を抱えてまた教室へと戻ってゆくことを4日間していた。

 白谷が書道室で教材等を取り替えている間に記録係の青葉ときっかけ作り役の榛名、他の二人はそれぞれの補助や撤収時の手助け等をする役割が割り振られている。リーダーは青葉。

 4人は今のうちにと教室を出ようとする時、直接参加はしない赤城が4人に声をかけた。

 どうしても彼を前にすると、身体が竦んでしまう。それでは連携が取れないと感じた青葉が教室で待機するように伝えたからだった。

「ねえ、アオちゃん。ホントにやるの?」

「ん?そりゃあやるって」

「でも何か……おかしくない?何も考えずに通ってるなんて。それに先週バレそうになったじゃない」

「まあしばらくは自粛する羽目にはなったけどな。その代わり向うからやってきたからこれでチャラや。しかもわざわざ出んで済むよーになったし、一挙両得や。ウチらツイとるで~」

「でもやっぱりおかしいよ出来過ぎにしか見えない……」

「真由、ええか?世の中には出来過ぎなことだってあるんや。だいじょーぶ!ウチらが見とるのに気づいとらへんがな。そうでなきゃわざわざこんなとこ(1-3の前)通らへんって」

 ウチらそんな簡単にはしっぽ出さへん!と言いたげに胸を張って青葉が力説する。それに押されたか、赤城はそれ以上言うのを喉の奥に引っ込めて、代わりに、

「わかった……みんな、くれぐれも危なくなったらすぐ戻ってきてね……」

「まかせとけって。ちゃんと真由のいうたのがあっとることを証明したるさかい」

 言われた青葉は片手に握ったやや古めのツートンカラーのコンパクトカメラを得意げにかざすと、今のうちにと教室を出ようとする。その時書道室の方を見た青葉は、白谷が扉の前で鍵を開けようとしてるのか立っている姿を確認し、他の3人へ今の内と呟いてそろりと教室を出た。事前に確認したルート上で標的を待ち構える。

 この3日間、白谷が2-7から書道室へのルートは固定されているのを青葉らは確認している。彼女らは、北校舎東側階段の3階に陣を張って白谷がやってくるのを今か今かと待ち構えていた。

「アオちゃん、こんな暗い所でカメラ写るの?」

「大丈夫。コンパクトカメラ言うてもレンズ明るいし、白黒フィルムだけど増感して写るように工夫すんねん。ちゃんと写るようにしたるから心配せんでええ」

「増感?って……?」

「ああ、ぶっちゃけ言うと現像時間増やして無理やり画を出すやり方があんねん。まあ、細かいこと言うたら時間足らへんようなるけどな」

 写真に関してさほど知らない榛名が、写真部所属の青葉に写るのかどうかを声を潜めて訊いた。普通ならフラッシュを焚かないと写らなさそうな明るさで心配になったからだが、青葉はちゃんと考えてそれ用のカメラとフィルムと現像方法を考えて来ていた。

 蛍光灯は照ってるものの、寿命が近いせいかどことなく薄暗い階段の3階から数段下がった場所で、2階からはすぐには見えない場所で青葉はカメラを構え、榛名は投げ込むぬいぐるみを携えて白谷が近づいてくるのを待ち構えている。

 白谷が使う北校舎東側の階段に差し掛かったなら、同じ校舎の西側階段2階辺りで見張ってる伊勢が急いで3階へと駆け上がり、同校舎3階東側にいる三笠へと身振り手振りで知らせる。それを確認した彼女が待ち構えている青葉と榛名に知らせる。榛名がぬいぐるみを上がってくる白谷へと投げつけ、そこで彼が何らかの魔法を使ったならその瞬間を青葉がカメラに収めてそれを証拠とする──これが今回の作戦の全容である。

「さぁて、白谷先輩、魔法使いかそうやないか、見せてもらおやないですか」

 青葉はそのワクワク感を抑えきれずに舌なめずりの様な仕草を見せる。微妙に重くしたぬいぐるみを投げる榛名も、上手く投げられるか、緊張で表情が強張ってきていた。そのせいで、二人とも微妙に呼吸音と心臓の音が、まるで階段室に響いてるような錯覚を感じていた。

