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風をみつめて

登場人物



黒瀬結衣:女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 魔法使い(術者)だが現在はその魔法のリハビリ中 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ



白谷駿:男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は存在自体がレアな男子の魔法使い 成績は下あたりから最近は普通くらいに 3月25日生まれ



遠野春香:女子高生(2年生) 隣のクラスの女子だがヤンデレ気味 あることを画策し、一旦は敵対した白谷に接近する 成績は優秀 11月30日生まれ



梅田秋生:男子高生(2年生) 隣のクラスの男子 遠野が好きだが、彼女からはまだ返事をもらえてない 軽めの性格 成績は普通より下あたり 12月23日生まれ

『白谷くんと"思い出"、作ってくるわ』

 聞きたくもない声が、彼女の中で木霊のように響き渡る。

 大げさすぎるくらいに車体を左右に揺らしながら、30年以上運用に就いているベテランの電車が黒瀬結衣(くろせ ゆい)から遠ざかってゆく。その光景にオーバーラップするように、さっき遠野春香(とおの はるか)から嘲笑と共にかけられた言葉が何度も繰り返されて、それはまるで映画のワンシーンのように感じられた。

 彼女が言ったことに、黒瀬はおぼろげながら意味を理解しはじめていた。幼馴染を引き剥がし、同じ目に遭わせてやる──彼女は高らかにそう宣告したにも等しかったからだ。

 ああ、遠野(かのじょ)はこれがしたかったのか──他人事のように、黒瀬は悟った。

 自分が緑川くんと別れてしまっても、まだ、彼女は失われた時間に復讐しようとしている。

 本来なら、隣で楽しい時間を過ごすはずだったその瞬間の数々を。

 奪っていった自分を、選ばれなかった悔しさを、力の源として。

 今度は、逆の立場で。自分をその位置に堕とし込ませるために。

「……黒瀬さん?」

 横合いから梅田秋生(うめだ あきお)が彼女に声をかける。しかし、彼女の反応は鈍かった。彼の声が初めから聞こえなかったように、呆然として過行く電車の後姿を見つめているだけだった。

 梅田は構わず続けた。

「……どうする?あきらめる?追いかける?今なら市役所前駅まで走れば間に合うかもよ」

「……追い……かける?」

 黒瀬がようやく反応した。しかし、『何とか』という条件がまだ付くくらいに、鈍さは残っていた。

「武生行き普通は、市役所前駅に着いたら方向転換するけど、その時に運転士は武生行き先頭車両まで移動するんだ。それが終わるまではドアは開いたままになってるから、短くても1分ほどは市役所前駅で乗り込むことができるけど」

 梅田の説明が、黒瀬の表情に再び力を呼び戻したかのようだった。呆然とした表情が消え失せ、目つきが力を持つ。福井駅前まで来た本来の意味を思い出したかのようだった。

 まだ、終わったわけではない──両足を縛り付ける何かが、奇麗に引き剥がされてゆくように動ける感じが、黒瀬自身に戻ってきた。

「……わかった」

 黒瀬は一言、そうつぶやいて走り始めた。駅前電車通りから路面電車用の信号に引っかからずに、そのままの速度で併用軌道を走り抜ける電車を見据えて。

 初売りセールを楽しむ買い物客や家族連れでただでさえ狭めの歩道はさらに狭く感じ、そこを走れば迷惑にもなるしぶつかったりするので時間のロスにもなる。どうせならと歩道寄りの車道を、と選択した黒瀬は、時には街中のせいで速度を出せない自動車と競争しつつ、県で唯一のデパートの横を過ぎる。視界の右側を占める、通りの反対側に壁のように立ち並んでいる似たような高さの古めのビルが途切れると、大名町交差点の全体が見えてきた。

「横断歩道は青……」

 交差点の角に建つ、黒を基調としたこれまた古めのビルである繊協ビル手前に設置されている歩行者用信号機は青。そして件の電車は現在市役所前駅の田原町方向──武生とは逆方向に停車していた。

 今なら渡れる、そう思った黒瀬は苦しい息遣いを周囲に撒き散らしながら横断歩道の方へと走ってゆく、しかし──歩行者用信号機は青点滅に入った。

「えっ……!マズイっ!」

 ここで止められたらあの電車に乗り込むチャンスを失う。黒瀬はそろそろバテてくる体に活を入れてさらに走ろうと信号が赤になったばかりの横断歩道を渡ろうとしたその矢先、

「そこ!危ない渡っちゃいかん!!」

 彼女を止めようとする大声が聞こえてきた。三が日の駅前の交通整理を行っていた警官らがいたのを黒瀬は見逃していた。構わず渡ろうとする彼女の進路を慌てて走ってきた警官が塞ぎ、強制的に止められる。