 その頃北校舎2階西側階段室辺りで白谷を見張っていた伊勢は、東階段へと向かっている上級生の姿を見届け、もう少しで階段へと差し掛かる所で3階へと駆け上がって行った。そして階段室から顔をのぞかせ──北校舎の反対側にいる三笠にもうすぐ来るぞと指示を出した。それを受けた三笠は無言で待ち構えている二人にもうすぐ来るというジェスチャーを出した。それを見た二人は物陰から標的の先輩が姿を現すものだろうと信じ、胸の高まりとともにその瞬間を待った。

 廊下の蛍光灯が、階段に向かってくる人影を床に描く。それは近づいてきてやがて全身像を見せようとした……はずだった。

「え?」

 青葉の口から思わず声がこぼれた。

 現れたのは、黒瀬だった。彼女は階段のステップに差し掛かる直前で歩みを止めると、一瞬深呼吸するかのように息を吸い、

「青葉さん、榛名さん、三笠さん。そこにいるのは判ってます。おとなしく出てきなさい!」

 階段室の屋上入り口から1階にかけてハッキリと聞こえるかのような、凛とした声で待ち構えてる二人に警告を発した。黒瀬から見た3階へと続く階段の途中、すぐには見えない所から何やら人の気配が確実に感じられている。突然名前を言われて相当慌ててる様子が、見えなくとも手に取るように黒瀬には感じられた。

「ちょっと、白谷先輩じゃないじゃないの。みっちゃん、どうなってんの?」

「ええっ、でも伊勢くんからは白谷先輩もうすぐ階段に来るって指示受けてましたわよ……?」

 突然黒瀬から名前を呼ばれた榛名が驚きの顔色を隠せずに駆け寄ってきた連絡役の三笠に事実確認をするも、彼女は確かに伊勢から指示受けたことを確認していた。だからこそ、その表情には焦り以外の要素が見当たらなかった。

「これ……ウチら嵌められたん?」

 一転して逃げ出さないと、そう思い始めた青葉はさっきまでの楽しみは何処へやら、背中に冷や汗が湧き出るくらいに寒気を嫌というほど感じ取っていた。

「美穂ちゃん、みっちゃん、とにかく逃げよ」

 声を出来る限り小さくして青葉は二人に伝えると、3人は一斉に階段を上って北校舎を西の端へと退避しようとした。しかし──

「やっぱりお前らかぁ……」

 3人の逃走路を塞ぐように、白谷は教材を抱えたまま北校舎と東校舎の廊下がT字路で交わる"交差点"に姿を現した。その表情は怒りというより、呆れて物も言えんと言いたげだった。

「し……白谷先輩……」

 手に持ったカメラを思わず落としそうになるほど動揺している青葉に、表情を変えず、口調も変えず、白谷は軽くため息をついた。1年生3人の後ろには黒瀬も階段を上がって後ろを塞ぐように立っているが、彼女の方は面倒ごとに巻き込まれたせいか、その表情はいくばくかの怒りが3人からは見えた。

「お前らの教室行くぞ。事情、話してもらえるよな?」

 ついてこい、と言わんばかりに白谷がその背中を見せて北校舎3階の廊下を1-3目指して歩いてゆく。その後ろを、これからどれだけ怒られるのか判ったもんじゃないという感じの怯えを隠せない3人の1年生女子が、とぼとぼとついてゆく。後詰は黒瀬。こっちはいかにも監視役といった、鋭い視線を眼鏡のレンズ越しに3人に向けてはいたが、とっとと終わらせて帰りたい、と願ってる気持ちもまた彼女の顔ににじみ出ていた。

 しばらくは黙って白谷の後をついてきている3人だったが、そのうち沈黙に疲れたのか、自分らの教室に向かってることに三笠が恐る恐るといった風体で彼に訊いた。

「あのう……なんで私たちの教室に?」

「確か教室には赤城さんがいるだろ?それに伊勢くんだっけ?男の子も階段近くにいたはずだったし」ちら、と彼女の方を見た白谷はそう言うと再び前を向いた「わざわざ俺らの教室までだと遠くなっちゃうから、どうせならそっち(1-3)行った方が手っ取り早いかな、って」

「バレてたんですか……?」

「あのなぁ……先週、物投げられた時にお前らに訊いたら俺が言いもしないのに"ぬいぐるみ"って言っただろ?ただ何でそんなことするのか判らんかったから、だったら引っ掛けてやろうかと思って。よく考えてみ?放課後の似たような時間に同じパターンでお前らの教室の前通るってこと自体おかしいだろ?監視も兼ねてどう動くか見てたんだけど今日は俺が教室通った後動いてるのが見えたからそろそろ何か仕掛けてくるかな、とは思ってた。とはいえ、話全体として何でこんなことするのかを訊きたかったからこうやって事情聴こうとしてるんじゃねーか」