「こら!危ないだろ!信号守れ信号を!」

 黒瀬はそこどいて!急いでるんだからと言いそうになったが、体格的にどう考えても警官の方が上背が大きく、しかも男性とあっては仮に強行突破しようとしても簡単にねじ伏せられてしまう。通せんぼされたように立ち塞がる警官に気おされて、彼女は歩道の方へと引き下がらざるを得なかった。手間かけさせやがって、と言いたげに警官から怒りの表情を向けられる。

 横断歩道で渡るのはあきらめざるを得なかったが、しかし何とかして向こう側までいかないと──次に青信号になるのは1分ほど後。そうなると今は停車してても青になるときには出発している。そういえば地下道があったはず、と元来た方向を見回すと、地下道の入り口で丁度彼女の後を追っかけてきた梅田が、手に持ってる紙袋を高く掲げて呼んでいた。

「黒瀬さん~こっちの方が早いよ~」

 緊張感を欠くようなやや間延びした声を聴いた彼女は迷わず、梅田が誘う方向へと疲れを何とか体の何処かへ追いやって走り始めた。

「ありがと」

 地下道へ降りる直前に誘導してくれた梅田に黒瀬は短く感謝を伝えると、階段をコケそうになるギリギリの速度で駆け下り、周囲にスニーカーの足音を派手に響かせつつ、市役所前駅へとつながる地下道出口へと遅れた分を取り戻そうと駆け抜ける。

 必死の形相に何事かとすれ違う人らは彼女に目線を向けるが、それに構わずに、ちょっとした迷路のような地下道を確実に駅へ近づいてゆく。時折、タイル敷きの床に足を取られそうになるがそこをこらえ、角を曲がればあと少しで駅への出口にたどり着く、その時だった。

 地下道の上の方から、地響きのような振動が聞こえてきた。やや規則的にズン、ズン、と地下道ごと響かせ、揺るがしてるような低い音の振動。その音に、黒瀬の駆け足は止められてしまった。

「あーこりゃあ出発したみたいだな」

「そん……なぁ……」

 梅田の一言に、今まで彼女の体じゅうを支配していた気力や緊張感、体力が一気に消失していくような、大きな喪失感が一気に襲ってきた。それらが失われた代わりに、諦めと、運動していない体を無理やり動かした反動の疲れが黒瀬の体を占領する。立ち続ける気力を失った彼女は、その場にへたり込むようにうずくまった。

「黒瀬さん……どうする?」

「どうするって……何処行くのか訊けなかったし」

 息を大きく喘がせて、それでも何とか黒瀬は梅田の言葉に応えようとする。

 地下道を揺るがす振動と低音はやがて聞こえなくなり、それと入れ替わるように何処からともなく聞こえる街中のノイズが幾らか緩和されて二人の耳に入ってくる。

「梅田くん、あの二人、何処行きそうか判る?」

 黒瀬が梅田を見上げる角度で訊く。彼はうーんと唸った後、彼女の方を向かずに

「……まあ、普通に考えればベルだよなぁ」

「ベル……か」

 呼吸が整ったのか、黒瀬はそうつぶやくとゆっくりと立ち上がる。まだ肩で息はしているが、さっきほど荒々しい息遣いではなかった。

 彼女は武生方面乗り場の、やや狭めの地下道出口をしばらく見て、やがて静かに歩き出した。さっきまでの勢いはないが、確実に、ゆっくりとした足取りで階段を上がってゆく。その後ろを、似たような足取りの梅田が彼女から少し離れてついていった。

 大名町通りと呼ばれる福井市中心部を南北に貫く大通りは、昔は国道8号線だったものが郊外にバイパスが作られたため現在は県道に格下げされている。とはいえ、福井市にとって重要な道には違いない。道路中央部を福井鉄道の併用軌道線が占めており、そこを路面電車の倍はある大きさの電車が行き来している。その線路沿いに、離れ小島のような、脛辺りまでしかない高さのこじんまりとしたホームがあり、地下道から階段を上ると直接そこへと出ることができた。