 榛名の問いに階段を下りながら答える白谷。怒るのではなく、どことなく呆れと淡々さが混じった、他人事のような口調で説明した。階段室に、5人の上履きのタイルを擦る音と彼の声が小さな反響を伴ってコンクリートの殺風景な壁に消えてゆく。

 青葉の脳裏には、教室を出るときの赤城の言葉が今更ながら何度も何度も繰り返されていた。もっと注意振り向けてりゃよかった、と後悔の念も混じりながら。

 そこで青葉はふと疑問が浮かんできた。

「でも先輩、書道室入るのに後ろ向かへんかったはず──」

「──わかりました。白谷先輩、しばらく書道室の前に立ち止まっておられたのってガラスの反射で私たちを見てたから……!?」

 青葉の言葉尻を三笠が被らせた。それを聞いた白谷は後ろを振り向き、その通り、と呟くような笑みを浮かべた。

 書道室の入口の引き戸は、下半分は合板で造られているが上半分の大部分を摺りガラスが占めている。しかもザラザラ面は室内の方に向けられており、その内側には長年作品の掲示をしていたせいか、黒系統の紙が貼られていて普通のガラスと同じツルツル面で反射した背景がなおさら見やすくなっていた。それは、夜に走る電車の窓のようで、鏡とは言わないが、それなりにガラス面に映るようになっていた。

 まるでこれから私たちは先輩に悪戯しますと看板掲げて触れ回っていたかのようで、3人はそれぞれの性格に合わせてがっくりとしたようだった。

「何だよ……お釈迦様の手のひらで踊らされた孫悟空やないか」

 ため息混じりに青葉が口にする。それこそその言葉は落胆以外の成分は混じってなかった。

「詰めが甘いというか、ガバガバや。もうちょい考えろよ」

 まあちっとは面白かったけどな、と言いたげに青葉の方を振り向いた白谷の表情からは、さっきまで満ちていた呆れは見られなかった。

 3人の下級生を伴った2人の2年生は、2階に降りるとそのまま3人のクラスである1年3組の教室の前まで来た。白谷は入り口の引き戸に手をかけ──ほんの短い、"刹那"と言われる長さのためらいがあった──、節度ある力で引き戸を開けた。年季が入ってるせいか、スムーズさとは縁遠い動きと音で。

 教室内の暖められた空気の壁が通り過ぎた白谷の視線の先に、怯えている眼をした赤城と、それを守ろうと立ちはだかる伊勢の姿が見えた。顔はこれから起こることへの怖さを隠せなかったが、それでも両の腕を広げてオレがやらなきゃ、とその決意ぶりが、怖さを克服しようとにじみ出ている。

 数秒の間、白谷と伊勢との間で視線が交錯した。伊勢は睨みつけるように、白谷を"敵"として。白谷はそれに反して穏やかに事情を訊こうか、と諭すような柔らかさで。

「大丈夫。ただ、何でこういうことしたのか訊きたいだけ」

 白谷は柔らかく笑みを浮かべて敵意が無いことを伊勢に告げる。

「──本当ですね?約束してください」

 怯えと、勇敢さとが絶妙に混じり合い、それに緊張というスパイスが効いた伊勢の声。

「ああ、もちろん」

 白谷は短く返答し、後ろに続いている3人の女の子を中に入れる。彼女らは誰かに指示されるでもなくいそいそと赤城と伊勢がいる机の周囲に集まって椅子に腰を下ろした。

 その後に黒瀬が教室に入りかけようとしたが、途中で止まる。電池が切れたおもちゃのようにしばらく動きが止まると、白谷の顔を見ずに訊いてきた。

「駿、自分もいなきゃダメ?」

「すまん」

「……早めにしてよ」

 しょうがないなぁ、とは口にしなかったが、表情からはいくばくかの不満が黒瀬の顔からうかがえた。5人の近くの椅子を見繕って腰を下ろす。白谷は、5人からやや離れた場所の椅子に腰を落ち着けた。

「じゃあ、話してくれるかなぁ?何でこんなことしようとしたのか」

 目を眇めて、表向きはにこやかさを保って白谷が言った。しかし、その表情を見た彼女らはどう思っているか、までは彼は当然ながら知りようがなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