 地下道から上がってくるところはちょっとした待合スペースになっており、ホームの1/5ほどの長さで簡素な椅子が並べられ、時刻表や鉄道会社の広告などがそこを覆うような屋根を支える壁に取り付けられている。ホームのもう一つの端っこには船の舳先を上下にひっくり返したような車から利用客を守るコンクリート製の小山があり、そこから車道側に太もも辺りの高さで鉄柵が並んで壁まで続いていた。

 あまり福井鉄道には乗ることがない黒瀬は、道路の真ん中にポツンと人が居られるスペースがあるという光景自体に違和感がある。普段乗りなれている京福電車との違いを否応にその光景は感じさせていた。

「京福よりは本数あるけど、でも20分ほどか……」

 また待ちぼうけを食らう。今日は何か置いてかれることばかりだな──壁の時刻表を確認した彼女は、白い息を鉛色の空に解き放して自分のタイミングの悪さに少し自己嫌悪に陥る。

「梅田くん」

 そういえばベル辺りへ行くバスがあったはず。黒瀬はふと路線があるのを思い出して傍にいる梅田に声をかけた。

「なに?」

「ベル行きのバスってそこから出てたよね?」

 黒瀬は視線をトタンの壁に阻まれて直接は見えないビルに向けた。そこはバスターミナルが設置されており、特に遠方へ行くバスはここから出ている。

「ベルは市内線だから、戻らないと」

 梅田はそう言いつつ交差点が見える場所まで移動する。タイミングが悪く、丁度その方向幕を掲げたバスがすでに大名町交差点を曲がって武生方向へと加速して行く所だった。正月でやや交通量が少なくなってる電車通りを、バスは黒いディーゼルの煙を吐き出しつつ、足羽川を渡る橋へと差し掛かって行く。

「あー、今ちょうど出た所」

「すぐ来る?」

「1時間後くらいかな?」

 梅田の事務的な返答に、もう一つのため息が彼女の口からあふれ出た。体を支えきれないかのように黒瀬は、合成樹脂製の薄汚れた椅子に崩れるように腰を下ろしてうなだれる。梅田は待合スペースに戻ると、彼女から椅子一つ分空けた隣に、ゆっくりと座った。

 2人は言葉を交わさず、車が行き交う道路の真っ只中の、離れ小島のような電停の細長いホーム上の椅子に腰かけたまま、そのままの格好で無為に時間を浪費していた。

 そこだけ、時間が歩むのを止めてしまったかのようだった。流れていた車達が再び赤信号で止まるまでは。

「黒瀬さん」

 梅田の、さっきの事務的な声とは違った、何処か湿度のあるような口調になびくように黒瀬は顔を上げた。

「……何?」

「彼女……遠野の事、ってどう思う?黒瀬さんから見て」

 両手をインバネスコートのポケットに突っ込んで寒さをしのいでいる梅田が、真面目な顔で彼女に訊いてきた。何の脈絡もなく問いかけられた黒瀬は、そういうことを自分に訊いてどうすんのよ、と言いたげに横目で彼を見る。

「どう思う、って……」本当は罵詈雑言の一部始終でも聞かせてやろうかと思ったが直接は関係ない梅田にそうするわけにもいかず、思いとどまった代わりに黒瀬は、その質問を問いかけることがそもそもの間違いだと気付かせるような語り口で答えを返した「……敵対してる相手にそういうことを訊くのは筋違いだと思うけど……」

「そうだけど、何て言うか……本来、遠野って勉強できて美人で気が利いて、って男だったら誰でも好意を寄せたくなるような子なんだと思うんだけど」

「そう思ってるならそうなんじゃないの?自分は8組じゃないから良く判らない」

 遠野の事はどうでもいいという無関心を彼女は仮面(ペルソナ)の下に隠す努力をとうの昔に投擲していた。必然的に言葉の温度が氷点下を割るほど冷たい。

「でも、いろいろと因縁はあってもその中で何かこう、いい所っていうか──」

「梅田くんごめん。以前、彼女に色々と言われて挙句の果てに凶器持って襲われて……正直言うと、遠野のいい所なんて全然ない、って自分は思うの。だから、そのことを自分に訊くこと自体間違い」視線を切った黒瀬は、虚空の誰か、さもなければ自分に言い聞かせるように言葉を連ねた「だから、もうこの話はここでおしまい」

 もうそんなことは聞きたくもない。彼女の横顔は、そう声高に彼に叫んでるようだった。

「……そうだった。すまん」

 彼の言葉は、青信号になり動き始めた車の音に掻き消えそうなくらい、小さかった。


「正月三が日だとこうなるか」

 白谷駿(しろたに しゅん)は、ミスド駅前店と大して変わらない人の多さがここベルでも再現されているのを見て、今度こそもう帰ろうかと心に決めた。

 お昼時、飲食店からあぶれた家族連れがとりあえずは小腹を膨らませようと考えた人が多いのか、ミスドやお好み焼き屋、はたまた軽食しか出ない喫茶店にまで入り込んでおり、1時間ほどは混雑が続くくらいに店舗入り口に人が滞留していた。あまりの賑わいのために、店舗内放送の60年代アメリカンポップスがまともに聞こえてこない。

「遠野、こんなんだからここで終わろうか」

 既に帰ることが決定事項のような気分になっている白谷は、当然彼女の方もこの状況なら賛同してくれると思っていた。しかし、ちらっと見た遠野の横顔は、こうなることは既に織り込み済みと言いたそうに見えるほどの落ち着きぶりだった。一瞬、白谷は彼女の口元が笑みを浮かべるように歪んだように見えた──その直後、

「白谷くん、近くに喫茶店があるからそこ行こう。表通りからは見えない場所にあるから、そこなら混んでないよ」

「え?でもこの正月店開いてるか?」

「今日も開いてるよ。大丈夫。いこいこ」

 駅前と同じように、突然白谷のコートの袖を引っ張って遠野は自分が目指す方向へと誘導して行く。これまた同じように遠野の荷物を落としそうになりながらなんとか堪えて、彼女の半歩後ろを半ば不承不承の表情を浮かべて彼は彼女についてゆく。

 ベルの表通りは大名町交差点から続く上下4車線の大きい道だが、その裏手は少し古めの住宅街になっている。ぱっと見た目はお店などは見当たらないように白谷には見えたが、遠野はまるでその場所を詳しく知ってるかのように歩く速度を落とすことなく、自信を持ってまだ見えない目的地に向かって進んでいた。

 裏手から続く生活道路を真っすぐ進み、やがて見えてきた公園を彼女は右へと回った。さっきと同じ生活道路だが、公園との間にある針葉樹の並木が、何処にでもあるような道路に彩を添えていた。道の先には、行き先を塞ぐかのように自動車がひっきりなしに通過して行く交通量の多い県道が見える。

「遠野、何処まで行くんだ?」

「もうすぐよ」

 彼女は自信持ってそう言ってはいるが、白谷の目からはそのような建物は何処にもない。公園の並木が、視線の左側にある景色を隠蔽し、右側は官公庁の敷地らしきガレージなどが道と平行に続いている。

 本当に喫茶店なんてあるのか?白谷の脳裏に疑問符が次々と浮かんでくる。それと同時に、何か嫌な悪寒がしてくるのを彼は背中から感じた。

 公園の並木が途切れる。隠された世界が、視界が、歩くたびに見えてくる。そして、そこに現れた建物に──白谷は自分の悪寒が正しかったことを確信した。

 彼女の歩みはその手前で一旦、止まった。

「ここよ」

 遠野はそう言ったが、そこはどう見ても喫茶店というものではなかった。

 高校生の身分としてはそこは禁じられた場所である。しかし、もし、好きな人がいるならば、そしてそういうチャンスがあるならば中に入ってみたい。そう、ほんの少し前までは、彼にはその機会はあったのだが。

 そして今、自分と一緒にいる人は好きな人なのか──違う。それは、自信を持って言える。

 だからここに入る気は全く、ない。

 白谷は、自分の足がその場所から少しでも遠ざかろうとしてあがいているのを感じていた。

「……おい、遠野、ここって──」

「入るよ、白谷くん」

 逃さない──遠野の笑みは、白谷から見れば、悪魔のそれそのものにしか見えなかった。

 彼の袖が、彼女に引っ張られる。

 警戒心が、白谷の中で再びその水位を増し始めた。


 黒瀬は、さっきは梅田の問いに苛立ちを覚え、そして今は併用軌道特有の、信号や右折車両による進路妨害などでマトモに進まない電車に苛立っていた。窓の外を見て気を紛らわそうとするが、その表情の下にはそれだけでは相殺しきれない鬱憤が海のように広がっていた。

「黒瀬さん」

「……何よ」

 買い物帰りの家族連れやおばちゃんたちでソコソコ賑わう車内で、隣に座る梅田が彼女の名前を呼んだ。苛立ちのせいか、黒瀬のその口調には、どことなく棘があった。

「苛立ってもしょうがないだろ。それよりも、どうやって二人を見つけるか考えた方がいいんじゃないか?」

「それはそうだけど……」

 彼女の口調は未だ強めだったが、どことなくいらだちが影を潜め、それまで潜伏していた弱気が言葉の端からのぞけそうになる。

 デート、ということならベルの中のミスドとか喫茶店のような小休止できる所をまず見て、そこにいなかったら併設のボーリング場か2階のゲームセンター。それでもいなかったら──フロアを虱潰しに見てゆくしかない。ただでさえ広い店舗内、そう簡単に見つかるかは難しい。ましてや、梅田の方はそれを手伝ってくれるかどうか。

「何なら、俺も見て回るけど」

 彼からの言葉に懸案になっていた彼女の心配事が一つ消えた、と同時に反射的に彼女は隣を凝視した。一瞬何事と驚く梅田。

「……な、何だ?」

「あ、いや……一緒に探すとは思わなかったから」

「だから言ったろ?黒瀬さんは白谷を探す。俺は遠野を探す。二人が一緒にいるのならこっちも一緒に探したほうが早いだろ?」

 真っ当な答えなので黒瀬も頷くしか無かった。と同時に、そんな考えをしていた自分自身に少し自己嫌悪気味な気分が広がってゆく。

「とっとと見つけて帰ろうぜ。せっかくの冬休み、こんなことに時間取られるのは嫌だからな」

 拳一つ分の隙間を開けて、黒瀬の隣りに座っている梅田が背伸びをするように背筋を伸ばしながら言う。

「そういやさ」背伸びが収まった所へ黒瀬が視線を向けずに言葉を向けた「さっきあんなこと言ってて何だけど、梅田くんは遠野のどういう所を好きになったの?」

 思いもしない言葉に梅田は思わず彼女の方を向く。そして暫く天井を見上げて、そこからこぼれるように話をし始めた。

「まあ、理由はよー判らん。気がついたら、気になる人になってた」

 彼の楽しそうな顔がそこにはあった。今はまだまともに振り向いてはもらえないけど、そんな障害でもこれから面白いことをしていくならそれすらもスパイスだ、と言いたげに。

 黒瀬は、その横顔にちょっとした羨望感を募らせた。ほんの少し前までは自分もこんな顔をしてたんだろうな、と同時に、今はそれがないことを再認識させられていた。

 梅田は、彼女が自分の方を向いてるのを一瞬見て、再び話をつづけた。

「人を好きになる理由ってあるとは思うけど、俺はそうじゃなかった。だから判んない」それが答えだ、と言いたげに彼は首をかしげるようにして黒瀬の方を向いた「黒瀬さんは好きになるのに理由、要るの?」

「……そういうわけじゃないけど、何らかの理由があるものとは思ってる」

「ふうん、勉強できる人って何かしら理由求めたがるもんかね?」

「そうかもしれない。そうでないと、何か、すっきりしないっていうか」

「気にしなけりゃいいんじゃないかな?って出来ねーからそうしてるのか」

「それが悪い?」

「いや、怒らせたならごめん。人それぞれ、って言えばいいのか」

 人をからかって楽しんでるような梅田の横顔を黒瀬は見る。それはまるで幻を見つめるように、何処か捉え処がないモノを見つめているような。それに気づいた彼が、つい、と彼女の方を見る。

「なに?」

「不思議な感じがする。今の今まで接点なんて全然なかったのにこうやって話してるなんて……」

「なに、俺に惚れてる?残念、俺は遠野に魅かれてるから隣の席ないよ」

「わかってるわよ!……何言ってんの」

 何言いだすのこいつは、と言いたげに顔を紅潮させて再び視線を逸らす黒瀬。それを横で見ていた梅田も、笑みを浮かべて彼女から目線を外す。

「そっちは白谷オンリーだろ?うらやましいねぇ、幼馴染って」

「うらやましくもなんともないっ……!」

 黒瀬が言葉でかみつく。しかしそれに続く彼女の意思表明はなされなかった。何かを言おうとし、何かに気付いて、その思いを彼女自身の内側へと閉じ込めたように黙り込む。

「そっかぁ?だって出会う段階省けるんだぜ?こんな手ごろな付き合い方ないだろ?」

 気づかないふりをしてるかのように、梅田は彼女の言葉に反駁する。

「幼馴染っていうだけで色眼鏡で見られてる苦労なんて他人にはわかりゃしないわよ」

「わかってたまるか。そうじゃない人にとってはすごくうらやましいんだぜ、そんな立場は。そんなこと言うのは恵まれてる証拠だよ。他人にとってはそんな気苦労など、むしろご褒美だ」

 気軽に言い飛ばす梅田を、とっさに言い出す言葉が紡げないのか黒瀬はさながら体全体を膨らませて威嚇するフグのような顔をして彼の方を睨んだ。その顔を横目で見ている梅田はさらに笑みがこぼれてくる。

「はははっ、おもしれーな黒瀬さん」

「どういう意味よ!」

「いや、人は見かけに依らないというか。ま、そういうところはあるんだけど、思ったより結構くるくる表情が変わって見てて飽きないわ」

「……自分は普通にしてるだけだと思うけど……」

 意外な事を言われて鳩が豆鉄砲を食らった、ぽかんとした顔を浮かべて黒瀬が呟く。不意打ちの言葉を食らった上に、どことなく、彼女の頬には朱が混じっているかのようだった。

「しかし緑川のやつ、何でこんな面白い子を振ったんだ?頭いい奴は考えてることが良く判らん」

「それは……」黒瀬はそう言いかけて気が付く「まあ、色々とあったし、自分が悪かったのもあったし……」

 彼女はうつむき加減で自然に左手首を見つめる。今は何もしていない手首。あの日以降、黒瀬はブレスレットを付けていない。

 そして癖のように、スタジャンの下にある水晶を触る。

「そうなんだ」

 梅田のその言葉を合図にしたのか、二人の間にエアポケットのような無言の時間がぽっかりと空いた。乗客の話声や子供らの歓声、きしむような電車の音がそれらの代わりに隙間を埋める。

 何秒経っただろうか。しばしの無言の時間は、黒瀬の呟くような言葉で静かに終わりを見せた。

「ちょっと訊いていい?」

「どうぞ」

「例え話として……振られてそんなに時間たってない時期に別の人と付き合うのって、なんか後ろめたい、っていうか、節操ないって他の人から思われないかなぁ?」

「いいんじゃない?好きなら」

「……なんかあっさり言ったね」

「だって好きなんでしょ?仕方ないでしょ、それは。ヒトの本能だし」

 何でそんなことで悩むの?と言いたげな笑みを浮かべる梅田。そんなことに縛られずに、好き勝手にやればいいんじゃない、と。

「でも他人からそう思われるって自分としては……」

「へえ、黒瀬さんは他人の思考読めるんだ」

「なっ……そんなこと言ってないでしょ!」

他人(ひと)なんて何考えてるか判んないなら、判んないでほっときゃいいじゃん。なんで気にすんの。自分が好き勝手に動いて好き勝手に気持ちよくなれればそれでいいんじゃね?野次馬なんて気にしない。それが恋でしょ?」

 ──それは、何かのきっかけだった。ただの、彼の持論にしか過ぎない言葉だけだったのだが。

 何かが見えた、気がした。ほんの一瞬だけど、確かに彼女の瞳には、それが見えているようだった。

「あれっ……?」

 制御できずに彼女の口からこぼれる独り言のような言葉。

「どした?」

 梅田の問いは彼女を現実に引き戻した。見えていた、ほんの一瞬のビジョンは何なのか──理解をする前にその証拠すら彼女の頭から消し去って、なかったことになろうとしていた。それに代わって、やや混みあう電車の中の現実をありのままに黒瀬の瞳は映し出す。

「あ……いや、何も」

 頭を振って、初めからビジョンが見えてなかったように彼女は言った。

「……なんか俺、変な事言った?」

「ううん……」

 誤魔化しの言葉をこぼした黒瀬。失われた光景に名前が付けられないように、失われた言葉は声に出しようがなかった。

 消去されてしまったビジョンをもう一度、彼女は頭の中で再構築しようとする。しかし、さっきほどはっきりとしたイメージはノイズに紛れてぼんやりとした感じでしか思い出せてなかった。

 でも、なんとなくわかる。そのぼんやりとしたイメージだけで、その瞬間の彼女には、充分だった。

 昔から自分はそうやってやってきた。当たり前のように、自分の都合で、相手を振り回して。

 ああ、やっぱりそういうことか。自分が、彼を取り戻そうとする理由は。

『俺の彼女は結衣、お前だけだ。何度も言ってたじゃねーか!』

 あの時の幼馴染の叫び。自分は今、それに応えようとしてるのかな。

 今更ながら、それを"姉""弟"という言葉で自分自身を誤魔化してきたんだなぁ。

 ──そうなると、ずいぶん遠回りしてたんだなぁ。

 彼女の表情に、わずかばかりの笑みが浮かんできた。

「黒瀬さん?」

「あ……は、はい」

 また彼の声で現実に引き戻された黒瀬は、笑みの正体を悟られないように慌てて声を出す。

「……なんか黒瀬さん、って時折意識が違う世界に飛んでってるように見えるなぁ」

「何言ってんの、そんなことないって……!」

 何言いだすんだコイツは、とレンズ越しのジト目で今日何回目かのツッコミを入れる黒瀬。そのツッコミを、梅田は笑顔という名の余裕で受けた。

 車掌がもうすぐ目的地の江端駅に着くことを知らせると電車は、その運動エネルギーを緩やかに減じていった。やがて速度がゼロになり、空気の抜けるような音とともにドアがガタガタと音を装飾しながら開いた。二人同時に腰を上げ、彼らは駅のホームへと降り立った。


「遠野、いい加減にしろ!」

「今更何言ってんの。学校でセックスしようとしてたくせに今頃怖気づくって変でしょ?何善人ぶってんの?」

「俺はお前とは──」

「判ってる。でも、白谷くんは私とここでカラダの関係になるの」

「何言ってんだ遠野!お前には梅田がいるんだろうが!!」

「どうでもいいけどさ、こんなところで大声出していいの?誰かに見られて学校に言われたら今度こそ──」

「……っ!?」

 ──遠野が白谷を連れて来た所は、ラブホテルだった。

 昔からここで営業してるらしく、近くまで住宅地化されても生き残ってる、どこかしらか古さを否めないが派手な色遣いをした建物は、明らかに周囲の没個性的な家々や建物から浮いていた。その玄関先で、遠野と白谷は正月の白昼堂々、言い争いという名の痴話喧嘩を繰り広げていた。

 しかし、いくら静かな住宅地に近い場所とはいえ、その玄関先で言い争いをしてるとなると誰かに見つかり、下手をすると通報される可能性がある。そうでなくとも、姿を見られることは避けたい。

 ここじゃヤバイ──白谷は言いたいことを無理やり喉の奥に押し込める。

 さっきから、コートの袖は遠野の手が必死に離すまいと引っ張っている。全力を出せば振り切れるかもしれないが、もし遠野が大声を出したら、そしてそれを通りかかった人が聞いたり見たりしたら──そう思うと、白谷は力を出せないでいた。

 そして玄関先にいるだけでも、見られるリスクは高くなってゆく。

 一旦部屋に入った方がまだマシじゃないか。こういうところだから、防音はされてるだろうし。そう思った彼は今は逃げるという選択肢を一時的に凍結することにした。遠野の力が勝るようになり、彼は連行されるようにホテルの玄関をくぐった。

 ルームキーの自動販売機の前で遠野は"休憩"を選択し、部屋を選び、高校生にとって安くない料金を機械に入れたあと館内図を見つつ指定した部屋へと歩いてゆく。

 不本意に入らされたが、白谷にとっては初めて見るものばかりだった。噂には聞いていたが、いざそれが目の前になると今まで隠れていた好奇心が目を覚まし始める。独特の空気感、匂い、照明の明るさ、その他五感を刺激するすべてのガジェット──すべてが人の本能に、根源的な何かを刺激するかのような作りになっていた。幾分古さを感じさせる所はあるものの。

 でも、これが好きな人となら、どんなにワクワク、ドキドキしながら入ったんだろうか。しかし今は──白谷は憮然とした表情を隠すこともせず、彼女に袖を引っ張られて、さながら連行される犯人のように連れてかれていた。

 遠野は部屋の鍵を開けると、外開きのドアを開け、まず白谷を先に入れようとした。

「ちょ……ちょっと遠野」

 後ろから押されるのを入り口で抵抗する白谷。その耳元で彼女はささやく。

「通路で他のお客に見られたらどうするの?それが学校関係者だったら?生徒だったら?」

「そんなことあるはず──」

 あるはずないと言いかけた彼の言葉を遮るように、彼女はいわくありげな笑みを浮かべる。

「あら、だって先生らも人の子よ?それに生徒でも時折噂聞くじゃないの。誰誰とホテル入ったの見た、とか。今、来てるかも……よ?」

「正月だぞ、そんなわけ──」

「ない、なんて言えないじゃないの?実際私らがこうしているんだし。ほら、モタモタしてたらホントに見られちゃうかもよ」

 見られたらヤバイ、その考えが彼女への抵抗を弱めさせた。遠野の力でもあっけなく彼は部屋の中へ入れられる。彼女も入ると素早く扉を閉め、そして鍵をかけた。

 その音はまるで『諦めなさい』と遠野の心を代弁してるかのように、乾いていた。

 ラブホテルというととにかく派手目な部屋というイメージがあるが、この部屋は値段が安いせいか、どことなくこじんまりとしていて、男女間の"行為"だけを目的とした幅広のベッドと簡素な浴室、多少はくつろげるくらいの安めで古いソファーとテーブル、"気分"を盛り上げるビデオシステムとテレビなど、家族旅行などで泊まるホテルにラブホならではの装備がくっついたような、最低限の装備だけがあった。ベッドも、噂によく聞く回転するとか天井が鏡になってるとか、そういう派手目なものは一切なかった。

 天井から照らされる明かりも、必要最低限の、暗い一歩手前のようなほのかな照度で、さながら日没後の、黄昏時のような暗さだった。

 ずっと羽織っていたコート類を遠野は脱ぎ始めた。首に巻いていたマフラーも一緒に外すと、手近にあったハンガーにかけて、踵を返す。

「どうするつもり……だ?」

 今更、のような問いを彼女に投げつける白谷の表情はいくばくかの怒りの成分を含んではいるものの、しかし隙を見せると、あっという間に引き込まれてしまう危うさも感じていた。

 目の前の彼女から、そして部屋中に満ちて薫る様々な本能をくすぐる甘い匂い。もし、出会いが不幸ではなかったら──多分彼は自分自身の"男"を制御できなかったかもしれない。

「簡単よ。学校祭の彼女さんみたいに、私を弄んでくれれば」

 ほぼ下着のようにしか見えないキュロットを纏っただけの彼女がしなだれるように体を彼に密着させようとするも、白谷が持ってる荷物が邪魔だった。遠野は彼からそれらを攫うように手にすると、テーブルにそそくさとそれらを置いて、両肩に手を回す。ぐっと、更にカラダを密着させる。

 白谷のコート越しに彼女のカラダの感触が伝わってくる。厚着をしていても判る位の、その感覚の絶妙な柔らかさは、気を抜いたとたんに遠野の思いのままに操られそうになる。そうはさせじと白谷は口元をわずかにゆがめてそっぽを向くが、怒りのせいなのか、恥ずかしさのせいなのか、それとも"男"としての生のままの欲望のせいなのか、寄りかかる彼女から離れようとしても体が言うことを聞いていないように、その場から動けないでいた。

「……何がしたい……っ!」

 白谷の強めの口調にも遠野は意味ありげな笑みを浮かべたまま、さらなる挑発を予感させる言葉を彼の耳に滑り込ませる。

「好きになっちゃいけないの?」

「相手が違うんじゃないの?俺じゃなくてさ」

「あら、私はまだ誰とも付き合ってないよ」

「でも希望者はいっぱいいるんじゃないか?例えば──」

「また梅田くん、って言うの?ふふっ、ざーんねん。彼は勝手に言ってるだけ」

 甘く囁くような声。誘惑してくる女性特有の香り。そして、"男性"としてその役目を果たせと言わんばかりの、カラダの感触。

 しかし、どこかしら計算づくなような──そんな彼女のわざとらしさが、見えない膜のようにそれらをコートしているように、白谷には感じた。

「私はあなたしか興味がないの」

「おかしいだろ?」睨むような横目で彼は遠野の顔を射抜く「3か月ほど前までは俺を脅してでも黒瀬と緑川との仲を壊そうとしたり襲撃してきた相手が、今度は突然近寄ってくるなんて何かあるとしか思えんじゃねーか」

「さっき言ったでしょ?もうその時の私じゃないって」

「……信じられるか……っ!」

 吐き捨てるような白谷の、言葉という名の切っ先。だが遠野はその切っ先ですら、平然と聞き流す。

 初めから想定内、と言わんばかりに。

 抱きついている遠野が、彼の方へ重心を崩す。彼はそれに抗おうとして──結局、彼女を手助けした重力に負けてベッドに倒れこまされた。彼女のカラダの重みも加えて。クッションが効きすぎるくらいのベッドの上で、絡んでいる二人のカラダが数度、跳ねる。

「お、おい、遠野っ!」

「あなたを幼馴染から救い出してあげる……!」

 ふふふっ、と笑う遠野の目は、狩人そのものだった。

 それはどこかしらに狂気を孕んでいるかのように、黄昏時のような明るさの下でも妖しく灯っていた。

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